第47話『前世の十字架』

 誰しもが、リュウコですらも、そのスピードを目に映すことすらできなかった。

 トランフルが消えた瞬間、リュウコを殺す未来だけが、全員の脳裏に叩きつけられる。しかし、それを誰よりも疾く動いた男が、阻止したのだ。


 遊乃だ。


 遊乃はトランフルが走り出すよりも前に、リュウコの前に立ち、彼女をかばうように、残った左腕で剣を構えた。そしてトランフルは、そうまでしてリュウコを守ろうとする遊乃に驚き、彼らの前で止まった。


「……キミは、話を聞いていないのか」

「聞いてたさ。だからこそ、止めている」

「このクラウンドラゴンが、世界を滅ぼすんだぞ!」

「リュウコが滅ぼすとは決まっていない……ッ!」


 男は、遊乃の胸ぐらを掴み、頭突きをするかの如き勢いで引き寄せた。


「ふざけるなッ! そのドラゴンのせいで、何人死んだと思っている! 覇王などという、バカなものを目指した前の親が、このドラゴンを使って殺したんだ!」

「……なるほど。リュウコが俺を覇王って言ってるのは、そこがごっちゃになってたのか」


 この段階になっても、冷静に情報を整理するような遊乃の言葉が、トランフルの神経を逆撫でする。


「俺の仲間も大勢死んだ! 世界を救う志を持った、大事な仲間たちが!」

「それは、あぁ、かわいそうだと思うよ。きっと辛いだろう。敵が目の前にいるからな」


 遊乃は、剣を地面に落とすと、左手で、自分の胸ぐらを掴んでいるトランフルの腕を掴み、彼に負けない程の怒気で睨み返す。


「だが、リュウコは俺の仲間だ。前の親が悪かったんだろうし、こいつは生まれ変わったんだろ。いまのこいつが、世界を滅ぼしたわけじゃない。だが、お前は……そういう理屈が通じる段階にはいないだろう」

「そうだ。クラウンドラゴンが、世界を滅ぼさない? キミがどうしてそう言える。キミが何を知っている!?」

「俺は世界制覇する男だ。俺様に間違いはない。間違えていては、制覇などできない」

「世界制覇……?」


 首を傾げ、トランフルは、遊乃から手を離す。その顔は、信じられないという表情。先程の話から、いきなり世界制覇などと言い出したのだから、神経を疑ってもおかしくはなかった。


「やはり、支配が目的か……!」

「違う。世界をすべて見て回ることが俺様の人生の目標だ。そして、俺は世界で最も自由な男になる」

「……なら、よく考えるんだ」


 遊乃の素っ頓狂な言葉に、冷静さを取り戻したのか、あるいは付け込める隙だと思ったのか。トランフルはそう言って、後ろに足を進め、遊乃に顔を向けたまま離れる。


「キミが制覇したがっている世界が滅んでもいいのか? ……仲間と別れたくない気持ちは、わかる。痛いほどね。だから、別れを惜しむ時間をあげよう。君たちは――」


 そう言って、遊乃の首元につけられた、龍堂学園の校章が彫られたボタンを見つける。


「クラパスの住人か。なら、明日の早朝、龍堂学園へ向かう。逃げてもいいが、私から逃げられるとは、思わない方がいい……」


 すると、トランフルの体が光の粒となり、消えていく。

 それはリュウコが剣に収まる時の光によく似ていた。


「とりあえず、危機は脱したか……」


 トランフルが完全に消えたことを察し、遊乃は地面に座り込んでから、倒れた。


「あーっ! 痛ぇクソッ! 骨折りやがってぇッ! 痛くて気絶もできねえ!」


 遊乃はまるで駄々っ子のように、折れた右腕以外をジタバタと暴れさせる。


「もぉッ! 遊乃くん、まだ完治してないんだから暴れないでよ!」


 と、琴音は遊乃の胸を押さえ込みながら、再び患部に治癒魔法を当てる。


「琴音ちゃん、ウチも手伝うよ」


 ネリネも、自分の頭に入っている回復魔法を使い、治療を始めた。そんな三人を見ながら、リュウコは「……私は、どうすれば」と、呟いた。

 だがそこに、疑問の色はなかった。顔を見れば、リュウコが自分をどうすればいいのか、すでに決定しているのはわかったし、何より「世界を滅ぼす力を持った、たった一匹のドラゴン」などと言われては、自分に始末をつけるという選択が出てきても、おかしくはない。


 この世界が大切なら、その美しさを知っているのなら、一度世界を滅ぼした十字架は、重くのしかかる。


 遊乃は、そんなリュウコの気分を想像すると、酷く乱れた気分になり、そして、都合よくやってきた痛みと疲労により、耐えきれず、意識を暗闇へと落とした。

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