第3話

 「つまりは、融和を優先せよということですか」


 プロキシマ方面軍司令長官、アレクサンドル・クズネツォフ大将は呆れながらそうつぶやいた。


 痩身ながらも柔道で鍛えられ、引き締まった肉体のクズネツォフは五十五歳の年齢を感じさせない若さがある。


 それとは対照的に、目の前の立体スクリーンに投影された、黒髪で小太りの中年男性、連邦宇宙軍幕僚本部総長、ジョナサン・レイノー大将は『分かってくれるかね?』と胸をなで下ろしていた。

 

 先日、プロキシマ特務機関設立の上申書を提出し、それが一日で却下されたことに対し、部下達のフォローはしても、一番納得が出来なかっただけに事の次第をクズネツォフは幕僚本部へと問い詰めた。

 レイノー曰くプロキシマ特務機関構想が潰えたのは、統合軍と宇宙軍の融和を優先し、宇宙軍に特権を与えないことを安全保障会議で決定したからだと言う。

 その結果にクズネツォフは久しぶりに腹が立っていた。 


 「ええ、融和という言い訳をすれば、どれほど無能を晒しても許されるということにね」


 顔は少しも笑っておらず、冷静なままではあったが、本気で怒る時、それも理不尽に対してクズネツォフは一切の表情を変えない。

 そして、静かに目の奥では怒りの炎が燃え上がっていた。 


 「そもそも、アルタイル方面軍、というよりも統合軍がきちんとした情報収集と提供を行っているならば、私もこんな案を提出するつもりは一切ありませんよ」


 ジョミニが奔走し、コリンズが必死に作成した案をたった一日で却下された理由が「統合軍と宇宙軍との融和」というお題目で全てを台無しにされたことにクズネツォフは激怒していた。


 『だからこそ、私がこうして時間を割いているのではないのかね』


 クズネツォフの態度に蹴落とされそうになるレイノーではあるが、仮にも幕僚総長としての貫禄だけはある。

 だがクズネツォフはまるで納得してはいなかった。


 「そもそも統合軍との融和ですが、宇宙軍はすでに、第3艦隊をアルタイル方面軍へと派遣しております。本来であれば、アルタイル方面を初めとする星域もまた我々宇宙軍の作戦行動区域のはずです。それを、統合軍に任せた上に一個艦隊まで派遣している中で、融和を優先というのはどういう話になるのですか?」


 舌鋒鋭くクズネツォフは一切の遠慮なく、レイノーに問う。対するレイノーはまるで信じられないような目をしていた。


 統合軍の作戦領域はあくまで惑星内部における成層圏までの防衛。


 それ以上の行動は宇宙軍の作戦行動区域であり、両者の区分を明確に分けているか否かで言えば、本来星系を行き来するだけの機動戦力を持たぬ統合軍が、アルタイルに駐留してプロキシマ方面軍と同等の権限を与えられて方面軍を持つ事は、宇宙軍に対して一切の配慮がない。


 本来ならば職権を侵しているに等しい行為である。


 『今更過去の話をするつもりかね? これもまた連邦軍内部の融和であることは貴官も承知していることではないか?』

 

 「ですが、それは統合軍が自分達でやれると自ら断言し、我々の助力無しでアルタイル方面軍を運営出来ることを約束したからです

 ところが、自力どころか我々から艦隊を派遣させ、その戦力を温存して、我々プロキシマ方面軍に後始末をさせる。

 融和というならば、統合軍側のアンフェアな態度を指摘した上で、それを是正した上で使われるべきことではないですか?」


 腹心の部下であるナタリー・フォッシュ中将率いる第3艦隊を派遣させ、現在プロキシマ方面軍は三個艦隊で防衛することを余儀なくされている。

 その負担だけでもバカにならないことは、レイノーも知っているはずだ。


 「それにかかわらず、相手の言いなりになり譲歩に譲歩を重ね、アンフェアな状況や失点を指摘せず、責任を果たすことすらしない組織に対して融和を優先とは、汚いモノには目をつぶっていろということですか?」


 口調は極めて冷静ではあるが、言う言葉の節々に鋭い針のような指摘がある。失点、というよりも汚点だらけの統合軍の有様に対して、指摘どころか是正も促さない態度にクズネツォフは決して容赦するつもりはなかった。


 『それは貴官の仕事ではない』


 「ですので上申しております。統合軍とは良好な関係を保つべきだとは思いますし、その構想は理解しております。ですが、責任と問題を明確にせず、何故こうした経緯に至ったのかを考慮しないことは全く別の話ではないですか?」


 自分で言っていることの内容に呆れてしまったことから、クズネツォフは口直しに愛用している茶碗に入った緑茶を飲む。

 真面目にやるのが冗談抜きでばかばかしくなってきた。


 『いい加減にしたまえ! これは安全保障会議での決定事項であり、幕僚本部でも決まったことだ。貴官の職務はプロキシマ方面の防衛だ。それ以上もそれ以下でもない!』


 「承知しております」


 『ならば幕僚本部の指示に従って貰う。私は英雄であるからと貴官を特別扱いするつもりは毛頭無いからな!』


 負け惜しみのような安っぽい台詞の後に通信が途切れると、クズネツォフはため息をつきながら、好物であるきんつばを頬張る。

 プロキシマでも有名な和菓子屋で販売しているきんつばは、甘さ控えめではあるが、小豆の風味と古風な米粉の衣で焼かれた独特の食感が絶妙に合う。


 「融和という言葉の意味を、あのバカは理解しているのだろうか?」


 手にしたきんつばの味と形を眺めながら、不意にクズネツォフはつぶやいてしまった。


 連邦宇宙軍と統合軍は決して仲が良いとは言えない。むしろ、予算と権限という意味では宇宙軍の方が統合軍に比べ圧倒的に充実している。


 二度に渡る大会戦においても、活躍したのは連邦宇宙軍であり、統合軍は蚊帳の外であった。

 

 連邦宇宙軍の規模は明らかに拡大している。一方で統合軍の規模はせいぜい横ばいというところではあるが、それに対して異を唱えているのが「融和」と唱える一派であった。


 元々、太陽系連邦は地球連邦政府と太陽系自由連合という二大勢力が、熾烈な全面戦争を行い、人類が滅亡しかけるほどの大戦を行った結果、両者が解体されて建国された。


 だが内情は決して綺麗なものではない。すでに建国から一世紀以上経過しているにもかかわらず、政治家や一般市民の間では「対立」を恐れる傾向にあった。


 人類を、太陽系そのものを滅亡させるほどの強大な軍事力と軍事力との対立によって、本当に滅亡しかけた事実はまだまだ呪いのような形で残っている。


 故に、本来ならば、アルタイル帝国への防衛と同盟を結んだ上での軍事行動なども、連邦宇宙軍が全てを取り仕切る予定であったはずが、蚊帳の外であった統合軍内部での不満をなだめる為に、宇宙軍が譲歩させられてしまった。


 そこに宇宙軍所属の第3艦隊まで派遣させ、統合軍は独自の艦隊まで設立し、アルタイル方面軍として駐留し続けている。


 しかし、その駐留に対しても満足に情報すら共有出来ない中で、プロキシマ方面軍をこき使う。


 これのどこが融和なのかとレイノーに問いたのは、そうした現状を理解させる為であるが、宇宙艦隊ではなく、幕僚本部で軍官僚としてキャリアを積んできたレイノーにはこうした話は理解出来ない。


 そこまで考えながら、クズネツォフはきんつばをしばらく眺めていた。


 小豆あんを四角形に固め、米粉の衣を付けて焼き上げる。ただそれだけの菓子だが、だからこそ素材である小豆あんや米粉などの素材の味が重要になる。


 甘さ控えめな中で、小豆の風味はしっかりと残った粒あんと米粉の衣が合わさった上品な味はクズネツォフの好みである。

 そして、少し渋めに入れた煎茶と合わせて飲むと、甘さを煎茶の渋みが引き締めてくれる。

 

 これこそ、本当の融和というものだろう。


 甘いきんつばと渋めに入れられた煎茶。甘さは煎茶が口内と引き締めてサッパリとさせ、煎茶の苦みがあるからこそ甘さがより引き立つ。

 甘みと苦み、本来ならば真逆な味のはずが、互いに両者を引き立て合う。統合軍と宇宙軍がその関係になることが本当の意味での融和になるはずである。

 

 だが、その関係がこのままでは構築されることは絶対にあり得ないことをクズネツォフは理解していた。


 融和を優先する幕僚総長、その言葉に甘え、自堕落な態度を改めようともしない統合軍。


 上手くいくべきものも、これでは上手くいくどころか失敗する可能性の方が遙かに高い。


 煎茶を飲み干すと、クズネツォフは早速次の手を打つべく幕僚達を招集することを決意した。





 「姫はまたレイタムにお任せですか?」


 執務室にて政務をとるシエン公に、マオがそう尋ねた。


 「あの子にはしばらく自由を与えてやりたいと思っている」


 清流茶を飲みながらシエン公は親としてそう答えた。


 「即位すれば、そう気軽に外にも出歩けなくなる。今のうちに外に出て見聞を深めてほしい」


 元々、名ばかりの皇族であった経験からか、シエン公はアウナの奔放さを咎めるようなことはしなかった。

 それどころか、むしろこの皇太子は娘に対してはかなり甘い。自身が決して恵まれてはいなかった幼少期を過ごしたからか、口には出さないが態度はマオをはじめとする食客達からは「激甘」と言えるほど甘やかしている。


 「レイタムに任せてよろしいのですか?」


 「レイタムじゃないと嫌だとか言い出すんだから仕方あるまい。それに、レイタムは連邦軍とも交流を持っている。早いうちに連中がどういう存在であるか、それを実際に見聞きした方がいい経験になるだろう」


 宮中にこもっているだけでは、太陽系連邦とは渡り合えない。ひとつの星系を統一するのに一世紀以上もの時間をかけたとはいえ、ある意味ぬるま湯に使っていたアルタイルとはテクノロジーも思考も、全てが進んでいる。


 「我々が反乱ごっこと鎮圧ごっこに戯れていた頃、連中は血で血を洗うような熾烈な戦いを繰り広げて、プロキシマにやってきた。そこを見誤った結果が二度の大敗なのだからな」


 父帝と違い、シエン公には太陽系連邦の影響力は危惧してはいても、憎悪を抱いていなかった。多くの兄弟達が戦死し、兵士達も亡くなったが、それは向こうも同じことだ。


 「ところでシリウスの件だが、連中は本気でそのつもりなのか?」


 先日アルタイル方面軍を経由して伝えられたのは、現在帝国領であるシリウスを、太陽系連邦へと割譲したいという要請であった。


 「現在シリウスは非武装地帯ではありますが、それにつけこんで逃走する海賊どもがおります。シリウスとプロキシマは文字通り目と鼻の先。連中にしてみれば、シリウスを割譲させることでより磐石な体制を作っておきたいのでしょう」


 マオが言うように、シリウスは現在太陽系連邦軍と、帝国軍との間で非武装地帯となっている。

 だが、両者の協定を悪用する形で現在シリウスは宇宙海賊や反乱分子が潜伏している無法地帯と成り果てている。

   

 帝国から見ればシリウスはプロキシマに匹敵する辺境であり、第一次シリウス会戦では大規模な軍事基地も有していたが、あの大敗で完全に破壊されている上に、連邦宇宙軍を刺激したくないことから、シリウスやプロキシマ方面に向けて戦力を置いていなかった。


 だが、連邦宇宙軍からみればプロキシマ鎮守府と目と鼻の先といってもいい領域を、不逞な暴力集団が跋扈するのを見過ごすわけにはいかず、幾度となく戦力を送っては鎮圧しているのが現状である。


 「あるいは、我らの策を見抜いているのかもな」


 太陽系の緑茶に似た、清流茶を飲みながらシエン公はぼそりといい放つ。


 「シリウス方面に潜入している食客からは、今のところしくじった報告はありませんぞ」


 マオがそう指摘するが、シエン公はあくまで冷静なままであった。

 

 「まあ、成功してもらっても困るのだがな。リーファン公とヴェルグ公に任せているとはいえ、シリウスでやつらを暴れさせているのは耳目をこちらに集めさせないためだ」


 シリウスやヴェガ方面での海賊騒ぎは、シエン公がアルデバランのリーファン公、ベテルギウスのヴェルグ公に依頼してる策であった。


 狙いとしては、連邦宇宙軍をアルタイル方面ではなくシリウスに注目させ、その間に連邦軍アルタイル方面軍を牽制しながら、辺境部にて戦力を整え、最終的には連邦軍と同等の戦力を有して対等の関係を築く。


 そのためには、現在宇宙軍が指揮するプロキシマ方面軍と、統合軍が指揮するアルタイル方面軍、互いに指揮命令系統が異なる軍を決してひとつにさせないことにある。


 「実際のところ、プロキシマの連中も統合軍には不審を抱いておりますからな」


 「クズネツォフはかなりの切れ者だ。ルオヤンで威張り散らしているようなクズとは比較にならぬほどにな」


 二度にわたり、アレクサンドル・クズネツォフと戦った経験はいずれも負け戦ではあるが、シエン公は太陽系連邦の中でもクズネツォフを高く評価していた。


 「ただ戦いが上手だけならばいくらでもいるが、奴はなかなか狡猾な男だ。能力だけならば、リーファン公もヴェルグ公も、そしてガイオウや私も比較にならん」


 自分を含めて、帝国の中でも傑物と言ってもいい人物を比較しながらシエン公はそう言った。二度に渡る大敗の中、太陽系連邦から見れば大勝利と言ってもいい快挙を成し遂げたのがクズネツォフであり、そのクズネツォフとの交渉の中で現在の帝国が存在する。


 「なかなか食えなさそうな男ですからなあ」


 「話はできそうだが、なかなかどうしてやっかいな男だ。だが、これは競技ではない。強敵を倒さなければ終わらない遊戯ではないのだからな」


 そう呟くと「失礼致します」の一言と共に二人の警護を勤めるシャオピンが姿を見せた。


 「どうしたシャオピン?」


 「実はゼウォル卿が殿下に面会を求めておりまして」


 意外な人物の申し入れに、マオもシエン公も首をかしげた。


 「用件は?」


 「それが、火急の件ということでして」


 シャオピンは図体に似合わず気が利く男である。警護役と共に、使者としてアルデバランやベテルギウスに赴くことも多い。


 その男がなにも聞き出せずに会いたいという人物の要求を伝えてきたことにマオは疑問を抱いた。


 「執務中だと伝えておけ。いくら大都督であろうと、面会の約束がなければ会わん」


 嫌な予感を感じたことからマオはそう答えたが、シエン公は「別に構わん」とシャオピンにゼウォルと会うことを伝えた。


 「殿下よろしいので?」


 「構わん。ゼウォルほどの男が火急の用があると自ら面談を求めているならば、それを聞いて判断するべきだろう」


 いつも通りの鷹揚な態度は、流石というべきであろうが、シャオピンが取り次ぐと、白髪と白髭のゼウォルがやってくる。


 「久しぶりだな、ゼウォル」


 「あいにくですが、挨拶は省かせていただきますぞ殿下。此度は火急の用件があって参上いたしました」


 普段ならば礼儀正しく、この手の儀礼にやかましいはずのゼウォルがいきなり本題に入っているのは実に珍しいことだ。


 「まずは座らんか?」


 シエン公は自ら来客用の椅子に腰掛けると、ゼウォルも反対側の椅子に座る。


 「火急の用件とはいったいどういうことだ?」


 ゼウォルは何も言わず、懐から一枚の紙を突きだした。そして、その一枚の紙にシエン公、そしてマオの表情と目の色が変わった。


 「シエン公、これは果たしてどういうことなのか話して頂けませんか?」


 ゼウォルが突きだしたのは、シエン公の印綬が押され、アルデバランのリーファン公、ベテルギウスのヴェルグ公に対して、ヴェガ・シリウス方面にて大規模な反乱を起こすように命じた密書であったからであった。



 



  

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