第17話
―ああ、残念。
彼女は思っていた。落下しながら、終わっていく自分を感じながら思っていた。
―せっかく楽しかったのに、ここまで色々やってきたのに、なんてあっさりしたものだろう。
彼女はこの体になってからの今までを思った。たくさんの人を殺し、たくさんの街を滅ぼし、思うままに過ごしてきた今までを思っていた。たくさんの死と絶望を振り撒いてきた今までを。
―やるなぁ、狩人。まさか殺されるとは思ってなかった。完全にしてやられた。この街もボク色に染めて、それで別のところに行こうと思ってたのに。やるなぁ、本当に。
彼女は自分の上方に居る狩人を見る。刃を振り抜き、彼女をこれでもかと睨み付けていた。
―どんな人間のどんな希望もボクの手にかかれば紙切れみたいに脆いと思っていたのに。いやぁ、まったくやられた。本当にやられた。人間を舐めすぎたな。
彼女は自分の終わりを感じながらしかし、どこか他人事のように思っている。彼女にはやはり自分の存在ですら大した価値を持っていないらしい。
―最高の屍も結局手に入らなかったな。目玉焼きも食い足りないし。心残りばかりだ。
彼女はゆっくり手を伸ばした。まるで眩しいものでも見るように。自分の上方に居る二人に向けて。
―いやぁ、本当にしてやられた。いやぁ、本当に残念だ。
そして、彼女の意識は途切れた。
「おおおおぉぉぉぉ.....」
俺は宙ぶらりんになっていた。足元には何もない。下まで吹き抜けになっている。そして、遥か眼下に瓦礫の山があった。そして、そこにシルベットが仰向けになって手足を開いて倒れていた。
「ふぅ」
息を吐き出したのは瞳花だ。俺の上に居る。瞳花は合口を壁に突き刺してぶら下がっていた。そして、俺の腕を掴んでいた。なので俺は宙ぶらりんなわけだ。
「よいしょと」
言うと瞳花は俺を引っ張りあげた。そして俺の腰を抱えると壁に足を付けて踏ん張り合口を抜いた。
「おおおおおお!!」
俺は叫ぶ。瞳花は俺を抱えたまま、壁を蹴りどんどん下に降りていったのだ。
タンタンと綺麗な音を立て、ものの数秒で下まで降りた。そして俺は下ろされた。ズドンと無造作だった。
「痛い!」
俺は腰を強打した。倒れたままでのけ反り腰を押さえる。何回かさすって、少しでも痛みが和らぐと俺はゆっくり腰を上げた。そしてぎょっとした。横にはシルベットが倒れていたのだ。すさまじい勢いで立ち上がり俺は離れた。
「し、死んでるのか」
俺は瞳花に言う。
「元々死んでますよ。それでもあえて言うなら終わってる、ってとこですかね」
瞳花は足元の死体を見て言った。動く死体だったものが動かない死体になったそれを見て。もう、まるで動かなかった。シルベットは完全に死んでいた。頭はぱっくり割られている。ただの一撃でただの死体に戻されたらしい。
「ていうか、結局どうなったんだ? 一体何があったんだ?」
「保険だったんですけどね。ここに上がってくるまでに階段に爆符を張ってきたんです。それを起動させて階段を吹き飛ばしたわけですね。動転して隙だらけになった上に空中じゃ体勢も変えられない。シルベットをそういう状態にして叩き斬ったわけです」
なるほど、普通にやりあったのでは勝てないと見た瞳花はそうやってシルベットの隙を無理矢理作ったわけだ。ちなみに爆符とは狩人の術のひとつで爆発を起こす札のことだ。
「まぁ、中々骨が折れましたよ。追い詰められて手が無くなった演技をして、あいつを階段の方まで誘導するのは」
「な、なんだと。初めから全部演技だったのか。俺は泳がされてたのか」
「腕振り回されてあばら折られたのは演技じゃないですよ。本当に深手は負ってます。だから方針転換でこっちに切り替えたわけです」
「い、いやでもそれ以外は演技だったんだろう。俺と一緒に必死に戦ったのも、二人で死を覚悟して突撃したのも」
「ああ、その辺りは演技ですね」
瞳花はさらりと言った。なんてこと言ってくれるんだこいつは。俺は完全に流れに入って悲しんだり、喜んだり、マジで感情を上下させていたというのに。
「ていうか。あそこでシルベットが後ろに飛ばなかったらどうするつもりだったんだ。あのまま俺が殺されてたらどうするつもりだったんだよ...」
「大丈夫ですよ。シルベットの性格上あそこで後ろに飛ばないってことは無かったですから。こいつは人を嘲笑うのが大好きですからね。必死になっている人間を嘲笑うのは特に好きだって話でしたから」
「で、でも。もしもってことはあるだろう」
「その時は仕方ないかなって思いました」
「なんてやつだ...」
恐ろしいやつだ。いや、知っていたがそんなことは。というか、途中まで殺されそうになっていたのだから。
瞳花はそれからシルベットを見下ろした。
「腹の立つ顔ですね。せめて怒りとか絶望だとかいう感情が浮かんでればこいつに殺された人々も浮かばれるのに」
見ればシルベットの表情は動いていた時と同じような、どこか浮かれた、どこか狂気のある笑い顔だった。俺も腹が立った。こいつはただの死体に戻る間際まで結局自分の行いへの後悔だとか、懺悔だとかいうものは欠片も思わなかったらしい。なんともやりきれない話だ。
「まぁ、でも。ある意味では哀れでもありますかね。こいつは絶対に普通に生を営んでいる人々の中には入れなかったんだ。多分、屍遣いになる前から、人間として生きている時から。それでこいつが許されるわけじゃないですけど。ええ、こうならない道もあったはずなのに選ばなかったんならやっぱり罪深い。結局同情の欠片も湧かないクソ野郎ですけど」
瞳花はひどく不快そうで、忌々しそうだった。俺には良く分からなかったが少しだけ分かるような気もした。俺も不快な気分でシルベットを見下ろした。この救いようのない罪人を。
と、そこで俺は気づいた。
「ん? もしかして終わったのか?」
「ん? ああ、そうですね。シルベットは討伐しましたから。これで仕事は終わりました」
「マジでか!」
俺は自分の体を確かめる。力も感覚も普通だ。いや、実際のところ良く分からないが。なんか人間に戻った気がする。
「戻ってますよ。屍人の臭いがしませんから」
「ほ、本当か。やった...やったぞ!!!」
俺は両手を広げて上方を仰いだ。間に合ったのだ。ギリギリ時間切れを免れたのだ。俺は人間に戻れたのだ。
終わった。ようやく終わった。長い長い夜が終わった。俺は理不尽に負けなかったの。訳の分からん事件に巻き込まれた訳の分からん夜に俺は負けなかったのだ。俺たちは勝ったのだ。
なんて素晴らしいんだろうか!
もう、ダメかと思った。ここで俺の人生は終わるのだと思った。しかし、どうやら明日はやってくるらしい。
俺はプルプル震えて感動を噛み締めた。途端に一気に疲れが押し寄せてきた。身体中に力が入らない。俺はこてん、と地面に腰を下ろした。
「力が入らなくなってるみたいですね」
「あ、ああ」
「まぁ、なにはともあれ、お疲れさまでした。これにて任務完了ですよ」
「おう。俺たち、この街守っちゃったんだな」
「ええ、そんな感じですね」
「ははは。ヒーローじゃねぇか」
「まぁ、誰にも気づいてもらえませんけどね」
瞳花はやれやれ、といった感じで苦笑した。笑ってる。苦笑だが瞳花は笑っていた。さっき階段の前で見せた笑顔が演技ならこれが始めて見る瞳花の笑顔なのだろう。案外可愛い。一仕事なんとか片付き瞳花も少し高揚しているようだ。
俺はなんとか立ち上がる。そして言った。
「帰るか」
「ええ、帰りましょう。帰って撮り溜めたドラマでも見ます。いや、その前に病院ですけど」
「お前はそうだな。俺は明日、いや今日の面接に備える」
ようやくだった。ようやく俺は日常に戻れる。面接を受けに行かなくてはならない。輝かしい明日を手に入れなくてはならない。
俺たちは歩き出す。なんとかかんとか。二人とも満身創痍だ。
「あー」
「はあぁ...」
「「疲れた」」
俺たちは声を揃えて言った。
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