第2話
連邦宇宙軍にも花形と言える部隊が存在する。宇宙軍を統括する宇宙軍幕僚本部の面々などがそうだが、実働部隊で見れば十二個艦隊を統括する連邦宇宙軍宇宙艦隊がまさにそうである。
連邦宇宙軍が発足してから宇宙軍のトップである幕僚総長に就任した歴代の将官達は、皆宇宙艦隊の艦隊司令官を経験し、そこから宇宙艦隊総参謀長、宇宙艦隊司令長官を就任し、あるいは幕僚本部次長を経験することで幕僚総長となっている。
逆に言えば、宇宙艦隊に所属しているということは、エリートコースであり出世街道にいることを意味する。
そんな宇宙艦隊の中で、一番有能な艦隊司令官を挙げろと言われた場合、目の前にいるブロンドの貴婦人がぶっちぎりの一位であろう。
沢木哲也はやや緊張しながら、リモージュのティーカップに注がれた極上のコーヒーを飲みながらそう思った。
「お口に合うかしら?」
気遣うフォッシュの経歴は間違いなくキャリアウーマン、というよりもエリート街道を突き進む提督だが、穏和でどこか暖かみがある風格はそんな感じが一切見えない。
整えられた軍服と制帽のフォッシュに対して、沢木の格好は戦闘服とブルゾンである。
着替えていこうと思ったが、そのままでいいと言われて着てみれば、第3艦隊の面々は誰もが整った服装をしていた。
艦隊司令官のキャラクター性で自然と部下達も同じ色に染まるとはいうが、それを痛感させられる。
「かなり旨……美味しいコーヒーですね」
しかし、対面するフォッシュはつかみ所が無いほどにフレンドリーであった。
「こう見えても、コーヒーにはこだわる方なのよ。上質のブルーマウンテンを、ダッチコーヒーで入れて、それを湯煎しただけ。たったそれだけで味が違うのがコーヒーの面白いところなの」
通りでその辺のコーヒーショップのコーヒーよりも旨いわけだ。
普段は緑茶を飲んでいる沢木は、独特の酸味があるコーヒーが苦手なのだが、それを感じさせないほど、出されたコーヒーは文句の付け所が無いほどに旨い。
「沢木大佐は、今年でたしか三十才よね」
唐突に年齢について聞かれることに、いったいなんの意味があるのか疑問がわくが、当たり障りなく「三ヶ月後にはそうなります」と答えた。
「若くて有能な指揮官が増えるのはいいことだわ。歳を取ると、人間思考が硬直するものよ」
そういうフォッシュは、たしか今年で四十五歳のはずだ。杉田恭一が第11艦隊司令官になるまで、ナタリー・フォッシュ中将は紅一点の艦隊司令官であり、最年少の艦隊司令官であったことは有名であった。
それでも、目の前にいるにいるフォッシュはどうみても三十代ぐらいにしか見えない。
「フォッシュ提督のことは、杉田中将からよく伺っております」
「あんまりいい噂ではないでしょう?」
「ボンヌ・メールの噂は私の士官学校時代でも有名でした」
謙遜しているが、ナタリー・フォッシュ中将は艦隊司令官になる前は士官学校の教官を勤めていた。
その指導はかなり厳しいものであったというが、暖かみがあり的確な指導であったことから、当時の士官学校の生徒達は彼女をボンヌ・メール(おっかさん)と呼んでいたほどだ。
「あなたの方こそ有名よ。第442空戦連隊の活躍は聞いているわ。先日も、ヴェガの海賊を退治したそうじゃない?」
「有能な部下と指揮官に恵まれていただけですから」
事実その通りであることから、沢木はわざとらしく照れながらそう言った。いきなり呼び出しを食らった結果、気づけば当たり障りのないコーヒータイムになっていることに沢木は気づいた。
「杉田君は絶賛していたわ。決断力に優れ、臨機応変という言葉が当てはまる指揮官。それがあなただとね」
「杉田中将はお世辞が上手ですからね」
「そうかしら?」
マグカップに入っているコーヒーをそのまま飲み干し、従卒に二杯目を用意させると、フォッシュは懐からハンディモバイルを取り出し、沢木の目の前で操作してみせた。
「士官学校は三位で卒業、以後宇宙軍空戦部隊パイロットとして活躍。宇宙軍合同演習では二連覇を達成、撃墜数も現在トップ3に入る腕前でありながらも、指揮官としても優れ、今では第442空戦連隊連隊長として活躍。文句なし、それどころか、かなりの経歴と実績というべきかしら?」
改めて言われると、どことなく落ち着かない感じがするが、第3艦隊司令官として辣腕を振るっている提督にそう言われるのは、悪い気がしない。
「たまたまですよ」
「たまたまと偶然だけで宇宙軍は二十代の青年に大佐の位を与えるほど、いい加減な組織ではないわよ」
フォッシュは内ポケットにモバイルをしまうと、先ほどの温和な顔つきから一変して、どこか凍り付きそうな顔へと変貌する。
フォッシュ教官の前では良い子にしていろとは、杉田恭一からの忠告であったが、唐突な変わりように旨いコーヒーの味もどことなく苦く感じてしまった。
「で、ここからが本題になるわ。今日から第442空戦連隊は、私の指揮下に入ることになったの。よろしくね」
「え?」
「すでに辞令は出ているわよ」
フォッシュが懐から取り出した一枚の紙を手渡せると、そこには確かに第442空戦連隊が第3艦隊指揮下に入ることが明記され、プロキシマ方面軍司令長官である、アレクサンドル・クズネツォフ大将のサインが入っていた。
「確かに確認しましたが、杉田司令官から何も聞いていませんよ」
「急な話だったから仕方ないわ」
二杯目のコーヒーに砂糖をいれながらフォッシュがそう言ったが、あまりにも急な話に沢木としても半信半疑になった。
「正直な話、うちの空戦隊はあまり強くないのよ。全体の錬度は悪くないけど、今一つ決め手にかけるわ」
確かに第3艦隊に配備されている空戦隊についてはあまりいい話しを聞かない。現在の宇宙軍では空戦隊の活用が重要視されている中で、第3艦隊は砲撃戦に特化している。
それでも、演習や海賊退治などでは抜群の実績を誇るのは、フォッシュの指揮と艦隊全体の錬度が高いからだろう。
「それに、第11艦隊は士魂艦隊と呼ばれているそうね」
フォッシュの瞳は、沢木の来ているブルゾンのエンブレムを見ていた。11を漢数字にすると十一、それをいじると士になることから士魂と名付けられたが、第11艦隊はその名に恥じぬ精鋭艦隊として活躍している。
「勇ましくて結構なことだわ」
「ご冗談を。第3艦隊には「鉄壁の艦隊」という称号があるじゃないですか」
宇宙艦隊には各艦隊ごとに特色であったり異名が存在する。第11艦隊の士魂艦隊などはその一例だが、第3艦隊は鉄壁と呼ばれるほど、分厚い防御戦を得意とする。
過去演習で何度か、その鉄壁に阻まれて判定負けを食らったかわからないほどだ。
「第8艦隊の「雷鳴」や、第9艦隊の「
プロキシマ方面軍に所属する第8艦隊は圧倒的な機動力、そして第9艦隊はワープ航法を駆使した、変幻自在な攻撃を得意とすることからそう呼ばれている。
両艦隊も司令官を筆頭に、精鋭揃いで有名であった。
「ですが、かつて第8、第9、そして第11艦隊相手にプロキシマで演習した際は全く突き崩せなかったと聞いています」
「あれは偶然よ。それに、まだ第11艦隊は「士魂艦隊」ではなかったわ」
第3艦隊が鉄壁と称されたのは、この時の演習で三個艦隊からの攻撃を見事に防いだからだが、それを指揮していたのが目の前にいる年齢を感じさせない「妙齢の女性」であった。
「それに、第8、第9艦隊もまだまだ仕上がっていなかった。今やれと言われたら無理よ。ウチの艦隊の面々はあなた達と違ってお行儀が良すぎるから」
第3艦隊に比べれば、正直な話どの艦隊も荒くれ者ばかりであるのは確かなことではあるが、それでも結果をしっかりと出している司令官がそう言うのは、攻める上での一手、それを担えるような部隊が本気で欲しいのかもしれない。
「その点、あなたの部隊は群を抜いて素晴らしいわ」
「ご冗談を……」
「あいにく私はよく、冗談はヘタクソと言われることが多いの。あの杉田君が高評価するのも分かるわ。第442空戦連隊がいるだけで攻撃のバリエーションと、攻める上での一手のさし方も変わってくる」
鉄壁と称されるほどの、防御戦を得意とする名将からそう言われるとだんだんとその気になっていくことに沢木がどこか嫌な予感を感じた。
「そういえば、第442空戦連隊にはAFE-74バッカニアが配備されてるわね」
「まさか最新鋭機をいち早く配備されるとは思ってもいませんでした」
「感想は?」
「申し分ない機体です。まだテスト中ではありますが、いい機体だとは思います」
宇宙軍の実戦部隊で、唯一最新鋭機であるバッカニアの配備は、やはり気になるものなのだろうか。
「クズネツォフ提督に無理を言ってお願いした甲斐があったわね」
「どういうことでしょうか?」
二杯目のコーヒーを飲み終えるフォッシュの姿は、余裕に満ちていたことに沢木は疑問を抱く。
「まだ教導隊にしか配備されていない最新鋭機。それをいち早く第442空戦連隊に配備させたのは、私がクズネツォフ提督に要請したからよ」
その言葉に、沢木一瞬目が点になる。確かに、クズネツォフ大将を経由すれば、アルタイルまで最新鋭機を配備させることは容易いことではある。
「クズネツォフ提督は、そんなコネで動くような指揮官だとは思ってなかったんですがね」
「そんなことで動くような人なら、ジョミニ大将や杉田君を使いこなせるような人ではないわ。それに、第3艦隊の空戦隊の技量が低いことは、きちんとプロキシマ方面軍に伝えていることよ。だから、杉田君には面倒をかけている。すまないと思っているわ」
確かに、第3艦隊がアルタイルに駐屯しながら、第11艦隊があちこちを転戦させられていることに対しては、第11艦隊内部でも愚痴や不満を言う者がいた。
本来プロキシマ方面の防衛を担うはずが、気づけば統合軍に振り回されて各地を転戦させられる。
一応、司令官である杉田中将がフォッシュ提督の教え子であるからこそ、痛烈な批判が飛び交うようなことにはなっていないが、不満を持っていたのは紛れもない事実であった。
「第3艦隊は鉄壁という名称があまりにも重くなったわ、強くなったけど、同時にそれで弱くもなった。それを変えるには、新しい気風を受け入れることが必要よ」
「荷が重い話ですね」
そもそも、第3艦隊に部隊ごと異動することになるとは思ってもいなかったが、フォッシュの目は本気であることは間違いない。
「交換条件として、現在第3艦隊向けに配備されているバッカニアは全て第442空戦連隊に配備させるわ。そして、第442空戦連隊は必ず第11艦隊へと配置転換する。悪い条件ではないとは思うけど?」
微笑むフォッシュにはどこか、妖艶な表情を見せる。綺麗なバラにはトゲがあるとは言うが、なかなかどうして食えない女傑だ。
それに、プロキシマ方面軍に話が伝わっている上に、第11艦隊はシリウスからヴェガ方面での偵察行動中である。
休暇のつもりで駐屯しているだけに過ぎない自分達に、あえてアグレッサーをやれといっているならばそれをやるだけの話だ。
「了解致しました。謹んでお受け致します」
「悪いようにはしないわ。早速だけど、一つ任務をやって欲しいわ」
「任務ですか?」
訓練か何かだと思っていたが、予想外の回答が返ってきたことに沢木は違和感を感じた。
「簡単な任務よ。丁度今、第505連隊が衛星軌道で訓練をしているわ。彼女達と合流して、大気圏外での訓練をお願いね」
「了解です」
思わぬ事態になったことを部下達に説明することで頭がいっぱいになった沢木は、そそくさと退散する。
そして、それを見届けたフォッシュは司令官室にある電話を手に取った。
「フォッシュです。イエローエンブレムがすでに私の手の内にあります。事は全て順調に進んでいますよ。これで、彼らが宇宙に脱出しても無駄でしょうからね」
先ほどの冷徹ではあったが気品ある顔とは対照的に、どことなく悪意がある口調に受話器側からの声からは「大丈夫なんだろうな?」と返答が返ってくる。
「彼らの実力は、ヤーパンの古い言い回しですが「折り紙付き」です。それに、完璧に事を進めるつもりならばそちらで用意するべきでしょう」
受話器側の男が押し黙る。そしてフォッシュは続けて「宇宙のことは我々にお任せを。地上のことはあなた方にお任せします。それでよろしいですか、モーガン大将、そして……ガイオウ大将軍」
向こうが押し黙ったままであることからそそくさと電話を切ると、三杯目のコーヒーをフォッシュは飲む。
「コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければならない……か」
古い時代の言い回しを口ずさむと、コーヒーの色がいつも以上にどす黒く見えてくるから不思議なものだ。
「彼らにはこの味を理解出来る日が来るのかしら?」
少なくとも、地獄のように黒く、死のように濃い政変はすでに始まりつつあった。
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