第174話 公的依頼
翌日。
その日冒険者ギルドはにわかにざわめき立っていた。
ギルド内では地元の冒険者達が依頼板の前に行く訳でもなく、所在なさげにその辺でたむろしている。
その依頼板には本来あるべきはずの依頼書が一枚も掲示されていなかった。
いや、正確に言えば一枚だけ依頼板に貼られている。
この世界に来て初めて遭遇する自体ではあるが、それが意味するところは王都の職員から聞き及んでいる。
「お、兄ちゃんらも来たか。こんな時にこの街にいるなんて間が悪いな。職員が全パーティー呼んでいる。お前も行ってこい」
ギルドに入ってきたこちらに気付いた地元の熟練冒険者がクイと顎でカウンターの方を指す。
彼に礼に言いカウンターへ向かうと、一昨日も対応してくれた女性職員が軽く一礼をして出迎える。
「『風の軌跡』の皆様ですね。ギルドより全パーティーに
国やその土地を治める領主らから発令する、その名の通り公的な依頼である。
基本依頼の受注など自由な冒険者だが、例外的に国などに縛られるのがこの公的依頼だ。
滅多に発令されることはないものの、一度発令されれば必要な人員は強制的に召集される。
一応依頼というだけあり金銭は発生するが、自由は無い部分にあまり良い感情を抱かない冒険者もいるらしい。
「それってやっぱり昨夜の?」
「はい。そう言えばあなたは現場にいたそうですね。家の方達も感謝してましたよ」
「いえ、たまたまでしたのでそこまで大したことは……」
そう、それは昨夜のことだった。
◇
昼間の農民達はすごかった等感想を交えつつ、また明日も依頼を受けようと言うことで床に着いた。
がっつり体を動かしたこともあってすぐに眠りに落ちたのだが、突如街に設置された鐘楼の音で目が覚める。
カーンカーンと金属を叩く音が鳴り響き慌てて飛び起きるも、室内は暗くまだ夜中だと言うこと教えてくれていた。
「《
すぐさま魔法で室内に明かりを灯すと同時、部屋のドアが激しく叩かれる。
「ヤマル、起きてる?」
「うん。ちょっと待って、すぐ開ける」
鍵を外すとそこには寝巻きではなくすでにいつもの装備に身を包んだコロナがそこにいた。
何があった、と聞く間もなく彼女は室内へ入り窓を開ける。
暗闇に閉ざされる夜の中、ここから少し離れたところから煌々と何かが光っているのが見えた。
他の建物の影になって直接は見えないが、あれはもしかして……。
「火事?」
「うん、街の外れの方だと思うけど……」
こちらを見上げるコロナの目が問いかけてくる。
どうするの、と。
「すぐ行こう。火事なら前に王都で消したし、俺とポチなら水を出すのに困らないからね。ポチ!」
「わぅ!」
了解とばかりにポチが一吠え。
着替えや装備は……着ている暇は無し。今は時間との勝負だ。
マントだけ引っ張り出し寝巻きの上から羽織ると三人揃って部屋を出る。
それと同時にドルンとエルフィリアが部屋から出てきた。この音は何かと問う彼らに手短に火事だと教え、自分達は消火活動の手伝いに行くと告げる。
「二人は念のため着替えてすぐ出れるよう待機してて。何かあったらすぐ連絡するから」
それだけ言うと宿を飛び出し、戦狼状態に変化したポチにコロナと共に飛び乗る。
すぐさま《生活の光》を周囲に二つ、前方に二つ展開。暗闇を照らしながら慣れぬ道をポチが駆けていく。
だがこの騒ぎで道にはまばらながらも人が出て来てしまっていた。そのため王都の時同様屋根伝いに現場へと走って行くことにする。
ポチの身体能力で難なく屋根に上るが、道幅が広く家屋が少ないため走ると言うよりほぼ跳躍。落ちるときの浮遊感に恐怖を感じるも、視界に燃える家屋を見ればそれもすぐに引っ込んでいく。
「ヤマル、あそこ!」
「ん!」
燃えているのは町外れの家屋。確か外側にある家は農家か畜産やってる人達の家のはずだ。
しっかりとポチの首輪を握り駆けさせ現場へと駆ける。
到着すると現場は混乱の坩堝と化していた。燃える家の前で街人が水をかけているも火の勢いは止みそうに無い。
すぐ横では家の人と思しき奥さんが横たわる旦那にしきりに声をかけている。
「すいません、手伝いに来ました!」
「おぉ、助か――ひっ、魔物?!」
こちらを向く男性が手に持った桶を落とし思わず後ずさる。
パニックになり掛ける男性だったが、直後別の夫婦が大丈夫だとその人に声を掛けてくれた。
どうやら昼間の仕事時にポチがこの状態になっているのを見ていた人らしい。
たまたまだったとは言え事なきを得たことにほっとしつつ、消火活動に来たことを告げる。
「水はあるんだが運び手が足りねぇ! あるだけ持ってきてくれ!」
「水なら自分が魔法で出せます。中の人が避難できているならすぐにでもいけます!」
「バッカ! 魔法じゃ家が吹き飛んじまうよ!」
「水だけ出す魔法なので問題ありません! 掛ける場所だけ指示をお願いします!」
少しだけ思案する男性だったが即座にこっちだと走って行ったのでそれを追いかける。
行った先では軽鎧を来た体長格と思しき兵士が色々な人に指示を飛ばしていた。
彼の元に行き手短に出来ることを告げるとすぐさま消火班へと回される。
そして《
桶では届かない屋根上から大量の水を掛けれたこともあり、他の人の尽力も相成って何とか全焼前に食い止めることは出来た。
だが寝起きに緊張を強いる火事の現場、そして消費が少ないとは言え数十分水を出し続けたことで流石に頭が少しクラクラする。
ポチも体調が悪そうだったので一旦子犬状態へ戻ってもらうことにした。
「ヤマル、大丈夫?」
「まぁなんとか……。どこか座れそうな場所あれば休憩したいかも」
ポチを抱えあげ、コロナに支えられるようにして現場から少し離れた材木の上に腰を下ろす。
何とかなったと言う安堵感からどっと疲れが出てきた。肩で大きく息を吐き目の前を行きかう人々を眺める。
「あ……」
その中で一人、先ほど倒れていた旦那さんが運ばれていくのが見えた。
ただその時彼の体が目に入った。
その胸には火事で焼けた跡ではなく、まるで何かに引き裂かれたかのような三本線がくっきりとついていた。
「……」
「ヤマル、宿に戻ろ。やっぱり横になって休んだ方が良いよ」
「そうだね。コロ、悪いんだけどさっきの隊長さんっぽい人に戻る事伝えてきてくれるかな。宿の名前とパーティー名、あと俺の名前教えておけば多分帰してくれるはず」
「うん、了解。すぐ戻るね」
程なくして報告をしてきたコロナが戻り、彼女に支えられながら宿へと戻った。
◇
それが昨夜の出来事。
昨日の旦那さんの胸の傷が気になっていたのだが、こうして公的依頼が出ると言うことは多分依頼内容はそう言うことなんだろう。
上、つまりラウザがこの件について重く受け止めたと見て良さそうだ。
「戦える冒険者らは指定された時間にここに集まってください」
女性職員が街の地図を広げ、その集合場所を指し示す。
そこは昨夜火事があった農家のすぐそばだ。
いつもなら牧場として使われているが、昨夜のことで家畜が数頭やられ今は何も放牧はされてない。
ちなみに残った家畜は他の農家が協力して一時的に預かっているそうだ。
「ここで改めて皆さんの前で依頼内容を伝えます。ただし全員武装を整えた上で集合をしてください」
予想通り討伐依頼。
あの農家の旦那さんをやった魔物を仕留める気だろう。
「分かりました」
参加することを職員に伝え、とりあえず集合場所の方へ移動することにする。
時間はまだあるがまだ慣れぬ土地。余裕を持って行動した方が良いと思ったからだ。皆も装備は完全に武装しているし、そのまま行っても特に問題は無い。
ギルドを出て街を歩きながら昨夜のことをドルンとエルフィリアに話す。
深夜と言うことと魔法を使った疲れから戻ってすぐ寝てしまい、まだ何があったのか話せてなかったのだ。
「ふぅむ、つまりその魔物の討伐が今回の依頼ってわけか」
「三本線の傷跡、ですか……。怖いですね……」
戦闘もいっぱしにこなせる農民でもある人がやられるほどの魔物だ。多分自分が相対したら怪我どころか体が両断してもおかしくなさそうである。
……ぞっとする話だ、本当に。
「コロは何か心当たりある?」
「う~ん……傷跡からデッドリーベアって熊の魔物かなぁって思うんだけど……」
「けど?」
何だろう、何か引っかかってるような物言いだ。
「なんで公的依頼なのかなぁ、って思って。確かに襲撃があって倒さなきゃいけない魔物なんだけど、デッドリーベアだったら普通の依頼でも良いはずなのになぁ、って」
「ふむ、公的依頼の理由か……。確かに気になるところではあるな」
つまりもっと別な危険性が含まれているということだろうか。
だがいくら考えても予想の範疇を出ない。何より情報が無さ過ぎて考えがこれ以上広がらなかった。
「まぁ集合場所に行けばきっと教えてくれるよ。流石に公的依頼で隠し事は無いと思うし」
とは言うもののコロナの言葉に不安がどんどん募っていく。
どんな敵か分からないと言うのは心に重く圧し掛かってくる。トレントの時とはまた違う、別な圧。
(嫌だなぁ、何事も無く終わればいいけど……)
心に抱いた不安を拭い去れぬまま、少し重い足取りで指定された場所へと歩を進めていくのだった。
◇
到着時にはまばらだった冒険者達も、集合時間に近づくにつれ徐々に人が増えていく。
流石に王都ほど数は無いものの、魔物討伐系の依頼が多いためかここの冒険者達は総じて強そうな風体だ。
右を見ても左を見ても締まった体のいかつい男たちが今か今かとざわめき立っている。
「若様が来たぞ!」
そう言ったのは誰の声か。
街の方から鎧に身を包んだラウザが兵と共にこちらへとやってきた。だが領主代行にしては妙に兵の数が少ない。
これでは屋敷の中の最低限クラスの面々しか残っていないように見える。
そして集まった冒険者らが注目する中、皆の前に出て全員と向き合うようにこちらへと体を向ける。
「冒険者の皆さん、お集まり頂きありがとうございます。突然の公的依頼での召集、驚かれた方もいるでしょうがどうか街の為ご協力下さい」
そして彼の口から今回のミッションの内容が告げられる。
まず公的依頼の最終目的は今回農夫を襲撃した魔物を倒すこと。なお普段なら山や森の奥に追いやる、なんてパターンもあるが、今回に関しては必ず仕留める様にと厳命された。
そしてその魔物はおそらくはデッドリーベアと言う事。これはこちらの予想通りでもあったが、農夫や家畜のやられた傷跡、また小屋に残った痕跡からもそう判断するに至ったらしい。
だがここで一人の冒険者が気になる事があったのか手を挙げる。
「若様、質問いいですか?」
「えぇ、分かる範囲でしたら」
「『おそらくは』ってデッドリーベアじゃない可能性もあるってことですか? こういうのもなんですがあの特徴的な跡からすればそれ以外は考えれないと思うんですが」
「なるほど、貴方の意見は尤もですね。ですがこの件に関しては少し不可解な点があるのですよ」
「不可解な点、ですか?」
その言葉に場がざわつき始める。
一体どの様な、と気にする動きから、どんな相手でもやるだけだと気合を入れるものなど反応は様々だ。
そして程なく皆が落ち着いてきたところでラウザに代わり隣にいた兵隊長が前に出る。
「その事についてはラウザ様に代わり私から話そう。負傷した者、つまり昨夜唯一戦った農夫から少し前に話を聞けた。強さも然ることながら、どうもその魔物は火を使ったそうだ」
『火?!』
皆が驚くのも無理は無い。
この世界の魔物でも中には特殊な個体は色々いる。その中でも代表格なのは火を噴く魔物だろう。
自分には原理はさっぱりだが、有名所なら竜のドラゴンブレス、また小さくても火を吐く魔物も少数ながら存在する。
だが熊系の魔物が火を使うなど聞いた事が無い。隣のコロナにも問いかけてみるも、彼女もそんな魔物は知らないと首を横に振った。
「昨日の火事もその魔物の火が建物に燃え移ったからだ」
「そう言うのもなんですが、単にその農夫が松明あたりを落としたとかじゃないんですかい?」
「もちろんその線もあるだろう。だが現場を調べたところ、燃え広がった中心は屋根、ないしは高い位置の壁の可能性が高いそうだ。手に持つタイプの火ではその位置には届かん」
つまり農夫の証言通り、火を使う熊の可能性が高まったということだ。
だが目撃者は一人、それも暗い夜中での攻防時の事。
確証を得るにはいたってはいないしまだまだ半信半疑と言ったところだが、さりとて貴重な目撃証言は無視出来ない。
「だが火を使おうが使わまいが人を襲った魔物を放置するわけにもいかん」
「僕の方からも兵は出します。流石にこの状況下で全員とは行かないのは心苦しいですが、きっと皆さんの力になってくれるはずです」
本来なら自分の防備を固めるべき状況。だが彼はそれを冒険者と街のために振るうとラウザは告げる。
すぐそばにいる兵隊長を含め数名しか伴えなかったのは今回の件で最低限の護衛しか残せなかったんだろう。
これなら現在ラウザへの兵の数が少ないのも頷ける。
「大変だと思いますが、このエンドーヴルの街の為皆さんの力を貸してください」
お願いします、と言うとラウザが冒険者らに向かい頭を下げた。
領主代行とは言え現状この街のトップの青年。
そんな人が一山いくらの冒険者らに頭を下げたとあっては、彼らも『若様にここまでやられちゃぁな』とか『任せてくださいよ!』などと言いつつ笑みを溢す。
そして各々が持てる武器をラウザに向かって掲げると、彼も嬉しそうに笑みを浮べていた。
――こうして戦いの火蓋が切られた。
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