第二十二話 逃れられないセカイ

 レオニードは魔力を温存しながらも無数の魔族と戦闘を繰り広げていた。数の減らない魔族との戦いは容易ではなかった。


 その時。大きな声と共にレオニードの前に投げられた魔導具があった。


「目くらましです! レオニード先生。目を閉じてくださいっ!」


 その魔導具の閃光はその場を凍り付かせる。


 二人はすぐにその場を離れた。

 無事を祈るような小羽の笑みを見て、レオニードはイラつきを言葉に吐き出した。


「お前っ! 勝手な行動はするなって言っただろ! バカかっ!」


「す、すみません……。で、でもっ! 一人でやろうとするなんて無茶です!」


「そんなことはわかってんだよ……ったく。おい、一色。ここに来たからには戦闘はしてもらう。その覚悟があって来たんだろーな?」


「も、もちろんです! 私が魔族を引き付けている間に魔方陣を書いてください。レオニード先生の得意分野で戦闘をするべきです!」


「できるのか? あの数だぞ?」


「はい。ルアスバーグさんなら十秒で終わる数です。それに……本当に怖いのはピエージャドルだと思いますっ」


「はっ……。あの筋肉バカか……。今じゃ団長だもんな。一色! 俺はこれからドラゴンを召喚する。魔族どもはそれで一掃できる。それまで時間稼ぎ頼めるか?」


「やります! やらせてください!」


「よしっ。背中見せろ」


「えっ?」


「いいから後ろ向け!」


「は、はいっ!」


 小羽は言われた通りレオニードに背中を向ける。レオニードはその背中に小さな魔法陣を書いた。


「お守りだ。さぁ、行けっ!」


「はいっ!」


 小羽はレオニードのいた場所から洞窟の方へ走る。魔族の群れは小羽を追いかけ始めた。これは異世界者が魔族を呼び寄せる習性を持つのを利用した陽動作戦だ。


 近くにいた魔族を片付けたレオニードは魔法陣を書き始める。召喚の魔法陣は呼び出すこと自体は難しくない。特定のモンスターの古代文字は変動しないからだ。だが、呼び出されたものが呼び出したものに身を捧げるかは別の話だ。つまりは呼び出されたモンスターが言うことを聞くかどうかだ。それ故に召喚の魔法陣は高位の古代魔導であると共に魔力を大量に消費する。召喚されたものは自分よりも魔力が劣っているものや雑念を抱えているものにその身を捧げることはない。この世界では古代魔導を操るものは人知れず行方不明になるものが多い。それは発動の失敗により、召喚されたものに命を奪われているというのが定説とされている。


 それを知っているからこそ、レオニードは慎重に、丁寧に魔法陣を書いていた。


 魔族を引き付けた小羽は洞窟へ続く割れ目へと入った。そして、その隙間に筆を走らせる。


 当然のように魔族たちはその隙間めがけて突進してくる。その間も小羽は洞窟のいたるところに筆を走らせ続けていた。


 ――これで無理なら逃げるしかない……。洞窟内部にはピエージャドルもどこかにいるはず……。


 小羽はその場を後にし、洞窟内部を移動し始めた。


 魔族の群れは隙間を通り、洞窟の中へ侵入するとその辺りの洞窟内部が歪み始める。岩肌の壁や天井から染み出る粘液は辺りの地面に溜まり始めた。天井から垂れ落ちる粘液を浴びた魔族はその部分が溶ける。皮膚や肉をも溶かしやがて骨だけになる。魔族の侵入を許している隙間はその入り口を閉じたり開いたりを繰り返していた。足を挟まれ食いちぎられる魔族はそのまま粘液の溜まった地面へ落下し溶ける。無傷で侵入できた魔族も垂れ落ちる粘液になす術がなかった。


 小羽は洞窟へ入る前、割れ目が何かに似ていることに気づいた。縦にひび割れた洞窟への隙間は地下へと降りる狭い通り道。群れで侵入してくることのできない利点を活かした格好の逃げ場だ。そして小羽はその似ているものを再現した。向きこそ違うものの小羽が再現したのは体内そのものだ。入り口の隙間は口。洞窟内部は消化器官。天井に描くのには時間はかかったもの侵入してくる魔族を抑えることに成功していた。


 自由な発想と表現力。何よりも現実的である小羽の色魔導は誰かを守ることを決意した時から変わりつつあった。殺生を嫌う小羽は躊躇いや迷いで誰かが傷つくことを知り、誰かを守るためには力が必要であることを冒険で学んだ。


 そして、小羽にはある想いが芽生えた。


 ――もう誰かがいなくなるのは嫌だ……。レオニード先生もナズちゃんもサランさんも私が守らなきゃ……。


 今、自分が生きているのはこの世界であることを受け入れたのだ。


 緋翠が小羽に言った「この世界は非現実的に見えて、元の世界より実に現実的だよ」という言葉。既に存在する異世界者はこの現実を受け入れたことで成長し、生き永らえてること。それは小羽も同じであった。


 魔族は小羽の色魔導により、洞窟の隙間で足止めをくっていた。そして、レオニードは魔法陣を完成させて立ち上がる。


 ――頼んだぞ……。破滅の竜……。


 レオニードは詠唱を始めた。魔法陣は光り輝き、その地面からドラゴンの鼻先が現れる。ゆっくりと姿を現すドラゴンはレオニードの目の前で羽ばたいていた。巨大な翼の羽ばたきは木々をなぎ倒し、土ぼこりを巻き上げる。


「破滅の竜よ。汝、我に身を捧げよ」


 ゆっくりと一つ、瞬きをしたドラゴンは大きな口を開く。


 ――召喚者よ。眠りを覚ました代償に何をにえる?


「望まざる贄は捧げるつもりはない。…………俺の命でどうだ? あいつらを守るための命だ。お前にくれてやるよ……」


 ――くだらぬ……。獣人族の命など取るに足らぬわ。さぁ……。命を言いつけるがよい。


 レオニードはニヤリと笑い、ドラゴンの首の上に乗った。


「今、見えている魔族を全員ぶっ殺せ」


 ドラゴンは翼を羽ばたかせ大空へ舞い上がると周りを見渡すと小羽が入った洞窟の隙間に群がっている場所へ降下していく。魔族はドラゴンの登場に襲いかかってくるも力の差は歴然だった。


 レオニードが呼び出したドラゴンは最上級モンスターの分類に属し、五神にも匹敵する魔力を宿していると言われる。当然のようにこれを召喚するには相当な魔力と魔導士としての力量が問われる。

 レオニードはグロールの村の出身で混血の獣人族だ。人族の姿と変わらず生を受けたレオニードは少年期までは獣人族の環境に上手く馴染めずにいた。そして、一人で過ごした少年時代に魔方陣と出会う。獣人族の子にしては珍しい魔力の持ち主だった彼は次々と古代文字をマスターして古代魔導にのめり込んでいった。


 この場でドラゴンを召喚したのには理由があった。それはピエージャドルの存在。仮に戦闘となればそれ相当のモンスターでなければならなかった。


 レオニードはドラゴンの背から小羽が入った隙間を観察していた。


 ――なんだありゃあ……。魔族が飲み込まれているのか? いや、違うな……あれは食ってると表現した方がお似合いだ。あれが一流と言われる色魔導……。凄いな……。


 魔族の群れが次々と閉じたり開いたりする岩に飲み込まれていた。その異様な光景はレオニードを驚かせていた。


 だが、ここでレオニードはあることに気づいた。ピエージャドルの居場所は洞窟の内部。そして、洞窟内に飲み込まれる魔族は小羽を追いかけている。


「あいつっ!」


 レオニードが気づいたのは小羽が洞窟内にいること。いかに一流の色魔導士だろうがピエージャドルに敵うはずはない。


「破滅の竜。ピエージャドルの居場所はわかるか?」


 ――あの変異な入口よりそう遠くない。何故それを尋ねる?


「その場所に穴をあけてくれっ!」


 ――神に抗うとな? よかろう。召喚者よ。喜んで共に戦おう。


「ははっ。悪いな。その選択は最終手段だったんだけどな」


 ドラゴンは再び空に舞い上がり、咆哮を放つ。その勢いは凄まじく、森の一部を丸裸にした。そして。


 ――しっかり掴まるがよい。あの場所に穴をあける。


 そう言うとめくれ上がった地面めがけて勢いよく急降下を始めた。


「お、おいっ! マジかよ!」


 レオニードは察していた。おそらくは全体重を洞窟の空洞の上に落下させる。何もない地面なら穴をあけるのは不可能だ。だが、空洞があればこそ地面は陥没する。その場所にピエージャドルがいるという訳だ。


 その予測通りにドラゴンは大きな足を大地に下ろした。その衝撃は凄まじく、レオニードはドラゴンの背中から放り出される。


 辺りは土と岩の粉塵にまみれ、レオニードは岩陰に身を潜めていた。


「ゴホッ! 口ん中が泥だらけだ……。ペッ!」


 ――とりあえずはこれでいい……。破滅の竜にピエージャドルを抑えてもらうしか方法はない。くそっ! 一色はどこにいる……。


 土ぼこりが治まるまでレオニードは岩陰から様子を伺うしかなかった。


 一方で、経験のしたことのない大地の震動を抱き合って恐怖を克服したナズとサランはくっつけていた体を勢いよく引き剥がしていた。


「いつまでくっついてんのよっ!」


「サ、サランが抱きついてきたんでしょっ!」


「もういいわよっ。そ、それにしても今の地震なんなの?」


「そんなの知る訳ないじゃんっ。うーっ。小羽大丈夫かな……」


「一色さんなら大丈夫よ」


「なんでそんなことわかるの? そんな自信ありげにさ」


「あの子はこの世界に愛されてる気がするからよ」


 その小羽といえば魔族の襲撃から逃れた後、ピエージャドルを探し洞窟内をさまよっていた。その際、ドラゴンの大地による衝撃で洞窟の天井部が崩れ落ち、その下敷きになっていた。


 ――び、びっくりした……。今の何だろう?


 小羽は四つん這いで洞窟内にいた。背中に書かれた魔方陣が光り輝き、ドーム型の結界に包まれていた。落ちてきた巨大な岩を抑えたその結界は強固なものであった。


 それはレオニードが小羽の背中に書いた魔方陣。小羽に何かあった時に発動するようにしこんでおいたものだ。


 ――あ、危なかった……。レオニード先生の書いた魔方陣のおかげだ。魔方陣ってカッコいいなぁ。やっぱり魔術って憧れちゃう。


 その場を起き上がり、少し前に進むと天井の巨大な岩は崩れ落ち、洞窟内に光が差し込む。それを見た小羽は岩をよじ登り地上の様子を確認する。


 少し離れたところに見える土煙。すでに殲滅されているだろう魔族の姿がないことを確認すると地上へと出た。


 遠くに見える土煙から見え隠れする巨大な影に小羽は目を凝らす。


 ――あ、あれってドラゴン? 凄いっ。本当にいるんだ!


 初めて見るドラゴンの姿に興奮しつつも、そのドラゴンと対峙するピエージャドルの姿が先ほどと違うことに気づいた。


 ――また擬態してる。あれは……碧色の魔石だったよね?


 小羽は魔工科の実習以来、サランの班に迷惑をかけないように魔石の勉強を自主的にしていた。そして、その努力は裏切ってなかった。ピエージャドルは黒紫の魔石への擬態から碧色の魔石に擬態変化していた。


 五神であるピエージャドルは地の精霊の命を授かっている。地の精霊は文字通り大地を司る精霊であり、その気になればどこでも見つけることができる馴染みのある精霊であった。地の精霊の魔力は七精の中では一番低い。それは魔石を作りだす際に魔力を消費するためだ。だが、大地のあるところならば安定して魔力を使うことができる。つまり、広範囲で安定した精霊の力を使えるのが利点だ。

 精霊によって作りだされたその魔石の力をピエージャドルは自在に操ることができる。この場合は無意識の防衛本能と言った方が正しいのかもしれない。住処を荒らされ、その場所を守るためにピエージャドルは碧色の力をその身に宿していた。


 ピエージャドルは鈍い動きから一転し、まるで宙に浮いているかのようにドラゴンの攻撃をかわす。一方でドラゴンも五神相手に必死に食らいついていた。巨大で鋭利な手足の爪。口から吐きだす炎。ピエージャドルとほぼ互角に渡り合う。


 その激しい攻防に小羽はその場所に近寄れずにいた。互いの巨体が暴れまわっているだけで大量の土煙が舞う。小石とはいえ、その飛んでくるスピードはかすめただけで肌を切りそうなスピードだ。そして、岩陰に身を潜めていたレオニードと合流した。


「い、一色っ! 無事だったみたいだな?」


「はい。レオニード先生の魔法陣のおかげで潰されずに済みました。ありがとうございます」


「ふっ……。役に立って何よりだ。しかし、この状況はまずいぞ。それに俺はもう魔力を使い果たしたも同然だ。逃げるにも転移の魔法陣は発動させることができねーはずだ。合図はまだか」


「クワナのブツブツがまだ聞こえています。ま、まだ時間がかかると思われます」


「くそっ! アレクのやつは何やってやがる!」


「ど、どうしましょう。レオニード先生」


「あいつらの魔法陣の効果もそろそろ切れる頃だ。とりあえずあの二人と合流する。破滅の竜には悪いがここは踏ん張ってもらわないとな……」


 レオニードはドラゴンをチラ見し、小羽と共にその場を後にした。そして、ナズとサランと合流した。


「ナズちゃん。大丈夫だった?」


「うわーんっ! 小羽ーっ!」


 泣きながら小羽に飛びつくナズ。小羽は優しくナズの頭を撫でていた。


「お前は大丈夫か? ケガした足を見せてみろ」


「大丈夫です……。ケガはこの子が治してくれました」


 レオニードの眉がぴくっと動いた。


「……おいっ! 小っちゃいの! お前、何者だ? 治癒魔術を使えるやつなんて俺は初めて見たぞ。それにその魔力はなんだ」


「ぐすっ……。そ、そうなの? ナズは昔から普通に使えたけど……って! 小っちゃいのとか言わないでよっ」


「お前出身はどこだ? ったく……。ガッシュフォードはどこからこんなやつを……」


「レ、レオニード先生。い、今はそんなこと言っている場合じゃ……」 


 小羽は当然のようにナズの正体を隠した。虹の精霊が学園にいるとわかるとパニックになるからだ。このことはガッシュフォードにもキツく言われていた。


「サ、サランさん。碧色の魔石って物体を軽くできるの?」


「急に何? 碧の魔石は軽くするんじゃなくて重力を取り払うのよ。要するに質量を無にする魔石よ。それがどうかした?」


「う、うん。ピエージャドルが碧色に包まれてたから。また擬態したのかなって」


 それを聞いていたレオニードの額から汗がしたたり落ちる。


「おい……。ここを離れるぞ」


 焦りを見せる訳でもなく、淡々とその言葉を吐き出したレオニードは無言で走り出した。小羽たちも黙ってそれについていく。


 レオニードがその場を離れたのには二つの理由があった。


 一つは。自身の召喚したドラゴンはおそらくピエージャドルに倒されると確信した。五神を侮っていた訳でもない。それでも同等近い魔力のドラゴンを召喚したことで足止めはできると自負していた。だがそれは普通の状態ならばの話。どんな擬態をするかわからないピエージャドルは予測不能の脅威であった。


 小羽とサランの何気ないやり取りがそれを確信させていた。ピエージャドルの唯一の弱点である鈍さが取り払われた今、ドラゴンでの足止めは不可能と判断したのだ。


 もう一つは実に単純なものであった。魔力を使い果たしたレオニード自身、身を守る術を持っていない。それは同時に三名の生徒を守れないことであった。最悪の場合を想定しての逃げるという選択。少しでも遠くに行き、アレクサンダースの魔導具の完成を待つしか他に逃げ切れないと判断した。


 この状況であくまでも冷静に取り繕うも、心情は穏やかではなかった。


「せ、先生っ。どこまで行くんですか……。はぁはぁ……」


「いいから黙って走れっ!」


 レオニードが今やれることはこれしかなかった。サランの問いかけにもただのこれだけしかできなかったのだ。


 四人が洞窟から走りだした先は森の中だ。ピエージャドルの洞窟は森の深くに点在する。そもそも住処を荒らされたピエージャドルの防衛本能が擬態した原因であった。それが排除されれば大人しくなるだろうとレオニードは希望的観測を抱いていた。ドラゴンが倒されれば防衛本能が無くなる。そう思っていた。


 ここでナズが何かに気づいた。


「ピエージャドルってさ? さすがに空は飛べないよね?」


「小っちゃいの。バカなことを言うんじゃねーよ。黙って走れっ」


「こ、子供扱いしないでよっ! じゃあさ? あれ何?」


 ナズは立ち止まり、上空に指をさす。生い茂る木々に空は少ししか見えないものの。葉と葉の隙間からは太陽の光が差し込んでいた。


 三人は走るのを止め、ナズの側に近寄る。


「ナズちゃん? 何か見えたの?」


「うん。チラッとだけど。羽の生えたピエージャドルらしきものが……」


 ナズが見たもの。それはまさしくピエージャドルの姿であった。亀のような姿は変わらずにごつごつした羽を自在に操るその姿はドラゴンに擬態したピエージャドルそのものであった。それはそこにいた全てのものが確認した。


「マ、マジかよ……」


 空を見上げたレオニードは落胆した。あろうことか自分の召喚したドラゴンへの擬態。それはドラゴンがすでに倒されたことを意味していた。


 そして、ピエージャドルが追いかけてくることに疑念を抱いていた。


 ――なぜ追いかけてくる? 俺たちを敵と見ているのか? 


 当初、ピエージャドルの洞窟に迷い込んだナズとサランは言い合いはしていたものの特に何をする訳でもなく洞窟内をさまよっていた。いきなり転移した場所がどこかもわからずにピエージャドルと遭遇した。


 そして、ピエージャドルは防衛本能を働かせて黒紫の魔石へと擬態した。


 それはなぜか? レオニードの疑念ともいえるその答えは簡単だった。


 その答えは七精の魔力のその強大さにあった。五神に匹敵する魔力を宿した虹の精霊がピエージャドルの洞窟に現れたことが原因であった。その虹の精霊とはナズのことだ。もちろん、ナズにはその自覚はない。


 立ち止まった四人の頭上をピエージャドルは飛び回っていた。


「くそっ! どうすれば……」


「せ、先生。どうしてピエージャドルはあたしたちを追ってくるんでしょうか?」


「知るかよ。逃げ切れる気がしねー……」


 焦るレオニードを尻目に小羽はナズの耳元で囁く。


「ナズちゃんの魔力のせいかな? エルフは魔力が強いって言ってたし」


「そんなの知らないよ。ナズは何もしてないもん」


「そ、そうだよね……。クワナからの合図もまだだし……」


 そして、四人の目の前にピエージャドルが降り立った。レオニードは逆側へ振り向くも地中から岩が盛り上がり、道を塞がれてしまっていた。森の一部に不自然に盛り上がる岩の壁は木々をなぎ倒し、四人とピエージャドルを取り囲んだ。


「し、しまった……。一色っ! 合図はまだか?」


「ま、まだです。ど、どうしましょう?」


「一色。岩肌に色魔導を使え。この壁を破壊できる何かを! 俺は少しでも足止めをする。頼んだぞっ!」


「わ、わかりました」


 レオニードはピエージャドルの目の前に飛び出し、時間を稼いでいた。獣人族の血を引いているレオニードはその類まれなる身体能力をいかんなく発揮する。素早い動きで攻撃をかわしながらも目線を小羽たちから逸らしていた。


 その間、小羽は言われた通りに岩の壁にあるものを描き始める。それは岩を吹き飛ばす爆弾だ。だが、岩の壁は常に盛り上がるのを止めなかった。描いては岩が動くために小羽は苦戦していた。


 ――こ、これじゃあ。描けない……。いちかばちか……。


 小羽は岩に描くのを諦めて岩に面した空間に爆弾を描き始めた。


「描きましたっ。十秒後に起動しますっ!」


「上出来だっ! そこから離れろっ!」


 小羽はナズとサランの手を引き、その場から離れた。描かれた時限爆弾はタイマーを起動し始める。


「レオニード先生っ! あと五秒です!」


「おうっ!」


 レオニードはピエージャドルを逆方向に引き付けて小羽たちと合流。最後の魔力を振り絞り、地面に結界の魔法陣を書いた。


「これが本当に最後の魔力だ。伏せろっ!」


 その言葉と同時に小羽の描いた爆弾は爆発した。凄まじい音と爆風が結界の壁を揺らしていた。レオニードは結界を飛び出して爆発した岩の様子を確認する。


「―――っ。これまでか……」


 レオニードの手の先には少しだけえぐれた岩肌。それはさらに盛り上がり続けていた。小羽の描いた爆弾は岩肌を少し削る程度に留まった。直接岩肌に描けていたら恐らくは少しの穴ぐらいは開いたであろう。空間に描いた爆弾はただ爆発し、岩肌の表面をいたずらに傷つけただけで終わった。


 地中から盛り上がり続ける岩はドーム型に空に伸びていた。わずかに差し込む太陽の光が遮られ始め、空を見上げる小羽を影が覆いつくしていく。


 地中を好むピエージャドルの領域へと閉じこめられ、まさに最悪の状況になった今。事態は動き始めていた。


 ルメールの森ではアレクサンダースの手により、クワナの魔導具が完成した。

 小羽の耳元にクワナの叫び声が届く。


 ――お待たせっ! 小羽っ!


 ――ク、クワナっ!


 それともう一つは愕然としたレオニードの目の前の岩が突然崩れ落ちる。爆発や振動によるものではない。何か鋭利なもので切られた岩はきれいな切り口を残していた。そこから一気に太陽の光が差し込んだ。


 そこには一つの影が太陽を背に立ち尽くしていた。


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