あえて剣を手に

第1話

 「今なんといいました?」


 アルタイル帝国大将軍にして、皇位継承権第二位の地位にあるガイオウは、実兄であり皇太子であるシエンの言葉に思わず耳を疑ってしまった。


 「機は熟した、そう言ったのだが?」


 あまりにも平然と述べた後に、茶を啜る兄に対して、ガイオウは出された茶と茶菓子に手を出せずにいた。


 大将軍と皇太子という身分ではあるが、二人は同腹の兄弟である。ガイオウはシエン公の屋敷に呼び出され、久しぶりに兄弟同士の会話を楽しもうという誘いを受けてやってきたのであった。

 だが、いきなりこんな話が飛んでくるとは思ってもいなかったのである。


 「兄上はまだ、我らが太陽系ヘリオスに勝てるとお思いで?」


 大将軍として軍権を預かり、アルタイル駐留軍との折衝を行い、彼らの軍事力の強大さを知るガイオウとしては、兄の言うことがあまりにも夢想に聞こえる。


 「第二次プロキシマ会戦からすでに20年か」


 シエン公は今年で46歳、ガイオウは44歳であり、当時二人は最年少の皇族として第四次プロキシマ会戦に参戦し、数少ない生き残りとしてアルタイルに生還した。


 「あの一戦で、アルタイルは大きく変容した」


 どこか感慨深い口調でシエン公がそう言うのは、あの敗戦で文字通りアルタイル、というよりも「帝国」が崩壊する前兆であったからに他ならない。


 それまで局地的な敗北はあっても、大敗という歴史は「帝国」には存在せず、故に「帝国」は無敵であるということから、オリオン腕での覇権を手にしていた。


 「あの戦いでの敗北により「帝国」は大きく衰退したのだからな」


 神妙な態度で語る兄の言葉に、ガイオウも黙って頷く。他の皇族、自分達よりも年上の腹違いの兄たちが勇ましく挑んだ中で、彼ら二人だけが皇族として帰還することが出来た。


 勇ましく挑んだ勇者達は皆、勝利を願望しながら死出の旅へと向かい、生き残った者達よりも、戦死者の数の方が多いという大敗は「帝国」の歴史と国威に大きな傷を付けた。


 「だが、致命的だったのはシリウスでの敗北だ。あの戦いが今のアルタイルの姿を決定づけた」


 シエン公らしくない、苦々しい口調ではあるが、これもガイオウには分かる。シリウスでの敗北、第二次プロキシマ会戦から三年が経過した後に「帝国」はプロキシマの蛮族を本気で討伐するべく、五万隻という空前絶後の兵力を動員した。


 第二次プロキシマ会戦ですら二万隻という大艦隊を投入した中で、辺境であるベテルギウスを平定した時の兵力は一万五千隻であったことから、反対論が出ていたほどである。

 それが無残にも壊滅させられた事実から、当時の「帝国」ではプロキシマに進出してきた太陽系ヘリオスの蛮族を正式に脅威と認定し、完全に討伐する覚悟でいた。


 「五万隻の大艦隊を投入し、我々は万全の体制でプロキシマに攻め入ろうとした。ですがそれでも我らは負けたのです」


 そう告げると共にガイオウは、アルデバラン名産の花の香りがする茶を一気に飲み干す。そして、その碗をテーブルの上にたたきつけた。


 「それも、壊滅的な損害が出るほどの……」


 生き残った皇族として、シエン公もガイオウもまた、この戦いに参戦していた。各地から艦隊をかき集め、空前絶後の大兵力をもって彼らは本気で太陽系ヘリオスの蛮族、というよりも太陽系連邦宇宙軍を叩きつぶす覚悟でいた。


 第二次プロキシマ会戦には多少なりとも油断があったのは事実ではあるが、この戦いにあたっては兵力だけではなく、質の面でも万全を整えていた。

 経験が少ない若年兵ではなく、各地の反乱討伐などで戦功を上げた武人達が集められた。


 さらにはプロキシマに近いシリウスにも、万全の体制を整えるべく補給基地を作り上げるなど「帝国」は文字通り総力を結集して、太陽系連邦軍との戦いに挑もうとした。


 「派手に負けたものだ。あれを惨敗というのだろう」


 どこか他人事のような口調でつぶやくシエン公ではあるが、黒く、それでいて澄んだ瞳に一切の陰りがない。


 この目をしている時の兄が、内心耐えがたいものを耐えているのを弟であるガイオウは知っていた。


 シリウスに基地を作り、太陽系連邦軍を迎え撃つつもりであった「帝国」軍は、プロキシマに八個艦隊、八千隻もの艦艇を集結させていた太陽系連邦宇宙艦隊の奇襲を受け、完膚なきまでに叩きのめされ、壊滅した。


 それは、第二次プロキシマ会戦がある意味前座に過ぎなかったと思わせるほどの大敗であった。

 第二次プロキシマ会戦以上の兵力を集結させ、太陽系ヘリオスの言い回しで言うならばに行くような気持ちで挑んだ戦いに比べ、正真正銘の決戦を行うつもりでいた。


 ところが、連邦宇宙軍は「帝国」軍がシリウスに大兵力を集結させていることを察知し、シリウスを橋頭堡にしてプロキシマの復讐戦を目論んでいることを知った。

 そして、彼らは約六倍の兵力に対して奇襲攻撃を行い「帝国」軍に文字通りの壊滅的打撃を与えて勝利した。


 慢心が無かったとは言わないが、それでも寡兵の連邦宇宙軍に対し、圧倒的な兵力を有していた「帝国」軍が敗北、それも、壊滅的な被害を出して惨敗したことは紛れもない事実であり、五万隻の艦艇の内、アルタイルに帰還できたのは損傷艦艇を含めて五分の一に過ぎなかった。


 後に「第一次シリウス会戦」と呼ばれた戦いであるが、再び「帝国」軍は連邦宇宙軍に惨敗した。


 「あれだけの兵力を投入し、周到に練った作戦も、全てが灰燼に帰し、多くの武人が戦死したのがあの負け戦です」


 当時、シエン公と共に一万隻の艦隊を預けられていたガイオウは、シエン公と共に殿を務め、将兵達の救出を優先してシリウスからの撤退戦を指揮した。


 「その敗戦で、我らが注目されるようになったのは皮肉というしかないな」


 シエン公がつぶやいたことにガイオウも内心頷いている。実際のところ、二人はそれまで皇族とは名ばかりの軍人であり、数百はいる公子達に過ぎなかった。


 ところが、第二次プロキシマ会戦にて二人の兄たち、それも皇位継承権を有した兄たちが多数戦死し、二人は生きて戻ったことから艦隊を預かることを許された。


 そして、艦隊を預かり二人は太陽系連邦軍を撃退するべく、第一次シリウス会戦において艦隊を預けられ、その後撤退戦にて活躍したことから一躍その名を「帝国」中に轟かせた。


 「兄上はあの戦いの後に大将軍になられましたからな」


 「お主は大都督だ。兄弟そろって大将軍、大都督とはな」


 大将軍は、アルタイル帝国における最高総司令官を意味する役職であり、同時に名誉ある称号である。


 そして、大都督は国内の防衛を担当する役職であり、大将軍とほぼ同格の役職ではあるが、アルタイル帝国においては大将軍は軍のトップとして各地の遠征を行い、大都督は防衛に専念するという形での役割分担が暗黙の了解でできあがっていた。

 

 「私がアルタイルを守り、兄上が各地の平定を行うことで、アルタイルは再び帝国として蘇りました」


 「だが、果たしてこれは蘇ったと言えるのか?」


 シエン公らしからぬ口調に、ガイオウも思わず言葉を詰まらせる。確かに「帝国」はシエン公とガイオウの二人の力により、アルデバランやベテルギウスなどの辺境も平定することで、再びアルタイル帝国として

 

 「太陽系連邦による間接統治、それが今のアルタイルの現状だ。お主も分かるだろう、今この国を支配しているのは奴らだということを」


 第一次シリウス会戦にて「帝国」に大勝利した太陽系連邦ではあるが、彼らはこの勝利に酔うことなく、大敗による各地の反乱で混沌と化したアルタイルにを提案してきた。

 

 後に二人が知ったことではあるが、当時の太陽系連邦では「帝国」との和平を推進するかという和平案と、あるいはそのままシリウスを制圧し、アルタイルへと進軍して討ち滅ぼすかの主戦論があった。

 だが当時の太陽系連邦には、プロキシマの植民とテラフォーミングだけでも手一杯であり、混沌とする「帝国」の存在の影の中、反乱を起こしているベテルギウス、アルデバラン、ベガにまで戦域を拡大するだけの余裕は全く無かったのである。


 「確かに和平を結んだのは私だ。だが、お主も知っているだろうが、あれは名ばかりの和平だ。実態はと何ら変わらぬ」


 シエン公は大将軍であり、同時に皇帝への優先的な上奏権を有した領中書事でもある。実質的な宰相職と言ってもいい役職ではあり、太陽系連邦軍との休戦、そして最終的な和平を結んだが、それは決してシエン公の本意ではなかった。


 「プロキシマの割譲、シリウスの非武装化、これらはまだ分かるが、問題なのはそこではない」

 

 プロキシマはアルタイル帝国としても、ベテルギウスに匹敵するほどの辺境領域であり、第一次シリウス会戦での惨敗から割譲もやむなしであった。もはや、アルタイルにプロキシマを支配するだけの力は存在しない。

 そして、シリウスの非武装化は暗に太陽系連邦軍がこれ以上の軍事侵攻を目論んでいないことを意味していた。


 「総額五千兆テールもの賠償金、そしてアルタイルに駐留軍を置くこと。そして、その際の費用も全て我々が負担することになった」

 

 後にシリウス条約と呼ばれる、太陽系連邦とアルタイル帝国との和平条約が第一次シリウス会戦の後に締結された。

 だが、その内容はシエン公が言うように、膨大な賠償金と共に、アルタイルに統合軍を駐留軍とし、駐留費は全てアルタイル側が支払う関係となっている。


 「ですが、結果としてアルタイルは帝国として存続することは出来ました」

 

 「民草が苦しんでいるのにか?」


 「確かに、膨大な賠償金を徴収する為に増税を行い、各地での散発的な反乱が起きていることや、民に負担をかけているのは事実です。ですが、同時にアルタイルの秩序は太陽系連邦ヘリオスとの和平と共に、かの国の軍事力があってのことです」


 大都督として、モーガンら統合軍との折衝を行っていたガイオウは、シエン公ほど憤慨してはいなかった。

 シエン公が大将軍となり、各地の反乱を討伐し、ベテルギウスまで平定できたのは太陽系連邦との和平が成功し、アルタイル方面の守りが万全であったからに他ならない。


 それを知っているガイオウとしては、安易に反太陽系連邦の発言は慎んでいた。

 

 「アルタイルはかつての帝国ではありません。そう言ったのは兄上自身ではありませんか?」

 

 かつて超大国としてオリオン腕の覇権を握っていた「帝国」は崩壊した。今あるのはその敗戦の中から生まれ変わったアルタイルという名の帝国である。

 かつての「帝国」のように、他者を超越して生殺与奪を握るような立場などではない。ましてや、太陽系連邦という圧倒的な技術と軍事力を有した国家と張り合えるだけの力は存在しない。

  

 五倍以上もの兵力差を覆すほどの、圧倒的な軍事力の前にアルタイルはあまりにも無力であった。


 「故に、今は妥協をする以外に道がありません。それは兄上が一番分かっていることではないですか?」

 

 そもそも、現在に至る和平路線は全て、シエン公自身がガイオウらとの協議の上で決定されたことだ。太陽系連邦と戦っても、勝ち目などなく、このまま混乱が続けば、再び大乱の時代に逆戻りする。

 それは、ガイオウの配下は無論のこと、シエン公自身とその配下達も理解している共通事項であったはずである。


 「再び、アルタイルが大乱となることを避ける為に、我らは和議を結んだはず。確かに、民への負担は大きいことは承知ではありますが、今ここで大乱になる方が民の為にならないことではありませんか?」


 膨大な賠償金、そしてそれを支払う為の増税と共に、各地での暴動や反乱は嫌でもガイオウの耳に入ってきている。そして、このルオヤンにも職を失い、安住の地を求めて流民がやってきていることも知っている。

 

 「これまではそうだった。だが、これまでの方針が永遠に定まった事象ではあるまい」

 

 茶を啜りながらではあるが、いつもの兄らしからぬ口ぶりにガイオウは底知れぬ何かを感じた。


 「太陽系連邦との和平は、アルタイルを復興させる為の策。だが、それは太陽系連邦との戦争に勝ち目が無かったからに他ならない」


 その言葉に、ガイオウは思わず背筋が凍りそうになる。それは、暗に勝ち目があれば、太陽系連邦と再び戦おうと主張していることに他ならないからだ。

 

 「……黒龍ヘイロンは目覚めたぞ、ガイオウ」

 

 「まさか……」

 

 思わぬシエン公のつぶやきに、ガイオウは自分の耳を疑った。だが同時に何故、本来誰よりも慎重なはずの兄が、らしからぬ大胆な発言に納得がいった。

 同時に、ガイオウの五体が思わず震える。

 

 かつて経験したことのあるこの震えは、第一次シリウス会戦に挑んだときと全く同じものであった。











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