第16話
「くっ...!」
俺はナイフをシルベットに向けている。しかし、どうしたものか分からない。このまま突っ込んでいってもあの砲弾みたいなパンチをお見舞いされて頭が吹っ飛んで死ぬだけだ。
チラリと瞳花を見る。
「どうすれば良い」
俺は指示をあおいだ。仕方がない。俺一人ではなんにも出来ない。ただ死ぬだけだ。
「私がまず行きますからあんたは着いてきてください」
そう言うと瞳花はシルベットに向かって突っ込んでいった。足取りにはやはり力が無いがそれでも確かに走っている。俺も続かなくてはならない。
非常階段で屍人の群れの中を突っ走った時とは比べ物にならない。正真正銘、死に向かっての疾走だ。
「チクショウめ!」
俺は意を決して走り出す。瞳花の背中を追って。アスリート以上の動きで突っ走る瞳花、しかし俺はその後ろに追い付けた。
「なるほどやっぱり」
瞳花は短く言った。それだけでその言葉の真意は分かった。続く言葉は『屍人になりかけだから身体能力が上がってる』だ。間違いなかった。さっきよりも体が動く。まるで獣かなにかになったように自分の体が軽く、そして力強くしなやかに感じた。動きも見える。忌々しいが明らかに人間以上の身体能力になっていた。
これならずぶの素人でもまだ戦える。これなら瞳花を助けられる。俺は瞳花と並んでシルベットに斬りかかった。
「うおぉおおお!」
「...!」
「ははっ!」
俺は叫びながら、瞳花は無言で、そしてシルベットは笑いながら、それぞれの攻撃が交錯した。瞳花の刃がシルベットに襲いかかる。シルベットはそれを難なくかわし、そのまま攻撃する。瞳花はそれを体を捻ってギリギリでかわす。その後に俺のナイフだ。
しかし、シルベットは俺の手を難なく掴んだ。そして、そのまま俺に拳を振るう。
まずい、あれを喰らったらアウトだ。しかし、見える。いや、それでも見えないのだがまだ見える。攻撃の軌跡くらいは見える。しかし、見えたからといってかわせる訳では無い。俺は素人だ。喧嘩のひとつもしたことがない一般人だ。なんとか体をくの字に曲げるがかわせない。このままでは食らう。
しかし、そこで瞳花の刃がシルベットの腕を撥ね飛ばした。
「ぐっ...」
斬ったと同時に呻き声を上げる瞳花。術で痛みを和らげているとはいえ何らかの不快感はあるのだろう。動きが鈍る。そこへ、シルベットは蹴りを繰り出そうとした。
「くそっ!」
俺はすかさず思いきり拳を振るった。自分でも想像以上のパンチだった。信じられない速度だった。まさしく怪物の一撃だ。
しかし、シルベットはまたそれを片手で受け止めていた。
「くそぉ!」
俺はすかさず全力で腕を振るって振りほどいた。俺も瞳花も一旦シルベットから距離を空けた。
「ふむふむ。思ったより歯応えがあるね。狩人の方はもう見る陰も無いが、君の方は想像以上だ。やはり最高の屍の素質が君には十分ある。いや、本当に口惜しい」
シルベットはケタケタ笑いながら言った。そして、地面に落ちた腕を取って肩に付けた。ミチミチ音が鳴り、また元通りだ。
「ほらほら。早くしないと時間切れだよ。棒立ちしてる場合じゃないだろう?」
「言われるまでもねぇよ!」
俺はまたシルベットにナイフを振るう。瞳花も俺の動きに合わせてシルベットに斬りかかった。
狙うは頭だ。さっきは刺さっても殺せなかったが今の腕力なら間違いなくかち割れるだろう。祈るような気持ちを込めて俺はシルベットに思いきり腕を振るう。
しかし、シルベットはそれを容易く払い除けた。そして、そのまま俺を蹴り飛ばそうと一瞬体勢を変えるがすぐに止めた。瞳花の切っ先が迫っていたからだ。シルベットはそれを余裕で避け、反撃を加えるが、しかし瞳花もなんとかそれをかわす。瞳花の方に攻撃が向かう。
「チクショウ!」
俺はそれを止めようとナイフを振るうがシルベットはそれをかわし、そして次に来た瞳花の刃もかわした。
そうして、シルベットは交互にくる俺たちの攻撃をかわし続けた。俺たちはなんとかお互いの隙を補い合ってシルベットに攻撃を撃たせまいと努めた。そんな感じのやり取りが10数手続いた。時間にして数秒。しかし、俺には気の遠くなるような時間だった。今までの人生で一番集中したであろう時間だった。
そうして俺たちはまたシルベットから距離を取った。
「はぁ...はぁ...」
俺は肩で息をしていた。瞳花も大分苦しそうだ。
届かない。攻撃が届かなかった。二人で、少なくとも俺は思い付く限りの最善を行った。ずぶの素人の最善だ。たかが知れている。しかし、それでも俺に出来る精一杯、化け物になりつつある驚異の身体能力で出来る精一杯を行ったのだ。そして、瞳花も恐らく今の状態で出来る最善を行ったはずだ。それでも届かなかった。
シルベットに斬りかかって数十秒。
勝てない。
それが俺の感覚だった。
何せ分かってしまうのだ。曲がりなりに攻撃をやり取りして感じてしまうのだ。
シルベットは全然本気では無いと。完全に俺たちを舐めきっていると。
「はぁあ。良い感じだね。良い感じに君たちは全力を尽くしてる」
ふふっ、とシルベットは笑いを漏らしながら俺たちを見る。まるで、追い詰めたネズミを見つめる猫のよう。必死に抗う獲物を優越感に満ちながら見下ろす捕食者のような目だ。
俺は足を踏ん張った。せめて、後退しないように。あまりに恐ろしかった。
「良いねぇ。わずかな希望にすがりつくその感じ。なんとか崖っぷちで踏みとどまろうとするその感じ。未来に賭けるその感じ。なんだろうね。美しいよ、その有り様は。それは多分人間にしか出来ない姿だ。だから、綺麗だ」
シルベットはじり、と一歩足を進めた。
「狩人は帰って楽しみがあるんだったね。君も面接がどうとか、仕事を探しているわけだ。二人とも夢見る明日があるわけだ」
シルベットはまたじり、と進む。圧力がすさまじい。ただ歩いているだけなのに俺の寿命がその一歩ごとに縮まっている気がする。
「良いねぇ。良いねぇ。そして、ボクはそれを壊すわけだ。そういう恐ろしい化け物なわけだ。良いねぇ。良いねぇ。たまらなく愉快だよ!」
シルベットはケタケタ笑う。ひどく不愉快な声だった。
「残念だねぇ。君たちの明日はもう無くなるんだ。君たちの未来はもう無くなるんだ。もう、君たちの希望は失われるんだよ。ははははっ!」
シルベットは俺たちが上がってきた階段の前で立ち止まった。逃げ道を塞いだのか。
くそったれだった。本当にくそったれだった。ここまで来たというのに。こいつを倒せば万事解決だというのに。あまりに遠い。その未来が遠い。
―残り時間は30秒を切っていた。
「くそっ。どうしてこんな。なんでこんな。あああっ、くそったれ!」
俺は唸った。あまりに理不尽だからだ。突然ゾンビに噛まれてゾンビになると言われ、訳の分からんやつらに訳の分からん扱いを受け、その後身の毛もよだつ思いをしながらゾンビの群れを掻き分け、今度はその訳の分からんやつに追われ、そしてそれを越える訳の分からんやつに絡まれ、その後訳の分からんやつと少しは分かり合ってようやく少しはましになったと思ったのに結局これだ。
まったくひどい一日だ。ひどいひどい夜だ。人生で最悪の夜だ。そして、俺の人生はあと30秒もしない内に終わってしまう。
なんて理不尽だ。くそったれだ。
前世でなにか信じられない悪行でも犯したのか。どうしたってこんなひどいことになっているのだ。
「あー...。チクショウ...」
俺は漏らした。もう仕方が無かった。やるべきことは決まってしまったのだ。
「瞳花。もうどうやら俺は時間切れになるらしい」
「そうらしいですね」
「あとは頼んだぜ」
「どういう意味ですか」
「俺はあいつに掴みかかる。なんとか押さえつける。多分殺されるけどなんとかやってみる。そんでお前はあいつの頭を斬れ」
「へぇえ。捨て身ですか。かっこいいですね。漫画の主人公みたいだ」
「茶化すなよ。どっちにしてももうこれしか手は無いだろ。もう死ぬ俺が、捨て身でやるしかないだろうが」
「良く言いますね。本当に命捨てれるんですか?」
「分からん。けどやってみる。どっちにしろ死ぬんなら出来ないこともないと思う」
瞳花は大きなため息を吐いた。
「無理ですよ。無理です。そんなもん一般人がいきなり出来るもんじゃありません。そういう訓練でも受けてないとどうしたって体が固くなります。それじゃあいつに届く前に殺されて終わりですよ」
「でも、これ以外に手なんてないだろうが」
俺は吐き捨てる。実際、俺にはもうこれ以外に思い付く方法なんてなかった。
「いえ、ありますよ。私も一緒に特攻をかけるんです」
「な、なんだと...」
俺は言葉を失った。そんな。俺は死ぬから仕方ないとしても、瞳花まで死ぬことなんてないだろうに。しかし、瞳花は笑った。こいつが笑ったのは初めて見たと思う。
「死なばもろともです。一晩だけのコンビでしたがここまで一緒に来ましたからね」
「いや、途中お前俺を殺そうとしてたけどな」
「まぁ、過去のことは水に流しましょう」
「身勝手なやつだ...」
俺はため息をついた。しかし、瞳花の目は本気だった。なんとしてでもここでシルベットを討ち取るつもりなのだ。
瞳花の言う通りだった。俺はどれだけ腹をくくったつもりになっても、やっぱり死が眼前に迫ったら心が折れただろう。
そして、瞳花にはきっと何を言っても無駄だろう。絶対に俺と一緒に逝くつもりだ。
なんというかひどい話だった。本当に世の中は理不尽だ。こんなうら若い二人の男女の命を容易く奪い取ろうとしている。くそったれだ。
しかし、もう腹は決まった。俺と瞳花はそれぞれの得物を再び構えた。
「話は済んだかい?」
「ああ、おかげさまでな」
「二人でボクと刺し違えようってわけだね。なるほどなるほど。良いじゃないか」
シルベットは余裕の表情だ。しかし、関係ない。なにがなんでもやってやる。必ずこの化け物を倒す。街の平和ってやつを守ったヒーローにでもなって、少しでも理不尽に抵抗してやる。
「じゃあ、行くぞ」
「はい」
一瞬俺は目を閉じる。そして開く。そして走り出した。
「うおぉおおおおおお!!!」
俺は全力でシルベットに飛びかかった。狙う腰だ。そこに掴みかかり、押し倒し、瞳花に止めを刺させる。上手くいけば瞳花だけは助かる。あいつは一緒に刺し違えると言ったがやっぱり生きて欲しい。なんだかんだ、この一晩であいつにも友情のようなものを感じるようになってしまったらしかった。だから、なんとか瞳花だけでも...っ!
「くくくっ!」
しかし、伸ばした俺の両手は空を切った。シルベットが後ろに飛んだからだった。シルベットは階段の踊り場まで嘲笑いながら飛び退いていた。
ああ、残念な結果になってしまった。しゃにむに突っ込んだのが仇となった。半ば自棄になったのが仇になった。まったく、なってない動きになっていたのだ。だから易々とシルベットにかわされてしまったのだ。
ああ、くそったれ。なんだって俺はいつもこうなんだ。どうしても、どこか一歩、俺の人生は足りないということか。
目の前でシルベットが笑いながら俺を見下ろしている。この後あの砲弾のような蹴りが来るのだ。そして、俺の頭は吹き飛ぶ。
作戦は失敗だった。
「ああ、良い位置だ」
と、そこで響いたのは瞳花の声だった。そして、次の瞬間強烈な音と振動が俺を襲った。
「はぁ!?」
俺は訳が分からなかった。何が起きたのか全然分からなかった。ただ、分かったのは俺が落下しているということ。その次にようやく理解したのは階段が吹き飛んだのだということだった。
「ああああああ!?」
俺は叫びながら落下する。
「なんだ!?」
そして、シルベットも落下していた。シルベットも突然のことで理解が追い付いていないらしい。
と、その時だった。俺の前になにかが颯爽と降りてきた。
瞳花だった。その手には合口が握られていた。その切っ先は今まさにシルベットの脳天の上にかざされていた。
「さすがのあんたも空中じゃ避けられないでしょう」
そして、その切っ先は振り下ろされ、シルベットの頭は両断された。
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