第380話 幸運と不運
話は野丸が宿を出る少し前に遡る。
野丸の中に潜むレイスは今が千載一遇のチャンスと思っていた。
なぜなら現在、彼にとってかなり運が向いていると言ってよい程に状況が揃っているからだ。
まずレイスの目的。
色々とやりたい事はあるが、兎にも角にもまずはこの世界から脱出する事。
非常に遺憾ではあるが
そこでレイスは野丸の帰還に便乗することを決めた。
この世界に残した様々なもの……特に中央管理センターに未だ残る設備やデータの数々を置き去るのは断腸の思いであったが、レイスにはこれまで蓄積した知識やノウハウがある。
野丸の中にいる間に得た情報から推察すると、彼の元の世界である日本はそれなりに科学技術が発達した世界。その水準はレイスからすればずっと低い位置にあるが、しかし彼には永遠とも取れる時間がある。
科学技術を進める事自体いくらでもやりようはある。
何よりあちらの世界にはこの世界で言う魔法やレイスが元居た世界の《
つまり彼の邪魔を出来る者が誰一人いないという事に他ならない。
最大の懸念事項であるウルティナも次元を超越することは出来ないだろう。あの魔女がもしそれを行えるならばとうの昔にこの世界からいなくなっていても不思議ではない。
(……忌々しい魔女め)
二百年前の最後の時、あの女が発した高笑いが未だ魂に刻まれている。
レイスが時間をかけ復活する過程でウルティナの名はピタリと聞かなくなった。寿命が尽きたと思っていたが、まさか人の身でありながら当時と同じ姿で存在しているのは想定外もいいところだ。
このままでは他のレイスのように……その矢先の事だった。
人王国の沈下。
正確には一度に大量の龍脈エネルギーを使用した場合、と言う条件がつくが、ともあれ少し前に行われた十名一斉召喚の代償とも言える事象。
レイスとてノアが空に浮いている時代からいる存在。龍脈エネルギーが枯渇すればそれこそあの時の様に大地が落ちるのは知っている。
むしろその引き金を引いたのは他ならぬレイス自身だ。文字通りその身をもって龍脈エネルギー不足による結果を思い知る羽目になった。
さて、ここで話を戻そう。
この人王国の沈下に伴い一つ……いや、レイスにとっては二つほど運が巡ってきていた。
ひとつは宿主である古門野丸の精神が不安定になった事。
性分なのだろう、帰ることで多数の被害が出ることに恐れ、さりとてここに残る決断も出せず板挟み状態。
結果、野丸の心の均衡が崩れレイスの《
どうにも魂の本質とソリが合わないのか、精神防御が薄い割に《
無論レイスのこの能力は直接的に操るわけではなくあくまで思考誘導の上位のようなもの。それでも今の野丸であれば元の世界に帰ると言う選択肢を取らせるなどレイスにとっては造作もなかった。
後は異世界転移した先……日本で別の宿主を見つけるだけだ。
そしてもうひとつの運。
それは現在、野丸の仲間達が全員出払っていることだ。
宿主の野丸はどこに行くにも大体誰かしらついて行っている、もしくは出先で誰かと一緒になるため一人でいる時間が極端に少ない。
もちろん宿の個室では一人だが、仮に普段抜け出そうとしたら仲間の誰かしらに発見されてしまうだろう。
だが今は誰も居ない。
獣魔の二匹は残っているか、こいつらは基本野丸のことを優先的に聞くし人語を話すことはない。
つまりやるなら今。
王城をフリーパスで通れるため、城門まで獣魔で素早く移動し何食わぬ顔で侵入。
そのまま召喚の間に最短で向かい日本へ飛ぶ。
途中誰かに見つかっても普段から何かと出入りしているためそこまで咎められることもないだろう。調査の一環とでも言っておけば、科学技術に疎い今の人間達では疑問を持つことも無い。
(よし……!)
段取りが決まればレイスは即座に実行する。
誰かが帰って気付かれる前に迅速に事を起こさねばならない。
《恩恵》の出力を上げ、更に野丸の魂へと干渉。日本にすぐに戻ると言う事を第一目的とし、それ以外の優先度を極力下げる。
後者は道中なんらかのトラブルがあったとしても、それに煩わされないようにする為の処置だ。
こうしてレイスの思惑通り、思考を歪められた野丸は行動を開始する。
しかしレイスの幸運もここまで。
何故なら今から行く地に最も会いたく無い面々が集合しているのだから……。
◇
剣を振りかぶった隊長の顔がかちあげられる。
その光景に誰もが驚きの表情を見せる何が起こったのか分からぬまま、続け様に隊長の顔がまるで右から殴られたかのように跳ね地面に倒れ伏した。
隊長が倒れたことで対峙していた野丸の姿が露わになり、その光景に一同が息をのむ。
何故なら倒れ伏す隊長を見下ろす彼の姿は何もしていなかった。
殴ったような素振りも無ければ武器を構えていることもない。強いて言えば半分だけ体をずらし対応できるような体勢をしている程度。
しかし驚くことなくその様子を見ていたのは三人。元魔王のブレイヴと伝説の魔女と呼ばれるウルティナ……そして野丸。
前者二人はその実力から把握できたのは容易に想像できるであろう。では後者は?
驚かないという事は何をしたのかが分かっている事であり、つまりそれは隊長をやったのは他ならぬ野丸であるということの示唆でもある。
「あれ、どうかしましたか? いきなり横っ飛びするなんてなんかありました?」
先ほどと違い丁寧な口調。ただし声色は普段の彼からは出そうにない程冷たい。
「き、貴さがッ?!」
起き上がろうと顔を上げようとした隊長だが、まるで上から踏みつけられたかのように顔面が地面に激突する。
当然野丸は一切動いていない。更に言えば顔と地面がぶつかる音以外は何の音もしていないし、隊長の近辺に何かが出現した様子もない。
一体何が……皆がそう思っているとあらあらとウルティナが苦笑していた。
「ヤマル君、はっちゃけてるわねー」
「中々エグいことしているな。貴様の仕業か?」
「そりゃヤマル君へっぽこぴーなんだし、仕込める手段は無理矢理でも詰め込んだわよ」
何が起こっているか分かってる二人がそう会話をする中、全く何をしているか分からないコロナが問いかける。
「ウルティナさん、あれは……?」
「んー、まぁヤマル君の対人戦術……かしらね」
対人戦術とウルティナは言うが、見る限りヤマルのやっていることは通常のやり方とは大きく異なる。
当たり前の様に人々が武器を持ち魔法を扱うこの世界。当然対人戦術も色々と産み出され、様々な系統に枝分かれしている。
だが戦闘のプロとも言える傭兵であるコロナからしても今の野丸が行っていることが理解できない。
一発一発は致命傷には程遠いのだろう。騎士の隊長へのダメージは当然あるが、しかし行動不能に出来る程重くはないことは彼の様子からも推察できる。
しかし攻撃の出所が全くと言っていい程分からない。
野丸の十八番は《生活魔法》とその派生の《軽光》魔法を使った戦術、もしくは肩に担いでいる専用武器"
今まで誰も彼も、目の前で起きているような戦い方を見たことはない。
……いや、正確に言えば野丸の師匠であるウルティナだけがその存在を知っていたが正しいだろう。
「昼間ならばコロナも分かったかもしれないな」
「明かりはあるけど今は暗いものねー。逆に夜目が効くエルちゃんは動体視力がおいついていないってところかしらね。でも何となくあたりはつけれるんじゃない?」
その言葉にコロナの顔がエルフィリアへと向けられる。
彼女は少し逡巡したのち、自分が思っていることをゆっくりと口にした。
「魔法……でしょうか。かなり微弱ですけどヤマルさんが魔法を使ってるときの魔力の波長を感じた気がします」
「正解~。まぁあたしが教えるのは基本魔法だから当然と言えば当然だけどね」
少しずつ正体を明かしていくのが楽しいのか、心持ちウルティナの声のトーンがあがるのがわかる。
しかし魔法と言われてもそこまで明るくないコロナは未だにその正体を掴むことができないでいた。
「でもヤマルの魔法って弱いはず……だよね?」
当人が聞けば心にダメージを負いそうな言葉。しかしその認識はコロナのみならず彼を知る人間の共通認識である。
異世界人だからかとにかく魔力が少ない。だからこそ《生活魔法》の適性があったのだが、しかしまともな攻撃魔法を使うことは出来ない。
今でこそその少ない魔力をカバーする方法が確立されてはいるが、そのどれもが一人では無しえなかったり効果を発揮するまでに面倒な手順が必要になるものだ。
断じて今目の前で起きているような……それこそ人一人を圧倒するような方法ではない。
「ん~、そうでも……あ、そっかそっか。コロナちゃん達は気づいて無かったのね」
「? 何がだ?」
ウルティナの物言いにドルンはやや怪訝そうな表情を浮かべ問い返す。
しかし当の本人は自分より長くいたはずの面々が"そのこと"に気付かなかったことが面白かったのか、くすくすと小さく笑みをこぼしていた。
「まぁ結論から言っちゃうとね」
「うん?」
ウルティナの視線が野丸の方に向けられる。
そして一呼吸だけおくと、コロナ達が勘違いしているであろうその事実を口にした。
「ヤマル君ね、一番相性がいいのは対人戦よ?」
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