第126話 トライデンツ・ブート・キャンプ


「はっはっは! なるほど、あのイワンに鍛えられてた訳か! そりゃそんだけボロボロになるわな!」

「笑い事じゃないよ……」


 ビールジョッキ片手にゲラゲラ笑うドルンにジト目を送りつつため息を漏らす。

 確かに他人からしたら笑い話だろうけどこちらは本気で生死の狭間に居た気分だったのだ。

 マッドの裁判から三週間、自分達は現在ドワーフの村へと戻ってきていた。

 色々土産話を聞きたいと言うドルンを連れ彼の仕事終わりを待って酒場にやってきたのだが、こちらの姿を見て何があったんだと質問されたのが事のきっかけである。

 ガラスジョッキに注がれたビールを飲みながら、ドルンは興味深そうにあの時の特訓しごきの話を続けろと催促してくる。


「まぁあの英雄に鍛えられたんなら結構強くなったんじゃねーのか?」

「んー……強さって意味ではどうだろ。直接的な戦闘力が上がったのはコロとエルフィじゃないかな」


 当時のことを思い出し——口に含んだ果実水を吐きそうになるもぐっと堪え、トラウマを掘り起こすレベルでぽつりぽつりと話していく。


「結局自分はそもそも土台がなってなかったから最初は基礎中心だったのよね」


 言うは簡単だが内容に関しては思い出すだけでまだ震える。

 初日から七日間はとにかく一日中走りこみだった。これは自分だけでなくエルフィリアやポチも一緒である。

 イワン曰く『戦い方よりも止まらぬ体。どれだけ技を磨こうが力を得ようが動けなくなった奴から死ぬ』とのこと。

 実際基礎課程をすっとばして息切れしたやつから大変な目に遭ってるのを数多く見ていた彼だからこその言葉だった。

 これだけならなるほど、と思うがその結果が一日中の走りこみ。もちろんただの走り込みではない。

 ここぞとばかりにイワンがこちらの限界値を寸分違わず見極めたうえで、その限界のちょっと向こうの速度で延々と追いかけてくるのだ。

 しかもこちらの性格も把握してるのか簡単には諦められない処置を取られた。


『ふはははは!! コーローナーたああああん!!』

『ヤマルー! 早く! 早く走ってえぇぇぇ!!』

『おおおおおおおお!!』


 椅子に簀巻きにされたコロナを背負い、その上で後ろからイワンが追いかけてくる地獄絵図。

 こちらが速度を落とせばコロナがイワンの歯牙に掛かり大変なことになってしまう。

 だが何事もにも限界はある。悲鳴を上げ続けていた自分の脚が限界を超えた為もつれてしまった。

 直後、イワンとの距離が一気に縮まったところでコロナが最終手段に打って出た。

 こちらの両手を上げるように指示を送ると、《天駆てんく》を使い椅子ごと垂直に脱出したのだ。

 さながらロケットのように射出されるコロナは流石のイワンを持ってしても予想外だったらしく彼女は難を逃れる。

 だが逃がした原因である自分を再びロックオンすると、イワンは更に速度を上げ再び地獄のロードワークが再開された。

 ちなみにエルフィリアも自分と一緒で基本はとにかく走るであった。体力が無いのは彼女も一緒だったので当然と言えば当然と言えよう。

 魔法を伸ばそうにも獣人や亜人の魔法は他人に教えれるようなものではないのも理由の一つだ。

 ポチも一緒に走っているがこちらは事情がやや異なった。

 現在戦狼状態になっているが、首輪に普段から付けてある魔石のアクセサリーは外してある。

 イワンがポチを見た上で課したのはこの状態を維持し続けることだった。

 戦狼状態に慣れることに加え、無駄な動きを削ぎ魔力消費を抑えろとのこと。

 魔石の補助に慣れているといざと言うときに動けなくなるかもしれないため、それを見越してのことらしい。

 結果コロナを除くメンバーは全員嫌になるほど徹底的に走りこまされることとなる。

 そのコロナと言えは、先ほどのように自分の背に乗ってるときは実は休憩中の一幕であった。

 それ以外は模擬戦しかしていない。それもAランク以上の格上とだ。

 対戦相手自体はトライデントには豊富に揃っているので、後はイワンの一言で大体何とかなった。

 あんな彼ではあるがやはり人気はあるようで、まさに一声掛けるだけでわらわらと人が集まったのだ。

 イワンが言うにはコロナに足りないのは戦闘経験。

 特に自分と一緒になってから強敵と戦う事が殆どない。強いて言うならこの間のトレントぐらいだろうか。

 パーティー方針が基本安全をモットーにしてるから仕方ないのだが、護衛であるコロナは適度に戦わないと戦闘勘が鈍ってしまうらしい。

 だから良い機会だとこの場を借りて徹底的に戦っていた。

 自分の中でコロナはかなり上位に来るぐらいの強さだったのだが、一対一にも関わらず模擬戦の相手はコロナを圧倒していた。

 これが対戦相手がイワンやディエルなら納得も出来るのだが、良く知らない傭兵に負けるコロナを見るのはちょっとショックである。

 もちろん彼女に愛想が尽きた訳ではない。ただ世の中にはまだまだ強い人はごまんといるんだな、と自分の世界の狭さを思い知る結果となった。


「ほぉ、コロナが負けるか」

「トライデントって層が厚いってほんとに実感したよ」

「傭兵ギルドの上位の人も結構所属しているからね。切磋琢磨出来る環境は傭兵にはありがたいし」

「まぁ前半日程は大体そんな感じだったよ。初日から吐いたりして大変だったけど……」


 あまりのハードさに胃が食物を受け入れてくれなかった。

 しかし二日目からは無理にでもねじ込むことになる。食べなかった為初日よりも体力が続かず散々な結果になったからだ。

 ここでどれだけ疲れてようが食べれるようになるための特訓が追加された。傭兵に限らず冒険者も体が資本。

 一日三食決まった時間に正しく食べれるとも限らないためである。


「んじゃ後半は変わったのか?」

「うん。と言っても一日の前半部分は相変わらず走りこみで体力作りだったんだけど……」

「けど、なんだ?」


 後半日程になるとまず午前と昼過ぎまでは相も変わらずの走りこみ。

 しかし午後からは特訓ががらりと変わった。


「模擬戦……でいいのかなぁ。イワンさんとだけど」

「……勝負にならねぇだろ、それ」

「まぁ勝負するための模擬戦じゃなかったんだけどね」


 いきなり模擬戦やると言われ対戦相手がイワンだと発覚したら即逃げた。そして即捕まった。

 どう考えても死ぬと訴えたが、彼はこの模擬戦は戦闘訓練用では無いと言う。


「体力と並行して胆力作りだったのよ。精神力を鍛えるためだったの」


 この世界のトップクラスの実力を持つイワン。

 彼が放つ覇気や圧ももちろんトップクラスである。

 それを浴び続けることで恐怖を制御出来るようにするのが目的だったそうだ。


「『恐怖は無くせるものじゃない、だが打ち勝つことは出来る!』って言ってね。何度か死んだと錯覚したよ……」

「心が折れるのを身を以って実感しました……」


 この特訓に参加したのは自分とポチ。

 自分は純粋にヘタレな為、ポチは魔物であるが故に本能が強く、また若い個体なので自身よりも強敵に慣れていない為の選出だった。

 奇しくも主従コンビが恐怖を精神力で抑えこむために頑張る横でエルフィリアは別の訓練をしていた。

 だが彼女も強大なイワンの圧にやられたらしい。そのときは自分のことで手一杯だったので気付かなかったが。


「んでエルフィリアは何してたんだ?」

「私は魔法の練習でした。と言っても魔法そのものじゃなくて並行詠唱でしたけど」


 獣人や亜人の魔法は基本的に自己強化系列の補助魔法が殆どを占めるため詠唱そのものが存在しない。

 その為詠唱をする魔術師側からすれば彼らの存在は驚異でしかないのだが、一応無詠唱にしたりと工夫出来る点はある。

 今回エルフィリアがしたのは動きながらの詠唱だった。

 簡易的な魔法ならともかく、彼女のような純粋な魔術師クラスの魔法ともなると無詠唱はかなり難度が高い。

 その為動きながらでも詠唱が出来るようになれば、足を止めないまま戦えるので隙が少なくなるのだ。


「でも中々長年染み付いた癖とかは抜けなくて……最初は小石投げられただけで詠唱止まっちゃいました……」


 この辺は魔法を使う際に詠唱が無いこの場のメンバーでは理解しづらいのだが、エルフィリアが言うには魔法の詠唱はかなりの集中力がいるそうだ。

 その為動きながら詠唱をするということは、その集中力を維持したまま別の事へリソースを割かねばならない為難しかったらしい。

 とは言えそこはスパルタのトライデント。彼女の懇願も悲鳴もエルフの希少性もなんのその。

 最終的には色々はっちゃけ……もとい吹っ切れたエルフィリアは拙いながらも並行詠唱が出来るようにはなっていた。


「まぁレベルアップはした、ってことでいいのか?」

「俺以外の面々は目に見えた成果はあるけどね。まぁ訓練は続けるようには言われたし、今後も時間あるときはやるつもりだよ」


 どちらにしろ体力作りは自分が出来る数少ない伸び代部分である。

 腕力や剣の腕みたいな直接的に戦闘に関われる能力も色々やりたいところだが、残念ながら自分にそこまで器用なことは出来ない。

 仮にやるにしてもまずはしっかりと動ける土台を身につけてからになるだろう。


「でも胆力ついたのは良いぞ。恐怖は身体を鈍らせるからな」

「イワンさんのせいで感覚麻痺って無いか心配な部分あるけどね……。あぁ、でも精神力鍛えられたって言っても最終日のアレはグサグサと心えぐってきたなぁ」


 興味深そうに耳を傾けるドルンにスマホを取り出し一枚の写真を見せる。

 そこに映っているのはコロナ……ではなく、コロナの装備を身に纏ったハクだ。


「誰だこのミニコロナは?」

「妹のハクちゃんだよ。コロとそっくりだよねぇ、まぁ色々とサイズ合ってないけど」


 流石に最終日、つまりデミマールを出立する日は特訓は無かった。

 前日に全工程を追えトライデントの面々に礼を述べた後の大宴会。色々と暴走しかけるイワンをディエルが抑えているのももはや見慣れた光景になっていた。

 翌日のその日の朝はコロナを迎えに彼女の家に寄ったのだが、そこに現れたのが写真に写った格好をしているハクであった。


「コロに扮して自分が行くつもりだったみたい。もちろん全員に止められてたけど」

「そらまたなんでだ? この子も腕っ節試したかったとかか?」

「あー……それが……」

「ヤマルが家で振舞った氷菓が忘れられなかったみたいで。完全に餌付けされてたよね」


 連れて行けないと言った途端声は出さなかったものの大泣きされた。

 正直あれぐらいの歳の子に泣かれるのは中々辛いものがある。

 とりあえず慌ててコロナを呼びアイスの材料を買いに行かせ即席で作ったのだが、やっぱり誤魔化しきれるものでもなく最終的には自分の身体に引っ付く形でついてこようとしてた。

 まぁでもやっぱりいくら駄々こねても駄目なものは駄目なわけで。

 緊急家族会議を開きあの手この手でハクを説得しようと試みた結果何とか渋々頷いてもらえるに至った。


「鍛えたはずの精神力を簡単にぶち抜くとか、子どもってすごいよねぇ……」

「まぁヤマルの性格じゃ仕方ないだろ」

「あの顔見て無碍にしたら冷血漢って言われるよ……。あ、そうだ。魔煌石って届いたの? 少し早いかなと思ったけどそろそろ着く頃と思って戻ってきたんだけど」


 話題を切り替えるため本来の目的である話をドルンに振る。

 一ヶ月ほど前に頼んだ石はそろそろこの地に来るはずだ。

 とは言え現代日本の宅配便みたいにきっちり届くとは限らない。多少の誤差はしょうがないが、もし遅れているようなら道中何かあったかと不安になってしまう。


「あぁ、とっくに届いてもう彫金も終わってるぞ。普段は親父がやるんだが今後を鑑みて今回は俺が作った。親父指導の下だったがとりあえず及第点は貰ったから問題無いはずだ」

「え、もう? 届くの早くない?」


 割と余裕もって戻ってきたはずなのに、もう届いた上に彫金まで済んでるとか予想外も良いところだ。


「確かに早かったなぁ。何かどこぞのお偉方がせっついたとかそんなこと言ってたが」

女王様レーヌぅぅ……)


 そんなせっつかせるような事しそうなお偉方なんてあの子しかいない。

 本人的には気を利かせてくれたしそれ自体はありがたいんだが、巻き込まれた運送の人はたまったものではないだろう。


「まぁ明日現物取りに来い。しっかりと保管してあるからな」

「うん、ありがとう。思ったより早かったけどすぐ取り組んでくれて助かったよ」

「なぁに、気にするな。コイツの報酬分はきっちりしないといけないからな」


 コイツと言うのはドルンが掲げるビールジョッキ。

 この地にガラス製のジョッキを提案して一ヶ月ぐらいだが、周囲を見てもキンキンに冷えたラガーを飲むドワーフは増えているようだ。

 着実にファンは増えているようで、ラガーの製作者は増えた発注にてんてこ舞い状態になってるらしい。

 嬉しい悲鳴なんだろうけど、いきなり増えた注文に色々と戸惑っていそうである。


「あぁ、それとお前らの防具整備してやるから預かるぞ。流石に痛めつけすぎだ、それ」

「え、ほんと? 助かるよ。ドルンに見てもらえるなら安心だし、トライデントの一件で結構傷ついたからね」


 特訓もだがマッドにしこたまやられたときの損傷もある。

 壊れるほどでは無かったが一度見てもらいたかったとこだったし丁度良かった。


「ついでにヤマルの防具に少し手を加えたいんだが試しても良いか?」

「え? まぁ変に重くなったり動きにくくなったりしなけりゃ構わないけど」

「そこは大丈夫だ。改修じゃなくて補修だからな、まぁ期待して待っててくれ」


 うぅん、補修で試したいこと?

 何か新しい修理法でも思いついたのだろうか。

 とりあえずドルンに任せれば大丈夫だと判断し、その日は一頻り話し合った後防具を預け別れることにした。



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