第44話『逃げられないんですよね』

「……あっちの方に、一つ、匂いが続いています。行きましょう」


 リュウコはそう言って、南の方向を指さした。

 だが、あまりにも悲痛な面持ちをしており、一切事情を知らないネリネですら「リュウコちゃん、どないしたん?」と尋ねるほどだ。


「……なんでもありませんよ。私は、メイド。ご主人様のサポートをするのが仕事であり、私個人の事情など、ありません」

「そんな無理しなくても、いいんだよ?」


 琴音の優しい言葉に、リュウコは「大丈夫です」と心を閉ざしたかのように、一言だけ返し、自らが指し示した方向へ歩いていく。


 その背中を見ながら、琴音は遊乃の学ランの袖を引っ張り「いいの?」と彼の顔を覗き込む。


「構わん。やつがいいと言っている。俺は、言葉にもしないやつの感情を汲んでやるほど、お人好しではない」


 と、遊乃はそれだけ言って、リュウコの後をゆっくりと追った。


「うーん。遊乃くんも、ずいぶん素直じゃないからなぁ。リュウコちゃんが心配なら、そう言えばいいのに」

「なんや、いろいろあったみたいやねえ」


 と、後衛二人は、そんな喧嘩最中の前衛二人を遠くから見守っていた。


「まあ、そうなんです。巻き込んじゃってすいません」


「あー、ええよええよ。人間には気持ちってもんがあるし、喧嘩くらい、誰だってするやろ。特に、大事なことしてる最中は神経もピリピリしとるし、難儀なことに、喧嘩しやすい条件が整ってしまうもんなんよね。まだ経験の浅いあの子らに、メンタルコントロールしろ、っちゅーのも、酷な話や」


「なんだか、ネリネさんは大人ですね。一つ上とは思えないくらい」

「からかわんといてーな。ウチはわがままなお姫さん相手にすることが多かったから、こういうのに慣れてるっちゅーだけ」


 そんな、わがままな相手を支える者どうし、ほんのりと意気投合する琴音とネリネ。

 自分たちがしっかりしなくてはならない、という使命感が、二人を冷静でいさせてくれるのだ。


 後衛二人の温かな視線に晒されているとも知らない遊乃とリュウコは、淡々と進んでいく。


 すると、急にリュウコが、森の中で立ち止まった。


「どうした?」

「匂いが、増えました。しかし、これは、嗅いだ覚えのあるものが多い……なぜ……?」


 不可解な事態になり、遊乃は少し考えを巡らせた。


「匂いはどれくらい前のものだ」

「おそらく、一ヶ月ほど」

「……俺の匂いはあるか」

「ご主人様の? ……あり、ます」


 チッ。

 と、小さく舌打ちをすると、遊乃は早足で歩き始めた。

 ならば、あそこしかない。遊乃は、確信めいた足取りで、デバイスで周辺地図を確認しながら進んでいく。


 後ろから三人が追いかけてきているかも確認せず、たどり着いたのは――


「やっぱり、ここか」


 岩肌で包まれた、大きな山。

 そして、そこにぱっくりと開いた、大きな穴。それは、使、始まりのダンジョンだった。


「やっぱり、ここか……」


 ここで、試験官に魔法を食らってふっとばされたのだから、よく覚えている。

 リュウコと出会ったダンジョンこそ、封印獣の逃げ込んだ先だ。


「嘘っ、ここって……!」


 背後から追いかけてきた三人、その内の琴音が、息を飲んでいた。

 ネリネも入試時に入ったので「えらい懐かしいとこに来てもうたなぁ」などと、のんきに言っていた。


 最も大きなリアクションをしたのは、当然と言うべきか、リュウコだ。


 彼女は口元を押さえ、何かが溢れ出しそうになるのを、必死にこらえ、震えていた。


「……まさかまさか、とは思ったが、確定のようだな」


 遊乃はそう言って、洞窟へ向かって一歩踏み出した。


「ちょっ、ちょっと待って遊乃くん!」


 その足を止めたのは、背後から遊乃の手首を掴んだ琴音だった。さすがに銃を扱っているだけあって、なかなかの握力があり、遊乃も一瞬痛みを覚えたほどだ。


「どうした? ここ入らないと、依頼果たせないだろうが。リュウコ、匂いはこの先だな」


 黙って、リュウコは必死に頷いた。

 メイドとしての挟持で、主人からの問に頷けたのだ。彼女の意識は、ほとんど真っ白と言ってもいい。


「い、いろいろ考えるべきことがあるはずだよ! リュウコちゃんのこととか、相手の戦力とか!」

「自分のことは自分で考えるのが人間の仕事だ。相手の戦力など、それこそ威力偵察すればいい」

「どうしたの遊乃くん! いつもそんな風じゃないじゃん!」

「……かもな。だが、正直俺も、リュウコのことを知りたいんでな。早く行きたいんだよ」

「それは、遊乃くんが先に進むのを決めていい理由にはならないよ!」

「はいはい、お二人さん、一回離れよか」


 ネリネは、近かった琴音の方を掴んで、遊乃から引き剥がした。


「喧嘩してる時ほど、一度離れて話し合わな。ウチらの仕事は、封印獣の討伐。喧嘩やないで」


 と、二人を落ち着けるかのように、ネリネは微笑んだ。その器の広さは、パーティーの清涼剤となっており、元々頭の冷えやすい琴音もそうだが、遊乃もしっかりと落ち着くことができた。


「とはいえ、万全の仕事ができん状態で、突っ込むのは命減らすだけや。リュウコちゃんの覚悟が決まるん待ちましょ、遊乃はん」

「……そうだな」


 ネリネの言葉に、遊乃はやっと、自分が苛立っていることを自覚した。

 リュウコのことを知りたい。なぜなら、話してくれないからだ。自分の好奇心はないわけではないが、大事な仲間だからこそ、その不安を解消してやりたいと、彼にしては珍しく思っていた。


 知れば解消するわけではないけれど、知った分だけ前には進める。

 だから、知りたい。


「まとめましょ。おそらく、相手はリュウコちゃんと同等の生物や。同じ種族かはわからんけど、その可能性は高いやろ」


 リュウコが覚悟をする時間と材料を作るために、ネリネはそう、ゆっくりリュウコに語りかける。


「けど、そんなマイナスに考えることあらへんよ。相手には知性もあるし、人間も殺してへん。悪い存在ではないっちゅーことや。それって、リュウコちゃんも悪いモン違うっていう、証拠にならへんかな?」


 ねっ、と、ネリネはリュウコの手を両手で握り、温もりを渡すように、勇気を与える。


「……申し訳ありません。お手間をおかけしました、ネリネさん」


 震えも止まり、リュウコはそう言って、頭を下げた。

 表面上だけかもしれないが、リュウコが元の状態に戻ったのは、ネリネの人徳がなせる技。


「……行きましょう。何が待っていても、私は受け止めます。いえ、逃げられないんですよね」


 リュウコは、遊乃を追い越すように、洞窟の奥へと潜っていく。その足取りからは無理をしているような、乱暴さを感じられたが、それを指摘する者は、この場にいなかった。

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