第52話『壁を越えろ』
遊乃は、自分がトランフルよりも弱いことを自覚している。
しかし、だからとて、勝てないと思っているわけではない。強弱と勝敗はイコールではない。だからこそ、遊乃は自分を「勝てる男」だと信じていた。
まっすぐ走る――ここまでは、昨日と全く同じ流れだが、負けた相手に、同じことを繰り返すバカではない。
ぴょんぴょん飛んだり跳ねたりしても、トランフルに捕まえられるのはすでにわかっている。
ならば、地上戦だ。
「遊乃はん、行きますえ! 前衛の仕事、あんじょう頼んます!」
そう言って、ネリネは遊乃の背中に、素早さ強化の魔結晶をぶつけた。
琴音も、銃に祈るように詠唱を済ませ、
「遊乃くん『ハイアップ』!」
遊乃に素早さ強化の呪文をかけた。
二つの魔法、そして遊乃も「『脱兎の如く』!」と、自前の補助魔法をかけて、走り出す。その素早さ、まさに風の如く、トランフルの懐へ一気に飛び込んだ。
「うるぁッ!」
そして、思い切り拳を放つように、トランフルの腹へ向かって剣を突き刺す――ことを、遊乃はしなかった。
トランフルがその剣を掴もうとした刹那、剣を引きトランフルの背後へ回り込んだ。
そう、まっすぐ正面から攻めてもダメなら、
遊乃はいつもの押せ押せで勝てない相手であると悟り、とにかく「まずは一撃を当てる」ことに専念した。
(別にこいつは不死身の化物ってわけじゃあねえ……一撃当てて、流れをこっちに傾ければ……!)
遊乃は、内心でとにかく慎重になれと自分に言い聞かせていた。
が、トランフルは隙らしい隙を見せない。ただ、トランフルの周囲を遊乃が周っているだけという、間抜けな子犬が主人にじゃれているような光景があるだけだった。
さすがに、そうなっては、根比べが得意ではない遊乃の内心に、焦りがコーヒーに落としたミルクみたいに広がっていく。
しかし、遊乃がトランフルの背後に周ったとき、隙が生まれた。突然、遊乃がトランフルから意識を完全に外したのだ。
その視線の先には、琴音とネリネ。
それだけで、トランフルが後衛二人を狙っていることが、すぐにわかった。
二人に危機が及ぶかもしれない、そして、自分が圧倒的にナメられているということに、遊乃の頭が沸騰した。
「テッンメェッ!!」
ヒュカッ、と風の鳴る音と同時に、遊乃の剣がトランフルの後頭部へと振り下ろされる。
しかし――やはり、と言うべきか、トランフルの周囲を覆う光の膜が、その一撃を寸出のところで止めていた。
「チィ……ッ!」
やっぱり、攻撃が届かない。
意識外であっても、ダメ。その事実は、遊乃の心に暗い影を、絶望という影を、落としかけた。
リュウコでなければ、太刀打ちできないのか、と。
だが、そもそもリュウコが決意する時間を稼ぐための戦い。そんなもの、埋蔵金で埋蔵金を掘るような、無意味な考えだ。
だから、遊乃は「ざけんなクソったれ!!」
と、トランフルの背中に前蹴りを放つ。
だが、まるで壁でも蹴っ飛ばしたように、なにも変わりがない。
「まだやで、遊乃はん! 剣こっちに向けや!」
と、ネリネの声。
遊乃は、言われた通りネリネの方へ剣を向けようとした。
その『圧倒的実力差の中、闘志を隠さない声』がトランフルを警戒させたのか、彼は遊乃の剣に向かって、拳を振り下ろす。
叩き折るつもりか、あるいは遊乃から剣を奪い取るつもりだったのか。
そのどちらも、叶わない。
琴音だ。琴音が、トランフルの拳に向かって銃を放ち、その軌道を反らしたのだ。
「ナーイスッ! 琴音ちゃん!」
その隙に、ネリネは遊乃の剣に向かって、魔結晶をぶつけた。一体何の魔法だ、と遊乃が疑問に思う前に、なぜか、剣が氷で覆われる。
どうやら、氷魔法のようだったが、攻撃用にしては様子がおかしい。
まるで氷細工――それも、まるでダイヤモンドのように美しいカッティングがされており、遊乃の剣は、まるでダイヤモンドの刃を持つ宝剣のようになった。
仲間が無意味なことをするはずがない。
だから、遊乃はそのまま、意味を確かめることもせず、トランフルに剣を振るった。
トランフルは拳を戻し、その刃を掌で防ごうとする。
先程までなら、掌の寸前で光の膜に妨害され、刃が立たなかった。
しかし今度は、しっかりとトランフルの肉を、切り裂いたのだ。彼の超人的な反射神経で切り落とす前に引かれたが、それでも、薄皮一枚と言えど、あの伝説の勇者の体に傷をつけた。
不思議そうに、トランフルは掌を見つめて、視線をネリネに移す。
「……私の防壁を、突破した? 一体、どうやって」
学園に訪れて、初めて声を出したトランフルに、ネリネは胸を張って答える。
「はんッ! 破られたことないかもしれへんけど、調子乗りすぎやで。こっちは魔法の名家出身や! 見たこと無い魔法でも、自然のエレメントなら科学の応用でなんとでもなる! 光魔法やから、光を磨いた氷で乱反射させて、効力を弱めたんや!」
「すごいすごいネリネさん!」
と、隣の琴音が、まるで古文のように拍手して、ネリネを褒め称えていた。
それに調子づいたのか、ネリネは琴音を引き寄せて「お姉さまって呼んでもええよ」と、まるで伊達男が無垢な少女を口説いているような、場違いすぎる光景を見せつける。
「けっ……。さすが、俺様のパーティーメンバーだ」
そう、ネリネには聞こえないくらい小さな声で彼女を褒め、遊乃は、距離を取ったトランフルに向かって、切っ先を向ける。
「さぁ、攻撃は通るようになった。第二ラウンドと行こうぜ」
勝てはしなくとも、勝負になる。
あとは、勝機に向かって、一つずつ駒を進めていくだけ。
遊乃は剣の柄を一舐めし、握りをより確かにする。
そうして、真剣勝負を堪能しようとしていた矢先、戦意をそがれるような光景を目にした。
トランフルの、悲しそうな顔である。
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