第360話 決着


 ぼとり、と何かが床に落ちる。直後にカランと乾いた音が訓練場に響き渡った。

 音の発生源はウルティナの左腕。レイスの腹部に杖を刺していたが、そもそもレイスは実体の持たない霊体である。

 支えるものがない以上、杖を持った腕ごと落ちるのは当然のことであった。


 そして数瞬遅れ、切断面から血が溢れ床を赤に染めていく。


「きっ……!」

「《炎滅灰塵エグゾフレイム》」


 その光景にセレスが叫ぼうと息を吸い込んだその時、ウルティナの左腕から業火が立ち上りそして瞬く間に消え去っていく。

 いきなりの出来事に周囲の人間は思考がおいつかない。セレスは叫ぶことを忘れたように呆然としており、セーヴァも目まぐるしく変わる状況に一歩も動けないでいた。

 そしてそれはレイスも同じ。

 彼の視線の先にはウルティナの左腕が場所。まるで痕跡を跡形もなく消し去ったかのように、先の魔法は彼女の腕を塵芥のレベルまで燃やし尽くしてしまった。

 もはや骨すら残っていない。


「よっと」


 そんな状況ですらいつも通りと言わんばかりにウルティナの声が皆の耳に届く。

 彼女はいつの間にか左腕の断面を氷魔法で止血しており、そのままレイスの近くまで行くと床に落ちていた杖を拾い上げた。

 杖にはまだレイスの残滓であろう黒い触手が巻き付いていたが、ウルティナは右手を軽く振りそれらを飛ばしていく。まるで杖についた泥を落とすかのような所作であった。

 対するレイスはもはや反撃する気力もないのかその行為を黙って見ているだけである。


「さぁ、セレスちゃん。出番よ」

「え、あ、でもその、腕が……」


 名を呼ばれハッと我に返るセレス。

 近くにいたセーヴァと共にウルティナの方へ駆け寄るが、その視線はこれから対処するレイスではなく先が無くなった彼女の左腕に注がれていた。


「これぐらい大丈夫よ。後で止血すれば十分ね」

「でも私なら……」


 魔法で治癒できるかも。そう言いかけたその口をウルティナが目で制し言葉を止める。

 それは治癒魔法の事を言わせないと言う意味合いもあっただろうが、それ以上にその行為自体が必要ないと言う部分があった。

 そもそも完全に消失した腕が治ったとあれば今まで以上に周りの目も変わってしまうだろう。可能かどうかはウルティナにも分からないが、そうなるのを望んでいるわけではない。

 過ぎた力に人が群がるのを彼女は嫌と言う程経験しているのだから。


「さ、始めましょ。私がちゃんとサポートしてあげるから」


 ウルティナにしては珍しく優しい口調でそう言うと、彼女は改めてレイスに向き直る。

 すでに万策が尽きたレイスは何も語らず、その姿はまるで肩を落としているような雰囲気だ。


「あたしが合図したらお願いね」

「……分かりました」


 二人肩を並べるように立ち、まずはウルティナが魔法を展開。すでに巻き付いていた捕縛用の鎖の本数が更に増え、そして足下の結界魔法の縁からまるで魔力が立ち上り壁のように覆っていく。


「この魔法あまりやらないからちゃんと出来るかしらねー? まぁ失敗しても何度もやればいっか」


 やや不安になりそうな言葉を呟きながらもウルティナは着々と準備を整えていく。

 杖をとん、と床につけると、その先端から淡い光を帯びた魔力の球が六つ生み出される。それらはウルティナの指示に従い宙を舞い、レイスを囲むようにそれぞれ指定された場所へ設置された。

 上から俯瞰して見ればそれは六芒星の頂点を象る位置。その中心にはレイスがおり、等間隔で魔法が配置されたこの状態は野丸であればすぐに何か分かっただろう。

 使用されようとしている魔法は彼の必殺技に流用された《中央増幅法セントラルブースター》であることを。


「《中央増幅法》《同調接続チューリングコネクト》」


 更にウルティナは自身への魔法効果を相手に付与する魔法を展開。本来自分の魔法でしか起動しない《中央増幅法》をセレスにも扱えるように場を整える。

 そして魔法が正しく発動したかのように魔力の球の光が強くなり、同時にウルティナとセレスの体から出た一本の線が互いを結びつけた。


「さて、ようやくね。正直中々にしぶとかったわよ。このあたしの腕一本消費させたことはあの世で誇って良いわ」


 淡々とレイスに語りかけるその口調に万感の思いも憐みの念も感じない。それはまるで面倒な仕事がようやく一つ片付いたかのような物言い。

 そう声を浴びせられたレイスは未だ反応は無し。反論する気力もないのか、反応をあえてしない事で矜持を保とうとしているのかは不明。

 だがそんなことなどどうでもいいとウルティナは割り切ると、隣にいるセレスに手はず通りに浄化をするよう合図を送る。


「セレスちゃん、後はお願いね」

「わかりました。では……」


 そうして数秒後には目の前のレイスはこの世から完全に消え去った。

 ウルティナによって増幅されたセレスの魔法は予想以上の効果で彼の魂を完全に浄化。結界内で魔力へと置換された魂はウルティナの手により召喚石へと再度封入されていく。

 セレスの魔法で光に包まれ、外側から粒子に変わるように消えゆくレイスの姿はある種神秘的な光景ですらあった。



 そして事が完全に完了した後、やや焼け焦げた訓練場には虹色に輝きを放つ召喚石がその存在を示していた。



 ◇



「んー、終わったー! 後は残り二人締め上げて完了ってとこね」

「やれやれ、ようやくか」


 腕を天に掲げるように体を伸ばすウルティナと、剣をしまいコキリコキリと首を軽く鳴らすブレイヴ。

 とても大きなことを成し遂げた後には思えないほどのその光景。だが当然ながらウルティナの腕は無くなったままであり、タダで済まなかったことを如実に表している。


「ウルティナ様、あの、その腕……」

「んー? さっきも言ったけど大丈夫よ。止血だけお願いね」


 隻腕になったのに何も問題無いと話す彼女に少しだけ戸惑ってしまう。

 以前治療したコロナですら手足が思うように動かないと嘆いていた。普通であれば腕が一つ無くなるのは大事件である。

 自分ならかなり力を使えば……それこそさっきのウルティナの補助魔法があれば腕を再生出来るかもしれないと言う考えが頭の中にあるため、止血だけで済ますのはいささか躊躇ってしまっていた。


「娘よ、問題無いぞ。こいつの腕なぞトカゲの尻尾より容易く治るからな」

「え……?」


 そんなセレスの葛藤を見たからかブレイヴさも当たり前とばかりに爆弾を投下してきた。

 現在この世界で治癒魔法を扱えるのはセレスただ一人。もしウルティナが同等の治癒魔法を扱えるのであれば、少なくとも何らかの形にはなっているはずだ。

 それが無いからこそセレスは神殿から重宝されている。


「治すとはちょっと違うけどねー。まぁ別の方法で元に戻るから安心しなさいな」


 具体的は方法は教えてもらえないセレスではあったが、あれだけ様々な魔法を扱えるウルティナを先ほどまで間近で見ていた。

 彼女が戻る方法があると言うのならあるのだろうと結論付け、とりあえずは指示に従い溶かした氷の下の切断部のみの修復を行う。


「それでどうだったのだ?」

「いたわよ、取りこぼし。一人は王国貴族のソール=ヴィニエット。もう一人は大神官のフート=ホリィ。とりあえずこの二人は速攻シメないとね」

「フート様……?」


 その人名に反応したのはセレス。

 知っているの?と言うウルティナの問いかけに彼女は小さく頷く。


「以前ヤマルさん達と一緒に神の山に行ったの覚えてますか? 最寄りの街の神殿責任者が大神官のフート様です」

「話が速いと喜ぶべきか、ヤマル君に憑りついてないか悲観すべきか悩ましいところね……」


 レイスの昔話は野丸からすでに聞き及んでいるウルティナはどうしたものかと少し頭を悩ませる。

 現状野丸はあの神の山、つまり昔レイスが居たと思しき施設に自由に出入りできる唯一の人間。しかも当人はすこぶる弱い。

 レイスが仮に野丸に憑りついたと仮定した場合……あ、防げないと即座に答えをはじき出せてしまうだろう。


「ウルティナさん。実はその事で少々気になる事が……」

「ん?」


 そしてセーヴァとセレスから語られる野丸さえ知らない当時の話。

 野丸が神の山に入ろうとした時、その大神官の体から出てきた邪悪な何か。セレスが気付きセーヴァにより仕留められたが、結局その正体は分からずじまいだった。

 しかしここに来て二人は気づく。あの正体がレイスであったことを。


 それを聞いたウルティナは「おー」と珍しく感嘆の声をあげていた。


「二人ともナイス!」


 片手しかないのに何故かパチパチと拍手音を出しながらウルティナは両者を褒める。彼女からすれば先ほどまで頭を悩ませていた問題が全て解決されていたのだから当然と言えば当然だろう。

 それに探し出すより先に二人によって倒されていたのなら、何故取りこぼしたのかと言う疑問も無くなるため万々歳だ。


「ならばあとはそのソー何某なにがしと言う奴だけか。誰か知っているか?」


 ブレイヴの問いにこの場にいる誰もが首を横に振る。


「まぁ貴族ならすぐ分かるでしょ。女王様にでも聞いておくわ」


 召喚石を拾い上げとりあえず今回の一件はこれにて完了だと告げるウルティナ。

 しかし王国貴族程度の存在がウルティナの探知を掻い潜った理由だけが分からず、何となく嫌な予感が拭えないでいた。



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