第15話『エンチャント・ドラゴン』

 デュー・ニー・ズィーは、朝から気分がよかった。


 理由はもちろん、昨日に行った遊乃との決闘に勝ったから。


 あのペテン師、ちょっとした偶然で未知の部屋を見つけて女の子を拾ったくらいで、あたしより目立ったのだから、あれくらいされて当然だ。


 そう思っていたから。そして今日、登校して選択した授業――キャファー生体概論の教室に座っていると、同じく授業を受けるメンバー達が、デューの周囲に集まってきた。


「デューちゃん、すごかったね昨日は! 風祭くんが一撃でノックダウンなんて!」


 友人の一人からそう言われ、デューは「まあね」としたり顔。

 ちなみに、デバイスは持ち主の見た映像を保存しておくことができるので、遊乃を倒したシーンを見せてまわったのだ。


「あの程度、ハナから問題じゃないのよ。あたしの実力は一年の中で一番なんだから」


 その言葉に、「おーっ」と歓声が上がる。


 これだ。やはりあたしはこの注目を受けるだけの実力があるんだ。優越感は、まるで名泉に浸かった様に彼女の体へと染み渡っていく。彼女にとって究極の快楽。注目を浴びる事。だからこそ彼女は討伐騎士を目指し、栄誉を手にしたかったのだ。


 そしてその第一歩は、間違いなく成功した。風祭遊乃という、話題性だけはあった踏み台のおかげで。


 彼女は表向き、少しだけ笑いながらも、心の中では大笑いしていた。ここからあたしの夢が形を成していくのだと、そう思っていた。


「はんっ」


 そして、そんな彼女の夢に水を差すようなタイミングで、鼻で笑う声がした。


「誰よ!」


 そんな空気に、デューはデジャヴを感じる。教室の黒板側ドアには、遊乃とリュウコが立っていた。


「いよぉー。お気楽だなぁ。昨日は偶然俺様に勝っただけだというに」

「まったく、その通りです」


 胸を張る遊乃と、それを真似するリュウコ。

 二人は教室中全員からの注目を完璧に集めていた。デューへの意趣返しと言わんばかりの挑発。


 そして、自分が集めていた注目を一気にかっさらっていった事。それらがデューを酷く苛つかせた。


「なによ、偶然って。明らかにアンタの実力不足じゃない」


 デューは、そう言って遊乃へと一歩踏み出す。二人は会話するのに充分な射程圏内へと近づき、遊乃が口を開く。


「ふん。昨日は油断しただけだ。今日はリュウコもノリノリだぞ」

「ぶっつぶしてやります」


 と、覚えたての言葉を態度とまったく違った使い方をするリュウコ。まるで壊れたラジカセみたいに、遊乃の言葉に相づちを打つ。


「昨日みたいに不甲斐ない勝負をされんのもイヤなのよ。こっちだって暇じゃないんだから」


「ふむ。ならば仕方ない。今回負けたら、俺様がなんでもしてやろう」


 ざわつく周囲の生徒達。そこまで言うからには、本当に自信があるのだろう、と。

 だが、それは逆に、デューの苛立ちを加速させる事になる。


「上等じゃないの! なら、あたしも負けたらなんだってするわよ!」


 そうなると、盛り上がらない方がおかしい。

 ホームランが飛んだ野球場の様に歓声が湧き起こる。


「――なんでも、と言ったな?」


 遊乃は、自分も言った事を忘れたみたいに、不敵な笑みを見せる。


「……へ?」

「俺様がお前に対して要求する事は、エロい事だぞ。わかっているな」

「な、ななななっ!」


 顔を真っ赤にして、デューは酸素を求める金魚みたいに口をパクパクさせる。女子からはブーイング、男子からは賞賛の声。遊乃は、その賞賛しか聞いていないみたいに、「やーやー」と手を広げて賞賛をシャワーみたいに浴びていた。


「ABCたっぷりのフルコースだ! 放課後、格技場で待ってるぞ! ナーッハッハッハッハッハ!」

「お待ちしております」


 遊乃とリュウコは、二人そろって、教室を出て行った。


 デューはそんな態度に、舐められていると確信する。遊乃はデューをおちょくりに来たのだ、と。リベンジマッチの申し込みのついでに、行き掛けの駄賃とばかりに。


 それに気づくと、彼女の拳は硬くなっていた。今なら鉄にだって穴が開けられるかもしれないと思う程。


  ■


 そして放課後。


 遊乃は一人、格技場でデューを待っていた。周囲から向けられる訝しげな視線をまったく気にせず、岩に腰を下ろして空を見上げていた。


 まるで、ぼんやりと動かない動物園の動物が動き出すのを待っている様に、周囲がイラつき始めた辺りで、デューが格技場へと入ってくる。そして前日の様に遊乃の前へ立ち、

「待たせたわね」


 と、不機嫌そうに眉間へシワを集めて言った。


「俺様を待たせるとは、けしからんな」


 遊乃は岩から降りると、腰から剣を抜く。その剣は、リュウコを拾った場所にあった物。そのオーラに、デューのアンテナも反応したのか、彼女は警戒心を露わにする。拳を挙げてファイティングポーズを取ると、そこでやっとある事に気づく。


「……あの、リュウコって子はどこにいったの」


「ちゃんといるぜ。今回は、俺とリュウコのリベンジマッチだからな!」


 遊乃はそう言うと、跳んでデューの頭上から斬撃を一閃。彼女はそれをグローブの拳頭部分の鉄で防ぐと、背後に立った遊乃からのもう一閃を前方へ転がる事で躱す。すこし大袈裟に飛んだので、距離も充分取った。拳でも剣でも届かない距離。


 ここから一気に間合いを詰めて、拳を連打してやる。


 懐に潜ってしまえば、剣なんて邪魔なだけ。だからこそ、デューは早急に接近戦へ持ち込む事を優先した。


 一歩地面を蹴り出すと、遊乃は剣を頭上へ掲げ、振りかぶっていた。


「リュウコ! 光のブレス!」


 そう言うと、遊乃の刀身が淡く白く発光する。まるで、その場だけ白く塗りつぶされていくみたいに、刀身が消えていく。


(マズイ――ッ!)


 実力で培われた経験という名の勘が、デューの中で危険信号を鳴らす。遊乃が剣を振り下ろすより早く、デューは右へ転がり込む。


 遊乃が剣を振り下ろすと、刀身が光で伸び、デューがいた場所に亀裂が走った。遊乃から一〇メートル以上離れたフェンスを両断するほどの光。デューは思わず、その光景を見てゾッとした。あれが今、自分に向けて放たれたのか、と。


「ちっ。リュウコ、もうちょいチャージ早くできねえか?」


 剣に向かって話しかける遊乃に、デューは何をやっているんだとその様をジッと見つめていた。


 すると、剣からリュウコの身体が生えてきたのだ。デューはさすがに驚いてしまった。

「光のブレスはチャージに時間がかかります。連発は無理かと」


 その光景には、周りで見ていた生徒達も驚いていた。悲鳴をあげる者、マジックショーでも見た様な歓声をあげる者。とにかくうるさくなっているのは間違いなかった。


「あ、アンタ……それなによ……?」


 デューが、指先を震わしながら、リュウコを指差す。


「これがリュウコの力だ。リュウコは、自分が封印されていた剣に戻る事ができる。こうしていれば、俺様が使えるレベルでリュウコの力を使える事ができるのだ」


「――それはつまり、リュウコって子の力を、全部は使ってないって事かしら」


 デューのこめかみに、青筋が走る。彼女は自分が短気だとわかっているし、それを抑える努力もしていた。しかし、その努力は大抵の場合無駄に終わる。自分が侮られるという事が何よりも嫌いな彼女は、そう思った瞬間に頭が真っ白となるのだ。


「殺してやる――ッ!」


 デューの顔から、怒り以外の感情が消えた瞬間。

 彼女の姿その物が消えた。


「ご主人様! 下です!」


 リュウコの言葉に、遊乃は視線を下へと移す。体勢を限界ギリギリまで下へ落とし、まるでレスリングのタックルと言わんばかりの姿勢制御。


 あらゆる武術の立ち技は、大方の場合立った相手の上半身を攻撃する為の技。今のデューみたいに低い体勢を取られてしまうと、剣では攻撃がし辛い。


 仕方がないので、遊乃は踏み潰して迎撃しようと足を上げるのだが、デューはそんな遊乃の足裏へ蛙の様な体勢から跳んで、アッパーで迎撃。


 全体重をかけて踏み潰そうとする遊乃には、重力の恩恵もある。だから、遊乃が競り勝つはずだった。


 しかし何があったのか、デューの拳が爆発した。


 空気を思い切り破裂させ、その推進力が遊乃の足を押し返す。


「うぉ――ッ」


 突如自分の体が宙へ舞っている事に気づいて、遊乃は空中での姿勢制御を行おうとする。その時、自分が一〇メートル以上は舞い上がっているのに気付き、一瞬思わず震えた。


「空中じゃ、身動きは取れないでしょ!」


 デューは地面を殴り、再び拳を爆発させて飛ぶ。まるでミサイルみたいに遊乃へと飛んで行く。


「あたしのお気に入り魔法、『爆撃拳』拳を爆発させ、絶大なる攻撃力と機動力を生む! これにあたしの拳が加われば、この通りよ!」


 遊乃と空中で射程距離を交えるデューは、そのまま拳を弓引き、放つと同時に爆発させる。それにより、地面を踏まずとも空中で拳に攻撃力を持たせる事ができるのだ。


「リュウコ! 炎のブレス!」


 遊乃は剣を横へ振ると、剣から炎が吹き出し、推進力を生む。それにより、遊乃は拳を躱す事に成功する。


「ちぃっ! だけど、あたしの方が機動力は高いようね! 逃げるには足が遅すぎよっ!」


 デューは空中を殴り、拳を爆発させ、遊乃を追った。デューの一撃は、ただひたすらに相手を倒す為攻撃力を磨かれた物。遊乃も、その攻撃力は素直に尊敬した。


「逃げるぅ?」


 遊乃は、ニヤリと笑った。


「俺様が逃げる事など、ありえんのだ」


 何を言っているんだ? いま、実際に逃げの動作を取ったじゃないか。デューはそう思ったが、彼女は決して遊乃を侮っているわけではない。何かが来ると、そう思った。


「これは、戦略的撤退と言うのだ!」


 遊乃は真上へと炎のブレスを放ち、急速に下へ降りる。そして、地面間際で再び地面に対してブレスを放ち、落下の衝撃を殺して着地した。


「そ、それは逃げたって言うのよ!」


 デューも、地面に拳を突き立てて着地し、二人は最初の位置関係に戻った。それに伴い、戦いもふりだしから。


「貴様のお気に入り魔法――爆撃拳と言ったか。確かにすごいな。少し驚いたが、どってことはない」

「防戦一方だったクセに……! よくそこまで言えたモンだわね……」

「今度は、俺様お気に入りの魔法を見せてやろう」

「魔法――?」


 デューは、遊乃と戦う前に彼の事を調べた。


 その中に特筆的なデータとして、彼はリュウコを使役する為に魔法容量スロットを大多数割いている。魔法は初級呪文一つしか覚えられないはずだ。


 今更大した物でもないと割れている魔法を使って、何をするつもりだ。


 そう警戒するデューを尻目に、遊乃は腰の鞘に拳を収め、リュウコが剣から出た。


「どうぞ、ご主人様」


 そして、そのリュウコが、遊乃へ手に持っていたもう一つの剣を渡した。明らかに先ほどまで使っていた物よりも性能が落ちる、普通の剣だ。


「リュウコは向こう行ってな。ここからは俺様がやる」

「かしこまりました。ご主人様の力、見せてください」


 リュウコは、黒い柄の剣を持って格技場から出て行ってしまう。


 残ったのは、普通の剣を持ち、初級呪文一つだけしか使えない、レベルもデューより格段に低い男だけ。


 そうなっては、遊乃がデューに勝てる道理など、本来はない。


 だがそんな事すら、デューの頭からは消え去る。今までだって激怒していた。彼を倒す以外の事が頭から消え去る程に。しかしデューは、自分最大の怒りを体験する事になる。人生でこれ以上ないほど怒っていたのだ。


「あ、ああん、アンタ……。あた、あたしを、デュー・ニー・ズィーだと、知って、そんな愚行を……」


 すでに言語さえ怪しくなるほど、自分がきちんと立てているのかさえもわからなくなるほどの怒り。デューは頭がどうにかなりそうだった。というより、どうにかなっているのに自分ではわかっていないのではないかと、彼女は頭のどこかで思っていた。


「え、なに? タン・タン・メン?」


 遊乃はわざとらしく、耳に手を添えて聞き逃したふりをする。


 それが安い挑発だとわかっていても、もうデューの頭は何を言われてもすべて怒りのエネルギーへと変換される。


「テメェェェェッ!」


 しゃがみ込み、デューは両手で地面を叩く。両手による爆発の推進力。先ほどよりも速く、一瞬で遊乃の腹を撃ち抜くはずだった。


 しかし、デューが飛び、遊乃を貫いたはずだと止まるも、その場に遊乃はいない。


「――あ、あれ?」


 あのスピードから逃れる事は、できないはずだ。

 彼女は周囲を見回すが、遊乃の姿はどこにもない。ふっ飛ばしてしまったのかと一瞬思ったが、それにしては手応えがなかった。


「どこを見てる」


 後ろからの声。遊乃は、デューの後ろに立っていた。今のデューは、遊乃を倒すために心まで武装しているような状態。遊乃の声がした方へ、反射的に拳を振るった。


「おおっと!」


 遊乃はその拳を剣で払うと、それ以上の追撃はしない。デューが体勢を整えるのを待っているみたいに。


「風祭、アンタ――今、何を使ったの……?」


 怒りで乱れた心は、一瞬で静かになる。自分が遊乃に翻弄されている事がわかったから。


「俺様が選んだのは、『脱兎の如く』素早さを上げる初級呪文だ」

「そ、それでなんであんなに素早さが上がるのよ! あれは、ほんの少ししか上がらない、それこそ雑魚呪文じゃない!」

「……俺様は考えた」


 まったくデューの話を聞いていないみたいに、遊乃は呟く。


「呪文が一つしか使えない場合、どういう物を覚えるべきか。回復魔法か、それとも短所を補う補助魔法か……。しかし、短所を補うでは、まるで逃げているようで嫌いだ。だから、俺は長所を伸ばす事にした。俺様のパラメーターで、一番高いのは素早さだったからな」

「あ、あんたの素早さなんて――」


 デューは、『――大した事じゃない』と返してやるつもりだった。


 しかし、初陣ではデューの拳を躱していたし、今までだって身のこなしは軽やかだったのは間違いない。


「だ、だとしても、それ使いながらあの子の力を使えばいいじゃないの!」

「アホか。それだと俺様が勝った事にはならんだろうが。お前を屈服させるには、俺様だけの力でやる必要がある」


 遊乃は肩に剣を乗せ、当然だろと言わんばかりに胸を張った。


 しかし、逆にチャンスだ。今、遊乃にはリュウコがいない。デューはそう思うや否や、「うぉぉぉぉぉっ!」と声を出し、遊乃へ向かって拳を突き出す。嵐の様に激しい拳打。しかし、遊乃は『脱兎の如く』を使い、そのすべてを紙一重で躱していく。


 素早さを強化された遊乃は、デューの首筋へ、剣を突きつけた。


 お互いの動きが止まり、勝負の余韻が辺りへと満ちる。そして、デューは舌打ちして拳を下げると、


「……あたしの、負けだわ」


 そう言って、地面へと座り込んだ。


「ま、当然だな」


 遊乃も剣を鞘に収め、小さく溜息を吐いた。

 周囲の歓声が、止んでいる。先ほどまではデューか遊乃、どちらかを応援する声があったのに。


 それほどまでに、遊乃の実力が、リュウコを使わずとも、一年生を大きく上回っているからだ。

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