第8話

「クソ、クソ、クソ!」

 俺は悪態をつき、なんとか正気を保とうとしていた。何か言っていないと頭がおかしくなりそうだ。目の前には視界一杯にゾンビが溢れているのだから。

「よっと」

 それらを瞳花は軽快に斬り伏せていく。普段ならこんなあっさりとなんの抵抗もなく人の形をしたものを斬り伏せていくのはどうなんだ、と眉をしかめるところだ。しかし、今は頼もしさ以外に感じるものはない。俺は歯を食い縛り死体の山を踏み越えながら瞳花に付いていく。

「今何階だ!」

「まだ、ようやく2階を越えたところですよ」

「嘘だろ。もうさっきから10階は昇った気になってたぞ!」

「先は長いですねぇ」

 そう言いながら瞳花はまた一体ゾンビの頭部を両断した。

 と、その時だった。

「おっと危ない」

 瞳花が俺の後ろにすっ、と刃を通した。見ればゾンビの首が撥ね飛ばされたところだった。というか、見れば後ろもゾンビで一杯になっていた。

「うわああぁあ! なんでだよ!」

「何言ってんですか。さっき1階に居たのと、それから2階に居たのが追い付いてきただけですよ。屍人の知能じゃ死体の山を踏み越えるのに難儀してようやく来たみたいですね」

「いや、そんな軽い調子で言うなよ。そりゃつまりここからは前も後ろも屍人まみれってことだろう」

 俺は一生懸命瞳花にすがりつきながら言う。瞳花はスカスカと後ろに前に合口を振るい次々屍人を倒していく。

「でも、一度に来るのはこの階段の幅の分だけ。前後合わせて多くても5、6人です。まぁ、面倒ですけど対処出来ない人数じゃない。ぼーっとしてたらあなたがまずいことには間違いありませんが」

「勘弁してくれ。こっちは素人だ。こんな光景見てるだけで気が狂いそうだ」

「仕方ありませんね」

 そう言って瞳花は懐からなにかを取り出した。それはサバイバルナイフだった。瞳花はそれを俺に差し出す。

「こいつを貸してあげます。気休めにはなるでしょう」

「い、いや。使ったことないぞ」

 残念ながら俺は料理もまともにしないので包丁の使い方さえ怪しいものだ。食事はジャンクフードか惣菜かレトルトなのだ。刃物の使い方なぞさっぱりなのだ。

「頭を狙って振り回したら少しは効果ありますよ」

「い、いや。屍人とはいえ人の頭にナイフを振るうのはちょっと...」

 俺がそう言うと瞳花は大きくため息をついた。完全に落胆した様子だ。

「私はあんたが気が狂いそうだ、っていうからちょっとでも心が楽になればと思ったんですけどね。私の心遣いを受け取れないと」

 そう言う瞳花の瞳は苛立ちに満ちていた。なんだろうか。ここで下手なことを言ったら一瞬で見捨てられそうな気がした。いや、確実に見捨てるだろうと思われた。

「やります、やらせてください」

 俺は答えた。諦めと共に。

「良い返事です」

 瞳花はそれからまた屍人との戦いに戻る。5、6人なら対処出来ると言っていたのは本当だった。瞳花は前と後ろ、それぞれを順番に斬り伏せている。澱みなく、これといって苦しむ様子も無く。まるでもぐら叩きか何かをしているかのように作業的に屍人たちを斬り倒しながら徐々に上の階へと上がっていく。前の屍人を斬り倒して少し進み、そのあとに後ろの屍人を斬り、それが倒れてその後続が進みあぐねている間にまた前を斬る。その繰り返しだ。

 ここまで見たところ、瞳花は強かった。いや、恐ろしく強かった。息が上がっていないのも動きが鈍らないのも狩人の術のおかげだがそれにしたってだ。こんな芸当出来るやつなんて完全にその道の達人だ。ただの口の悪い性格の歪んだ女ではなかった。本当に。

「今、『ただの口の悪い女ではなかった。本当に』って思ったでしょう」

「な、何言ってんだよ。そんなこと思うわけねぇだろうが。俺はただ単になんて強いんだお前は、って関心してたんだよ。勘弁してくれよぉ」

「そうですか。それなら良いですけど。あと、もう一歩右にずれてください。邪魔です」

「ああ、悪い悪い」

 俺は言われた通りに右に一歩ずれる。瞳花の邪魔をするわけにはいかない。このまま順調に進み屍遣いのところまでたどり着かなくてはならないのだから。

「アァ!?」

 しかし、残念なことになった。俺はすこし階段を踏み外してしまったのだ。この異常な状況によるストレスか。自分でも気づかない内に疲れていたらしい。

 俺はそのまま後続の屍人たちの中にダイヴしてしまった。

「ほぎゃああぁああああ!!!」

 俺は絶叫した。屍人の腕が俺の腹に、頭に巻き付く。すさまじい力だ。それだけで骨が砕け、頭が割れそうだ。しかし、こいつらはそのまま俺の腕やら首筋に噛みつき始めた。

「止めろぉおおお!! 止めてくれぇええ!!」

 俺はなお叫んだ。泣いた。このままでは死んでしまう。

「何やってんですか」

 しかし、瞳花があっという間に後ろの屍人たちの首を撥ね飛ばした。俺は前のめりに倒れこむ。なんとか助かった。涙を拭う。しかし、首や腕には傷を負ってしまった。

「や、やべぇ。屍人になる」

「いや、なりませんよ。だってもう噛まれた後ですもん。ああ、そうか」

 瞳花は合口を振り回しながら言う。

「なら、もうやつらに襲われるのもそこまで気にすることないのかもしれませんね」

「え?」

 瞳花はそのままどんどん前の屍人を斬り伏せた。いや、後ろのは? どんどん来てるんだけど。

「おい、後ろも来てるぞ!!!」

「ええ、あんたはそいつらに潰されないように気をつけてください」

「はぁ!?」

 叫ぶ俺に屍人たちの手が迫る。俺は後ずさりする。

「畜生!」

 そしてナイフを振るう。頭は怖いが手先を斬るくらいなら...。と、屍人の一体の指先に刃が当たり指が跳ね飛んだ。

「ぐ...」

 やはり、怪物で死体で人間ではないと分かっていてもいい気分では無い。というか、フォローは? 瞳花は何をしているのだ。

「よっと」

 そこで、ようやく瞳花が後続の屍人たちを斬り倒した。

「何やってんですか。どんどん進みますよ」

「おい、さっきより進みかたが雑になってないか」

「ええ、あんたが多少の傷なら受けても問題ないってこと思い出したんで。さっさと進む方にシフトします」

「え? じゃあ、あんまり俺を守ってくれないってことか」

「そういうことです。頑張ってください。薔薇色の毎日が待ってますよ」

「それ言えば俺がおとなしくなるとでも思ってんのか」

 俺が言い返しても瞳花は無視だった。そのままどんどん前の屍人を斬り倒していく。後ろはもうあまり気にしないつもりらしい。死体の山を築きながらその上をどんどん進んでいく。そして、後ろからもどんどん屍人が追いかけてきた。

「く、くそっ!」

 俺はそれから逃れるために必死に瞳花に付いていく。もはや瞳花は後ろを振り返りもしない。俺のことなどお構い無しの様子だ。いくらなんでもひどくないか。俺は激しく憤りながら死体の山を越えていった。

 なんとか進み、ようやく9階まで昇ってきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る