■5『キミは絶望を振り撒くモノ』

第39話『私はキャファーです。』

 リュウコのケアを終えた翌日。

 ケアになっていたかは、正直遊乃にしては珍しく自信がなかった。なぜか、最後はリュウコの機嫌は損なわれていたし、何より具合まで悪くなっていたからだ。


 展覧会から帰宅して、リュウコから「先程は失礼いたしました」と謝られ、それを渋々受け取ったが、まだ根本的な問題は解決していない。


 だから、二人の間にぎこちない空気が流れており、特に二人の近くにいる琴音は、人知れず胃を痛めていた。


「遊乃くん……リュウコちゃんとなんかあったの?」


 放課後のカフェテリア。

 学園内にある“オーダーズ”というカフェテリアは、バーカウンターなどもあり、まるで大衆酒場のような様相を呈している。かつて、討伐騎士達は酒場に集まって、日々の活動を報告したり、仲間を募ったりしていたらしく、その名残をカフェテリアに残そうとしたのだ。


 当然、学園内の施設なので、ソフトドリンクしか置いていないが、あまりにも本格的な雰囲気は「酒を飲んでいる気分にさせてくれる」と大人が言うほどだ。


 そんなオーダーズの窓際、丸テーブルに座り、午後のティータイムと洒落込んでいる遊乃、琴音、リュウコの三人は、周囲の賑わいとは対象的に、沈み込んだ雰囲気を醸し出していた。


「一〇回目だ。琴音、しつこいぞ」


 と、遊乃は耳打ちしてきた琴音に、リュウコへ聞こえないよう、小さい声で返した。


「だってだって、気になるよ。私をデートしてこれでしょ?」


 置いて、をやたらと強調する琴音。

 その真意を探る気分にもなれず、遊乃は「気分の悪い時くらい、誰にだってあるさ」とごまかす。


「お前が直接聞いてみたらどうだ? 俺様にも、よくわかっとらんのだ」

「い、いやあ、そんなの無理だよ。私、空気読める子ちゃんなんだよ」

「そう思ったことはないが……。というか、なんだその言葉」


「ご主人様、琴音さん」


 こそこそと目の前で話している二人が不快だったのか、リュウコはコーヒーで唇を濡らし、カップをそっとソーサーに置いて、二人をまっすぐ見つめた。睨む、というほど鋭くない視線だが、それでも向けられて気持ちのいいものではない。


「言いたいことはハッキリ仰ってください。私はメイド。できることならばしますので」

「い、いやぁ……なんていうかぁ……」


 困った琴音は、長年培ってきたアイコンタクトを遊乃に向ける。


『遊乃くん、ご主人様でしょ、なんとかしてよ』

『ふざけんな。俺がリュウコの感情までどうにかする義務などない』


 これではせっかく掴んだ連携が無駄になってしまう。

 その重大さを理解しているのは、この場では冷静な琴音のみ。彼女は、遊乃の機嫌が悪いことも察している。


 つまり、間を取り持てるのは彼女だけなのだ。


「き、昨日は遊乃くんと出掛けたんだよね? いいなー。私とも出かけようよ。やっぱり、女の子同士で出掛けるのは、いいと思うんだー。それに、私達は友達だし、一回くらいそういう交流を深めるのも、いいよね」

「あぁ、それはいいかもしれませんね。ご主人様と出掛けるより、楽しそうです」

「えっ」


 まさか、リュウコがそんな皮肉を言い出すとは思わず、琴音は固まってしまい、咄嗟に言葉を返せなかった。

 昨日、ほんとに何したの。そんな琴音の視線が、遊乃に突き刺さる。


「ま、まあ、もしかしたら、その方が肌に合うかもしれないけどね? でもでも、男女の違いはあるかもだけど。人間の遊びなんて、大して違わないし、楽しさもそう違わないと思うよ」

「……私は人間ではありません。キャファーです。ご主人様も琴音さんも、わかっていらっしゃるでしょう」

「え、あ……ち、違うよ? 今のは言葉の綾だよ。別にキャファーでも人間でもいいんだよ。ただ楽しいことすればいいんだから」


 どういうことが昨日あったかはわからなかったが、琴音はリュウコが今、何に対して気分を害しているのか、よくわかった。

 それは孤独だ。

 孤独は人を追い込むもの。


 いま、リュウコの言葉には、孤独故に苛立っているトゲがあるのだ。


「私は……キャファーです。そして、メイド。楽しいことなど、いりません」

「……なら、俺様には尚の事、お前の気持ちなどわからん」


 琴音に任せようと思い、黙っていた遊乃が口を開く。彼は拗ねたりヤケになったり、というのが大嫌いなのだ。

 それは最善の行動をできなくさせる、心の病気だから。


「俺様は楽しいことがしたいからこそ生きている。お前はそれを知っていると思っていたがな」


「……私は、私だけが、なぜご主人様を理解せねばならないのです。ご主人様は、私を理解していない」


「話したことがないからだろう。もう、記憶を失っている、なんて言葉が通じるほど、浅くない付き合いだ。これまでお前が感じてきた、失ってからの自分というものができたはず。だから怒っているんだろう。それを教えろと、俺はずっと言っている」


「それは……!」


 だが、リュウコがそれを話せるはずなどなかった。

 自分は確かにいる。しかし、自分について語ることは、長く生きている人間でも難しい。


 それを、数ヶ月の記憶しか持っていないリュウコがするのは、無理なのだ。


 自分はある。しかし、自分の言語化はできない。

 だが、言語化しないと、理解は得られないのだ。


「……焦ることないよリュウコちゃん」


 遊乃にはわからない気持ち。それを敏感に感じ取った琴音は、そう言って、リュウコの隣に席を移し、頭を撫でる。


「人間でもキャファーでも、自分をしっかり持つのは難しいからね。時間はたっぷりあるんだし、自分の在り方を考えようよ。その為の協力くらいはできるから」


「……琴音さん。私は――」


 リュウコが何かを言いかけた瞬間、遊乃のデバイスが胸のポケットで震えた。

 その振動の音で、会話が中断される。


 なんだ、こんな時に、と内心毒吐きながら、デバイスの画面を見ると、そこには「マリ・ショルトー」と、校長の名前。そして「緊急」という題名。


 いつもいいところで連絡寄越すんだよな、あのばあさん。


 遊乃は呆れながら、書かれていたメールの内容を読み始めた。

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