第6話

「ここですね」

「ここか」

 瞳花と俺は夜の街を歩き、一棟のマンションの前に来ていた。街の外に出る大橋のたもとに立つ大きなマンションだ。『スカイガーデン三ノ丸』と正面入り口に記されていた。大きな入り口だ。セキュリティマンションで二重に自動ドアが設けられている。内側の自動ドアは近づいても開かない。中に入るにはドア横のインターホンで目的の部屋に繋ぎ、住人側からの操作が無くてはならない作りだ。その自動ドアの向こうにはこのマンションの図体に身合った大きなエントランスがあり、きらびやかな照明が白い壁や床を照らしていた。

「本当にここに居るのか」

「ええ、ほぼ間違いありませんよ一月かけてようやく探しだしたんですから」

 瞳花が言うにはここに屍遣いが居るとのことだった。一見なんの変哲もない高級マンションでしかない。俺にはここにそんな恐ろしいものが居るなんていうのは上手くイメージ出来なかった。

「さて」

 と、瞳花が懐から何かを取り出した。それはメモ用紙だった。瞳花はそれを入り口の壁に張り付けた。

「なんじゃそりゃ」

「人払いですよ」

 見ればメモ用紙にはアルファベットがびっしりと書き込まれていた。いわゆる呪文とかいうやつだろうか。狩人の術のひとつだ。

「でも、それで効果があるのってこの入り口から入る人間だけだろ。中の人間には効かないんじゃ」

「なんか、一般人が普通に私たちの知識をペラペラ話すのには違和感ありますね」

「お前らがこうしたんだろうが」

 勝手に人の頭に知識をねじこんでおいて「違和感がある」とはなんて言いぐさだ。まぁ、自分でも違和感はあるわけだが。昨日まで知らなかった知識や実感を自分のもとして当然のように話しているというのは異常だ。明らかに普通ではない。本当に俺の頭は大丈夫なのか。

「屍遣いはどこかの部屋に潜伏してるんだと思います。見つけたらもっと効果のある範囲系の人払いを張りますよ。まぁ、ここに貼ったのはたぶんこれだけで十分だと思ったからなんですがね」

「どういうこった」

「鈍いですね。あれだけの知識を貰っておいて想像も出来ないんですか」

「知らんわ。俺は一般人だ」

「もうマンションの住人は一人残らず屍人になってるだろう、ってことですよ」

「マジかよ...」

 実にぞっとする予想だった。

「で、一体どうやってこの中に入るんだ。中から開けてもらわないと入れないぞ」

「ははぁ、そういう作りですか。こういうタイプのマンションは初めてだから知らなかったですね」

「なはは。知らないのか。困ったやつだな」

「相手の弱味を見つけた瞬間ここぞとばかりに嫌みを言いますね」

「これまでの扱いから考えればこの程度じゃまだまだお釣りがくるっつーの」

 俺がこの数時間で受けた人間じゃない扱いへの恨みと憎しみは深い。俺は今、何かにつけて目にものみせてやろう、一糸報いてやろうという意思の塊である。

 と、そんな俺に瞳花はだるそうにため息を吐く。そして、自動ドアの前に立った。

「おい、そんなことしても開かないぜ。ぬはは」

「やかましいですね。黙ってて下さい」

 そう言って瞳花は合口をスラリと抜いた。かと思うと一瞬でドアを斬りつけた。目にも止まらぬとはこのことだ。そして、瞳花は斬ったドアを蹴りつけた。ドアのガラスは丁度俺たちが通れるくらいの長方形に抜け、向こうに倒れた。しかし、これは...。

「さぁ、行きましょう」

「お、お前。器物破損だぞ」

「連続猟奇殺人犯扱いされてる私に今さら器物破損なんて言われても」

「なんてやつだ」

 瞳花はそのままエントランスに入っていった。俺も仕方なしに続く。犯罪を犯しているのは瞳花であり、俺は脅されて付き合っているということにしよう。いや、実際そうだ。

「静かだな」

「ええ」

 エントランスに人影はない。誰も居ない。白い壁、白い床が無機質で一層寒々しさが増していた。

「それで、どうするんだ。屍遣いをどうやって探すんだ。ひとつひとつ部屋をしらみ潰しか?」

「今回の目標はシルベット・アンダーグラウンド。やつはアメリカで一度派手に暴れて小さな街をひとつ消滅させました。そのときもこんな風にマンションに潜伏していたらしいです。性格は気ままで自意識過剰。そして、物事へのこだわりが強い。これ、というお気に入りを見つけたらそれしか行いません。だから、きっとシルベットは今回もアメリカと同じような行動を取っています。つまり、最上階のどこかに潜んでいる」

「なるほど。プロファイリングってやつか」

 外国の刑事ドラマなんかで見るやつだ。犯人の性格や行動パターンを把握しそこから逮捕を目指すという方法。確かに狩人のやっていることは最後の行動が逮捕か討伐かの違いはあるが警察や探偵の捜査と似かよっている。屍遣いを探す際、自然とこういう方法が確立されていったのだろう。

「じゃあ、とりあえず最上階へ行くのか」

「ええ、まぁ行ければですけどね」

 その時だった。ポン、と音が響いた。その方を見るとエレベーターが降りてきたところだった。降りてきたのは初老の夫婦だった。人の良さそうな表情を浮かべながら二人で会話していた。俺はひょっとして屍人なんじゃないかと思ったが普通の夫婦だった。瞳花はさりげなく合口を夫婦からの死角に回しながらねめつけるように夫婦を見ていた。警戒しているのだ。

 夫婦はそのまま俺たちの横を通りすぎていく。向こうも少し俺たちを不審に思っているようだ。いぶかしげに俺たちを見る。しかし、会話を続けている。内容は今日の晩御飯がどうだとかいう話だった。それから夫婦は切り抜かれた自動ドアを見て小さく悲鳴を上げていた。まずい、と思い俺は瞳花の肩を叩く。

「おい、まずいぞ。あんなの見られたら俺たちが疑われる」

 しかし、瞳花は合口を堂々と振り上げた。そのまま夫婦たちに構えた。夫婦達は今もドアを前にうろたえて、「管理人に言った方がいいのでは」などと会話をしている。

「おい、止めろって。あの人達は普通の夫婦だ。建物全部がゾンビになってるなんてやっぱり間違いだったんだよ。とっとと隠れようぜ」

 俺は瞳花の手を引き逃げるように促す。こんなもの構えていたら明らかに不審者だ。刃渡り的に銃刀法違反で通報もされかねない。そのままあのドアの破壊まで疑われたらもはやなんの言い逃れも出来ない。とっとと逃げるべきだ。しかし、瞳花はため息を大きく吐き出した。

「あんたバカなんですか?」

「ああ?」

 俺は半切れになった。

「こんな時間に夫婦が晩御飯の会話しながら外出なんてするわけないでしょう」

「あ...」

 そうだった。今は夜中の2時前だった。と、いうことは...。

 瞳花は切っ先を夫婦に向け、睨み付けている。夫婦は今だドアの前であたふたしている。傍目にはやはり普通の夫婦にしか見えないのだが。

「後ろですね」

 瞳花がそう言う。すると、スタスタ足音が聞こえた。ガチャガチャとドアを開ける音も。しかし、それはひとつではなかった。それはものすごい量だ。十人では下らない。スタスタという足音がエントランスに反響する。まるでイベント会場か何かのようだ。そして、一階の各部屋に続く通路から人が現れた。それも、沢山。老若男女問わずだ。一階の住人すべてが一編に出てきたとしか思えない人数。そして彼らは。

「今日の晩御飯はどうしようか」

「うーん、目玉焼きが良いかな?」

「またそれぇ?」

 全員が晩飯の話をしていた。それは異常な光景だった。深夜のマンションのエントランスに晩飯の会話をする住人が溢れている。

「悪趣味極まりますね。ヘドが出ます」

 瞳花は住人の群れに刀を構え直す。

 住人たちは楽しそうに会話をしながら気づけば俺たちを取り囲んでいた。

 俺は恐怖で真っ青になりながら辺りを見回すしかない。いや、まずい。これはまずい。

 対する瞳花は鋭く住人たちに視線を巡らせている。

「目玉焼きを腹一杯食べたいかな」

「じゃあ、卵を沢山買わないとな。トミフクなら今日が特売日だったはずだ」

 にこにこしている住人たち。しかし、それらは俺たちを取り囲み終えると会話を止めた。静寂。これだけの人間が溢れ返っているというのにエントランスは生きているのは俺たち二人だけかのように静まり返った。いや、実際その通りなのだ。

 そんな彼らに向けて瞳花は言った。

「もったいぶらないでくださいよ。とっとと始めましょう」

 瞳花がそう言うと。彼らは一斉ににっこりと笑った。本当に一斉にだ。全員が張り付いたような笑顔を浮かべた。それは今まで見た中で一番気色悪く寒気のする光景だった。

 そして、彼らは一斉に俺たちに襲いかかってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る