第3話

 重々しい空気の中で、アーサー・C・コリンズは日本酒のロックを一気に飲み干した。

 どっしりとした米の味と共に、鼻孔をくすぐる独特のフレーバーの楽しみ方は、親友である杉田恭一に教えて貰って以来の楽しみ方ではあるが、その味も今日はどこかほろ苦く感じる。


 「貴官が一気飲みとは珍しいな」


 直属の上長である総参謀長のジョミニがそう言うと、いつも以上に陰気な顔をしているコリンズは深くため息をついた。


 「やけ酒ですよ。私も人間ですからね」


 陰気な顔つきから第一印象がすこぶる悪く、口が悪い奴は「インテリヤクザ」「マフィアの構成員」などという者もいるが、性格は至って真面目であり、誠実という言葉が誰よりも似合うのがコリンズという男である。

 外見と中身のギャップから、初日は陰険、2日目は好青年、三日目からは紳士と呼ばれるほどの男がやけ酒を呷るのはなかなか重傷というしかなかった。

 

 「まあ気持ちは分かる」


 そう言うジョミニも、気づけばジョッキいっぱいのハイボールをすでに五杯も飲んでいた。

 二人は今、プロキシマ鎮守府内にある和風居酒屋にいた。

 クズネツォフからの要請から、コリンズが作成し、ジョミニが協力して作り上げた「プロキシマ特務機関」設立案は、無残にも安全保障会議で却下されてしまったからである。

 

 祝勝会ではなく、残念会、反省会ということで落ち込むコリンズを励ます為にジョミニがお気に入りの居酒屋に誘ったのであった。


 「貴官があれを纏める為に一ヶ月、現在の業務と平行しながら進めてくれたことはクズネツォフ司令長官閣下が一番感謝していたよ」


 ジョミニがフォローするが、コリンズは空になった器に再び日本酒を入れ、こんどは一口だけ舐めるように飲んだ。


 「ですが、最終的に却下されてしまいました」


 「だが幕僚本部では承認された。MISからも賞賛されていたじゃないか」


 「それでも却下されたことはどうにもなりませんよ」


 酒好きではあるが、そこまで酒に強くないコリンズがやけ酒を飲んでいるのはかなりの重傷というしかないのだが、正直ジョミニも内心では腹立たしく思っている。

 部下としてコリンズは有能なだけではなく、決して出しゃばらず、それでいて言うべきことをしっかりと主張した上で職務を果たす。


 その誠実さからプロキシマ方面軍司令部内だけではなく、各艦隊の指揮官達からも信頼が厚い。

 そしてクズネツォフとジョミニもコリンズを信頼しており、今ではこの三人で事実上プロキシマ方面軍が動いていると言っても過言ではないほどである。

 

 そうした中で、コリンズが充実した仕事をほぼ一方的にパーにされたとなれば、やけ酒の一つでも呷りたくなるのが人情というものだろう。


 「だがそれでも今は耐えろ」

 

 コリンズを諭すようにジョミニはそう言うと、六敗目のハイボールを一気に飲み干す。


 「百戦百勝することなんてあり得ないことだ。ましてや、職務の全てが成功する保証などどこにもない」


 「私一人だけならば納得出来ることではありますが、これはクズネツォフ提督と総参謀長の協力を得ての結果です」


 「そんなことを貴官が気にする必要などはない。確かに、今回は残念な結果になった。だがそれを悔やんでいても結果が覆らないのは貴官がすでに主張していることだ」


 そう言うとジョミニは好物である焼き鳥、塩で味付けられた鶏レバーを頬張る。


 「俺達の面子などどうでもいい。所詮、我々は組織の歯車だ」


 「いっそそうなりたいものです」


 「だが、人間は歯車にはなれん。人間をそもそも部品として扱うことなど出来ないことだ」


 レバーを食べ終えると、ジョミニは今度は同じく塩で味付けされたボンジリを食べる。


 「それに、歯車とは言うが歯車の役割は力を連動させて伝える為にある。組織の歯車に徹するならば、なおさら人間性というものに向きわなくてはならない。人は命令されて黙って動けるものではないからな」


 その言葉に、コリンズもまた、目の前の皿にある焼き鳥に手を伸ばす。


 「まあ、これはクズネツォフ先輩からの受け売りだがな。勝ち負けを繰り返していくのが人生というものだ。今回は不運だった。そう受け止める必要がある」


 「ですね」


 そういうコリンズはむしゃむしゃと、タレで味付けされているもも肉を口にしていた。そして再び日本酒のロックを飲む。それに安堵しながらジョミニも七杯目のハイボールを注文した。

 憂さを晴らすのは結局のところ、酒を飲んでメシを食べる。太陽系を離れても人間の感情の発散は未だに変化していなかった。


 

 「そりゃ散々だったな」


 豪快に笑いながら、少しだけすねているレイタムを尻目に、同じ食客であるシャオピンは白酒はくしゅを飲んだ。

 

 巌のごとき体格と怪力の持ち主でありながら、シエン公の護衛役を務め、時にはレイタムと共に使者として従事している。

 年齢も同い年であり、辺境の出身であることからレイタムはシャオピンとは食客達の中で一番親しい関係にあった。


 「姫様といると苦労が耐えないよ」


 アウナ姫の護衛で一日がほぼ潰れ、甘味処というところで美味しい菓子を食べた後に、ジンギスカンという太陽系でよく食べられているという「焼き肉」を沢木らに馳走してもらい、そこから宮殿へと戻ったレイタムは疲労困憊であった。

 

 そこで友人であり同じ食客であるシャオピンと自室にて晩酌していたのであった。


 「付き合わされる目に遭ってみろというんだ。姫様のおもりはお前が考えているよりも面倒なんだぞ」


 沢木からもらった太陽系名産のウイスキーを水で割り、レイタムはそれを飲ながらそう言った。


 「わがままだし、食い意地ははってるし、気づいたら変なところにいるし、目が離せないんだ」


 「姫様が聞いたら卒倒するぞ」


 食客の中でアウナの覚えめでたいというか、一番のお気に入りがレイタムなのは誰もが知っていることだ。

 シャオピンも護衛に付くことがあるが、アウナからはよくレイタムの話を聞かされる上に聞かれることもある。


 「何しろお兄様だ。ありゃお前さんに好意を持ってるよ」


 「勘弁してくれ。俺と姫様じゃ身分が違いすぎる」


 辺境出身で元は少年兵、そこから留学してルオヤンでシエン公の食客という立場のレイタムと、時期皇帝となり得るシエン公の一人娘とは「身分」というものが違いすぎる。


 水牛の干し肉をつまみに、再びレイタムはウイスキーの水割りを無理矢理流し込んだ。

 白酒よりも強い酒だが、独特の香りと舌にどっしりと残る味が妙に旨く感じることからレイタムはあえてこの酒を愛飲していた。


 「しかし、よくそんな変な臭いがする酒が飲めるな」


 アルタイルでは白酒のように、ミールと呼ばれる穀物から作った醸造酒が飲まれている。貴族はより高級な清酒を飲んでいるが、白酒はそれよりも大量に生産できる上に安価であることから庶民の味として愛されている。

 独特の癖があるが、味はかなり甘くトロリとしており、口当たりがいい。だが甘い物が苦手なレイタムはウイスキーの濃厚な味と香りが文字通り癖になっていた。


 「意外に旨いもんだよ。水と割って飲むと、これがなかなか上手い。干し肉や腸詰めをつまみに食べると最高だな」


 「酒はちょっと甘いぐらいが旨いと思うがねえ」


 「太陽系じゃもっと苦い酒があるらしいぞ」

 

 沢木達第442空戦連隊のメンバーは酒飲みが多く、隊長である沢木自身も酒飲みである為にレイタムは彼らと何度か酒を飲んだことがある。


 「アブサンっていう酒があるんだが、それは大昔毒性があるから作られなくなったらしんだが、毒性を取り除いた製法が生まれて飲まれているらしい。かなり強烈らしいがな」


 「毒が入っているのか」


 「神経を侵すそうだ。だけど味が強烈で、愛好家も多いから大嫌いになる人間もいれば、その味の虜になる奴もいるらしい」


 一回だけレイタムも試しに飲んだことがあるが、強烈な味に思わずはき出しそうになった。それ以来試してはいないのだが、それに比べればウイスキーはまだ優しい味がする。


 それでもアルタイルではこの手の酒が敬遠されている為になかなか理解してもらえなかった。

 

 「太陽系の連中は毒を飲んでるのか」


 「酒はみんな毒だ。酔って暴れたり、飲み過ぎて体を壊す奴もいる。毒の大小もあるがな」


 「酒は薬だぜ。血の巡りをよくして、気分を盛り上げてくれるからな。憂さも晴れる」


 そういうとシャオピンは器用に、白酒の入った器から、黒い釉薬がかかった杯に酒を注ぐ。そして、そのまま口に含み、口中でじっくりと味を楽しみながら、ゆっくりと飲み干した。


 「ああ、やっぱり俺には白酒が一番だな。甘いだけじゃない、この大地に生きているっていう感じがする」


 「そういえば、もう一つ面白い酒貰ったんだが、試してみるか?」


 そういうとレイタムはやや大きめのガラスの瓶に入った酒を持ってきた。瓶は透明ではあるが、アルタイルではかいだことのない、どことなく甘酸っぱい臭いがする。

 

 レイタムはゆっくりとガラスのコップに注いでいくと、青みがかった黄色ともいうべき独特の色に染まった色が妙になまめかしい色合いを出している。

 

 「なんだコレ?」


 「まあ、試してみろよ。言っておくが、強い酒だから一気に飲むなよ」


 胡散臭い目をしながらも、友人であるシャオピンはとりあえずレイタムが進めてきた酒をほんの少しだけなめる。

 甘酸っぱい香りと共に、白酒以上の強い味がするが、後味が妙にサッパリとしている上に、甘口でかなり飲みやすい。


 「どうだ?」


 「一口じゃわからん。もう一杯飲ませてくれ」


 「一気に飲むなって言ったじゃないか。仕方ないな、ほら」


 意外に意地汚いところがあるシャオピンの杯に、レイタムは呆れながら酒を注ぐ。その酒をシャオピンはゆっくりと口に含ませながら飲んだ。


 「果実酒か。甘酸っぱく、それで香りが綺麗というか、ふくよかでスッキリしている。こんな酒は飲んだことがない」


 不思議な味にシャオピンは驚いていた。基本的に、アルタイル帝国では酒よりも茶を飲んでいる者が多い。醸造技術が無い訳では無いのだが、太陽系よりも早くに宇宙に進出していた過程の中で酒を飲むことは判断力を低下させ、事故を誘引する原因となりやすい。


 それ故に酒を飲むことが一時期禁忌となっていた時期があり、酒類があまり発達していなかった歴史がある。


 「これもしかして太陽系の酒か?」


 「梅酒というらしい。梅の実という果実を蒸留酒に漬けて作るから、太陽系のごく一部の家庭で作られているような酒らしいが、これは市販品でそれなりの値段がするそうだ。そいつは十年熟成されたものらしい」


 「十年!?」

 

 白酒は基本的に作り立てのモノが多い。せいぜい作られて半年程度の酒が流通している。

 中には長く熟成させた代物もあるらしいが、それでも一年程度のものばかりだ。

 

 「酒一つ取っても、太陽系の連中の技術は凄いよ。それに追いつかないと、俺達の未来も暗い」


 「確かにこういう旨い酒を飲むとそう思いたくなるな」


 気づけば三杯目も飲んでいるシャオピンの顔が先ほどよりも赤く染まっている。よほど気に入ったのか、気づけば瓶の中身が半分が減っていた。


 「おい、飲み過ぎじゃないか」


 「安心しろ、頭はマトモだ。ところでレイタム、そろそろシエン公は動くぞ」


 おどけて頭を右手でつついて見せるシャオピンだが、その目はまるで笑っていない。


 むしろ、シエン公やマオらを護衛している時のような、鋭利で物事を一切見逃さない視線に、レイタムは思わずウイスキーを水で割る前にそのまま飲んでしまった。


 いつもならば、すぐむせるほどの強い味であるが、むせるどころかそのまま飲み込んでしまうほど、シャオピンの言葉は端的であるが、ある意味政変を告げる言葉であった。






 

 

 














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