第311話 閑話・その男の軌跡


 その男が自身の軌跡を思い返すと、まず出てくる言葉が"不遇"であったと述べるだろう。

 そして三度に渡る"屈辱"である、と。




 ある高貴な血筋の次男坊として生まれた彼は、しかしながら生まれつき体が弱かった。

 今でこそ遺伝性疾患であると即答出来る事象。だが当時の技術ではそれを突き止められることは無かった。


 彼には兄がいた。強靭な体を持ち、優れた頭脳を有し、また内外共にイケメンと揶揄される程の男だった。

 物心ついたときには憧憬であったその姿も、歳を追うごとに煩わしいものになっていった。ただしそれでも嫌いにならなかったのはひとえに兄の性格の賜物であろう。

 だが知人や友人のみならず、家族や使用人ですら事あるごとに兄と比べられた。勝手に期待され、勝手に裏切られたと言われ続けた彼の性格が歪んでいったのはもはや必然であった。


 その後、彼は家を出て独り立ちをすることになる。

 兄に比べ、と言われていた彼であったが、体はともかく頭脳は優秀であった。強いて言えば両親が望む方面の優秀さを持っていなかったと言うのが正しい。

 家柄も加味され国立の研究員になった彼はそこで遺伝子工学の研究者となった。


 元々弱い体を克服するためにと学んでいた学問であったが、そこで彼の才能の花が開く。若輩ながらも研究成果を挙げ、最年少でとある賞を得た。

 これはとても名誉なことであり、上司も同僚も大手を振って実家に報告して来いと送り出してくれた。正直彼からすれば億劫な部分もあったものの、半ば押し切られる形で帰郷する事になる。


 だが何の巡りあわせか、とにもかくにもタイミングが悪かった。

 実家につき中に入ろうとしたところで挙動不審な使用人を目撃した。だが昔から付き合いが悪いと自覚していた彼は連絡も無く戻ったことに対しての態度だと思っていた。

 そしてそのまま屋敷に入り皆がいるであろうリビングに入ったところで現実を見ることになる。


『え。お前、研究が忙しいから断ったんじゃ……』


 端的に言えばパーティーの最中であった。後に分かった事だがそれは兄の凱旋パーティーだったそうだ。

 両親の望むままの才覚と道を得た兄はここにきて『恩恵ギフト』を授かった。発現方法、種類など謎に包まれたそれは、一説によれば神の祝福とも呼ばれ様々な能力を得た人間になる。

 十万人……いや、百万人に一人と呼ばれるほどの稀有な事例であり、家族がパーティーを開くこと自体は普通の対応であろう。


 だがその様な事、彼は一切聞いていなかった。そして頭が良いであるが故に全てを察した。

 両親と兄がそれぞれ驚いた表情をしていた事も。更に先程の兄の一言により両親によって意図的に呼ばれなかった事も。



 その瞬間、彼の中の何かが切れた。



 その後の事については何も覚えておらず気づいたら研究棟の自室にいた。しばらく経っても特に咎められるような事も逮捕されるような事も起きなかったため何も無かったのだろうと判断した。

 虚脱感に苛まれて椅子に座り手足を投げ出す形で佇んでいた彼であったが、次の瞬間ある違和感に気付く。

 自分の中に、自分のものではない何かが棲む感覚。しかしそれも一瞬の事であり違和感はまるで最初から無かったかのように霧散していた。

 だが彼は知る。今の違和感の正体が何なのかを。

 そして己も兄と同じ高みに到達した事を。 


 この出来事をきっかけに彼は変わった。元々性格は良い部類では無かったが、才覚と共に思想も先鋭化していく。

 中には人の体を脱却し、人類は新たな次元へと言う荒唐無稽なものすらあった。

 研究結果そのものは画期的であったものの、その使用法や危険性から認められることは無かった。それでも彼がクビにならなかったのは、その研究成果の応用で上司や同僚が真っ当な成果をあげていたからだろう。

 知らぬ人からすれば横取りととられかねないものの、彼はあくまで自身の目的の為に行った研究でありそれらを別の用法で他者が使うのは気にしていなかった。それよりも自身の研究を阻害されることを疎んだ。

 その為成果や応用は周囲の人が、そしてその報酬として研究に関するあらゆる協力を得ることが出来た。

 


 そして数年後のある日、彼は実家の手により逃亡生活を余儀なくされる。



 きっかけは些細……ではないが、少なくとも法的に訴えられるような事では無かった。

 彼は兄の二人の子供、つまり姪と甥を《恩恵》の実験台にした。言葉として並べれば間違いなく訴えられても仕方ないと言われるだろう。

 しかし彼がやったことはたった一つ。それは『自身の見聞きしたり感じたことを第一に考えるように』と魂の本質を歪めた事。

 その結果どうなったかと言えば、その姪と甥が彼に好意を抱いたのだ。もちろん恋愛的な意味ではない。


 なんてことは無い。ある日兄が嫁と子供二人をわざわざ紹介しに来たのだ。兄嫁は聞き及んでいるのか、それとも何か言われ続けていたのか終始彼に対し良い顔をしていなかったがそれはどうでもよい。

 しかし子ども達はまだそうはなっていなかった。それを見た彼の脳内である考えが浮かび、その結果二人に対しては良い叔父さんを演じることにした。

 お小遣いをあげ、お菓子を買い、ご飯をごちそうした。もちろんそれらは兄夫婦の目の前で行った行為であり、何も怪しまれるようなことはなかったであろう。

 兎にも角にも子供たちの中では『良い叔父さん』となったであろう。事実そうなったのは兄の手紙により聞き及んでいた。


 その仕込みの結果どうなったかは兄の手紙によって知る。最愛の孫二人が両親に対しあろうことか毛嫌いしてる彼を好きと言い、あまつさえ将来結婚すると言い出したそうだ。

 兄は子どもが通る道として笑っていたそうだが、両親からすればそれですら看過できない事だった。そして孫二人に対し如何に叔父がダメな人間であるかを吹聴したのは想像に難くない。

 ……それが悪手であると知らずに。


 子ども達の反応はおそらくはこうだったのだろう。『何故そんなことを言うの?』『叔父さんは良い人だよ』と。

 自分の目で見て話をして感じたことだ。本来であれば他人から影響力を受けやすい年齢だが、彼の《恩恵》により二人の判断基準は自己の経験が優先される。

 子ども達からすれば最初は不思議に思った程度だっただろう。しかし自身が慕う叔父を何度も悪く言えばその感情は嫌悪へと変わっていく。

 あくまで彼の中の想像ではあったが、おそらくはこう言ったのではないか。

 おじいちゃんキライ、と。


 ここまでは彼の予想であったが概ねその通りであった。彼のもとに話は来なかった為確証を得るには至らないものの、それらを想像するだけで日々ほくそ笑むことが出来、内心で両親をこき下ろすことで胸がすくような思いであった。


 問題はこの両親が彼の想像の斜め上を行く程に愚かであったことだ。

 元々は良家に名を連ねる家だ。相応に権力やツテを持っているが、あろうことかこれらを最大限に使いついに彼の排除に乗り出した。

 元々人付き合いに乏しく、ともすれば変人とすら揶揄されていたがゆえに世間は両親に味方した。彼らの言葉を鵜呑みにし、ついにはあることないことを吹聴して回るようになった。

 それが終わりの始まり。優れた頭脳を持つ彼であったが、それを発揮する場所が無ければどうにもならず。

 生来の虚弱体質も相成り働く場所すら失い、文字通り路頭に迷うことになる。


 何故自分がこんな目に。


 薄暗い路地裏で彼は憎んだ。己の境遇を、認めない世間を、元凶の両親を、世界そのものを。

 必ず復讐してやると魂に刻み、そして彼は誘われる。この世と理の異なる世界、"異世界"へ……。


 これが最初の"屈辱"。

 世界から爪弾きにされた男が誓った黒い想い。




 その後、異世界にて彼は自らの能力をフルに活用し存分に成果と復讐の準備を進めていく。

 彼にとって幸運だったのはこの世界には足りなかったものが全てあった。

 以前の世界と比べ物にならぬほどの技術水準。このおかげで研究は大いに進んだ。しかしそれを以てしても彼の本当の研究が成果を出すには長い年月がかかることが発覚する。

 だがこの世界にはそれを補うものがここにはあった。


 それが将来的な入れ物候補の人間達。

 今や世界は彼中心に回っていると言っても過言ではなく弟子と呼べるほどの人材もいる。《恩恵》を用いることで彼の入れ物としては打って付けの人材達だった。

 こうして弟子から弟子へ魂を入れ替えて彼は人の寿命をはるかに超えた時を生きながらえる。


 すべては最高最強の肉体を作り出すために。


 人生における元凶。生まれながらの遺伝性疾患による虚弱体質。

 これが無ければもっとまともな人生は歩めただろう。

 そんなもし、たら、ればを越え必ず元の世界に戻り復讐を果たす。

 その感情を糧に百年以上も生きてきた。だと言うのに……。


 二度目の失敗。今度もまた彼の予想の斜め上、人の感情によって起こされた出来事。

 ほんの小さな綻びから戦火の火種が起こされ、大火となって島を包む。

 結果、彼は道半ばにして積み上げてきたものをすべて失うことになった。


 島の落下により当時の体を失い、科学技術により栄えていた島の大部分が使用不能。

 生き残った人間の体を転々とする日々が続いた。

 管理AIであるマイに何とか渡りをつけようとするも、彼女が魂を感知できなかったためコミュニケーションを取る事すら出来ない。

 ならばと乗り移った体にて試そうとするも、《恩恵》については彼以外誰も知らない情報だったため証明が不可能であった。

 一時期無理にでも中に入ろうとし排除されたこともあった程だ。


 その後、彼は長きに渡り雌伏の時を過ごすことになる。

 施設は使えなくても理論は組み立てられる。いつの日かマスター権限を有する人間が現れるその時まで完璧に仕上げるために。

 また《恩恵》についても余地が残っているのを感じていた。その後彼は二つの魂を一つの入れ物に詰め込むことに成功する。

 これにより施設を介さない手法で合成獣を作り上げることができた。折しも彼の知らない間に魔物と呼ばれる生物が出てきたのも追い風であったと言えよう。


 少しずつではあったものの、永遠ともとれる時間の中で歩を進め……そして三度目の失敗がおとずれる。

 二度目の事すらすでにどれほど昔だったのか分からない程に間が空いてしまったせいか、今回は彼自身の慢心によって起きてしまった。

 邪魔をする者も無く、現状に慣れてしまったが故の油断。研究の延長として魔族の肉体が欲しくなった。

 しかし彼ら魔族に《恩恵》の効果は薄かった。下手をすれば中に入っても追い出されるばかりか、個体によってはそもそも入る事すらままならない。

 だからか、彼は安易な手段に頼ってしまう。《恩恵》を人間に使い魔族と争わせた。彼の中では死体でも構わず、また実験で使うためにあればあるほど欲してしまったこともありその様な手段を取ってしまった。


 途中までは彼の望むままに事が進んでいたが、ある日その計画は崩されることになる。

 人王国が異界の魔女を召喚した事。そして最終的に当代の魔王と手を組んだ事。

 異世界人の召喚は島が落ちて以降何度かあったが、その誰もが有能ではあったものの脅威とは程遠い存在であった。

 しかし寄りによってこのタイミングで呼ばれた魔女と最強と名高い魔王により彼の野望は文字通り木っ端微塵に砕かれる。


 魂そのものを砕かれ四散すると言う初めての経験。消滅こそは免れたものの欠片となった魂では大した力が出せず、彼は三度目の屈辱を味わうことになる。

 それは魔女らにより計画がとん挫した以上に、生きながらえるためにに憑依しなければならなかった事。

 相応に回復するまで彼は様々な生物での一生を余儀なくされた。動物ならばまだマシな部類であり、一時期とは言え人間としての意識はそのままに虫として過ごすこともあった。

 だがそれでも新たな憎悪の念を糧にそれでも生きながらえ……その中で彼の《恩恵》は分霊と言う新たな力を開花するに至った。






 そして現在。


「……遅いな」


 薄暗い倉庫の一角で若い男性が荷箱の上に腰を掛けていた。

 彼の中にはレイスの分霊が棲んでおり、現在この体の持ち主の意識はない。

 本日は他のレイスらとの情報交換の日。昔であれば通信機でやりとりが出来たものの、今の技術水準ではそれも望めずこうして直接顔を合わすことになっている。

 各地に散らばり並列で様々な事を行えるのは利点ではあるが、情報を共有できないのは数少ない欠点だ。


 そして更に待つことしばし。

 倉庫の扉が開かれ、日の光が中へと差し込まれる。


「やっときた「やっほ~♪」……か……?」


 底抜けに明るそうな女性の声に思わずレイスは顔をしかめる。

 逆光のせいでその正体は分からないが、少なくとも彼の記憶の中ではここ最近聞き覚えのない声。

 だが、何故だろうか。彼の本能がまるですぐに逃げろと言わんばかりに警鐘を鳴らし、そのせいか意思に関係無く脂汗が全身から噴き出してくる。

 そして気付く。逆光の中浮かび上がる特徴的な三角帽子のシルエット。

 レイスの長い人生においてこのような帽子をかぶる人物など限られており、だからこそ彼女の正体に行きつく。


「お、お前……」


 何故まだ生きている、と言う言葉は紡がれず。

 驚愕の中、慣れてきた目がやってきた女性……ウルティナの満面の笑みを映し出した。


「あら、すっとぼけないのね。はシラを切ってたのに」

「ッ!!」


 その言葉に他のレイスがやってこない理由を察し即座に脱出を試みる。

 だがそれすらも想定通りと言わんばかりにウルティナが懐から妙な石を取り出した瞬間、まるで吸い込まれるような感覚に襲われる。


「はい、一丁あがり~」


 それがそのレイスが最後に聞いた言葉であった。



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