繰り返され、受け継がれる“Nothing”

 この“nothing”は劇中のあらゆる場面で繰り返されている。順に見てみる。


①第1幕第2場では、「何を読んでいたのだ?」と言うグロスターにエドマンドは「何も」と答えている。リア王ではリア一家のみならず、グロスター親子もまた悲劇を生んでしまうこととなるが、この悲劇もこの一語から始まっている。しかしここでの“nothing”は、先の例とは違った、むしろ正反対ともいえる意味を帯びている。なぜならエドマンドは兄エドガーの本来{無い}罪を、手紙により{ある}状態に工作しているからである。またこのエドマンドの発言の後に、グロスターは「何でもないのなら、隠す必要などあるまいが。」と言っている。ここでグロスターの、エドマンドに対する邪悪な考えが垣間見える。そもそもエドマンドはグロスターの庶子である。しかしグロスターは冒頭第1幕第1場で何の躊躇いもなく、しかもエドマンドのいる前でケントにいう。

「これ(エドマンドのこと)を作るに当っては、随分と楽しい思いをさせてもらったものだ。」

 息子の目の前ではなかなか言いづらい台詞である。

 岩波の注によれば、ワーズワースの理解者・ロマン派最高の批評家コールリッジはこの点に関して、「なんとも侮辱的な、淫らな軽率さだ」と言っている。『ハムレット』同様、親の性に首を突っ込むことはシェイクスピア作品では珍しくない。エドマンドは本来生まれるはずのない存在であった(グロスター曰く「呼びもしないのに図々しく世の中に出てきた」)し、あらゆる権力も嫡子である兄のエドガーに譲られるはずであった。彼はそれをコンプレックスとし、姑息な手を使ってでも本来{無い}はずの権力を{ある}状態にさせようとしたのである。

 しかしここで注目すべきは、グロスターの父親らしかぬエドマンドへの邪悪な考え・態度である。このようにケントにエドマンドの出生を躊躇なく言うということは、グロスターはエドマンドのことを「何でもない」存在ととらえているからである。 この一家の悲劇も、息子であるエドマンドだけが招いたものではなく、根本には親であるグロスターの、普通では考えられないような子に対する意識が関与している。後に詳しく述べるが、やはりここでも母親不在が関与している事を指摘しておく。

 グロスター一家の悲劇は、先にふれた、本来{ある}愛情をありのままに表現することで{何も無い}と発言したコーディーリアとは対照的である。更に結末では、エドマンドはコーディーリアを殺害するよう隊長に命令する。愛あるものを{無い}状態にしてしまうのである。


②次に第1幕第4場を見る。ここで初めて道化が登場するのだが、彼はリアに(リア曰く)「辛辣な言葉」を並べる。それに対し

ケント「何でもない(nothing)、つまらんことを言うな、道化」

道化「 (略) 何でもないものを何とか使う算段、知っているかい?」

リア「知るものか、小僧、何でもないものからは何も出て気はいない」

(ここでも前述したリアの数量的価値観は健在である。)

道化「ひとつ、あんた(ケントのこと)からいってやってくれ。おっさんの土地の地代が今じゃ何でもないものになっちゃったことを。 (以下略)」

道化については後述するが、彼はこの物語全体を俯瞰して発言していることは言うまでもない。「土地」は先の「従者」と同じく、リアの権力の一つのメタファーである。まさに、道化の言うとおりに、「ほかの肩書はみんな人にくれちまったんだから、もって生まれたものしか残っちゃいない」のである。


③次に第2幕第3場の、エドガーがトムになりすますシーンである。

ここでもエドガー「おれ、エドガーはもういない」と、原語では“nothing”が使われている。但しこのエドガーの発言の真意について率直に申し上げれば、私の現段階の解釈力では正確に説明しえない部分がある。

 それでも一つだけ言えることは、リアは(先述したように)自分の言葉に責任というものは伴っていない。その場その場で刹那的に発言している。それ故狂気に陥ってしまう。対してエドガーは、父の哀れな姿を見ても自分の理性を奮い立たせてトムを演じる。これらの点において、一部では『リア王』を演じるにあたり、グロスター一家のことをまるまる削除・改変する場合が見られるが、それは全くもってナンセンスといえよう。

 このように、物語の転換点において、“Nothing”は様々な使われ方をしている。まるでバッハのフーガのよう美しく、シェイクスピアの言葉の選び方の秀逸さを読み取り得る。


④最後に、クライマックスでの死んだコーディーリアを抱くリアの発言を見てみる。

リア「犬が、馬が、鼠が生きているというのに、なぜ、お前には息がないのだ?お前はもう戻ってこない、絶対に、絶対に、絶対に、もう絶対に!」


 原語は“Never,never,never,never,never!”である。

つまりこの物語は、愛ある者の“Nothing”から始まり、様々な使われ方をしながら、最後には“Never”の言葉で、本物の愛に気づくと同時にそれを失うのである。

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