第10話
「え?」
俺は後ずさる。瞳花は抜いた合口をだらりと横に下ろし、そのまま無造作に距離を詰めてくる。だが、動きにはなんというか隙が無かった。さっきまで瞳花の獅子奮迅ぶりを見ていたせいもあるのだろうが圧倒的な威圧感を感じる。次の瞬間に俺の首が飛んでいても全然おかしくない。明らかに瞳花は臨戦態勢、いや俺を殺そうとしている。
「い、いや。ちょっと待て」
俺は言うが瞳花は全然聞いていない。そのまま歩いてくる。
「待て、待ってくれ。頼むから待ってくれ! 俺を殺そうって言うんだろ。お願いだから返事をしてくれ!」
俺の必死の懇願に瞳花はようやく反応を示した。うざそうに表情を崩し、そしてため息を吐く。
「話したって無駄ですよ。私の行動は変わりません」
瞳花は合口の刃の背を肩にコンコンと当てる。
「俺が屍人になったからか」
「そうです」
残念ながらそういうことだった。俺の体はもう大分屍人になってしまったのだ。今だって瞳花がご馳走に見えている。食欲がそそられてたまらないのだ。
何故だか分からない。屍人に噛まれた人間が屍人に成るには一晩かかるのではなかったのか。まだ、午前3時を回ったところだ。何で俺ばっかりこんなに変化が早いのだ。
だがとにかく、屍人に変わったものに対する狩人の行動は決まっているのだ。
「私はあんたを殺さなくちゃなりません」
瞳花はしごく冷徹に言ってのけた。
屍人に成った人間がまた人を襲ったならまた屍人が増える。それを防ぐのが狩人の役割だ。そして、一度屍人に成ったものは二度と人間には戻らない。殺すしかないのだ。
俺は現実にビビりにビビっていた。今にも泣き出しそうだ。
自分が人間でない化け物になりつつあるのだということ。そして、今まさに殺されようとしているということ。その二つの恐怖が俺の精神を切り刻んでいる。
「待ってくれよ。なぁ、頼むぜ」
そして、俺はとにかくその瞬間を先送りにすべく全力を尽くすことにした。
「待てませんよ。あんたはもう半分屍人だ」
「いやいやいや。待ってくださいよ瞳花さん。まだ半分は人間だぜ? 殺すのは早いだろう? 今から屍遣いを倒して、そしたら俺は元通りだぜ? 先走ってると思うがなぁ」
「半分屍人になっちまったってことはこれからの変化は急速ですよ。もう30分も経たないうちに完全な屍人になるでしょう。だから、あんたはここで殺さなくちゃならない。悪いですね。決まりなもんで」
そう言う瞳花の表情に迷いは無かった。こいつはマジで俺を殺そうとしている。おいおい、勘弁してくれよ。こいつは人の心が無いのか。まぁ、無いかもしれない。今までの扱いを考えれば全然そう思える。
だが、しかし。一番始め、やっぱり俺を殺そうとしたこいつは結局それを止めていた。それも『殺さずに済むなら殺したくはない』という理由だった。こいつはかなりの薄情ものだがやはり人間性はあるのだ。つまり、今こいつはそういった感情を圧し殺しているのかもしれなかった。
人間性に蓋をして、冷徹な狩人の掟に従っているのだ。
そう考えるとなんだか俺はこの状況が悲しくなってきた。
「瞳花...お前...」
「早く終わらせましょう。とっとと終わらせて撮り貯めといたドラマ見たいんですよ」
「ああ...そうか...」
前言撤回だった。やはりこいつには人の心が無いようだ。
「クソ! クソ! 止めてくれ。いや、止めろ! 俺は死にたくないぞ!」
「そんなこと言っても、もう頭の中には入ってんでしょ?」
そう言って瞳花はコツコツと自分の頭を叩く。
「屍人がパンデミックを起こした時の惨状が」
「うう...」
俺の頭には確かに入っていた。屍人が次々人を襲い、増え続け街を消していった歴史とその映像が。闊歩する死体、襲われる人々、失われる命、恐怖と絶望。それらの感情や景色がばっちりと入っていた。それは実に悲しく恐ろしいものだ。
「だったら、ここであんたが逃げ出したらどうなるか分かるでしょう。あんたはあと30分も経たずに屍人に成る。そのまま街に出たら人を襲います。そしたらその人もまた屍人だ。あんたはパンデミックに手を貸そうとしてんですよ」
「う...うぐぅう...。でも、でもよ。お前が屍遣いを倒せばそんなことも無くなるだろうが。なにも問題無いじゃねぇか」
「倒せるとは限らないんですよ。もし倒せなかったら始末が悪すぎる」
「うぐぅ...」
瞳花の言うことは正しい。ここからあと30分以内に屍人を倒せるかどうかも怪しい。つまり、そう考えると、やはり俺を殺すのが一番正しいのだ。
「さぁ、おとなしくしてください。もっとも、足を踏み外して落ちてもらっても結果は同じですから構いませんが」
「うぅう...」
俺は唸ることしか出来ない。理性ではここで殺されるのが世の中のためであろうことは理解出来た。理性では確かに理解出来た。しかし、
「ええい! だまらっしゃい!! 俺は死にたくないんだよ!!!」
俺はこの上なく強気に言い放った。死にたくなかった。当たり前だった。世の中がどうとかパンデミックがどうとか知ったことではないのだ。ゾンビ映画ならむごたらしい最後を迎えるキャラみたいな思考だがそんなこともどうでも良いのだ。他の人にろくでなし呼ばわりされてもどうでも良いのだ。死にたくないのだ。こんなところで死んでたまるかなのだ。
「あんたの気持ちは分かりますよ。私が行うことが罪深いことだってのも分かってる。でも、こうするしかないんですよ」
「うるさいうるさいうるさいんだよ! 俺は死にたくないんだよ! 俺はこれから人間に戻って、そんで明日面接受けて受かって薔薇色の日常送んだよ!! こんなところでくたばって..ほがぁああ!!」
まくしたてる俺の鼻先スレスレを瞳花の刃が通りすぎていた。
「外しましたか。まだ、どこか私のも迷いがあるんですかね。未熟なもんです」
「いや、こっちがしゃべってる間は攻撃すんなよ! 当たってたら死んでたぞ! 死ぬっていうんならせめてかっこいい辞世の句が言いたい!」
「死ぬ気あるんですか? そうは見えないからまだるっこしくて斬りかかったんですがね」
「まぁ、その通りだ。とにかく死ぬなんてまっぴらゴメンだチクショウ!!」
「やれやれ。まぁ、こういう展開は当たり前といえば当たり前なんでしょうね。ですが申し訳ない。掟なもんでしてね」
そうして瞳花は合口を正面に構えた。次の瞬間にでもすぐに俺の命を奪えるだろう。俺はなんとか生き残る道が無いか考えた。真っ向勝負は不可能だ。瞳花は強すぎる。まったく勝てる気がしない。なら、下の階に逃げるのはどうか。いや、これもダメだ。上手く飛び移れる気がしない。俺はハリウッド映画の主役ではない。まいったぞこれは絶望的だ。このままでは本当に瞳花に殺されてしまう。
俺はパンクしそうな頭で考える。何か無いか。何か無いのか。
と、その時だった。
「ちっ」
瞳花が舌打ちをする。何故なら。ガンガンと俺たちの隣にあるドアが叩かれたからだ。それはつまり、この向こうに屍人たちが迫って来ているということだった。俺たちが生存しているかどうか分からなかったために捜索していたのだろう。いや、捜索などという言葉はこいつらには似合わない。俺たちを探してさ迷っていたのだ。
「クソっ」
瞳花が悪態をつく。何せ俺がドアの音を聞くやドアノブをに手をかけたからだ。瞳花の刃が迫るが俺はそれを間一髪でかわしながらドアを開け放った。
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