母親不在の意味

 ここまで考究してきて、この悲劇の悲劇たる由縁が、単にリアの長女・次女、若しくは庶子の弟のせいばかりだとは言えないことは指摘しえる。

 しかしここにきて疑問は残る。“どこかで悲劇は食い止められたのではないか”、と。

 例えば前述したように、フランス王は、リア及びバーガンディ公とは対照的な人格として設定されている、またオルバニーのように、リアやゴネリルに反対意見を述べる人物も設定されている。ならば、彼らを積極的に介在させ、この悲劇を食い止める方向性も模索しえたはずだ。しかし悲劇はより深化してゆき、破滅へと向かっていく。


 ここにおいてカギを握るのは、「リア一家もグロスター一家も母親(妻)がいない」、ということである。(リアの妻は、リアの発言からすでに死亡していることが分かっている。グロスターについては私の力ではわからない。)

 どういうことか。

 父であり王であるリアは、政治的判断力はおろか、娘のことさえわかっていない。だから私は想像する、もしリアに妻がいたら、もしリアの隣に娘を真実の目で見て、かつ愛を数などに変換せずとも無償に、正しい方法で与えられる存在がいたなら、と。グロスターについても同様である。エドマンドのことを何でもない存在と思わない人物がいたなら、と。

 勝手な想像ではあるが、このような悲劇をつくるにおいて母親という存在を登場させると、悲劇は悲劇足りえなかったのだと思う。


 シェイクスピアは、この作品ではわざと母親という存在を死亡=排除させたのかもしれない。そしてこのような「偉大なる母」の役割は、リアの腹心ケント・ゴネリルの夫オルバニー・グロスター家の権力を担う存在であったエドガーなどには、彼らの立場上当然成りえないのである。故にこれらの良心的とも思える人物が劇中にいようとも、「母性を喪失した」中において、悲劇は最悪の形で現れる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る