第2話『地上は広い。どこまでも行ける』

 いま、この世界で最も読まれている本、誰でも知っている本となると、それは『トランフル・クラパス』と呼ばれる勇者の物語だった。


 彼は人類が地上で生きていた時代、毒素が地上を汚染し始めた頃、各地でキャファーを倒し続け、人類が空へ逃れる時間を稼いだ男である。


 最も多くのキャファーを殺した彼の物語は、人類が空で生活を初めてからすぐに出版され、教科書にも一部抜粋され、広い空世界で、誰しもが一度はその名を耳にしたことがあるほどだ。


 当然、遊乃も六歳から一二歳まで通う基礎学校時代に、その名を教科書で何度も目にした。


 そして、ある日、担任の教師が「これがトランフル様の伝記だ。世界を救った勇者様の、偉大な生き方をみんなにも学んでほしい」と言い出し、学級文庫の棚に置いた。


 と、言っても、授業でもよく使われるので、皆触りすらしなかったが、遊乃だけは、それを何度も見返していた。


 トランフルに憧れた、というわけではない。


 世界を巡る冒険に憧れたのだ。未知なる物を探求し、そして、広い世界をすべて見て回る。それこそが、ずっと変わらない遊乃の夢。


 だから、遊乃は討伐騎士テンプルナイト育成学園の面接でも「将来の夢はなんですか?」と尋ねられ、周囲の生徒達が「キャファーや毒素から地上を取り戻す礎となりたい」なんて立派なことを言う中、嘘偽らずに答えた。


「俺の夢は世界制覇。空も地上も、すべて見て回り、トランフルとかいうおっさんよりも偉大な伝記を作ること」


 周囲は皆、言葉を失った。


 彼が受験している龍堂学園はクラパスという名の都市船にある。それはつまり、地上での功績を認められ、王となったトランフルが築いた王国だということ。


 もっと言えば、龍堂学園はもともと、トランフルが王国を守る騎士を育成する学校として、設立し、後に討伐騎士を育成する学校となったのだ。


 自分が住んでいる王国の王と、受験している学校の創立者を、おっさん呼ばわりした上に、でかい夢を語っている。


 実力主義の討伐騎士でなければ、その場で落とされていても不思議ではなかった。


 だが、夢を偽ったり、諦めろと言われるのは、遊乃が最も嫌いなこと。


 だから、いつだって自信満々に語る。


「俺様の夢は、世界制覇だ。世界をすべて見て回り、もっとも偉大な男になる」


 メイドの少女は、表情を崩さないまま、首を傾げていた。


「それは……覇王と違うのですか」

「違うに決まっとろーが。いいか? 覇王ということはだ、人類の支配をするだろ? 俺は支配になんぞ、興味ない。自分のことだけで手一杯だ」


「世界を見て回るのは、一緒では」

「いや、全然違う。世界を見て回るのは、世界で最も自由で、偉大な男になるためだ。えらくなりたいわけじゃない」


「なるほど。少し、理解しました」


 言うと、少女は立ち上がった。そのしゃなりとキマった動作は、一流のメイドである証。

 形が整い、血色のいい唇が動く。


「あなたは、バカなのですね」

「あぁ!?」

ご主人様マスターはバカである、覚えておきます」


「覚えんでいい! だいたい、勝手にマスターなどと呼ぶな! お前が何者か、何も聞いてないぞ。そんなやつをメイドになんてするか!」


「それなんですが」

 メイドは、すう、と息を少し吸い込んで、言った。


「先程も言ったように、記憶がありません。ただ、あなたが私のご主人様である、ということだけは、確信しています」

「……お前、毒素の吸いすぎで頭おかしくなったんじゃねえだろうな」

「今はそう思っていただいて、構いません」


 そう言うと、メイドは黙った。

 なにかするんじゃないのか、と思って、数秒見守ったが、動く気配がなかったので、遊乃は


「仕方ない。なら、出口に向かうか」

「ここから出たいのですか」

「当たり前だ。大体、俺はいま、入試の真っ最中なんだ。お前みたいなやつに関わっている暇などない。ここで躓いて、世界制覇が遅れるのもイヤだしな」


「かしこまりました。では、脱出しましょう」

「そう簡単に言うが、できたら苦労は……」


 メイドは、上を向いて、今度は大きく息を吸い込んで、吐いた。


 ただの吐息ではない、ただの酸素だったはずなのに、彼女の唇を通して外へ出た瞬間、まるで質量を持った光のような、輝きに満ちた吐息が暴風のような勢いで、天井を貫いたのだ。


 地震のように周囲が揺れて、体をかばっていた遊乃が腕を退け、上を見上げると、そこには大きな穴が空いていた。最初からそんな形だったかのように、きれいな穴。


「さぁ、出ましょうか」

「お、おま、お前、なんだそれ。魔法か!? そんな魔法、見たことが――」

「後ろ、失礼しますよ」


 言って、メイドが遊乃を羽交い締めにする。


「なんだ!? なにするつもりだ!」

「暴れると舌を噛みますよ」


 今度は、少女の背中から、翼が生えた。黒いその翼に、遊乃は見覚えがあった。トランフルの伝記によく出てきた挿絵に、それっぽいものがあったから。


「お前、それ……ど、ドラゴンの翼か!」

「……なるほど、その言葉、しっくり来ました。どうやら私、ドラゴンみたいですね」


 満足げに頷いて、少女は力いっぱいその翼をはためかせた。ボフッ、と風が流れて埃を巻き上げて、少女の体が、遊乃ごと浮いた。


「うおっ、飛んでる! すげえ!」


 喜んでいる遊乃だったが、それは一瞬。

 次の瞬間には、まるで思いっきり上に放り投げられたような衝撃が体を襲い、遊乃とメイドの体が浮かび上がっていた。


「うぉぉぉぉッ!?」

「うるさいですよ、バカ」

「ば、バカってお前なぁぁぁぁッ! もっとゆっくり飛べんのか!?」

「早く脱出したいのでは?」

「物には限度ってもんがあるんだよ!」

「そう言われましても、もう脱出完了ですよ」


 その言葉で、遊乃はやっと周囲に意識が向いた。


 そこは、山頂よりはるか上空。先程までいたダンジョンは、山の中で蟻の巣状に伸びていた地下洞窟。雄大な森と、気持ちのいい風が、初めて地上に降りた遊乃を祝福していた。


 死の大地と化した地上は、話や文献で見た死の大地とはまるで違い、光り輝いていた。


「こっ、これが、これが地上か……! どれだけ広いんだ、どこまで行ける!?」


 遊乃は目を輝かせ、自分の背後にいるメイドを見た。


「さぁ……記憶がないので、感覚だけで話しますが、きっと、

「そうかぁ……俺はこれから、こんなに広い世界を冒険するのか」


 遊乃の胸が、痛いほど高鳴っていた。俺の可能性はこの世界にどこまで通用する? そう考えたら、今すぐにでも駆け出したいほど、彼はワクワクを抑えられない。


「そうと決まったら、とっとと合格するぞ! おい、お前……いや、名前、ないんだったな」

「ええ、まぁ」

「なら、お前のことはと呼ぶ。ドラゴンの羽なんて、面白いものを持っているしな」

「はぁ、安直ですね」

「名前は単純がいいんだよ。さぁ、とっとと地上に降りろ。あの辺りだな」


 遊乃は山の麓を指差すと、メイド――リュウコは「かしこまりました」と言って、勢いよく降下した。

 勢いよく飛び降りると、風が体に叩きつけられるが、今の遊乃はそれさえも楽しい。


 そうして、洞窟の出口である、森と山の境目辺りに降りると、そこには試験官がいた。スーツを着たその男性は、どうやら空を見ていたようで、降りてきた遊乃達にすぐ築いた。


「おや? もしかして、俺様達が合格一位か。さすが俺様、運命さえも味方につけるな!」


 ガハハハハハ、と腰に手を当て、遊乃は試験官に大笑いを見せた。

 すると、男性教師が険しい形相で駆け寄ってきて、

「な、なんだキミは!? あれはキミがやったのか! 大きな光が出ていたが!」


 と、言ってきたので、遊乃は思い切り胸を張った。


「おう! ダンジョン脱出のためにな!」

 そう言うと、男性教師は、遊乃に手のひらを向け


「ふっ、ふざけるなよ素人がぁぁぁッ!」


 と、激流の水を放った。

 水圧で相手の体にダメージを与える、攻撃魔法。

 レベル差がありすぎる相手かつ、予想だにしない一撃だったために躱すことすらできず。

 遊乃は気絶させられ、意識を失った。

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