第48話『好きにしろ』

 意識が戻るタイミングはいつも唐突だ。

 目覚めのいい遊乃は、まるで先程まで寝ていなかったかのように目を開き、ダンジョンに居たのが夢だったかのような感覚に襲われた。


 周囲を見ると、カーテンで囲まれたベッドに寝かされていることに気づく。

 デューと戦った後に寝かされたので、よくわかる。ここは、龍堂学園の保健室だった。


「……チッ。骨折が治って、気が緩んだか」


 遊乃はそう言って、右手で拳を作り、目の前にパンチを放ってみた。

 全快しているようで、すでに骨の痛みは感じない。


「気づいたか、風祭」


 と、遊乃の放ったパンチの音で気づいたのかカーテンが開いて、保険医が遊乃の前に立った。


 黒髪にセミロングの髪。けだるそうなタレ目に、黒いチューブトップとデニムズボンで包まれた女性的な体に、羽織った白衣。そして、目の前に生徒がいるのに、煙草を加えている

ふてぶてしい態度。


 彼女の名は、イレッタ・ローレン。

 龍堂学園の保健医であり、かつては有名な『治癒師ヒーラー』だった討伐騎士である。

 足の怪我が原因で一線を退いたが、それでも教師として相応しい、治癒師としての実力と、戦闘能力を持っていた。


「……なんだ、イレッタか」


 そして、遊乃も授業などで何度か出会っていたので、知っていたのだ。


「なんだはないだろう。あんたの怪我、治してやったってのに」

「……大部分は、琴音とネリネだろう」

「あの子らは、まだまだ見る目がないんだよ。大きな怪我をしてる時は、大抵小さな怪我もしてるもんさ。特に、こういう商売だとね。あんた、背骨と内臓もやばかったんだよ」


 遊乃は舌打ちをして、トランフルのことを思い出す。

 確かに、遊乃を一とすれば、一〇以上の差があるだろう実力があった。かつて世界を救った伝説の勇者であることを考えれば、おそらく小豆を箸で掴む程度には神経を使い、手加減されていてもおかしくない。


 それで、この状況では、勝つのに何十年必要になるのか……。


 考えるのも、嫌になるほどだ。


「リュウコはどうした」

「あぁ、三人なら、今頃校長室じゃない。依頼の報告するって言ってたし。あんたがここに来てからなら、三〇分くらいしか経ってないよ」


 遊乃はポケットからデバイスを取り出し、時刻を確認する。

 もう夜も深い時間だった。帰ってくるのにも、それなりに時間が経ったのだろう。ギリギリ日付が変わっていない、くらいの時刻だった。


「世話になったな、イレッタ」

「別に。怪我したらいつでも来な。万全以上にしてやるよ」


 片手を挙げ、遊乃は保健室を出ると、少し早足で校長室へ向かった。

 すでに薄暗い廊下は、誰もおらず、人の気配すらしない。そんな中で、おそらく唯一人がいるであろう、校長室から漏れ出す光は、非常に目立つ。


 ノックもせずに扉を開くと、マリとアリエス、そして琴音とネリネが応接セットで向かい合い、深刻そうな表情を突き合わせている。


「あっ、遊乃くん!」


 立ち上がると、琴音は遊乃の元へ駆け寄って、体をまじまじと見つめる。心配だからそうしているのはわかったが、あまり心地のいい視線ではなかった。


「もう大丈夫なの?」

「あぁ。……ま、怪我は治った」

「ちょうどよかった、風祭さん」


 どうぞ、と、アリエスが遊乃に、応接セットへ座るよう手で促した。

 立っていても仕方がないので、遊乃は琴音とネリネに挟まれる形で、腰を下ろして、マリとアリエスの二人に向かい合う。


「話はネリネと琴音さんから、大体伺いました。封印されていたのが、まさか初代様だったとは……」

「それくらい、そっちで把握してなかったのか」


 と、不機嫌そうに、遊乃は言った。まるでアリエスに当たっているようで自己嫌悪を抱いたが、アリエスは口調をお姫様のまま保って答える。


「えぇ……なにせ、数千年前の事ですから、資料の大方が紛失していまして。ただ、口伝でクラパス家に「封印を解いてはならない」と伝わっていただけなのです」

「それが伝言ゲームみたいに解釈が違っていき、結果として封印獣になった、というわけか」

「まあ、任務達成、っちゅーことや。報酬と単位は、もらえるで。……そんな場合、ちゃうやろうけど」


 と、尻の置き場に困っているような、居心地の悪そうな顔でネリネが呟く。

 彼女は、今日遊乃やリュウコ、琴音と出会ったばかりなのだ。そんな状況で、こんな雰囲気にさらされては、所在のなさを感じてもおかしくはない。


「……世界を滅ぼしたドラゴン、か。すごい存在だとは思ってたけど、リュウコちゃん、そんな神話クラスの存在だったんだね」


 琴音も、何を言っていいのか迷った挙げ句、そんな感想めいたことを呟く。彼女だって、自分の置かれている状況に、納得できていないのだ。

 ただの小市民であるはずの自分が、一度世界を滅ぼした存在と仲良くしていたと言われても、信じられるはずがない。


 無傷で通り抜けた後、今までの道が地雷原だった、などと言われて、誰が信じるものか。


「……ですが、おそらくは事実でしょう。リュウコさんの力は、それほどの存在であるという、何よりの証」


 アリエスは、迷うような、何かの痛みに耐えるような、苦痛に満ちた顔を一瞬だけ見せた。それに気づいた遊乃だったが、彼は他人の悩みに自分から首を突っ込むタイプではない。


「私は――いえ、我がクラパス領の判断は、リュウコというキャファーの殺処分が妥当である、と考えております」


 琴音は、息を飲んだ。信じられない、なんてことを、そんな文句を言いたくて仕方ないのだろうが、しかし、そうなってもおかしくないと心のどこかで思っていたのだろう。

 何も言わずに、うなだれたままでいた。


 そして、元々クラパス側から派遣されたネリネも、目を閉じ、自分の中の腑に落ちない感情と戦っていた。


 もちろん、今日だけの感想ではあるけれど、リュウコという少女が、そんなことをするようには思えてならない。だから、殺すことはないんじゃないか、そう思っているのだが、彼女は職種こそ違えど、騎士の家庭で育っている。


 情に流されたら、人が簡単に死ぬことを、幼い頃から叩き込まれてきた。


「ふぅん、そうか。――好きにしろ」


 だが、なぜか、一番反発しそうな遊乃が、静かに呟いて、立ち上がった。


「……止めないのですか?」


 意外そうに、アリエスは、校長室から出ようとしていた遊乃の背中に問いかける。


「さあな。それはリュウコと会ってから考える。あいつが死にたいというのなら、殺してもいいんじゃないか」

「……リュウコさんの元へ、行く気ですか」

「あぁ。俺様は自由意志を尊重する。あいつが生きたいのなら、生きられるよう全力を尽くすし、死にたいのなら、殺してやるだけだ」


 そう言って、ドアに手をかける。

 だが、背後からの「なりません」という言葉と同時に、遊乃の肩に手が置かれた。白い手袋越しではあったけれど、高貴な家の人間が、下民に手を触れる。


 アリエスの手が、遊乃の肩を掴んでいた。

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