第30話『左腕は捨てる』

 傍目には、勝ち目もないのに喚き散らし、そして強引になんとかしてきた印象の強い遊乃。

 実際、彼に負けているデューでさえ、悪運の強いやつ、くらいにしか思っていない。しかし、この場で誰よりも遊乃のことを知っている琴音にはわかる。


 遊乃は、勝算もないのに無闇やたらと突っ込むようなタイプではない、と。


「リュウコ! 剣に戻れ! 琴音は補助呪文だ! 合間を見て、デューに回復をかけてやれ!」


「「了解!(しました)」」 


 リュウコと琴音は同時に返事をし、それぞれが支持されたポジションにつく。リュウコは、遊乃の剣に戻り、琴音はデューのそばに立ち、遊乃にもう一度『韋駄天ハイスピーダー』の呪文をかける。


「『脱兎の如く』ッ!」


 走り出した遊乃は、普段の何倍ものスピードを維持しながら、壁に向かって跳んだ。


「何を――ッ!?」


 自分から壁に激突する気か、と、一瞬心配したデューだったが、遊乃はその壁を蹴り、そして、今度は天井に向かって跳ぶ。

 まるで縦横無尽にバウンドするスーパーボールのように、金庫内を飛び回る遊乃。


――ですって……ッ!?」


 驚くデューは、自分の目で追うのもやっとの遊乃を見つめる。壁蹴りは、討伐騎士に伝わる伝統的な技術の一つ。狭いダンジョンを、高度な技だ。


 本来入学してすぐできるようなテクニックではない。

 デューだってまだ出来ない技であり、遊乃の高い素早さ、身の軽さが可能にしていた。


 銀狼は、跳び回る遊乃をしっかりと視認しており、いつ飛びかかろうか考えているよう。


「リュウコ、氷のブレス――飛ばさずに、剣に纏わせることはできるか」


 跳びながら、遊乃は剣に宿った琴音に、小さな声で呟いた。


「ええ……できますが、飛ばさないのですか。遠距離攻撃の方がいいのでは」

「俺もそうしたいんだが、跳び回ってわかった。さっき光のブレスが跳ね返された時に、この金庫内もずいぶんボロボロだ。外してダンジョンそのものにダメージを与えるわけにはいかん。少しずつ削っていく」

「かしこまりました」


 その言葉を合図に、剣に冷気が纏い付く。

 肌を近づけてどの程度か確かめるまでもない。持っているだけで寒くなるほどの冷気に、遊乃は充分だと頷いた。


 飛び跳ね続け、ついに銀狼が遊乃から視線を切る瞬間が訪れる。いつまで待っても飛びかかってこないことに退屈したのだろう。


 背後から銀狼に向かって遊乃は跳び、横薙に剣を振るった。


「おぉッ!!」

「ゴォッ!」


 遊乃と銀狼の声が重なり、そして、遊乃の一閃は、銀狼の硬いしっぽに止められた。


「ちぃッ!」


 大きく舌打ちをし、動きを止められた遊乃は、改めて銀狼と向かい合うことになる。

 デューに比べれば、遊乃の防御力は低い。それを素早さでカバーしている。できれば正面から打ち合うことは避けたかったが――銀狼はすでに、大きく口を開き、遊乃を噛み砕こうとしていた。


「どうってことぁねえ!」


 遊乃は、ポケットから魔法爆弾を取り出し、それを思い切り銀狼の口に突っ込み、あえて腕を噛ませた。


「ぐぅ――ッ!」


 皮膚が割かれ、骨が砕かれるような咬合力に、顔を歪ませる遊乃。

 気力を振り絞り、持っていた爆弾を思い切り握りつぶした。


 中に込められていた魔法は、冷却魔法。かつてカイゼルに使用した、一定範囲に吹雪を起こすもの。


「ほっぶッ!?」


 何かまずいものを口にしたと、本能的に察したのだが、もう遅い。

 銀狼の口内で吹雪が巻き起こり、臓器を凍らせようとする。

 瞬間、遊乃の手を吐き出し、悶え苦しみながら吐き出そうとするが、中から出てくるのは爆弾の欠片と、大小入り混じった、血を含んだ氷のみ。


 決定的に、内蔵がダメージを負っているのは間違いなかった。


「ケケッ。固くても、内蔵のダメージは無視できねえだろ……」


 先程、デューの一言で思いついた戦法である。

 皮膚が硬いということは、中のものを守っているという証。そして事実、銀狼は先程とは打って変わり、かなりふらふらと頼りない足取りとなっていた。


 だが、それは遊乃も同じこと。銀狼の口に突っ込んだ左腕は、血の出しすぎか力がほとんど入らない。

 遊乃はこの戦いで、実質左腕を失ったのである。


「風祭!」


 さて、ここからどうしよう?

 人知れず悩んでいた遊乃だったが、少し離れた位置に座っているデューの声に、ちらりとそちらを見た。


「ダメージは、それなりに回復したわ。あたしも――」

「ダメだ」


 デューの助太刀を拒み、遊乃は右腕だけで剣を構える。


「なんでよ! あんた、ボロボロじゃないの!」

「貴様に言われたくないぞ。足元がおぼついとらん。そんなんでどうやって、本気の拳を出すつもりだ?」


 ぐっ、と、喉の奥で息を飲むデュー。

 デューから見れば、この状況で自分が加勢した方がいいのは間違いないのだが、満足な戦力として戦えるかと言われれば、確かに頷けない状態である。


 遊乃だって左腕を失い、このままではデューよりもダメージを負うのは間違いない。


 しかし、遊乃の考えは違う。

 ここからどうやって勝つか、その道筋は、すでに思いついている。

 上手く行けば、この窮地を脱出できるというプランを。


「まあ、見ておけ」


 そう言って、遊乃はふたたび、剣に冷気を纏わせる。


「俺様は世界を制覇する男。この程度、危機と呼ぶのすら相応しくない」


 ただの強がり――今までなら、そう思っていた。

 しかし、すでにデューは、遊乃の実力を認め始めていた。


 この状況を、本当になんとかできるんじゃないかと、期待する程度には。

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