第5話

「な、なに」

「親を倒せば屍人は全員消滅する。つまり、影響が失われるってことだから、変化も止まるってことですか」

 屍人は産みの親である屍遣いが死ぬと支配が消え、ただの死体に戻るのだ。だから、噛まれた人間への支配も無くなり、元に戻るというわけか。噛まれた人間が屍人になるのは一晩の後。なので翌朝までというわけだ。

「なるほど。やることは変わらないってわけですね」

「そういうことだ。ただタイムリミットが付いたわけだけどね」

 瞳花は元々屍遣いを探していた。そして、その討伐が狩人の仕事だ。なので当初の通りに動けば良いというわけか。なるほど瞳花は良いだろう。しかし、俺は良くなかった。

「おい待て。まずいだろ。翌朝までだろ? おい、まずいぞ」

 俺は時計を見る。時刻は早1時半だ。つまり、夜明けまで5時間も無いのだ。

「5時間弱のうちにその親玉を探しだして倒さなくちゃならないんだろうが。全然間に合う気しないぞ、おい。本当にお前、なんで俺は5時間も昏睡したんだよ!」

「だから、それについては謝ったでしょう」

「いや、人がゾンビになるのかどうかのデッドラインがワケわからん機械の誤差動で5時間縮まったんだぞ! どうしてくれんだよ!」

「ははは、ゾンビだけにデッドラインってわけですか」

「うるさいんだよ! 全然上手くないわ!」

 この町のどこに居るのかも分からない屍遣いを朝までに探しだして倒すなんて、いや、あまりに無謀だ。それはすなわち俺がゾンビになる未来が確実に迫ってきているということだった。

 しかし、そんな俺を見て二人は別に表情を変えることはなかった。俺の発言に無反応というわけではない。

「いや、それについては大丈夫ですよ。何せやつの居場所はもう大体分かってますから」

「え?」

「あんたは運が良いってことさ。噛まれたのがまさに勝負をかける日の夜だったんだから」

 差知子はプカリと煙を吐き出した。

「どっちにしても今日でやつを倒す気でいましたからね。だから、やることは変わらないって言ったんですよ」

「な、なるほど。なら、俺は助かるのか?」

「首尾良くいけばですけどね」

「首尾良く行かなかったら...」

「あんたは屍人になって私が斬り殺します」

「ああー...」

 何がなんでも屍遣いを探し出してもらわなくてはならない。絶対だ。死にたくない。

「さ、やることは分かったんだろ。さっさと行ってきな」

 差知子が煙を吐き出しながら言った。

「おう、そうだ。とっとと行ってきてくれ。何がなんでも屍遣いを探し出してくれ」

「なに言ってんですか。あんたも行くんですよ」

「は? 俺はここで待ってれば良いんじゃないのか?」

 俺はここに居て吉報を待つだけだと思っていたが。

「あんたがなんかの間違いで早く屍人になったら斬らないといけませんからね。ずっと付いてきてもらいます」

「ははは。なるほどな」

 笑うしかなかった。

 差知子も元狩人だが今は屍人は倒せない。やろうと思えば出来るのだが屍人を倒して良いのは現役の狩人だけ、というしきたりが狩人の間には存在していた。

「ちなみに、ゾンビたちと切った貼ったするんだろ。俺に危害が及んだらどうすれば良いんだ」

「一応守りながら戦うつもりですが全部の屍人を引き受けられる訳じゃありません。その時は自己防衛してもらうしかないですね」

「ははは、なるほどな」

 笑うしかなかった。

 瞳花が合口をスラリと抜く。そして刃こぼれを確かめ、刀身と柄の繋ぎを確かめる。

「大丈夫そうですね。なら、行きましょうか」

「も、もう行くのか。心の準備ってもんが...」

「そんなこといってる間に朝になりますよ。ゾンビになって私に斬り殺されたいってんなら話は別ですけどね」

「行きます。行きますよ。行けば良いんだろ...」

 俺は恐ろしくてたまらなかったが仕方なしに付いていった。付いていっても死ぬかもしれないが付いていかなかったら死ぬのは確実だった。一体全体どうしてこうなってしまったのか。昨日までは平和な無職ライフを満喫していたというのに。数時間前までは未来への希望と情熱を胸に抱いていたというのに。今や訳の分からん事件に巻き込まれ生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている。いや、本当に意味が分からない。

「じゃあ、行ってきます差知子さん」

「ああ。まぁ、今日で勝負がつかなくても明日がある。あんまり無理すんじゃないよ」

「いや。今日で勝負つけてもらわないと困るんだよ俺が」

 俺の言葉も空しく差知子はソシャゲに没頭し始めた。俺は怒りで頭が沸騰しそうになったがそれを吐き出すことは諦めた。この無茶苦茶な人間たちに正常な人間の感情をぶつけても何の意味もまともな反応も無いということはこの数時間で身に染みていた。

「さぁ、行きますよ」

「ああ、本当に嫌だけどな」

「行きたくないなら行かなくて良いんですよ」

「いや、行くよ...」

 俺はゾンビへの恐怖と理不尽な現実への憤りを胸にビューティサロンニューサチコを後にした。




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「ああ、君はダメだね」

 グシャリ、と音がする。それは人間の頭が割れて砕けた音だった。その人間はゴトリと鈍い音を立てて倒れた。それは中年の男性だった。服装は休日に出掛ける時に着るような、黒の横縞のポロシャツと薄茶色のカーゴパンツ。どちらも年期が入っておりよれている。娘が居たなら「ダサい格好しないでよ」、などと口うるさく言われているのかもしれない。しかし、彼は今や頭の無い死体となって横たわっている。しかし、彼が死体だったのは今に始まったことではない。彼は元々死体だった。ゾンビだった。

「君もダメだ」

 そして、その隣に居た若い男性も頭が砕けて床に倒れた。見れば整然とゾンビたちは横に並んでいた。まるで、上官を前にした兵隊のように。

「ああ、全員だめだね」

 そう言われたゾンビ達全員の頭が砕け散った。一斉に倒れた死体。その音が重なり大きな音と衝撃が響いた。ここはマンションの一室だった。そのリビング。部屋は暗く、つけられたテレビの光だけが心ばかりの明かりをもたらしていた。

「ダメだなぁ。やっぱり。良いの屍はここには居ないや」

 はぁ、とため息が室内に響いた。その主はソファに座っていた。その人間は足を組んで転がった死体を眺めて不機嫌そうに眉を寄せていた。

「作っても作っても失敗ばかりか。理想っていうのはこんなにも遠いものなんだね」

 その人物は、彼女は失意を逃がすように天井を見上げていた。

 彼女は屍遣い。この街にゾンビを放っている張本人であり、連続殺人事件の一番の原因であり、つまり全ての元凶だった。彼女、シルベット・アンダーグラウンドがこの騒動の主犯だった。

 腰まで届くウェーブのかかった金髪、人間の男性が見ればすぐに見とれるような美貌と体型、服装は真っ赤なカッターシャツに白いロングスカート。そしてその瞳は赤だった。

 人間の男性が、と言ったように彼女は人間ではない。彼女も屍人だ。意思を持つ屍人である。屍遣いとは基本的に自我を保った屍人だ。屍遣いによって生まれる屍人、その中で稀に自我を保つものがおり、それが屍遣いとなる。

「ちょっと、とっとと目玉焼き持ってきてよ。全然足りてないよ」

 シルベットはバンバンと机を叩く。調理場には女のゾンビが一人居り、フライパンを動かしていた。目玉焼きを焼いているのだ。見ればシルベットの前の机には端から端まで皿が並び、その半分は空でもう半分にはすべてに目玉焼きが乗せられていた。すべて塩コショウが振られている。

 シルベットはそのうちのひとつをフォークですくい、ズルルと音を立て食べた。

「やっぱ目玉焼きだよ。これさえあれば『究極の屍』に出会えない渇きも少しは癒されるってもんだ」

 そう言ってシルベットはまたひとつ目玉焼きを口に運んだ。

 そうして、テーブルの上に置いてあった写真を手に取った。そこには一人の男性の姿が写っていた。黒づくめの刃物をもった人間から泣きそうな顔で全力疾走で逃げている青年が。

「やっぱり彼だろうね。彼は間違いないよ。人目見てピンと来たもん。ひょっとしたら本当に『究極の屍』になるのかも。明日の朝が待ち遠しいな。いっそ迎えに行こうか。....いやいや、やめとこう。待ち遠しいって感覚もまた楽しみのひとつだしね。うんうん」

 シルベットは嬉しそうに写真を見つめていた。満足そうな笑顔を浮かべていた。

 と、そんなシルベットの傍らに気づけば一体のゾンビが居た。老人の男性。彼は手にビデオカメラを持っていた。

「ん。誰か来たのか」

 それはシルベットが監視用に配置していたゾンビだった。侵入者らしきものが現れたらビデオで撮影し、シルベットに伝えるのだ。スマホは使わせない。シルベット自身が使い方を良く理解出来ないからだ。

 シルベットはビデオカメラを受けとると映像を改めた。

「おや、おやおやおや。狩人じゃないか。それに待ってくれよ。この青年は! なんてこった! まさか向こうから来てくれるなんて! 素晴らしい!」

 シルベットは喜んで両手を上げた。外国人の見た目に身合ったオーバーなアクションだ。

「良くやったよ君。明日は君が街に出て、そんで食事をしてくると良い。ふふふ」

 言われたゾンビは反応しない。ゾンビに知能は無い。シルベットの言葉も、そもそも褒美という概念事態を理解していないだろう。

 そんなことはどうでも良いとばかりにシルベットは喜んでビデオの映像を見ている。ウキウキとプレゼントを待つ子供のようだ。しかし、やがてパッと立ち上がった。

「いやぁ、良い展開だ。今日はツイてる。そうだな。主はお客さんをちゃんとおもてなしするもんだよね。よしよし」

 そう言うとシルベットは皿をひとつ取りスタスタと玄関に向かった。お客様をおもてなしするために。

「いやぁ、素晴らしいな! 薔薇色の日常が明日から始まるぞ!」

 シルベットはガッツポーズをし、目玉焼きをひとつ平らげ、皿を床に放った。

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