第27話『エルフ差別主義』

 そんなことなど知らない遊乃は、周囲の警戒を怠ってはいなかった。

 後方にいる三人が、自分の仕事をきちんとこなしているだろうと思っていたので、前方だけだったが、それでも警戒をしていた。

 だからこそ、遊乃は前方から何かの気配を感じ、ぴたりと止まる。


 まっすぐ伸びる廊下の先にある、一つの扉。どうやらガラス張りで中が見える仕組みになっているその部屋に、誰かがいると感じたのだ。


 だから遊乃は、片手を軽く挙げ、背後の三人に目配せをした。


(この先に、何かいる)


 普段ならすぐに察知するリュウコが、黙ったままだったのが気になり、足音を立てないよう、そっと三人に歩み寄り、出しているのか出していないのか、ギリギリの声量で会話をする。


「どうした、リュウコ。いつもなら、お前がまっさきに気づくだろう」

「……申し訳ありません。少し、ぼんやりしていました」

「ふむ」


 遊乃はそのことについて、深く聞いたり責めたりせず、まず自分のやるべきことを優先させる。


「ここからなら察知できるか」

「え、ええ……あそこの部屋にいるのは、キャファーではありません。人間が二人です」

「人間?」


 遊乃は背後の扉をちらりと見た。

 ちょうどその時である。その扉から、二人の人影が出てきた。

 その二人は、遊乃と同じ、黒い学ランに身を包んでいる、龍堂学園の男子生徒。


「ちぇっ。やっぱり、開拓済のダンジョンじゃあ大した物はないな……」

「仕方ないですよ。でも、元カジノですからね。きっとボスがいろいろ溜め込んでるんじゃないですか?」


 そんな軽薄そうな声。

 遊乃は、先に喋った方の声に聞き覚えがあった。だが、どこの誰だったか、顔を見てもよくわからずにいると、琴音が「あっ」と声を出す。


「イド・アンデルスさんだ」


 琴音から名前を聞いて、ようやくわかった。

 遊乃が入学初日に頭をかち割った、貴族のおぼっちゃまである。


 イドは、それでやっと遊乃たちに気づいたのか、遊乃の姿を認め、


「あぁッ!」


 と、驚きの声を漏らすと、貴族らしい偉そうな足取りで、四人の元にやってきた。


「やぁ、風祭くんじゃないか。その説はどうも」


 言いながら、イドは前髪を掻き上げる。そこには、一本の傷が走っていた、前髪が垂れるようなそのラインの傷は、遊乃が頭を割った際についたもの。回復魔法でも、治らなかったらしい。


「おお、男前になったな。前よりずいぶん印象的になった」


 遊乃がそう言うと、イドの顔に、押しつぶされたようにシワが現れ、赤く染まった。悪気のなさそうな言葉だっただけに、より腹が立ったのだろう。


「相変わらずメイド連れかい? しかも、女の子をたくさん侍らせてるときた。けど、一人はエルフか」


 目を細め、まるで失禁した人間をあざ笑うような、差別的な表情を作るイド。

 エルフは人間の進化系だが……未だに数が少なく、人目でそうとわかることから、差別する人間もそれなりにいる。イドは典型的な、エルフ差別主義者らしかった。


「エルフが……なによ」


 デューはもう一五年エルフをやっているのだ。だからこそ、そんな言葉は聞き慣れている。それでも、怒らないというわけではない。


 彼女の拳は、固く握られていた。


 いつ何時、気に入らないやつが現れてもぶん殴れるように鍛えた身だ。

 一歩踏み出し、ぶん殴ろうとしたその時――遊乃が、ぐいっとデューの肩に手を回して止め、新しいおもちゃを買ってもらった子供のような、眩しい笑顔をした。


「いい女だろ。跳ねっ返りが強いところがいい」


 また、悪気も冗談もない、遊乃の屈託のない言葉。

 さすがにそんな言葉を向けられたことは、デューの人生でなかった経験らしく、服の上から手を置いている遊乃にもわかるくらい体を熱くし、顔を真っ赤に染めていた。


「はっ、はぁ!? なに言ってんのよあんた!?」

「事実だ。耳が長かろうが、強かろうが、そんなもんどうでもいい。大事なのは俺様がお前を気に入っているかどうかだからな」


「が、あ、あんた、あ、あた、あたしがライバルだと思ってないでしょ……ッ!?」

「当たり前だ。俺様は唯一無二。ライバルなんてもん、そもそも存在してないからな」


 デューは、遊乃の腕から脱出すると、びしっと、犯人を見つけたときの名探偵みたいに、遊乃を指差す。


「アホかッ! あたしはいつかあんたを倒すのよ! 馴れ馴れしくすんな!」


 そう叫んで、そっぽを向いてしまう。

 だが、遊乃はまさにそれこそ、デューを気に入っているところなのか、大声で笑う。


「かっかっか! こういうところがいいんだよ。お前みたいなおぼっちゃまにはわからんだろうがな」


 イドは、心底わけがわからないというような表情を一瞬浮かべたが、しかし、それでも自分がバカにされているかどうかということには敏感に反応し、何かを言おうとした。

 だが、それを阻んだのは、イドの横に立っていた、背の低い男子生徒である。


 イドと遊乃の間に割って入り、遊乃へ親の敵と言わんばかりの視線を向けていた。


「おいっ! お前、イドさんに失礼だろ! この人はアンデルス家の嫡男にして、人類を救う礎となる、未来の討伐騎士、そのエースだぞ!」


 と、ナイフを遊乃に向ける。


「なるほど、なるほど。……向けたな?」

「え」


 その、男子生徒が反応するよりも疾く、遊乃は彼の顎を思いっきり蹴り上げた。

 まるで放り投げられたコップみたいに宙へと浮き、背中から地面に倒れ込む。


 手応えもない、一瞬の出来事に、遊乃は心底くだらないことをした、と言わんばかりに、男子生徒を見下ろす。


「武器を向けた以上、そうなるのも覚悟の上だ。そうだろ? 俺様に武器を向けた以上、タダで済むとは思わないことだ」

「なっ、おま、お前……!」


 いきなりブチ切れたような態度を取る遊乃に、イドは慌てて剣を引き抜いた。

 だが、遊乃は剣を抜かない。


 のは、デューだった。


 彼女が特攻を仕掛けるのがわかっていたとばかりに遊乃は何もせず、背後から飛び出したデューを見て、唇を歪め、笑っていた。


「あたしはなぁ! エルフをバカにするやつは、一発ぶん殴るって決めてンのよぉッ!!」


 自分の間合いにイドを納め、拳を振り上げる。

 最速で、最短で、相手を撃ち抜く為に磨かれたその拳を、イドは視認すらしていない。


一点打ピンポインターッ!!」


 衝撃のブレを失くし、撃ち抜いた箇所を急所にする、今デューが持っている魔法で最も呪文である。

 それが、イドの鳩尾みぞおちに深く突き刺さった。


「ほ、ごぉ……ッ!? こっ、この……エルフ、風情が……」

「あんたがこの一撃打てるようなら、バカにされてやるわ」


 涙目で膝をつき、腹を押さえているイドを見下ろしてから、デューは再び、遊乃の元に戻った。

 すると、琴音がそんな彼女に耳打ちをする。


「どう? 遊乃くん、かっこいいでしょ」


 その言葉に、まともな返事を返さず、デューは顔を赤くして、舌打ちをした。


「なっ、にが……エルフ、だ……。人間じゃないやつが、偉そうにするなよ……ッ!」


 いつまで経ってもプライドを捨てられない、ダメな貴族の典型と言えるような、イドの態度。


「人間が、一番偉い……違うか! 違うかよぉ、風祭ぃッ!」


 まるで、自分が欲したものが手に入らないから、あんなものに価値などないと叫ぶような、イドの絶叫。

 自分が一番偉いと感じている遊乃なら、もしかしたらそれを受け入れてくれるかもしれないと、イドは無意識で思っていたのだ。


 しかし、敵である人間に優しくするほど、風祭遊乃という人間は甘くない。

 さらに言えば、イドの遊乃に対する印象も、また勘違いである。


「うるさいぞ、雑魚」


 それだけ言うと、遊乃はイドの顔面に、思い切り前蹴りを叩き込んだ。

 足の裏で、何か柔らかいものがひん曲がるような感覚がしたので、鼻が折れたかな、と遊乃は思った。


「お前の考えなんて知るか。それに、俺様は偉いとかじゃなくて、すごいやつになりたいんだ」


 その言葉を聞いたイドは、最後まで彼のことが理解できないまま、意識を闇に沈めた。

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