第256話 閑話・隣の芝生はなんとやら・前


 『四面楚歌』と言う言葉がある。

 これは助けが無く、周囲が敵だらけと言うことを表す四字熟語だ。


 『孤軍奮闘』と言う言葉がある。

 これは助けが無く、たった一人で戦っている様を表す四字熟語だ。


 『孤立無援』と言う言葉がある。

 これは助けが無く……まぁこれも一人でいることを表す四字熟語だ。


 なんで唐突にこんな四字熟語を引っ張り出してきたかと言うと――



「ぅ~~……!」

「…………」


 どうしたもんかなぁ、と先程から何度も自分へ問いかける。

 今の自分の状況はコロナにベッドに押し倒された形で天井を見上げている形だ。

 普通に考えれば男女の間柄だしそういう感じに見れなくもないが、こちらのお腹に顔を埋め泣きじゃくる彼女を見れば誰もそのようには見えないだろう。


 事の始まりは今から大よそ三十分前ぐらい。

 魔王城の大浴場で久しぶりに伸び伸びした入浴をし、心身ともにリラックスが出来た状態で部屋でゆっくりしていたときの事だ。

 ベッドの縁から足を投げ出すようにして寝転がっていると、何故か寝巻き姿のコロナが突如部屋にやってきた。

 急な来訪に驚き上体を起こして彼女を見るも、その顔は俯き加減で表情を窺う事が出来ない。

 少々普段と違う様子に何かあったのかと声を掛けようとしたところ、それより早く彼女がこちらに近づき、勢いそのままに体ごと飛び込んできたのだ。

 何とか受け止めることは出来たものの、コロナにベッドに押し倒される形になってしまった。

 彼女も風呂上りなのか若干濡れている髪に抱きつかれたことで感じる体の感触。何より寝巻き同士のためか普段以上にその温もりを感じてしまう。

 流石に体勢含め色々とまずいだろうと思いコロナを離そうとするも、彼女は何故かその体勢のまま泣き出してしまったのだ。


 それから三十分ぐらい掛けてコロナを宥めながら何とか理由を聞き出すことに成功し、現在に至る。


(しっかし……うーん、ほんとどうしよう)


 解決法が何か無いかと、コロナが話してくれた内容を再度頭に思い浮かべる。

 どうも彼女も自分と同じ様に魔王城の大浴場に行ったらしい。

 こちらと違うところは自分はほぼ貸しきり状態でポチと入ったが、コロナはいつものメンバーと一緒に入ったとのことだった。

 具体的に言えばエルフィリア、ウルティナ、そしてミーシャとである。

 これだけ聞けばいつもの女性四人なので別段おかしいところは何もない。魔王であるミーシャが良く付き合ってくれたなぁとは思うものの、全員知らぬ仲ではないのだ。お風呂ぐらい一緒に入るだろう。


 そうして全員で湯船に浸かったとき、コロナはある物を見てしまった。

 浴槽に浮かぶ女性のシンボルである……ストレートに言ってしまえばおっぱいだ。

 それも六つ。どれもたわわに実った果実のごとき丸みを帯びた実に見事な大きさだったと掠れる様な声でコロナは吐露していた。


 『ヤマル、知ってる……? おっぱいって湯船に浮くんだよ……』


 まるで死人の様な雰囲気から発するその声は、この世の全てに絶望をしきっているようなそんな声だった。


 対する彼女は……もはや語るまい。全く無いわけではないが、小柄な彼女は残念ながらそれに比例するかのように胸の成長は乏しい。

 そもそもあの三人は全員胸を含めスタイルが抜群である。並大抵の女性では敵う人を探す方が難しい程だ。

 端的に言ってしまえば相手が悪すぎた。いくら近しい人とは言え、比べる対象としては戦闘力の差がありすぎるのである。

 しかし……いや、だからこそ。その圧倒的な差を彼女は現実として目撃し、実感してしまった。


 そんな孤立した味方もいない状態で何とか平常心を保とうと努力したものの、程なく限界を迎えてしまう。

 その後精神的にも、そして物理的にも尻尾を巻いて自分の所に逃げてきたと言うのが事の顛末であった。


(鍛えてどうにかなるわけでもないし、豊胸魔法とか……師匠なら持ってそうだけど色々不安がなぁ……)


 天井を見上げながら思案するも、いまひとつ良い手が浮かばない。

 視線を下げれば未だこちらの腹部に顔を埋めるコロナの頭頂部が見える。普段ならここまで長時間くっつかれることは避けるが、事が事だけなのと流石にここまで凹んでいる状態であしらうのは憚れたから好きにさせておくことにした。


(女性は胸が全てじゃない、って言ったところで焼け石に水だろうしなぁ。男だって似たような部分は大なり小なりあるし……)


 例えば身長なんかそうだろう。

 もう少し背が高かったらと思ってる人に、身長が全てじゃないと女性に言われたところで果たして受け入れられるだろうか。

 コロナが感じている事もそれに近しいことなら、おいそれと慰めの声は掛けられるものではない。

 求めていることに対しその解答をあげることができれば一番なのだが……。


(……まぁこれしかないか。次善策になるか分からないけど)


 流石に肉体改造は無理。

 ましてや詰め物をして増量したところで、近くの同性が圧倒的な天然物を持っている以上余計に惨めになってしまいかねない。

 ならば彼女が持っている物でどうにかして欲求を満たせるようにする。その方向にコロナの考えをシフトさせるようにゆっくりと口を開いた。


「ねぇ、コロ。明日なんだけどさ……」



 ◇



 明けて翌朝。

 まるで自分の心を写すかのようなどんよりした曇り空の下、現在魔国のランジェリーショップへと向かっている。

 昨日コロナには『専門家に相談してみてはどうだろうか』と提案した。

 具体的にはランジェリーショップの店員さんにである。


 胸を含む体の部位は一朝一夕で大きくなるものではない。しかし世の中には何とかして自身を良く見せようとするものは数多くある。

 実際日本でも寄せて上げるブラなんてものがある事自体は知っていた。それがどうやって寄せて上げるかは未知の領域なのだが、少なくとも女性のニーズとしてそう言う商品は存在するのだ。

 ならばこの世界とて同じ様な物があってもおかしくは無い。もしかしたら日本には無い魔法的な何かを使った下着だってあるかもしれない。

 聞けばコロナ自身も当人の大きさの都合もあり、そこまで詳しい訳ではないとのこと。ならばこの際、色々相談してみるのは良いんじゃないかと説得した。

 そうして昨日よりは幾分かマシになったコロナと共にお店に向かっている。


 ただし一点問題があった。

 それがこの空模様のように自身の心を曇らせている。


「……あの、私にもちゃんと出きるでしょうか?」

「あー……まぁ、その道のプロだろうし大丈夫だと思うよ」


 コロナの反対側にいるエルフィリアに作り笑顔で無難な返答をする。

 そう、今日はコロナに加えエルフィリアも一緒だ。もちろん彼女の向かう先も同じ店である。


 実は彼女からもコロナとは別口で相談を受けていた。こちらはブラジャーを買いたいと言うことなのだが、どれを選んでいいのかさっぱり分からないのだ。

 以前ウルティナとの修行の際にも発覚したことだが、エルフにはブラジャーをする習慣が無い。種族特性なのか全員清々しいぐらい胸がまっ平らな為、ブラジャーの概念自体が存在しない。

 だからエルフィリア自身もその様な下着があることは知らなかった。

 そもそも森を出てそれなりの時間が経ってるのに何故今更、とも思ったが、身近にいるコロナがつけていないので特に気付くことすら無かったらしい。


 そこで彼女はディモンジア滞在中の今の内にブラジャーを購入することを決意した。

 しかしコロナとは別の意味で未知の領域だ。付け方すら分からない状態である。

 ならば誰かと一緒に行ってもらおうと思ったが、まず自分とドルン、そしてブレイヴの男性陣が真っ先に除外される。ブラジャーの概念は無くとも、それが胸に着ける下着と言うことは教えてもらっていたので異性に頼むのは論外だったそうだ。

 続いて思いついたのがミーシャだが、彼女はディモンジアに帰ってからは魔王として仕事に追われている。言えば付き合ってくれたかもしれないが、さすがにこの様なことで頼むのは気が引けた。

 では同じスタイルの持ち主のウルティナはと言うと、最終的な目的は達成できそうだが、修行時の一件からまた何かされるのではないかと思い一旦保留。

 コロナについては……何となくこれまでの付き合いからこの話題はしない方が良いと察したらしい。


 結果、男性ではあるものの真面目に付き合ってくれそうな自分が再浮上した。

 選ばれた理由も聞けば確かに他の面々では色々と頼み辛そうなのは理解出来たので、彼女の申し出を了承したのだ。


 ちなみに先に約束をしたのはエルフィリアだが、一応彼女にはコロナが一緒だと言うことは了解を取っている。

 だからそちらは良いのだが、逆にコロナが居心地悪そうにしていた。

 別にコロナとてエルフィリアを目の仇にしているわけではない。そもそも二人の仲は良好なので、それぐらいでは険悪にはならないだろう。

 ただ感情が追いつくかはまた別問題。コロナの中で気持ちの整理が着くまでは彼女の視界になるべくエルフィリアの胸部は入れないように注意を払うことにする。



 そんなこんなで気を張りながらも何とか目的のお店に到着した。

 ここは今回の件でミーシャに教えてもらったお店だ。しかも態々一筆したためてくれたので、それを店員さんに見せれば色々と便宜を図ってくれるらしい。


「何か……すごいお店ですね」

「うん。前にヤマルと一緒に行ったとこより種類豊富かも」


 店頭ウィンドウから中を覗くと、人王国でコロナと一緒に行ったお店よりも種類が豊富そうだった。

 後に聞いた話だと一口に魔族と言っても羽があったり体が大きめだったりと多種多様の為、必然と種類も多くなり店内も広くなるらしい。

 この辺りの事情は他の服飾系のお店や防具屋などでも同じなのだそうだ。

 しかし……


(またこーゆーお店に来る羽目になるとは……)


 多分傍から見たら今の自分の目は死んだような目になってることだろう。マンガならきっとハイライトが消えているはずだ。

 目の前のお店からは『野郎お断り』のオーラが出てる気さえする。そもそも女子二人がいるんだから別に自分が一緒に入る必要は無い。

 どこかその辺で待って――


「さ、ヤマル行こ」

「その……お願いします……」


 しかし彼女達は逃がしてはくれないらしい。

 二人に片腕ずつ掴まれ、まるで連行されるかのように魔境へと入っていく。


「いらっしゃいませー!」


 中に入ると魔族の店員さんが元気な声で出迎えてくれた。くれたのだが……なんと言えばいいだろうか。

 腰まで伸びる薄桃色のウェーブの掛かった髪に、程よい大きさの胸を強調するかのような薄手の服装。

 更には小さな巻き角に背には小ぶりな黒い羽根、そして尻尾と……あれだ、まるでテンプレのサキュバスの様な店員さんだった。


「あら、珍しい組み合わせですねー。国外の方ですよね?」

「えぇ、まぁ……あ、すいません。ちょっとこちらを……」


 何となく視線を合わせづらかったので、少し横を向きながらミーシャから貰った手紙を取り出し彼女へと差し出す。

 渡された手紙の表面と裏面を軽く見た後、彼女は封を切り中の確認する。


「ふむふむ、なるほど……。了解しましたっ! それではお二方は私と一緒に奥へどうぞー! お兄さんは……あちらに休憩スペースがありますのでそちらがいいですよね?」

「えぇ、ありがとうございます」


 自分の様に連れて来られる男性もいるのか、慣れた様子で休憩スペースの場所を教えてくれた。

 コロナとエルフィリアは何故か『一緒に来ないの?』みたいな表情をしていたが、そんな顔をされてたところで魔窟下着売り場に行くつもりはない。

 しっかり勉強しておいで、と二人を送り出し、店員さんに教えられた休憩スペースへと移動する。


「はふー……」


 スペース内の椅子に座ると思わず安堵の息が漏れた。

 休憩スペースは店舗の端の方にあり、しかも周囲にパーテションのような仕切り壁があるお陰で店内の様子が見えない作りになっていた。

 その中にテーブルや椅子がいくつか設置されており、明らかに男性向け退避場所として作られた感じである。


「ポチー、ちょっと遊ぼっか」

「わふっ!」


 相変わらず頭の上に乗ってたポチを膝の上に乗せ、向かい合うようにしてはその体を撫でまわす。


(あー、癒されるぅ……)


 仕切り壁のお陰でこの場所だけはランジェリーショップっぽさが全くない。

 一歩外に出れば男性お断り全開オーラの店内も、今この場だけはまるでネコカフェだ。

 いやまぁネコカフェ行ったことないけど。目の前にいるの、猫じゃなくて狼だけど。


 そんなこんなでポチをモフること大よそ三十分。

 仕切り壁の上から覗き見るかのように先程の店員さんが姿を現した。


「お客様お客様。ちょっとよろしいですかー?」


 パーテション越しにこちらを呼ぶ店員さんの顔は、今から面白いものが見れそうと言わんばかりの愉しそうな表情だった。


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