三時間分
見えなかったの、なにも――と、小夜さんは言った。
小夜さんの右目には怪異が映る。そして、左目は問答無用でそれを殺す。だから、普段、小夜さんは“まやかしの単眼”が描かれた鉢巻で両目を覆ってやり過ごす。
とはいえそれは学校外での話。大きな目が一つと、読めない象形文字のような絵が墨一色で描かれた太めの鉢巻をつけた小夜さんは、なんというか、正直なところヘンな人だ。
小夜さん自身もそう思っているようで、「外していたからといって、学校のなかで殺しちゃう時に、それが普通の人の目にも映るようだったらご愁傷様」とカラカラ笑う。
ちなみに、怪異が小夜さんの目に映る基準はあって、まず、「他者に害を与える意図があるかどうか」、そして、「左目で仕留められるかどうか」。
強い力があってもその影響が表に出ないものはそもそも怪異ではないらしい。小夜さんの目に映るのはあくまでも怪異だ。
かといって、小夜さんの左目の攻撃を完全に押し返すような怪異というのも小夜さんの右目には映らない。
小夜の左目は、右目が見てしまったら無条件で攻撃しなければならない。だから、それくらいの防衛本能はあってもいいでしょう?――と、幸哉さんは言う。
“まやかしの単眼”をつけているわけではなく、怪異の気配は確かにあったのに「見えなかった」と小夜さんが言う時。そんな時は、おれたちの出番だ。
小夜さんが言うには、中学校の正門から入って職員室棟の向こうのプールの方に向かったらしい――走りながらのおれの無言の呼びかけに、小夜さんを単眼鬼と呼ぶおれの相棒は、おれにだけ聞こえる声で言う――目に見えなくてもそこまで感じるならば戦えばいいのに。
相棒の言いたいことはわかる。だが、それは神だから言えることだ。
おれの母さんの祖母ちゃんのそのまた祖母ちゃんちの近所でまつられていた海神様の一部、それがおれの相棒。
神の敵は神だけだ。
ものの見事にもののけだ、見ろ、いちた――辿り着いたプールの出入り口付近。おれの足を強引に止めた相棒は、頭の奥だけに響く声とともに視界を押し付ける。
目の当たりにしたのは、空までありそうな、縦に長い黒い影。
おおむね三時間の遅刻ってところかな? その間にいろいろ吸い込んで、こうもまあ大きくなって――相棒の声が茶化すように軽かったのはここまでだった。
――さて、食うかな。
夕方。影なんて出てこないくらい薄暗いなか、おれの足もとに真っ黒い影が広がる。目の前の怪異よりはるかに黒く、たとえ、黒いペンキをぶちまけたところでできないような黒色がどんどん広がり、ごぽっと、盛り上がる。
巨大な魚、というか、鯨。大きな口が怪異の足もとからせり上がり、そのまま長い影を飲み込んでいく。
鯨がおれの足もとの影にするりと戻っていった時には、影はすっかり消え失せていた。
なんだったの? さっきの――訊いてみる。
飲み込んでいる最中だったのか、それとも、飲み込んだ怪異の考えを読んでいたのか、しばらくの無音のあと、相棒は言った――明日のプールのテスト? がイヤな生霊の集合体ってやつだったみたい。
おそらく最初から既に五、六体の塊で、小夜さんが見かけてからおよそ三時間後におれたちが到着した時には二十体以上の塊に。三時間も遅刻したせいで、ひょっとしたら、テストがイヤな人間全員分の生霊が寄り集まってしまっていたのかもしれない。
なにはともあれ、そんな生霊の塊は神様によって祓われて、翌日、水泳の授業でテストを予定していたクラスは一人の欠席者もなく、無事、テストが実施されたとのことだった。
めでたし、めでたし。
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