第4話

 「帝国」が崩壊した時、アルタイル帝国が生まれた。


 とある歴史家が不敬罪で処刑された時、その理由がこの一文であったことが記録として残っているのは、その記録を取った官吏もまた同じ意見を持っていたからだろう。


 オリオン腕に君臨していたはずの「帝国」が太陽系ヘリウスの蛮族を揶揄していた存在にその地位を蹴り落とされてから数十年が経過する。


 その後、首都星ルオヤンを中心にアルタイル帝国として甦ったとはいえ、帝国としての威信と支配力が低下したのは紛れもない事実であった。


 それまで「帝国」を支配していたのは、文字通り皇帝であるハモン三世の支配によるものであったが、二度に渡る大敗により皇帝の権威もまた低下し、事実上政務と軍事を取り仕切っていたのは皇族でありながら大将軍・領中書事を勤めていたシエン公である。


 六十才以上も年齢が離れた父子であったが、事実上父を傀儡にし、取り仕切っていたシエン公が自ら遠征を行い、連邦軍との交渉を行うことでどうにか秩序を回復させた帝国の中で、誰が支配者であり、誰が仕えるべき人物であるかはあまりにも明白であった。


 事実上、アルタイルの支配者となったシエン公が皇太子に就任したのは、俗な言い方をすれば「ダメ親父の尻拭い」というのが当時の人々の間で噂されていたことである。


 蛮賊である太陽系連邦ヘリオスとも交渉を行い、各地の反乱を討伐することで秩序を回復させた手腕は誰しもが認める事実であり、愚かな戦いの最終責任者である父帝の後始末をしたと、民や兵士達、そして貴族や将軍らも同じ気持ちであった。


 「余は一体何者だ?」

 

 貴金属と宝石で装飾された玉座に腰掛けながら、痩身で覇気の欠片もない老人、この帝国の名目上の支配者であるハモン三世は、実の息子であり、大将軍であるガイオウに向かってそう言った。


 「恐れながら、陛下はこのアルタイルを支配する皇帝であります」


 片膝をついて顔を伏せながらそう告げるガイオウの姿は、とてもではないが父と子の関係ではなく明確な主従の関係にしか見えない。


 「お主も余を侮辱するするつもりか?」

 

 冷たい口調には親子の情愛が欠片ほども感じられない。それは単に激怒しているからという理由ではないことをガイオウは理解していた。


 「アルタイルの支配などとうの昔に成し遂げたことだ。帝国はいつからアルタイルだけが版図となった?」


 太陽系連邦に敗退してからだと言いたくなる衝動を抑えながら、ガイオウは冷静に「失言でした」と謝意を見せる。


 そして、実の息子の言葉に不機嫌さを隠そうとしないどころか、ますます不機嫌になっていく姿は、どこか滑稽に見えた。


 「余はオリオン腕を支配する帝国の皇帝である。ヴェガ、アルデバラン、ベテルギウス、シリウス、いくつもの星々を支配しているのは誰だ?」


 「陛下です」


 「それが何故、今更アルタイルの支配だけで決めつけるつもりだ。不遜にもほどがあるのではないか?」


 本当に今更なだけにガイオウは内心呆れてしまっていた。その凋落を作った元凶がそれを言うのは、実にたちの悪い冗談というしかないだろう。


 「だらしないものよ。かつての帝国軍は最強であった。反乱が起きても、瞬く間に鎮圧できたものを」


 実戦に一度も参加せず、ルオヤンから一歩も踏み出したことのない父帝の言葉は、いつ聞いても現実という視点が存在しない。


 確かに帝国軍は最強であった。それは、帝国に匹敵するだけの敵が存在しなかったという極めて単純な理由であったからに他ならない。

 帝国に匹敵するだけの軍事力と国力を有した存在と、帝国成立後戦った歴史は事実上存在しない。

 

 反乱が起きても容易に鎮圧するだけの圧倒的な軍事力が、それを塵芥のようにすりつぶしてきたのが帝国の歴史だ。そこには、二万隻の艦隊を打ち破り、五万隻もの艦隊を完膚なきまでにたたきのめすような外敵の歴史など存在しなかった。


 「忌々しいものよ。シエンも貴様も、役に立たぬ」


 まだ朝だというのに、清酒を飲んで憂さを晴らして愚痴を言う姿はとてもではないが、皇帝にふさわしい姿であるとは言えない。


 御年120歳を過ぎ、外見は六十代にしか見えないのは、幾度となく培養液に浸かり老化を抑えているからであるが、精神年齢は兄であるシエンは無論のこと、自分よりも遙かに幼い。


 生まれついての皇帝であるハモン三世は、先帝の嫡男としてわずか10歳で即位した。当初は誰も、この幼帝がまさか一世紀以上も在位し続けるとは思いもしなかっただろう。故に、外戚や近臣達ら周囲は無益な権力闘争をし続けた。

 

 だが周囲が、本人の意を介さぬままの権力闘争をし続けた事が逆に幸運であった。お飾りの皇帝であったはずが、周囲は無益な権力闘争を続け、即位してから十年が経過した頃、幼帝が青年になった時には、偶然にも厄介な外戚も、力のある近臣もおらず、専制を行えるだけの環境が整っていた。


 無益な権力闘争を尻目に、幸運で専制君主となった青年皇帝は暴君とも言えず、暗君でもなく、だが決して名君とは言えなかったが、自ら率先して皇帝としての政務に専念し続けた。


 その結果、青年皇帝はやがて中年、そして初老、そして老人となっていく中で絶大な権力を持ち帝国の皇帝として絶対的な地位と権力を手中に納めていた。


 ハモン三世の時代、反乱や内乱が起きなかったことはないが、そのいずれもがベテルギウスなど、帝国中枢部であるアルタイルから遠く離れた辺境での反乱であり、鎮圧はいずれも容易いものであった。


 そうした辺境での反乱と鎮圧は、むしろ皇帝であるハモン三世の地位と権力を強化される一つのセレモニーになり果てていたほどである。


 帝国に反乱を起こすものは容易く処分される。圧倒的な力の前には反乱など無力であるとともに、帝国に従えば安定した生活を手にいれることができる飴と鞭の使い方が巧みであったことから、ハモン三世の治世は磐石であると共に、帝国の繁栄もまた永遠に続くと思われた。


 ところが、その磐石なる確かな繁栄が全て破壊されたのが、太陽系連邦という外敵の存在であり、その戦力を見誤った愚かな戦争であった。


 「太陽系の蛮族どもが、プロキシマに居座ってからすでに二十年が過ぎた。シリウスまで進出し、今やこのアルタイルをも闊歩している。いまいましいことよ」


 清酒をいれた宝玉の杯を叩きつけたくなるのを押さえながら、ハモン三世は苛立ちを隠すことなくそう呟いた。


 「帝国軍もふがいないものよ。たかだか一星系を支配するのに百年程度の蛮族に大敗した。二度もだ!」


 一度も戦場に立ったことの無い皇帝らしい発言ではあるが、それ故に今ハモン三世は事実上傀儡となりはてている。


 帝国の皇帝は代々、一夫多妻であり多くの側室を抱えていた。百年以上もの在位があるハモン三世には孫はおろか、ひ孫すらいるほどだ。


 ガイオウとシエンの兄弟を含めても、ざっと三十人もの男子と五十人もの女子、計八十人もの公子と皇女がいたが、女子の大半はハモン三世の近臣達に嫁いた。

 男子には次期皇帝としてふさわしい皇太子もいたが、玉座の居心地の良さに満足した皇帝の前に、皇太子のまま死んだ者がすでに三名もいたほどある。


 シエン公とガイオウの兄である三人目の皇太子などは、すでに六十歳の高齢であったが、あえなく病死した。


 それまで帝国では、皇帝は死ぬまで皇帝であり生前時に後継者を指名することはあっても、帝位を譲ることは前例として存在し得なかったからである。


 だがそれは、ハモン三世のような一世紀以上も皇帝として玉座に居座り続ける皇帝の存在を考慮していなかったからに他ならない。


 そして、男子の大半は第二次プロキシマ会戦、第一次シリウス会戦で戦死。さらに生き残ったシエンとガイオウ以外の兄弟達は、無謀な戦いを仕組み、敗戦の責任すら取らない姿に呆れ、辺境へと逃げ延びた後に群雄割拠し、帝国は事実上解体されたのであった。 


 「シエンめ、奴は実に狡猾な男よ。自分よりも地位が上の公子達を差し置き、大将軍・録中書事となりおった」

 

 忌々しいとは言うが、群雄割拠し、崩壊した帝国を立て直したのは、あえてルオヤンを守り続けたシエンとガイオウの兄弟であり、この二人の活躍から帝国は復興を果たし、父帝を掲げながらアルタイル帝国として生まれ変わることでこの難局を乗り切ることが出来た。


 本来ならば、シエン公自身が皇帝を名乗ってもおかしくはなかったのだ。


 太陽系連邦を蛮族として討伐を命じ、敗戦の責任を取らず、玉座に居座り続ける姿は多くの将兵の士気を損ね、大臣や近親達も頭を抱えていた。

 

 この皇帝の存在を形だけ敬っても、決して畏敬の念を抱くことはなかった。


 それはガイオウもまた同じである。この父を親として敬ったことは一度もなく、主君として形だけの畏敬の念を見せたことはあっても、心の中では「運だけで皇帝になっただけの無能」と揶揄していたほどだ。


 「それにしてもガイオウ、貴様はよくもまあ余の前に顔を出せたな?」


 政治と軍事の実験は全て、シエン公とガイオウが独占しており、ハモン三世は老齢であることを理由に無理矢理療養させている。

 

 だが、一世紀以上も玉座にて政務を行ってきたハモン三世から見れば、退屈きわまる毎日に嫌気がさしていたほどだ。


 『貴様といい兄のシエンといい、余をなんだと思っているつもりだ」


 そう言うと、ハモン三世は宝石をくりぬいて作られたさかずきを床にたたきつけた。

 庶民が砕けばそれだけで死罪になるような宝を壊し、その欠片ですら流民の生活を一年は賄える代物だ。


 つくづく、玉座以外の場所を知らず、知ろうともしない傲慢さがあった。


 「恐れながら陛下は、現状に満足されておりますか?」


 「これが満足しているように見えるならば、太陽系の蛮族との戦争などはお遊戯であろうよ」


 飾りの皇帝という立場に満足などしていれば、このような態度は毛頭出てくるわけがない。その真意などガイオウは初めから考慮していない。


 「陛下には帝国復興という大義の元に、苦しい立場であることを兄シエンと共に強いていることに対して、謝罪をしたく本日拝謁致しました」


 「今更何を言う。余をこのような立場にしたのはシエンだが、それに同意したのは貴様も同じではないか。違うかガイオウ?」


 「おっしゃる通りです。弁明を行うつもりなどございません。ですが、今帝国は不安定な状況下にあります」


 「太陽系の蛮族共が、このルオヤンにもおるのだからな。不穏と呼ぶにはこれほどふさわしいこともあるまい」


 蛮族である太陽系連邦軍が駐留している姿に不満を持っていることは今更な話ではあるが、ガイオウの狙いはその今更ながらの話を利用することにあった。


 「実は、太陽系連邦はさらなる要求を求めてきました。アルタイルの一部を割譲せよと」


 大げさな言い方をするが、政務から離れているハモン三世の心をくすぐるようにガイオウはわざとらしい口調でそう言った。


 「それでシエンは何と言っている?」

 

 「協議の上検討するとのことです」


 「それで貴様はそれを黙って受け入れたというのか?」


 再び怒気を丸出しに、今度は清酒が入った器をたたきつけるが、ガイオウはたじろぎもしなかった。


 「形だけです。私は最終的にこの提案を却下するつもりでおりました」


 「だがシエンは違うのだろう」


 怪訝な顔をするハモン三世は、太陽系の蛮族と折衝を行うシエン公は、売国奴のようにしか見えていない。

 現状の大半はシエン公が自ら引き起こした事であると、思い込んでいるからである。


 「兄上は私とは違う思惑があるようです」


 「これ以上あの蛮族共に好き勝手されていいと思っているのか」


 「思ってはいません」


 断言するガイオウの言葉に、ハモン三世はいきり立った気持ちから急に怪訝な顔に変わる。


 「私も、流石に兄上のやり方にはもはやついてはいけないと思っております」


 「ガイオウ、貴様は自分が何を言っているのか分かってるつもりか?」


 時期皇太子であるシエン公の後任として、大将軍・領中書事を勤め、事実上の宰相として政務を取り仕切っているガイオウがこのようなことを言うのは、単に兄を諫めるなどという代物ではすまない。


 「陛下、いえ、父上、もはや兄上のやり方では帝国は太陽系連邦に解体されるだけでしょうな。そうなれば、帝国そのものが崩壊する。その片棒を担がされるようなことは私には出来ません」


 「貴様の目的は何だ?」


 「決まっております父上」


 一呼吸を起きながら、今まで父に見せたことのない強い眼力を交えた表情のまま、ガイオウはこう宣言した。


 「兄であり、皇太子であるシエンを排除するつもりです。それが、帝国を救う為の最善の策でしょうから」 

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