第118話 クラン・トライデントの男
クラン『トライデント』と呼ばれる集団がある。
ギルド非公認のこの集団は獣亜連合国傭兵ギルド所属の元Sランクの傭兵が設立したものだ。
元Sランクなのはこの初代クランリーダーの傭兵の男が年齢と共に戦闘力が衰えた結果、Aランク降格間際に一線を引いてギルドを引退したからである。
この初代がクランを設立したきっかけは後進の育成や傭兵一人だけでは限界があると現役時代から常々感じたからだそうだ。
それが十年ほど前の事。
結果傭兵のみならず他の技能を持つものなど様々な人材が集まりこの国では知らぬ者はいないほどの存在になっていた。
ちなみに自分は知らない。ついでに言うとエルフィリアも知らなかったがまぁ例外だろう。
さて、どうしてこんな話になったかと言うとこのお店の
そしてどうしてそんなことを聞いたかと言うと少し離れた席で獣寄りの犬系獣人の男が真っ昼間から酒を飲んで大声で喚いているからだ。
完全に犬顔のその獣人は亜麻色の毛並みが特徴的だった。だがその色を持ってしても鋭い目つき……と言うか危ない目を隠しきれていない。
そんな彼の二の腕に三つ又槍のエンブレムが刺繍された腕章をつけており、そこからトライデント所属の傭兵の話になったのだ。
「まぁお客さんもあまり絡まれないように気をつけてくださいね」
「えぇ、そうしますよ。色々教えてくれてありがとうございます」
それでは、と頼んだランチをテーブルに置きウェイトレスさんは仕事へ戻っていく。
「でもクランってものがあったんですね。パーティーと違うのでしょうか」
「イメージとしては大所帯パーティーって感じがするなぁ。仕事に応じて人を選んでいくとか」
それなら固定パーティーでは出来ない柔軟な人選が出来る。
もちろん人数の多さから来る不都合もあるんだろうけど、今尚続いているということはそれだけ需要もあるんだろう。
「コロがいたら詳しく聞けたかもしれないけど……」
「今日はハクちゃんと遊ぶってお話でしたしね」
昨日のコロナ一家との食事会はとても楽しく過ごさせてもらった。
あの後自分とポチ、エルフィリアは宿に戻ることにしたのだが、その際今日はハクの方に付き合うとコロナが言ってたのだ。
コロナにとっては久しぶりの実家。そしてまたここを長期間離れる予定であるため、今の内に家族サービスをするようにと言っておいたためだ。
と言うわけで今日はエルフィリアとポチの三人でゆっくりすることにした。
普段より遅い時間に起き、ちょっと早めの昼食兼朝食を取るためコロナに教えてもらったオススメのお店に足を運んだ次第である。
「まぁ関わりあうことは無いでしょ。ここを拠点にするわけでもないし」
「そうですね。ウェイトレスさんも絡まれないようにって言ってましたから、目立たないようにしましょうね」
「だね。酔っ払いほどめんどくさい人種もいないし。さ、とりあえず食べよう。もうお腹空いちゃったよ」
いただきます、と両手を合わせると早速食事に取り掛かる。
朝ごはん抜いてるからややがっつくようになってしまうのは仕方ないだろう。
「あ、美味しい……」
「流石コロのオススメかな」
料理自体は値段の割に味は満足のいく出来だった。
自分は肉系、エルフィリアは野菜系のランチをそれぞれ頼んだのだが、どちらも美味しいと言うのだからこのお店のレベルが窺える。
足元に座ってたポチにもお肉を切り分け食べさせてあげた。肉を口に含んだ瞬間千切れんばかりに尻尾を振るポチを見る限り、どうやらとてもお気に召したようである。
なんかデミマールに来てからと言うもの美味しいものばかり食べている気がする。
もしかしたらこの国の食事が自分の舌に合ってるのかもしれない。
そしてエルフィリアと他愛ない話をしていても、件の犬獣人の声が否が応でもここまで飛んでくる。
『それでよぉ……俺がこんなに頑張って強くなったってのによぉ……!! あいつは知らん間に変な男に騙されて……!!』
『お前らも分かってくれるか?! そうだろ! 昔のあいつならあんなことなんて無かったんだ! 幼馴染の俺が言うんだから間違い無いはずだ!』
周囲の同じ腕章を着けた人達が彼を宥めるようにうんうんと話を聞いているものの一向に治まる気配は無い。
どうやら話の内容から察するに昔から好きだった子が別の男とくっついたとかそんな感じだろう。
確かに自棄酒煽りたくなる気持ちは分からなくもないが、こんな昼間から周囲に迷惑かけるのは勘弁して欲しい。
「何か大変そうですね」
「まぁ同情はするけど関われないからなぁ」
人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られてなんとやら、と昔の人は言ってたし。
邪魔するつもりは更々無いが首を突っ込むつもりはもっと無い。
「とりあえずご飯食べたら街歩こうっか。行き先決めずぶらぶらするのも楽しいかもだし」
もう少しのんびりしていたかったが仕方ない。
ご飯は美味しいしあの一団以外の客は普通だから本来は良いお店なだけにちょっと残念だ。
そして全て食べ終えては立ち上がるとウェイトレスに向けて手を挙げる。
「すいません、お会計お願いしますー!」
「あ、はーい!」
パタパタとやってきた彼女にお昼の会計を手早く済ませる。
今日は最初から少しケチがついてしまったがまだ許容範囲。とりあえず街を歩き何か良い店なりなんなり見つけ……。
「ああぁぁぁ?! てめぇ、よく俺の前に姿現せたなっ!」
突然の怒鳴り声と共にびっくりしてエルフィリア共々体が萎縮する。
見るとさっきから騒いでいた獣人がこちらを指差しそのままどんどん近づいてきた。
「あの……?」
周囲の客も店員も何事かと見ているが、それこそ自分が聞きたい。
眼前までやってきたこの獣人は自分より背が高く、こちらを見下ろすようにその双眸を怒りに滲ませている。
歪んだ口許からは尖った犬歯が覗き見えており今にも食い千切らんとばかりに主張している。
正直ものすごく怖い。
「マッド! 一般の人に突っかかるのやめなよ!」
「うるせぇ! こいつだ……こいつが俺から何もかも奪ったんだ!」
酒臭い口からそんな言い掛かり言われてもなんのことかさっぱりだ。
そもそも話の流れからこの獣人の好きな奴を自分が奪ったと言うことになる。
しかしそんな覚えはない。そもそも自分には特定の相手なんていない。
と言うかむしろこいつが誰?なレベルだ。自分の記憶にはこんな獣人の知り合いはいない。
この街の知り合いなんてコロナの一家と後はレオ達しかいないのだ。この交遊関係ではどう頑張ってもこの獣人が言ってるようなことは起こりようがない。
「あの、人違いでは? そもそも自分がこの街に来たの先日ですよ」
「なら決まりじゃねぇか。フードの女とチビ犬を連れたいかにも弱そうな黒髪の人間なんてお前以外そうはいねぇぞ」
確かにその特徴なら自分も合致するが些か暴論ではないか。
しかしこちらの話も聞く耳を持ちそうにないこの酔っぱらいをどうしたものかと思っていたそのときだった。
「ぇ」
急に視界が回る。
今までの店内の風景が急に歪んだと思った直後、激しい音と共に背中と右の頬に激痛が走る。
殴られた、と理解するまで数秒を要した。それほどいきなりのことであった。
視界の端には殴られた際に巻き込んだ椅子やテーブルが乱雑に横に転がっているのが見える。
「ヤマルさんっ?!」
「どうした、立てよ? てめぇそれなりにやれるんだろ?」
なんで、いきなり……と声を出そうとするも口が動かない。
混乱する頭と目の前の恐怖に体が萎縮してしまったのだろうか。
起き上がることも出来ず声を発することもない。
それを見たマッドと呼ばれた獣人は近づくとこちらの首を掴み片手で軽々と持ち上げた。
「ぐ……ぁ……」
「どうした? それでもあいつ従えてる人間か? あぁ、弱くなったところを都合良く買ったとかならまぁ話は通じるなぁ?」
宙ぶらりんの体勢では録に力を入れるとこも出来ず、首を掴む手の力も強く声を出すどころか息も出来ない。
じたばたもがくこちらを見ては嘲笑で顔を歪めたマッドは反対の手で躊躇なく振り抜いた。
着弾箇所は自分の腹。防具の革の鎧を歪ませ、まるでそれが無かったかのように衝撃が走る。
ミチミチと肋骨や内臓が嫌な悲鳴を上げ苦悶の表情を浮かべては不意に体が解放された。
急なことと腹部の痛みで受け身を取ることも出来ず床に倒れ込むと同時に先程食べた食事を盛大に吐き出す。
「う、おぇ……げほっ!」
「おいマッド! いくらなんでもやりす、ぎ……」
「あ、お前いつ俺に意見出来るほど……なんだ?」
ずしり、と横で何か重いものが乗ったかのように床が軋む音がする。
涙目と苦悶で視界が定まらない中、端の方に見覚えのある前足を捉えた。
「う゛う゛ぅぅ……!!」
「せ、戦狼?!」
聞き覚えのある唸り声に自分に流れてくる憤怒の感情。間違いない、ポチがキレた。
いきなりの魔物の登場に今まで成り行きを眺めていた周囲の人々が一気に店の端まで逃げはじめてるんだろう。慌しい音から皆が退避しているのが容易に想像出来てしまった。
中には外まで逃げた人もいたかもしれない。
このままではまずいと思い力が入らない体に鞭を打ち何とか起き上がろうとしていると、エルフィリアが慌てて自分の体を支えてくれた。
その拍子にフードが外れ彼女の特徴的な耳が露になる。
「魔物にエルフ……いや、商品か?」
「あ……?」
「なるほど、そんなナリで奴隷商だったわけか。くっく……わざわざ自分から殴られる理由出してくれるたぁ嬉しい限りだなぁおい」
とりあえず今にも飛びかからんとしているポチの毛皮を掴み静止させる。こんなのでもポチが手を出したら事が大きくなりすぎる。
しかしこいつは本当に何を言っているんだ。
いきなり訳も分からないまま殴り掛かってくるとか酔いのせいだけではない。
明らかに自分に対し明確な敵意を持っている。
「まぁ犯罪者がこんなとこ来るからこうなるんだよ。大人しくてめぇの罪を悔いてそのエルフ共々あいつを解放してもらおうか」
「何ですか、さっきから……! ヤマルさんが何したって言うんですか……!」
気丈にも声を震わせながらエルフィリアが反論するも目の前の男には全く届いてない。
むしろ憐れみの目を彼女に返すほどだ。
「騙されてるのか知らんだけなのか……ともあれその犯罪者から離れろ。さもなくばお前もそいつと同類とみなすぞ」
「い、嫌です! こんなに怪我してるのに放っておけるわけ……」
「エルフィ、ポチが何もしないようしっかり見てて」
こちらを庇う彼女の言葉を手で遮り、ふらつく体を強引に立たせ彼女からゆっくりと離れる。
何か言いたげだったエルフィリアも口を噤んでは大人しくポチの所へ寄っていった。
「お、どうした? 大人しくする気に……」
「…………せ」
「あ?」
こいつもか。
「取り消せ……」
この世界に呼ばれる前のことがフラッシュバックする。
「犯罪者が何言って」
「取り消せ!!」
——アンタみたいな犯罪者、とっととこの世界から消えてなくなればいいのよ!
「人を勝手に犯罪者呼ばわりして……あいつも、お前も……」
だが言葉は続かない。
パァン!と言う音と共に鼻っ面に衝撃を受け顔が跳ね上がる。
拳が見えなかったが顔面を殴られたのだけは理解した。鼻っ面に良いものを食らったようで、生暖かい液体がボタボタと顔と床を汚していく。
だが倒れない。後ろに数歩たたらを踏むも全力で倒れることを拒否する。
「お、今度は耐えたか」
勝手な思い込みで決め付けて、人の人生めちゃくちゃにしようとする奴。
そしてこんな自分に付いてきてくれてる人を傷つけようとする奴。
「なんだその目は?」
こいつは——『敵』だ。
「ぐっ?!」
「どうした、反撃したそうな目だったから寄ってやったのに何もしないのか?」
ふらつく体では、いや、例え万全だったとしても無理だっただろう。
相手が酒を飲んでることを加味しても自分じゃ対応出来ない速さ。そして大の大人を片手で持ち上げる腕力。
再び首を捕まれては強制的に地面から足が離れる。
その腕を両手で掴むもびくりともしない。圧倒的な身体スペックの差が如実に現れている。
息が出来ず徐々に死と言う単語が脳裏に過ぎったときふと、前にもこんなことがあったことを思い出した。
あの時はどうやって切り抜けただろうか。記憶の糸を手繰り寄せあまり思い出したくない当時のことを蘇らせる。
そしてその時と同じ事をするべく、マッドの手を掴んだ右手をそのまま眼前へ突き出した。
もちろん彼とは身長差があるので全然届かない。が、それで構わない。
「残念だったな、何したいか知らないが全く届いぶほっ!?」
手の先から思いっきり《
以前から練習していた無詠唱ならぬ無言での発動。
そもそも普通の魔法だって詠唱無しでいける技術があるんだから、《
普段ほど気楽には使えないがまさかこういうときに役立つことになるとは予想していなかったが。
「てめぇ……」
ボタボタと全身から水を滴らせ怒りに表情を歪ませるマッド。
だがこれで終わるつもりは無い。
「ぐぉっ!?」
すかさずマッドの腕を掴んでいる反対の手から《
今度はちゃんと足から着地するも力が入らず倒れこみそうになるが尚もそれを拒否。
近くのテーブルに手を突き膝が折れそうになるのを辛うじて堪える。
「な、何しやがった……」
やはりこの世界には電気の概念は無いようだ。
多分相手には自分の身に何が起こってるか分かってないだろう。
だが戦狼にすら効いたこのコンボもあの獣人を倒しきるには至らなかったらしい。
ダメージは少なくとも体の痺れはあるだろうに、向こうも倒れそうになるところを腰に梳いたロングソードを抜きそれを杖代わりとすることで何とか耐えていた。
「っ!?」
ヒュ、とマッドの剣が横薙ぎに振られる。
今までと違い痺れは効いていたため剣閃そのものは目で追えたものの体が思うように動かない。
結果左の頬からも生暖かいものが流れ出たのが分かった。
左頬を斬られ、鼻から血を出し、殴られた右頬が熱を帯び服に自分の吐しゃ物。今の自分はきっとひどい事になってるだろう。
しかし何故か痛みをあまり感じなくなってきた。アドレナリンが出ているせいか、単にそろそろ体がやばい段階に入っている為かは分からないが今は都合が良いとそれを受け入れる。
「マッド!」
流石に剣を抜き振るったのを見て仲間と思しき獣人が彼を止めに入るも、その人らに向けても剣を振るい近づかせるのを拒否する。
今更もう止まらないだろう。と言うか止めるなら最初から全力で止めろと心の中で悪態をつく。
「《
親指ほどの氷を右手に生成し、それをマッドに向けて投げつける。
だがただでさえ弱い力が今の体のダメージではまともに飛ぶはずも無く、力なく飛んだ氷の礫は相手の体にコツンと当たり床に落ちた。
「あぁ、なんだそれは?」
もはやダメージの無いこの程度の物すらうざったく感じているのだろう。
落ちた氷をマッドが足で踏み抜くと砕ける音と共に氷は粉々となる。
(よし、氷と認識したな……)
再び氷を生成しマッドへと投げつけるが、やはり先ほど同様にゆるい山なりの放物線を描き飛ぶだけだった。
眼前に飛んでくる氷をもはや避けるまでもないと判断したようで、その大きな犬の口を開け今度は噛み砕こうとしている。
そしてマッドの口に氷が入り、そのまま噛み砕こうとその口が閉じられる直前のことだった。
——吹き飛べ。
(《
瞬間、氷が爆ぜる。
爆発音と共に閉じかけた口が強制的に開放され、衝撃を直で受けたマッドの顔がまるで弾かれるように後ろに吹き飛ぶ。
いきなりの爆音に自分以外の面々が驚き、頭を伏せる体勢を取っているのが視界の端に見えた。
「ぅ……ぁ……」
そして視線の先、うめき声を上げ仰向けに倒れているマッドの姿を発見する。
やはり獣人、予想通りとは言え頑丈な体をしているようだ。
あの爆発も火を伴うものではなく衝撃が強いタイプだから原型は留めていたが、それでもかなりのダメージはあったらしい。
一目見ただけでも下顎部分は変な方向を向いているし、大きく開いた口からは牙が何本も抜け落ちているのが見て取れる。
(あー、くそ。こっちもフラフラする……)
頭を抑えると手にべったりと頭についた血が移る。
あの獣人、いきなりしこたまぶん殴りやがって……。ようやく止まったものの未だ腹の虫が収まらない。
「ヤマルさんっ、あの、今すごい音が……!」
「あぁ、うん。それは大丈夫……。ポチもよく我慢したね」
「う゛ぅ……!」
しかしポチもまだ腹に据えかねてるようだ。
本当にこの獣人どうしてくれようかと見下ろしていたそのときだった。
入り口が大きく開かれ見知った人物が室内に飛び込んでくる。
「これは……」
店内の様子に驚く一人の女の子。
そこには普段の傭兵の服装ではなく普段着を身に纏ったコロナの姿だった。
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