第51話『夢があるから、前を向く』

 明日の朝早く、トランフルがやってくる。

 だから遊乃は、校庭の端に一本だけある木の根本に横たわり、休んでいた。今更特訓などしても、焼け石に水だろう。


 だから、早々と明日の準備を済ませると、せめて明日は万全の状態で挑めるように、体を休めておくことにした。


 準備を終えると、遊乃はあくびを一つして、空を見上げながら考えを巡らせていた。

 トランフルは、遊乃が世界制覇を目指すきっかけとなった人物だ。彼の半生をまとめた伝記は、擦り切れて買い直す羽目になるほど、何度も何度も読んだ。


 だからこそ、想像を上回るほど強いのだろうと簡単にわかったし、今の遊乃で勝てないこともよくわかる。


 しかしそれでも、遊乃は勝つことを捨てたりはしない。

 諦めて足を止めたら、最善どころか次善の結果すら得られないことを、彼は本能的に知っているから。


 とはいえ、無茶な戦いをしかけることになるのもわかっている。

 明日が命日になるかもしれない、そう思うと、なかなか寝付けなかった。


「緊張か……らしくもない」


 そう独り言を呟いた。返事などあるはずもない言葉だったが、後ろの方から


「ほんとだよ。遊乃くん、そんなタマじゃないくせに」


 と、木の後ろから、琴音が現れた。

 笑顔で遊乃に手を振り、彼女のも木に背中を預け、遊乃の隣に腰を下ろす。


「なんだ、琴音か。どうした」

「どうした、じゃないよ。……トランフル様と戦うの?」

「あぁ」

「だって、一応遊乃くんからしたら、憧れの人でしょ。伝説の勇者。勝てる算段なんてないよね?」

「あったことの方が珍しいがな。それに、憧れだろうがなんだろうが、迷ってるやつを放って、自分の都合で物事をくっちゃべるやつは気に入らん。俺様は、リュウコが決意する時間を稼ぐんだ」


「ほんま、おもろい人やなぁ、遊乃はん」


 と、今度は左隣から声がして、振り向くと、琴音とは反対側の幹に、ネリネが腰を下ろしていた。


「いやぁ、正直、ここまでとは思わんかった。まさか出会ってその日に、伝説の勇者に会えるやなんて。面白そうって理由で、遊乃はんのパーティー入ってよかったわ」

「なんだ? お前、アリエスから命じられたんじゃなかったのか」

「元々は、他のプロがつくはずだったんよ。でもな、世界制覇なんて恥ずかしげもなく口にする男なんて、見てみたいやろ? やから、ウチがアリエスに頼んだっちゅーわけ」


 なるほどな、と、遊乃は苦笑して頭を掻いた。


「明日は、私達もトランフル様と戦うよ。それを言いに来たんだ」


 琴音は幹から出し、同じように、反対側に座って顔を出したネリネと笑い合う。


「おいおい、いいのかそんなこと。もしかしたら、殺されるかもしれんぞ」


「アホ抜かせ! 今更「怖いんで抜けます」なんて、それこそしょーもない。ウチはやるならとことんや。それに、遊乃はんがどこまでやれるか、間近で見たいしな」

「そうだよ。補助も無しに、トランフル様とやる気? 私達のサポートは絶対いるよ。それに、私は遊乃くんの相棒で、世界制覇譚の執筆係だよ。活躍はこの目で見ておかなくちゃ」

「おっ、なんやそれ。それもまた、面白そうな話やなぁ」


 と、ネリネは琴音の言葉に食いついた。

 それがきっかけとなり、三人は、自分の夢を語り合うことになる。


「ウチはな、地上で探したい宝石があるんや。魔法武器に変わるっちゅー、古代兵器らしいんやけど、それを見つけて、コロン家の発展に役立てたいんよ」

「私は……遊乃くんと一緒に、世界制覇して、その物語を自伝にする」

「当然、俺様の夢は世界制覇だ。世界のすべてを見て、知る。この世で最も自由な男となるんだ」


 三人は決戦を前に、そうして絆と士気を高める。死闘の前の、楽しい時間。

 遊乃はその時間にやすらぎを覚えながら、チラリと校舎の屋上を見た。

 そこには、リュウコがいる。今となっては、自分の正体を知りたいという彼女の夢もなくなってしまったが、今度は新しい夢を見つけてほしい。

 遊乃はそう思いながら、話に花を咲かせた。


 夢は人を前に向かせてくれる。

 だから遊乃は、誰かの夢の話を聞くのが、好きだった。



  ■



 討伐騎士は、野営の際、すぐに動けるようにと寝袋が推奨されていない。

 だから三人は、そのまま話に花を咲かせて、自然に眠りに落ちた。


 デバイスのアラームバイブで起きると、軽い食事と準備運動をし、トランフルを待つ。


 さすがに、時間が迫るとリアリティも増すのだろう。

 三人は昨夜のように、明るく話ができる気持ちではなかった。


 黙々と最後の準備を進めていると、ついにその時が訪れる。


 正門から放たれてきた、突風の如き闘志。

 それが三人の皮膚に叩きつけられ、一斉に正門へと視線を向けた。


 ゆっくりと、堂々と、誰もが「王」と認める男、トランフル・クラパスが、遊乃たちに向かって、歩いてくる。


 三人も、慎重に隊列(遊乃前衛、ネリネ、琴音後衛のトライアングルポジション)を組み、トランフルに対峙した。


「さっ、さすがに震えますなぁ……世界を救った男と、ガチ勝負やなんて」


 と、恐怖をごまかすように、引きつった笑みでそんな言葉を呟くネリネ。普段なら同意くらいはしただろうが、琴音も銃を持つ手が震えていて、目の前にいるトランフルを見るのが、精一杯のようだった。


 校庭のど真ん中で対峙する四人。

 トランフルは、侮りや油断などない、そんな表情で、遊乃を睨んでいた。


「けっ。ここまで来たら、やるしかないだろうが。今更恐怖に震えるな。やるべきことをキチンとすれば、あとは結果が出るだけだ!」


 そう言って、遊乃は黒い剣――龍魂剣を引き抜くと、一直線にトランフルへ向かって突進した。

 始まりの場所で対峙した時と、まったく同じように。

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