第7話
屍人たちは獣のようなうめき声を上げながら濁流のように俺たちに迫ってきた。
「うおわああぁああ!!」
俺は叫ぶことしか出来ない。当たり前である。俺は一般人だ。なんの戦闘能力もない。喧嘩のひとつもしたことのない雑魚である。
「叫んでないで行きますよ」
そんな俺に瞳花はうんざりした調子で言う。瞳花はまったく動揺していない。一体どういう神経をしているのだ。こんなもん相手が屍人でなくただの人間でもびびり倒す光景である。
しかし、瞳花はまるで恐れる様子もなく手をくい、と曲げて付いてくるようジェスチャーした。そして走り出す。屍人の群れに突っ込んでいくのだ。
「マジかよ!!」
俺は平然とそんなことが出来る瞳花に驚愕しながら、しかし、付いていく。ここで叫びながら棒立ちしていても死ぬだけだろう。少なくとも瞳花は恐れていない。この状況に対応している。瞳花に付いていくしかない。俺は走る。
「ちっくしょおお!!」
「うるさいですよ」
瞳花はそのまま屍人の群れに突撃する。刃を振るった。目の前の屍人の顔面が両断される。そしてそのまま鮮やかな手際でその後ろ、さらにその後ろと次々に屍人を倒していく。慣れた手つき、流れるような動き。瞳花は屍人の群れ、大きな円を成したその一角を突き崩していった。
「よし」
そして、ものの数秒。俺たちは屍人の円の包囲を突破し外側に出た。
「す、すげぇなお前!!」
「相手がアホなんですよ。これだけの量をわざわざ密度が薄くなる円形にするなんて。その中で一番屍人の量が少ない部分に仕掛ければこの通りです」
さすが狩人といったところか。場数が違う、知識が違う。ただの口の悪い歪んだ性格の女ではなかったのだ。
「今私のこと、ただの口の悪い性格の歪んだ女じゃないんだ、って思ったでしょう」
「いやいや、何言ってんだよ。お前のおかげであの群れを突破できたんだぜ? いわば命の恩人じゃねぇかよ」
「それなら良いんですけどね」
「ははは」
俺は乾いた笑いを漏らした。この女は勘が鋭い。うかつに変なことを言ったならすぐに見捨てられるかもしれない。
と、そんなアホなことを言っている場合ではない。後ろを見れば包囲を突破された屍人たちが俺たちを追って押し寄せてきている。
「ここからどうするんだよ! この分だと上の階も全部屍人で一杯なんじゃないのか!」
非常に胸くそ悪い話だが瞳花の予想はどうやら当たっているらしい。このマンションは丸々屍人の住むゾンビマンションとなっているのだ。シルベットとかいう屍遣いはとんでもないクソ野郎らしい。全員殺したということなのだから。
そして、このマンションの住人が全員屍人だということは逃げ道など無いということに他ならない。どこまで行っても屍人が飛び出してくるだろう。最上階は23階だ。そこに居る全ての屍人の数など想像も出来ない。
「このまま突破しますよ」
「突破する? どうやって!?」
「普通に全員斬り殺します」
「はぁ!?」
一体何を言っているんだこの女は。
しかし、瞳花はそのまま廊下を走り非常階段へと向かっていった。一階の屍人は一体残らずエントランスに出ていたらしい。廊下は静かなものだ。
瞳花は廊下の突き当たりの非常階段入り口まで来ると立ち止まった。
「どうした」
俺がそう言う。しかし、瞳花は答えない。ドアを見ていた。見ればドアは何やら様子がおかしかった。ギシギシと音を立て、ガタガタと動いている。
「お、おい。これ、ドアの向こうはやつらで一杯なんじゃないのか」
「そのようです」
しかし、そんなこと言っている場合ではない。後ろからはさっきエントランスに居た屍人たちが迫っているのだ。見れば洪水のように人の波が押し寄せて来ている。
「おおい!! どうするんだ!!」
俺は瞳花に叫んだ。瞳花はこっちに顔を向ける。
「あのですね。私一人ならここは余裕で切り抜けられるんですよ」
「ああ!? 何が言いたい! さっさと結論を言ってくれ!!」
俺は気が気でない。前にも後ろにも屍人がぎっしりだ。勢いで付いてきたがなんてことだろうか。見事に状況は最悪になっている。
「私一人ならなんとかなるんです。ただ、あなたを守りきれるかどうかは自信が無いといった感じです」
「それで!?」
「こっからはきついので頑張って付いてきてください」
「なんじゃそりゃ!!」
結局こいつが言いたかったのは『頑張れ』といったような程度のことではないか。なんかこの状況を打破する妙案でも言ってくれるのかと思ったというのに。ただ、頑張るしか無いというのか。
そうこう思っているうちに瞳花は衝撃を受けている俺になんの配慮もなく目の前の非常階段のドアを叩き斬った。途端強度を失ったドアは向こうからへし割れた。すさまじい量の屍人が流れ込んでくる。
「さぁ、行きますよ」
そう言いながら瞳花は流れるような動きで屍人の頭部を次々斬り、屍人を殺していった。見る間に屍人がただの屍の山に変わっていく。俺から見れば恐ろしい怪物も瞳花には障害ですらないようだ。まるで、ただの雑魚扱い。連中の爪先が触れることさえ無かった。
が、それは瞳花の話だ。俺は一般人だ。だから、こんな化け物の群れに飛び込むなんて正気の沙汰ではない。
「チックショォオオオオオオオォオオ!!!!」
俺は叫びながら屍の山に突っ込む。もはや、破れかぶれだ。幸い前の屍人は瞳花が全部倒している。俺は必死に瞳花のあとを追うだけだ。追うだけだ。だが、失神しそうなほど怖かった。
「さぁ、頑張ってください。ここを越えれば人間に戻れますよ。面接に行き、就職して、薔薇色の日常が待ってるんでしょう」
「うるせぇえええ!!!」
とにかくうるさかった。そんなことを考えている場合ではなかった。いや、逆だった。考えるしかなかった。もはや、そういう希望を全力で頭の中に思い浮かべるしかない。
思い浮かべるのだ。面接で軽快な受け答えの後に良い感じの対応をしてもらうところを。一週間も待たずに内定の電話が来て「君のような人材は是非すぐに来てくれ!」と言われているところを。そしてめでたく働き、なんとかかんとか仕事を覚え、良い感じに人間関係を構築し、それなりに満足出来る日常を送っているところを。
「うおおおおお!! 俺は明日の面接大成功させんだよぉ!!! 良い感じの人生送んだよぉ!!!」
「その意気ですよ」
「うるせぇええ!!!」
俺は絶叫し、瞳花は目の前に押し寄せる屍人をなんのことも無いように斬り伏せていく。まだ、ようやく2階を越えたところだ。
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