第9話

「今何階だ!」

「12階です。ようやく半分越えましたよ」

 俺たちは死体の山を踏み越えながら会話する。瞳花は相変わらずの手際で屍人たちを葬っている。ペースは落ちていない。驚異の戦闘力だ。後ろからはワラワラと後続の屍人が付いてくるが少しずつ数が減っている。上の階から降りてきている連中が前から来ているわけで、後ろのはその残り、もしくは一階の連中だ。前は増えるが後ろはあまり増えないので後続の数は減り続けているというわけだ。そして、階層が半分まで来たということは住人の屍人たちも半分近く葬ったということだ。

「このまま行けば屍遣いのところまで行けるじゃないか」

「ええ、このまま行けばですけどね」

 屍人たちには対処出来ているし、数も減り続けている。始めはもはやこれまでかと思ったがどうやら状況は改善しつつあるらしい。屍人はこの階段では瞳花に勝てない。それはつまりもう屍遣いのところへまっしぐらということだった。

「よっと」

 瞳花は平気な顔で屍人たちを斬り倒していく。真顔で人の形をしたものを殺しまくるそのサイコパスめいたい光景にももう慣れた。

しかし行ける、行けるぞ。そして瞳花のこの強さなら屍遣いとやらも余裕で倒してしまう気がする。つまり、事件解決待ったなしなのだ。街には平和がおとずれ、そして俺の人生にも平和がおとずれる。俺の人生これまでかとも思われたがどうやらなんとかなるらしい。これで面接に間に合う。これで、俺のまともな日常が始まる。来るぞこれは。

「おやおや、ちょっとまずいですね」

「何だと?」

 しかし、そこで瞳花が声を落として言った。何か、何か良からぬものを見たようだ。

「連中、この階段の支柱をひっぺがしてますよ」

「何?」

 俺は瞳花が左手の指で指す方を見る。右手は休まず屍人を斬り続けていた。

 指差したのは階下、そして上。そこでは、屍人たちが階段の骨組みに取り付いていた。それもどうやら一階ごとに連中はそうしている。そして、明らかに全員渾身の力を込めていた。間違いなかった。ミシミシという音が足元から、そして頭上から響いてるのだ。そして、それに伴って階段がグラグラ揺れ始めていた。

「お、お前これ! あいつら階段外そうとしてるぞ」

「どうやらそのようですね」

「そんな平然と言うな!」

 俺が言った時だった。ベキぃ、というにぶい音とともに最上階の階段が壁面からめくれ上がったのだ。それに続いて次々と上も下も階段を外す音が響いた。グラリと上の方が揺れ、ゆっくりと外側に倒れ始めていた。

「う、うぉおおお! どうすんだよ!」

 ここは早15階だ。場所は階段の真ん中。そして、俺たちの階層は瞳花が全て屍人を倒していたので大丈夫かと思われた。が、無駄だった。上が傾くにつれて下の踊り場がひしゃげてはじけ飛んだ。

 このままでは落下する。15階からまっ逆さま。下はコンクリートの駐車場、それから川沿いの堤防。つまり死ぬということだ。なんてことだ。このまま上手くいくと思ったのに。このまま俺は元の日常に戻れると思ったのに。クソッタレ!

「ぎゃーぎゃー喚かないで下さいよ。耳が痛いです」

 しかし、瞳花は至って落ち着いていた。瞳花は俺の腰を抱え、そして倒れ行く階段から跳躍した。いとも簡単にもはや3、4mは離れた15階ドアに向けて飛んだのだ。

「おおおおお!」

 喚くなと言われても喚いてしまう。命綱も何も無しに俺の体は地上数十mの宙を舞っているのだから。

 そして、一瞬で距離は縮まり、瞳花は片手でドアの前にわずかに残った床に降り立った。鮮やかなものだった。狩人の術で身体能力が向上しているおかげだ。大の大人の男一人抱えてこんな距離を跳躍出来るのは。

 それから、瞳花は俺を下ろした。数cm先は何もない。少し体がずれれば落ちてしまう。

「ドア」

「は?」

 俺は今起きた強烈な体験の衝撃からまだ抜け出せずにいた。

 瞳花が指を指す。

「こっちからじゃドア開けられないんですよ。だから、開けて下さい」

「あ、ああ。分かった」

 分かったとは言ったものの恐ろしくてならない。足を踏み外せば落ちるのだから。

 俺はそろりそろりと位置を変え、ドアを開けても落ちないようにした。しかし、ノブは回さない。

「な、なぁ。一旦休憩にしないか?」

「はぁ?」

「い、いや。ここならある程度は安全だろ。だから、小休止」

「んなこと言ってる間にドアの向こうは屍人だらけになりますよ」

「そうなってもお前なら倒せるだろ」

「まぁ、そうですけど。その分だるいんですけどね」

「頼むぜ。さすがに疲れた」

 まったくもってそうだった。マンションに入ってからここまで行き着く間もなかった。体も心もずいぶんすり減っている。行こうと思えば行けるが折角なら休みたいのだ。

「はぁあ。分かりました。少しだけですよ」

「ああ、少しで良いから」

 瞳花は渋々といった感じで合口を仕舞い座り込んだ。まったく恐怖もなくしゃがみこんでいる。そんなのは無理なので俺は足と手で体を支え、落ちないようにしながら座り込む。

「ああ、クソ。あのまま行けば一気にラスボスのところまで行けたってのに」

「敵だってただのアホじゃないんです。少しは頭を使いますよ」

「その、シルベットってやつは強いのか」

「強いですよ。アメリカでは狩人を3人殺してます。まぁ、私でも張った張ったってところでしょう」

「なんか作戦はあるのか?」

「無いですね。ただ、真っ向から挑んで斬り殺すだけです」

「な、なんてやつだ」

 属に言う脳筋というやつではないのか。利口とはとても言えない。しかし、瞳花の目を見るにに諦めとか自棄とかそういうのでは無いらしい。確固とした自信があるように見えた。瞳花は真っ向から挑んでシルベットを倒す自信があるようだ。

「なんか、思ってたよりすごいやつだなお前」

「はぁ?」

「始めはとんでもないやつだと思ってたけど、その道のプロっていうか達人っていうか」

「誉めてもなんにも出ませんよ」

「いや、はは」

 俺は少しハイになっていた。色々乗り越えてきたからだろうか。恐怖とか困難をこの数十分で切り抜けてきたからだろうか。そして、それらを共にした瞳花になんだか仲間意識のようなものが芽生えつつあった。始めは斬り殺されそうになったり、半ば恫喝に近いこともされたがこうして一緒に戦うとまるで良い奴な気がしてくる。いや、実際良い奴なのではなかろうか。それに良く見れば顔も可愛い。

「ぬはは」

 俺はやはり疲れと恐怖で変になっているようだったがとりあえずあんまり深く考えないことにした。階段からも無事に生還した。あとは屍遣いの元まで行くだけだ。それから俺たちは少しの間黙って休んだ。眼下には深夜の街の夜景が広がっている。マンションやビルが並び、きらびやかで静かで綺麗だった。

「ようし、行くか」

「ん? もう良いんですか」

「ああ、とっととそのシルベットとかいうやつをぶっ倒して帰ろう」

「へぇ。急に強気になったじゃないですか」

「まぁな」

 そうして俺は立ち上がる。ドアノブを回せば戦闘再開だ。

「ん...?」

 そこで、俺は異変に気づいた。瞳花をじっと見た。いや、目が離せなかった。その良く見れば可愛い顔立ち。若い女の体つき。首筋、手、足。それらから俺は目が離せなかった。

 こんなところで妙な気を起こしているのか。俺は一瞬そう思った。吊り橋効果やらなんやかやでそうなってしまったのかと。しかし、違った。俺が瞳花から目を離せなかったのはそういった意味合いからではなかった。

 その顔、体。柔らかそうだった。柔らかそうで...。

「うぅ...?」

 俺は口のはしから流れ落ちるものを拭った。それは涎だった。

「げ、う...お」

 俺は理解した。俺は今瞳花を美味そうだと思っているのだ。

 俺は瞳花から一歩離れる。自分が分からなかった。自分が恐ろしかった。いや、しかし知っていた。感情が理解出来なくとも知識では理解出来ていた。あの差知子の店でぶちこまれた知識では分かっていた。

 そして、そんな俺を見て瞳花がゆっくり立ち上がった。

「あーあ。予定より早く来ちゃいましたか」

 そう言って、瞳花は合口を抜いた。

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