第5話『覇王譚の執筆係』
リュウコの説明は単純で、帰路を半分歩く前にすべて済んでしまった。
遊乃の気絶中、何回も教師陣に説明していたから小馴れたというのとあるのだが、琴音に言うべきことはそう多くないと、かなり省いたかりだ。
「しっ、信じられませんよ! そんな、小説や漫画じゃないんですよ!」
「そう言われましても、事実なので」
ほら、と、リュウコは自らの腕にびっしりと黒い鱗を纏わせ、指先の爪を鋭く伸ばして見せた。
「ひっ、ひぇぇ……」
琴音は、遊乃の背後に隠れて、リュウコを窺う。
「大丈夫だっての。こいつは、多分悪いヤツじゃない」
ほれ、と、遊乃に押し出され、再びリュウコと向かい合う琴音。
彼女は、ジッとリュウコの変質した腕を見ていたが、引きつった笑顔を作る。
「ゆ、遊乃くんがそういうなら、私も信じます」
と、琴音は竜の腕を掴んで、握手した。
「あっ、ひんやりして気持ちいい」
琴音の顔が、やっとほぐれたのを見て、リュウコは周囲を見渡した。琴音に気になることがあったように、リュウコにもあったのだ。
「……しかし、ご主人様達、本当に空の上に住んでいたんですね」
空にコーヒーテーブルを浮かべ、その中心に大きな城を置き、周囲を城下町で囲むと、大体クラパスの形になる。
遊乃達は現在、その外周を歩いており、まるで海辺を歩いているように、街の反対側には空が広がっていた。
「あぁ。お前、もしかしたら都市船を見るのは初めてかもしれんな」
「……そう、かもしれませんね」
リュウコは柵に手を置いて、都市船の外側を見る。どこまでも青い空が広がっていて、下にはうすらぼんやりと、地上がある。だが、先ほど飛んだときよりも広く感じない。
ただ引き伸ばされた絵を見ている気分になるような景色だ。
「お二人は、こちらで生まれ育ったんですか」
「俺様はそうだな」
「私は、基礎学校の三年生くらいの時に引っ越してきました」
「なるほど、お二人はその頃からのお付き合いなのですね」
「おっ、お付き合い……!?」
琴音は顔を赤くし、メガネをすっ飛ばしそうな勢いで首を振った。
「ちっ、違います!私なんか、そんな、ただの幼馴染で……!」
「おや、そうなのですか?」
リュウコは、遊乃の顔をジッと見つめた。
「こいつは俺様の伝記を書くための執筆係で、討伐騎士になった際はパーティーを組むパートナーだ」
「……執筆係?」
「はい、本を読むのも、書くのも好きなんです」
「なるほど。ご主人様の覇王譚を担う、重要なお役目ですね」
「……その、覇王、なんですけど」
琴音はおずおずと、手を挙げた。その動作だけでも、彼女が気弱なのがわかるほどの弱々しい動作。
「どうして、遊乃くんが覇王なんですか?」
「私には、それ以外の記憶がありません。ただ、ご主人様を覇王にするのが役目である。それ以外の記憶が……」
初めて、リュウコの顔に、表情らしいものが浮かんだ。目を細め、何かを悲しそうに見つめるその表情に、遊乃は思わず後ろから彼女の髪をぐしゃぐしゃっと撫でた。
「わっ」
小さな悲鳴を上げ、乱れた後ろ髪を手櫛で直しながら、遊乃を見つめる。
「な、なんですか、ご主人様」
「記憶がどーとか、そんな小さなことは気にするな。お前はお前だ。俺様の
ふんっ、と鼻息を荒くし、腕を組む遊乃。
「でも遊乃くん、覇王っていうか、王様って感じじゃないよね」
琴音は口元を押さえ、クスクス笑っていた。
「まったくだ。俺様は王ではなく、世界制覇をする男。この世で最も自由になる男だ。王なんて、自由の欠片もなさそうなもん、なりたくないわ」
「そう仰られても、なるのは運命なのですよ」
と、リュウコは少し困ったように笑った。
「なんだか、ちょっとずつ表情が豊かになってきたな。緊張が解けてきたか」
「私が、緊張?」
リュウコは首を傾げ、そして「あぁ……」と息を漏らし、納得したように頷いた。まるで憑き物でも落ちたように、スッキリとした顔。
「ええ、そうですね……。その言葉、しっくり来ました。私、緊張していたみたいです」
「無理もないですよ。目覚めてすぐですし、さっきまで、マリ校長に会ってたんですよね。気圧されてたのかもしれないですよ」
「あのバアさんにか?」
「ばっ……」
遊乃の“バアさん”扱いに顔を青くし、肩を掴んで彼を揺する琴音。
「まっ、まさかまさか遊乃くん!? 校長先生をそうやって呼んでないよね!?」
「呼んだが」
「呼んでましたね」
琴音は今日一番大きなため息を吐いて、「もぉー……」と頭を抱えていた。
「先生には、しかも校長先生には特に、ちゃんとした態度を取らないとダメでしょ!」
「ああ。世界を制覇する男として、ちゃんとした態度を――」
「そういうのは世界を制覇してからにして!」
「世界制覇できてからその態度では、まるで小物じゃないか! できるかそんなこと!!」
「ちゃんと合格できたの!?」
「当たり前だ! 心配することすら失礼だぞ!」
と、二人はお互いに、合格の印であるデバイスを見せ合いながら、ぎゃんぎゃん喚き散らし喧嘩を始める。まるで、子犬同士がじゃれているような光景を見ながら、リュウコは「なんだかすごい会話だな」と思いながらも、微笑ましさを感じていた。
■
琴音の家は町中にあるらしく、そこからすぐに別れる事となった。
「遊乃くん! 一週間後、迎えに行くからね! 寝坊しないでよ!」
と言い、琴音は喧嘩の余韻を引きずって少し声を荒げたまま、分かれ道を遊乃達とは逆の方向に歩いて行った。
対して遊乃達が向かったのは、そこから更に外周を歩いた先。
レンガと木組みで出来た、近代的な町から農村的な雰囲気を醸し出す、土と草の命の匂いが溢れる場所だった。
いつの間にかなくなっていた石畳ではなく、土を踏みながら、遊乃達は木で出来た一つの家の前に立った。
「……ここがご主人様の家なのですか」
「あぁ。風祭家だ」
リュウコは周囲を見渡すと、その家から伸びている柵が、畑を囲んでいると気づいた。
「もしかして、ご主人様の家って、農家なのですか」
「あぁ。主にトマトとじゃがいもを作っている。なかなか評判なんだぞ」
ふぅ、とため息を吐いて、遊乃はドアノブに手をかけた。
だが、なかなか開こうとしない遊乃の肩に、リュウコは手を置く。
「どうなさいました」
「めんどくせえんだよ。親父とお袋に、お前のことを説明するのが。琴音はごねても黙らせられたが、二人はそうできねえからな……」
「ご安心ください。私がうまく言いますから」
「できねえと思うがな……」
遊乃はそう言って、やっと扉を開いた。
すると、いきなり人影が二つ、二人に向かって飛んできたので、リュウコは思わず腰を落とし、臨戦態勢を取る。
だが、もちろんそれは敵でなく、遊乃の両親だった。
「おかえりなさい遊乃! どうだった!? 龍堂学園落ちた!?」
と、黒髪にミディアムヘアーのエプロンをした女性が、遊乃の肩を掴んで力いっぱい揺すっていた。
「おぉぉぉッ!? なんだこっちのべっぴんさんは!? 母さん! 遊乃が琴音ちゃん以外の女の子を連れてるぞ!?」
と、大きな体に筋骨隆々の、弁当箱みたいに四角い顔をした、太眉で色黒の男が、リュウコを指差し、腰が抜けるのではと思うほど驚きを見せていた。
「うるせえぞ二人とも! 龍堂学園には受かったよ! 俺様なら当然だ!」
そう言って、再び卒業の証であるデバイスを二人に見せつける遊乃。当然喜ぶのかとリュウコは思っていたが、なぜか、両親である二人はがっくりと肩を落としていた。
「あっ、あの、ご主人様……両親、なのですよね?」
「あぁ。不本意だがな。ノエル・カザマツリと、
「なぜ、合格を喜んでいらっしゃらないのでしょう」
「昔から、俺に農家を継いでほしいと言ってたからな。今回、龍堂学園に受からなければ、農家を継ぐと約束していた」
なるほど、と、人知れずリュウコは安堵のため息を吐く。もしも遊乃が落ちていたら、覇王になる道がそもそもなかったのか、と思ったからだ。
「あぁ、これで息子が世界制覇なんて大きな夢に歩みだしてしまう……」
「大丈夫よあなた。遊乃なら、すぐ飽きて農家を継いでくれるわ」
「聞こえてるぞオイ! 息子の夢くらい素直に応援せんか!」
「だって、ねえ……」と、優作はノエルの顔を見た。
「そうよ。両親が息子に同じ仕事をしてもらいたい、バカなこと言ってないで現実を見てほしいと思うのは、当然じゃないの」
ノエルはそんな手厳しいことを言っていたが、普段から言われている遊乃は「ケッ」と面白くなさそうに顔を歪めていた。
「……それで、遊乃?」
「あんだよ」
父である優作は、チラチラとリュウコを見ながら、意を決したように息を溜めて言った。
「この綺麗なメイドさんは、誰?」
「申し遅れました。お父様、お母様」
リュウコは長いスカートをちょこんと摘み、頭を下げた。その気品溢れる動作に、農家という労働階級の二人は気圧されたのか、一歩退く。
「私はリュウコ。風祭遊乃様を、覇王にするべく仕えているメイドでございます」
「今日から一週間、ここで一緒に住むからな」
両親二人の絶句顔。
これからもっとめんどくさい説明が待っているのだが、それでも構わないくらい、遊乃はその顔をいい気味だと思っていた。
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