言葉選びの天才・シェイクスピア

(1)不自然な「自然」


 最後にシェイクスピアが行ったトリックを二つ見てみる。


アーノルド・ケトルの『「リア王」の人間性』によれば、この作品において“自然(nature)”という語が約100回使われているらしい。


 これを知って、私もこの語をチェックしながら再読したところ、面白いことが分かった。この語に関してはあらゆる学者が注目しており、この語の意味を幾つかにジャンル分けしている人も少なくない。例えばジョン・F・ダンビーは『シェイクスピアの自然の教義』の中で、この語を「恵み深い自然」と「邪悪な自然」に分類している。しかし、この分類は非常に大雑把なものと感じる。そこで私が考えた“Nature”の意味を紹介したい。


 まず第1幕第1場であるが、ここではリアは娘たちに対して、過剰に「自然」を繰り返す。「親の自然な愛情と子としての自然な孝心が合致したところに」というように。この1文からもわかることだが、明らかに「自然」の使い方が不自然である。

 この語がなくても、文は成立するのに、リアはあえて「自然」を繰り返している。また、フランス王に対して「自然の女神さえわが子と認めるのを恥じる不人情者(コーディーリアのこと)より、もっとましな女人をおさがしくだされい。」という。

 この点などからもわかるように、リアは主に(特に前半では)娘に対してや、娘に関する話題を述べるときに、この語を口にする傾向にある。ここからも、リア親子が「自然な」親子関係を結べていないこと、「自然な」愛情の受け渡しが出来ていないことが読み取れる。なぜなら、前述したような数量的価値などを排除した無償の愛が存在していれば、それが「自然」であるのだから、わざわざ「自然」と言う必要はないからである。またここで、リアはもう一つ間違った概念を抱いている。リアは、娘が自分を何よりも一番に愛することを「自然」と思っている。だからコーディーリアの言う「結婚による夫への愛」を認められないのである。


 対照的に、これらのことが理解できているフランス王は「(コーディーリアの罪は)不自然極まるものに相違なく」とリアに返しているのも面白い。


 また第1幕第2場で、エドマンドが登場した時の台詞は「自然よ、あんたこそ、俺の女神だ。あんたの掟にだけは従う。」である。ここで疑問に感じるのは、庶子として「不自然」に生まれたエドマンドは、本来「自然」を一番憎んでもおかしくない存在である、ということだ。しかし彼は、自分の不自然な生まれを受け入れたうえで「嫡子にとって代わって上になる」ことを切望する。 


 一方、彼の父グロスターは「自然の学問」、「人の世の自然」、「自然の正道」というような、「一般論としての自然」や「環境としての自然(現象)」としての意味で「自然」という語を使用している。また、エドマンドが父グロスターの人間性を批判している台詞の中で、以下のように述べている部分がある。

「(グロスターは)運が向かなくなると、いや、大抵は自業自得にすぎないのに、災いを太陽や月や星のせいにする。悪党になるのは大自然の必然・・・(略)、といった塩梅だ。」

 この台詞はグロスターの欠点を端的に表している。つまり、悪党(もしくは悪党の思想)を生み出す必然性を、自然現象一般に還元してしまっているのだ。

 エドマンドが庶子であるコンプレックスをもち、エドガーに罪をなすりつけてしまうのは、元はと言えばグロスターの子に対する無関心に起因するのだが、グロスターはその無関心自体自覚することなく、自然現象一般に解消してしまうのだ。彼はエドマンドを信用し、遂には両目をも失ってしまう。 


 リアは本物の愛を知ることと引き換えに理性を失い、狂気に陥った。一方、グロスターは盲目になることでエドガーに対する信頼を取り戻す。第4幕第1場でグロスターは「目が見えていた時には、つまずいたものだ。今はよくものが見える。(略)可愛い倅エドガー、おまえは欺かれた父の怒りの餌食だった。命ながらえおまえに触れてみる事さえできたなら、わしは両の眼を取り戻した、と言おう。」という。文字通り、リアとグロスターは「真実だけを持参金にする」(第1幕第1場のリアのコーディーリアに対する台詞)形となったのである。ここでも、この二人の劇的対位法は秀逸な形で表れている。


(2)名無したち・コーディーリアの名前の意味


 名前に関して触れておく。道化に名前がない事は前述した。他にも侍医・隊長・紳士・伝令には名前がないが、彼らは誰かに与えられた仕事をこなしているにすぎない。つまり、その命令を下した人物の意思を反映させているから、わざわざ名前が付いていないのである。故に彼らの言動をみる際、彼ら個人の意見として捉えるのではなく、彼らの背後にある人物の思想だ、と捉えるのが妥当であろう。


 最後にコーディーリア(cordelia)の名前について、渋谷治美が『リア王と疎外』の中で示した考えを紹介したい。“Cor”はラテン語で「心、理解」、“de”は「~から」、“lia”は“Lear”に通ずるとしている。つまり彼女の名前の意味は「父王リアの心」である。

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