第31話 《薬草殺し》の実力6


「どう、苦しくない?」

「ん、大丈夫。多少きつい方がいいと思うし」


 現在の場所は先ほど作戦を練った高台の下、つまり崖のまん前だ。

 壁を背にするようにして前を見るも未だ敵の姿は見えない。ダンとユミネが誘導中のはずだが直にやってくるだろう。

 そして現在、自分はフーレにロープを結んでもらっているところだった。胴体に巻きつけるようにしたロープは崖上にいるラムダンのところから伸びている。


「わん!!」

「……来たわね。任せたわよ」

「ん、がんばる」


 上にいるポチの鳴き声。そして姿はまだ見えないが何かを凪ぎ倒すような音がここまで響いてきた。

 フーレがその場を離れラムダンらの所へと向かっていく。一人残された状態だがこれも作戦だ。


(タイミングしっかりしないと……)


 ラムダンは失敗してもいいから気楽に、とは言ってくれたが、折角ここまでやってくれたのだ。是が非でも成功させたい。

 予定通り事が進んでいれば正面からラッシュボアが来る手はずになっている。事実、音だけではなく視線の先には木々が揺れ砂煙が舞い上がっているのが見えた。

 程なくしてダンとユミネ、そしてその後方に大きな猪が見えた。アレがラッシュボアだろう。


(うわぁ、こっえぇぇ……)


 今すぐにでもラムダンらの場所まで避難したい衝動が体を駆ける。あんなのとこれから対峙するかと思うと、三十分前にアホな提案なんて言わなければ良かったと後悔してしまいそうだ。

 心の中で泣き言を言いつつ視線は逸らさずに正面へ。何かアレから目を外したとたん襲ってきそうで逸らせなかったが正しいが。

 そんな離れた位置で恐怖に震える自分とは逆に、果敢に役割をこなすダンとユミネ。

 当たれば確実に吹き飛ばされるであろう巨体を前に物怖じすることなく右に左に交互に回避する二人の誘導は見事と言うしか無かった。

 ジグザクにラッシュボアの前を横切り魔物の進行方向を上手く操作している。

 自分ではあんなことは出来ない。もし今後同じのを相手にするなら何か手を考えなければならないだろう。


「そっち行かせるぞーー!!」


 ダンからの合図に手を振ることで了解の意を返す。

 そしてこちらの真正面を向くように誘導すると同時、ダンとユミネがラッシュボアに対し左右直角方向に飛びのいた。

 そしてラッシュボアの視線の先には弱そうな獲物……つまり自分が映し出される。


「ぶもおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 巨大な嘶きと共に一直線にこちらへと向かってきた。

 殺意と圧力が半端ではない、少しでも気を抜いたら恐怖で膝から崩れ落ちそうになる。

 だがこんな自分を信じてくれた皆のためになけなしの勇気を振り絞った。この作戦はタイミングが命だ、目を背けるわけにはいかない。

 安全とは言えないが対策はしたのだ、後はそれを信じるしかない。


(来い……!!)


 まるで大型トラックや電車が突っ込んでくるようなイメージが頭をよぎる。某昔のドラマの主人公がトラックの前に飛び出したときもこんな感じだったのだろうか。

 そんな嫌なイメージを無理やり追い出し、後ろの崖に対して左手を突き出した。手の平からはひんやりとした土の感触が伝わってくる。


(もう少し……)


 未だ完全に拭えぬ恐怖、足が震えるが絶対に折れるわけにはいかなかった。

 そしてついにその瞬間が訪れる。


「ヤマル、やれ!!」


 ラムダンからの合図、即座に魔法を発動させた。


「《生活魔法+ライフマジックプラス土と水マッドシンク》!」


 ゴポリ、と左手に触れているものの感触が魔法によって変えられる。だがその効果を確かめる時間は無かった。

 発動と同時すぐさま身体が上に引き上げられる。ラムダンら三人が上からロープで自分を引っ張りあげているのだ。

 胴体にかかる急激な負荷に顔をしかめながらすぐさま正座するかのように足を折りたたむ。

 直後、自分の靴の先をラッシュボアが掠め前のめりに体が傾いた。更に締まる胴体のロープに「ぐぇ」とカエルを潰したような苦悶の声が漏れる。

 そしてラッシュボアが自分が先ほどまでいた場所を通過。勢いそのままにその巨体が崖へと突き刺さる。

 いや――


 ドプンッ!!


 聞こえたのは硬いものが当たる音ではなく、半ば水音のような何かが沈む音。同時に自分の体に冷たいものが降り注ぐ。

 体が上下逆さまの状態のまま音のした方を見ると、

 それも普通ではない。その姿は泥沼に頭から突っ込んだと形容するのが正しいだろう。事実辺りには突撃の衝撃によって泥が飛び散っていた。

 唯一表に出ている尻がもどかしそうに左右に揺れていた。ラッシュボアの弱点、それは前進方向特化の弊害により後ろに進む力はあまりないのだ。


「降ろして下さい!」


 作戦はまだ終わってない。ロープが緩まり自由落下のように地面に着地――もとい落下した。ベシャリと音を立てつつ顔面から落ちるも何とか腕で顔を庇う。

 四つんばいの状態から即座に立ち上がるも落下の衝撃が残っているのか若干たたらを踏んでしまう。が、事は一刻を争うため歯を食いしばって倒れるのだけは防いだ。

 そして一部が泥と化していた崖に再び手を当て魔法を発動させる。


「《生活の氷ライフ・アイス》」


 泥と化していた崖の一部が魔法によりその水分が瞬時に冷やされ氷となる。

 溢れ出そうな泥もそれによりその動きを止めた。ラッシュボアは未だ動いているが、水分が固定化されたためかその動きは先ほどより明らかに鈍い。

 後はラッシュボアが窒息するのを待つだけだろう。


「はあぁぁぁ…………」


 二、三歩その場から下がっては大きく息を吐き地面に力なく腰を下ろす。

 作戦が無事成功したこと、そして目の前の魔物の恐怖から開放された二重の安堵感から力が抜けてしまった。

 全身にかかった泥の冷たさと冷や汗から思わずブルリと身を震わせる。


「上手く行ったかー?!」

「おー」


 最初にこちらに駆けつけたのはダンとユミネだ。後ろから近づく彼らに片手を挙げ成功したことを告げる。

 今回取った作戦は当初の撃退案の一部を変更したものだ。

 ダンとユミネによってラッシュボアを誘導するまでは一緒だが、最後の討伐部分を自分の魔法に変更させた。

 使う魔法は《土と水》からなる泥化魔法。耕した土に水を加えることでその部分が泥沼のようになる。多分本来は水田あたりを作る魔法と思われる。

 それを地面ではなく崖の一部に対して使った。直前まで待ったのは沼と違い真横に作るため、早く発動させると泥そのものが流れ出てしまうからだ。

 後はラムダンら残りのメンバーがロープで自分を引っ張り上げる。そうすることで自身の回避とラッシュボアを崖に突撃させるのだ。

 上手く泥にはまった後は最後に水分を凍らせて終了。同じ《生活魔法》で作ったもののため即座に凍った泥はラッシュボアの拘束と泥が溢れ出すことへの対策を同時にこなしてくれた。

 この魔物がそもそも前進以外への方向に弱かったのも利点だった。これが戦狼なら多分こんな氷など割って出てくるだろう。そもそも泥にはめれるような相手ではない。


「お疲れ様です、大丈夫でしたか?」

「んー、何とか……。二人も誘導凄かったね、お見事としか言いようがないよ」

「ありがとうございます。でもヤマルさんもお見事ですよ。こうして成功させているんですから」


 ユミネにありがとうとお礼を言いようやく立ち上がる。だがまだ足が震え力が入らない。

 それでも目の前には自分の……いや、自分たちの成果があった。そろそろ息が苦しくなっているのか、突き出されているお尻の動きが小刻みに激しくなっている。


「お待たせ、私の出番無かったねー」


 そして上で自分を引っ張り上げてくれていた残りの三人とポチが合流した。

 出番は無いとスーリは言っているが、失敗したときは攻撃性能の高い三人が上からすぐさま降りてくる手はずになっていた。

 あくまで結果的に出番が無かっただけであり、保険としては十二分に意味はあった。


「まぁ無くて良かったよ。あったらそのときは俺が窮地なわけだし……」

「でもすごいわね。ラッシュボアほぼ無傷でしょ、これ。そんなの初めてよ」

「まぁヤマルの作戦勝ちってやつだな」

「いえ、皆さんが協力してくれたから……。大体俺だけじゃ絶対無理だし」


 詰めの部分をやったのは確かに自分だが、だからと言って自分だけの手柄な訳が無い。

 崖に対して垂直に突進するように誘導してくれた人がいるから成功した。自分では誘導中に間違いなく轢かれているだろう。

 魔法を使った直後に回避できるよう引っ張ってくれた人がいたから成功した。自分では身体能力の差で通常の回避すらままならなかっただろう。

 何より拙い作戦案を修正してちゃんとしたものにしてくれたから成功した。自分ではまだ作戦に穴があったためそのままだったら失敗しただろう。

 他にもきっと見えない部分で助けてもらっているから成功した。自分一人だけじゃ絶対こうはいかなかっただろう。


「だから皆の勝ちだと思いますよ」


 言ってからなんかクサいこと言っちゃったな、と思い顔が熱くなるのを感じたが、それでも笑みが零れるのを止める事はできなかった。



 ◇



「さて、どうするかな」


 ラッシュボアが完全に動かなくなって十数分。

 一応まだ生きている可能性を考慮しフーレが剣で尻を突くも特に反応は無かった。多分窒息死したと思われる。


「これだけ大きいと運ぶの大変ですよね」

「だな。義兄貴、どうする? バラしちまうか?」

「えー、でも勿体無くない? 折角だから丸ごと持ち帰ろうよ」

「フー姉ぇ、持ち帰るってこれかなり重いよ……?」


 全部持ち帰りたいものの、物理的に不可能に近いため諦めるしかない。そんな考えが場を支配し始めた頃、ラムダンが首を横に振る。


「いや、これだけの成果だ。最低限の処置をやって持ち帰ろう」


 まさに鶴の一声。彼の決定によりラッシュボアの運搬が決定した。

 決定したのだが……本当にこれを王都まで運ぶのだろうか。物言わぬ肉の塊となった目の前の魔物は、言うなれば車輪がついてない自動車のようなもの。

 血抜き等はするだろうから多少は軽くなるだろうけど全部となると……。

  

「ダン、ユミネ連れて一度戻って荷馬車を調達してきてくれ。今戻れば明日の朝には山の麓までには来れるだろ?」

「分かった、いつもの業者でいいよな。義兄貴、それとポーション一つ貰っていいか? さっきので枝で足少し切っちまってさ。問題あるわけじゃないけど走るなら治しておきたい」


 分かった、とラムダンは自分の背嚢からポーションを一つ取り出しダンへと渡す。

 あ、と思い見るとあれは今朝方自分が作ったポーションだ。早速実験台一号……もとい感想が聞けそうである。

 そうとは知らずダンは特に警戒することも無く足の切り傷にそのポーションを使用する。沁みたのか少しだけ顔をしかめるがどうやら普通に治ったようだ。

 足の調子を確かめるためか軽くその場を跳ねている。


「治ったか? 何か違和感とかは?」

「ないな。別にいつも通りだろ? んじゃま行ってくるわ!」

「なるべく早めに来ますね。ヤマルさんもお気をつけて」


 そう言うと二人は連れ立って山を降りていく。ラッシュボアのときも思ったがあの二人の足はやっぱり速い。

 単純な速度面もそうなのだが、軽快と言う言葉がしっくりとくる。木々の合間を縫いまるで山道じゃないように走る姿がその証拠だ。


「でもこれどうするんですか? 明日ってことはそれまでこれを移動か見張る必要がありますよね」

「まぁこの体型だから転がしながら、ってところか。できれば街道沿いのとこまで行ってそこで一泊が望ましいが……」

「何せコレ、いつもバラバラだもんねぇ……。丸ごと持ち帰ってた人殆どいないんじゃない? いたらその方法聞きたいよね」


 とりあえず埋まったままではどうにもならないので掘り出すことになった。

 《生活の氷》で固まっていた土を《生活の火》で泥に戻し全員で引き抜こうとする。が……


「重ッ?!」

「もう一度タイミング合わせて引くよ! せーの……!!」


 引き抜くだけで格闘すること三十分。とりあえずラッシュボアの全体が抜けたがものすごい重労働だった。

 腕力が無い自分とスーリが四つんばいで息を切らせる中、ラムダンがどうしたものかと頭を掻く。


「とりあえずこの場でやれることはするか。スーリとヤマルは少し休憩してていいぞ。フーレ、手伝ってくれ」

「わかった」


 スーリと並ぶように崖を背もたれにして地面に座り、ポチを膝の上に乗せてラムダンらの作業を眺める。

 しかし本当にどうしたものか。あの重さではダンとユミネが加わっても運ぶのには絶対苦労する。

 荷馬車に乗せればそうでもないかもしれないが、こんな山中に馬車が入ってこれるはずがない。なんとかしてあれを山の麓まで運ぶ必要がある。


「どうしようね、あれ」

「ほんとどうしたもんかなぁ……」


 ラムダンは丸いから転がしながら、とは言うもののあれは最初の回転だけでも苦労しそうだ。牙とか取っ掛かりもあるわけだし。

 何よりずっと下り坂というわけでもない。目標とする街道と山の麓は平坦な大地だ。

 これが日本ならどうやっただろうか。仮にあれが大破した軽トラと仮定して山の中から出すとすると……。


(絶対に人手と重機がいるな……)


 初手で手詰まりだった。ラッシュボアに車輪でもついてれば少しはマシになるものだがそんなものはない。

 もちろん周囲に木と言う材料はあるが製作は難しいだろう。

 ならアレを何かの板に乗せて下に丸太を噛ませるか? もしくは板無しでそのまま丸太の上を転がせば……。

 だがそれも却下だ。均一とまではいかなくても同じ太さの木が必要になってくる。手にあるのは武器であって工具ではないのだ。


(少し頭冷やすか……)


 ラッシュボア戦からの興奮していた気持ちもようやく下降傾向になってきた。考えも煮詰まってきたため一度脳内をリセットする。

 《生活の水》で手から水を出し口に当て直接喉に流し込む。冷えた水が火照った身体には心地良い。


「あ、一人でズルい。私にも頂戴」

「良いけどカップ持ってる?」

「え、いいよ直飲みで」


 その言葉に顔が赤くなりかけるも彼女は特に気にした様子もない。極自然と、当たり前のような表情だ。

 多分いつもこんなことしてるんだろうなぁ、と自分との常識の差異を感じつつ、手を差し出し魔法で水を生み出す。

 こちらの手を取り水を飲むその姿はまるで猫のようだ。ただスーリの口が手に当たるのでそんな暖かい気持ちで見れないのだが。


「ぷはー、うまいっ!」

「何か酒場の酔っ払いみたいだよ、それ……」

「えー、それヒドくない?」


 ぷぅ、と頬を膨らます仕草は可愛いのだから、先ほどの酔っ払いもどきはやめればいいのになぁと心の中で苦笑する。

 そして《生活の氷》で一口大の氷を作りそれを口に放り込む。コロコロと飴玉のように口の中で転がしていると、スーリが何故かこちらをじーっと見つめていた。

 何だろうと横目で見ていると彼女は徐に立ち上がる。 


「それ! その手があったじゃない!」

「ん?」

「だから氷よ氷! さっきのラッシュボアのときみたいにやればいいのよ! ちょっとお義兄ちゃんに相談してくる!」


 そう言うとスーリは『お義兄ちゃーん!』とラムダンを呼びながらあちらへと駆け出していく。

 何のことだろう、と一瞬思うも、氷と言うワードにピンときた。

 

「あぁ、そういうことね」


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