第303話 誤算
今まで何百年も開くことの無かった中央管理センターへの入り口が開かれ、ある男がその先に進んでいく。
その様子を見てある者は驚きを表し、ある者は祈りを捧げ、ある者はマザーの声を聞けたことに感涙していた。
そして大神官の中に潜んでいたレイスもその光景に歓喜の感情を圧し殺せない。
(……ついに見つけた)
レイスの目的の中で取り分け大きなものの一つに『中央管理センターの中に入れる人間を見つける』と言うものがある。
この中にはレイスが望む物があるのだが、いかんせん霊体のままではただ入れるだけであった。
そのため中に入り、尚且つこの施設を動かすことが出来る肉体が必要だった。
この地の大神官が代替わりする度に中に潜り込んでいたのもその人間を見つけるためである。
そして今目の前にはその条件に合致する人間が現れたのだ。
大神官の中で今回の話は聞いていたが半信半疑であった。しかし目の前の光景を見たからにはもはや疑う余地はない。
すぐさま大神官の体から抜け出てその人物の元へ一目散に向かう。
しかし……
(なっ……?!)
いざその男の中に入ろうとするも、霊体であるレイスの魂が弾かれる。
彼の中でこのような事は初めてであった。相性の良し悪しや馴染みやすさ、入った後に拒絶されるといったことはあったが、それはどれもその体に入った後の話。
今回の様に入る前に弾かれるなど初めての出来事である。
(一体何が……)
その間にも男は入り口へと進み中に入っていく。
そして完全に敷地内に入ると同時に入り口の扉が閉じられた。
(一旦戻るしかないか)
男を追うこと自体は可能だ。あの扉ですらすり抜けが可能なレイスにとってそれ自体は容易い事。
しかし霊体であるがゆえ、長時間外に出ていると魂が消えてしまう。仮においついても先の様に弾かれることで手間取って時間切れになることは避けたかった。
考えた末、レイスが取った行動は大神官の体に戻ることにする。すでに名前も顔も割れているあの男を無理に追う必要はないと判断したためだ。
そして手早く大神官の中に戻ろうとしその体に近づいたその時……気付く。そのあり得ない光景に気付いてしまう。
誰もが男が消えた扉に注視し意識を向けている中、たった一人だけレイスの方を見ている人物がいる事に。
それは王都から来た聖女と呼ばれる少女。王都にいるはずの別のレイスからの連絡は特に無く、また何らかの思惑で神殿によって担がれた少女だと思っていたその存在が明らかに霊体であるレイスを認識していた。
「あなたは誰ですか?」
そして発せられる声は昨日から聞いていた声よりも凛としており、間違いなく敵対意思を感じさせるもの。
その言葉に周囲の神官や神殿騎士が少女の視線の先であるレイスを見るも、その表情は困惑の色があり彼らには見えていないことが一目で分かる。
「セレス様、一体何が……」
彼女と最も付き合いのある女性の神殿騎士が話しかけるも、それより速くセレスは両手を重ね祈りのポーズを取る。
「《
静かに声が響くと同時、レイスが白い半透明の球状の膜に囚われる。
「な、何だ貴様!!」
声を上げたのは神官長。そしてその言葉は先ほどまでとは違い、彼を初めとする全員がレイスを認知している証拠でもあった。
「セレスさん、あれは……?」
「分かりません。ですが大神官様から出てヤマルさんに入ろうとしてました。偶然ですが私が加護を掛けていたのでヤマルさんには入れなかったみたいですけど……」
その一言に一同の視線が大神官に集まる。
「待て、私は何も知らぬ! むしろあれが私の中に入っていたなど気味悪いことこの上無い!」
大声をあげ身の潔白を訴える大神官の様子からは嘘偽りは感じられない。
しかしレイスの存在を知らない一同からすればそれを信じるにはまだ弱かった。
「大神官様からは邪な感じはしません。信じて良いと私は思いますが……あれは別です。禍々しさ……いえ、妄執でしょうか。どちらにせよ迷える魂とは程遠い存在ですね。一体どれ程の年月を重ねればこのような……」
セレスの緊迫した声に正体不明の魂が如何に危険な存在か現実味が帯び始め、同時に場に張りつめるような緊張感が漂いはじめる。
「とにかくこの魂は即座に浄化すべきです。大神官様、よろしいでしょうか」
「うむ、やるぞ。各員もよろしいか?」
セレスとしてはこの場で一番立場が上である大神官に許可を求めた形であった。
しかしその様なものが大神官から出たと聞かされているせいか、皆の表情は今一芳しくない。
「しかしこのまま消してよろしいのでしょうか。正体も目的も不明の悪霊ともなれば調査すべきでは……?」
「だが聖女様は即座にと仰られている。それほど危険であるのならそこまで悠長な時間は無いのでは?」
突然の事態に話が纏まらない。このような時はトップが決めるものだが、そのトップが怪しいともなれば尚更であった。
そしてこれ幸いにとレイスは脱出を試みるが、囲われた膜は薄さに反しびくともしない。
喧々囂々とそれぞれが意見を言い合うが、その言葉は突如として遮られる。
『資格無キ者ヨ。我ラト敵対スルツモリカ?』
ズシン、と大地を震わせるかのような足音と共に守護兵の一機が前に出る。
無機質な表情。しかしその人工の瞳は囚われのレイスを見ており、これが攻撃の意思を持ったものではないかと考えているようだ。
「それは誤解です! 我らとて憂慮している身。なればこそしばし時間を頂きたい」
『時間トハ
慌てて返答をする神官長だが、更に返された言葉に対し何も言えずその視線をセレス達へと向ける。
彼の視線の意味は全員が分かっていた。即ち浄化する場合どれ程の時間が掛かるかと言うことだ。
ここに来てもはや情報を得ると言う悠長な選択肢は無い。神殿からすれば神兵と目される守護兵との対立は絶対に避けねばならぬことだ。
「確実には出来ますが今すぐには。それに……」
チラリとセレスが窺う先は今は何とかとどまってくれている守護兵。
しかしいつ牙を剥くか分からず、更に時間を掛けることは出来ない。浄化系の魔法はセレスは元よりこの場にいる神官全員が行えるが、集団でそれを行う行為を果たして目の前の守護兵が見逃してくれるだろうか。
打つ手無しか、と誰もがその考えを抱いたその時だった。
「すいません。差し出がましいと思われるでしょうがここは僕にお任せを」
そう言って一歩前に出るのはこの旅で唯一部外者でもあるセーヴァだった。
彼は囚われのレイスを見据え小さく息を吐く。
「セーヴァさん?」
「大丈夫です、すぐに終わらせます」
彼としてはなるべくは部外者として手も口も出さないつもりでいた。
しかしここに来てもはや傍観者として振る舞う時は過ぎたと判断する。
彼には力があった。元の世界で勇者として戦乱の時を駆け抜けた経験や力は、この世界においても問題無く使える事を知っていた。
「《
その言葉に呼応し、セーヴァの足元から小さな風が巻き上がる。
「《
続けて発せられた言葉の直後、彼の回りの動きが止まる。
そして次の瞬間セーヴァが地面を蹴ると彼の体はレイスの目の前まで肉薄する。
その動きを誰も追うことが出来ない。ただ一人、レイスの魂を除いて。
「ッ、いつの間に……?!」
「喋れる魂ですか。やはりあなたは危険ですね」
セーヴァが手に持った剣を鞘から抜き刺突の構えを取る。
その行動が何を表すのか分かるレイスだが、同時におかしなことに気付いた。
何故守護兵は何もしないのか、と。この位置で抜剣をすれば攻撃の意思を持っていると見なされるはずだと。
その事を知っているレイスが視界を守護兵に向けると、その巨体はまるで置物のように動いていなかった。
さらにレイスは気付く。守護兵だけではない。敵対している聖女ら神殿の面々も、更には周囲の景色全てが止まっていることに。
魂状態のレイスに表情と言うものはない。
しかしセーヴァはまるでレイスが驚いていることを分かるかのように話し始める。
「僕は様々な敵と戦ってきました。その中にはあなたの様な手合いもいまして。故に対処法も持っています」
セーヴァは前の世界で勇者として戦う中、様々な加護をその身に宿す方法を身に付けている。
先ほど使ったのは自身の速度をあげる《風の加護【疾駆】》。そして周囲の時を止める……ではなく、自身とその周囲の時間の流れを変化させる《時の加護【領域】》。
後者は端から見ればまるで瞬間移動したかのように見えるが、その範囲に入ったものは同じ影響を受ける。その為レイスだけはセーヴァの動きが見えている状態であった。
それらを知らないレイスからすれば突如セーヴァが目の前に現れ、まるでおかしな世界に引きずり込まれた感覚であろう。
しかしそれを話す義理はセーヴァには無い。
数十倍にも引き伸ばされた時間の中、勇者と幽霊が対峙する。
そして突き出された剣がセレスの魔法をすり抜け、中にいたレイスに深々と刺さる。
「《
それはセレスではなくセーヴァが一番良く知る聖女の名を冠した加護。命を賭して聖女から勇者へと贈られた最強の破邪の法。
対魔王用の切り札として用いられたそれは今もセーヴァの中に息づいており、邪悪なものを消滅させる勇者の剣だ。
その威力は非実体を斬る・突くなど生易しいものではなく、触れた箇所から邪悪なものを消滅させる。
「――――!!」
そしてレイスは跡形もなく消えた。粉々に砕いたりバラバラにしたのではなく、後には何も残さない完全なる無。最後に喋る隙さえ与えない完璧な一撃だった。
「…………ふぅ」
完全にレイスが消えたことを確認したセーヴァは突き出した剣を引き鞘へ戻す。
視線の先には未だ壊れることもなく発動し続けているセレスの魔法。
セーヴァとしてはこれを壊してでも仕留めるつもりであったが、実際は彼の剣を拒絶することは無かった。そのお陰で《聖女の加護【破魔】》の効果が上がり、しかも本来であれば散りやすい魂をその場に留めてくれた。
逃すつもりは微塵も無かったセーヴァであったが、ここまでやり易かったのは嬉しい誤算である。
(っと、戻らないと……)
加護の中でも特に《時の加護【領域】》はセーヴァをもってしても多大な魔力の消費を強いる。
以前ならば聖剣をはじめとする装備類である程度は補えていたが、それらは全て前の世界に置いてきた。自前の力では長く使用し続けることもできず、効果が切れる前に手早く元いた場所へとセーヴァは戻る。
(解除)
全ての加護を解除するとそれまで止まっていた景色が動き出す。
「終わりました。確実に消しましたのでセレスさんもあれを解除しても大丈夫ですよ」
「え、あ……?」
目をぱちくりさせたセレスが自身の出した魔法を見るも、そこには先程まであった魂は完全に消え去っていた。
その場の全員が驚きを隠せない様子だったが、セレスだけは自分のやることを思い出したようで慌てて魔法を解除する。
「お待たせしました。見ての通り解決しましたので」
にこりとセーヴァが守護兵にそう告げると、周囲に何も変化が無くなったことを確認した守護兵が元の位置へと戻っていく。
その様子にその場にいた全員が安堵の息を吐くと、事を納めたセーヴァの方へと向き直った。
その視線に向けセーヴァがこくりと一つ首を縦に振る。
「きちんとご説明します。ですがこの場より一度戻った方がよろしいのではないでしょうか。ヤマルさんも中に入ってしまいましたし」
「マスターにつきましては後程私に連絡が来る予定デス。この場にいてもこれ以上出来ることは何もないカト」
セーヴァの言葉に付け加えるようにメムが言葉を続けると、大神官が皆を見渡し一つ頷き同意を示す。
「一度街に戻ろう。私から出たと言う話も合わせて聞かねばなるまい。聖女様、よろしいですか?」
「はい。でも私も詳しく分かるわけでは無いですが……」
「構いません。今は少しでも情報が欲しい。神官長、信のおけるもの数名を選出し同席したまえ。私の身の潔白のためにもこれは必要な事である」
「は」
話がまとまった所で一同はその場を一旦後にする。
開かれた神の扉、現れた正体不明の霊。今日一日で事が大きく動いたことをその場にいる殆どの人間が感じつつも、一路街を目指すのであった。
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【Tips セーヴァとセレスの力】
セーヴァは元勇者として当時手に入れた様々な加護を用いて戦う。
表記は《○○の加護【△△】》であり、同じ加護でも詳細が変わることで使い分けが出来る。
(例えば《聖女の加護【破邪】》は最高峰の対魔攻撃方法であるが、《
セレスは元の世界で得た力の都合上、回復、加護、防壁、対魔など癒しや守護、悪魔払い系の力がある。
本人の性格上対魔はそこまで得意ではない。(ただし捕縛系は問題なく使える)
なおこの世界基準では得意ではなくとも上位に分類される実力を持っている。
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