第負一話 交じり合う世界

 今からおよそ八年前。魔族は突如として人族を襲った。

 理由などはない。それが魔族を生み出す闇の精霊の宿命だからだ。


 ギラナダ北東のニース地方のキャムの村は魔族の襲撃を受けて王国に助けを求める。その要請を受けたかつての騎士団は北東に侵攻を始めた。ニース制圧のために全騎士を総動員をする。

 これはかつての国王がその場所が決戦の地になると踏んでいたからだ。


 だが、人族も知らない世界を揺るがす問題が起きていた。


 魔族の長。魔王がアヴドゥ―ス―の里を訪れていた。美しい二人の女性が対峙する中で、魔王は虹の精霊の長老に静かに問うた。


「虹の精霊の長老……。人族とこの里の命。どちらを重んじるつもりか?」


 その魔王の問いに長老は迷わず答えた。


「虹の精霊の加護ある限り、エルフは滅びぬわ。人族も同様じゃ」


「ならば……。闇の精霊の名のもとに人族を滅ぼす。邪魔をするならわかっているな?」


「邪魔などせぬよ。互いの宿命と相容れておるつもりじゃ」


「ふっ……。宿命とな……?」


 魔王はそのままアヴドゥースーの里からニースへ向かった。


 そして、北東に侵攻していたギラナダ騎士団を襲撃。騎士団の抵抗は激しくも。魔王はたった一人で騎士団を全滅させたのである。


 ギラナダ王国にもその報せが届いていた。王国は騎士団がいなければ戦うことも守ることもできない。そこで王国は魔王討伐を名目として莫大な懸賞金をかけて冒険者を募った。

 もともと、自由気ままに生活をする冒険者たちは数多く存在しており、王国から配布される手配書の懸賞金で生活していた。手配書は人族を脅かすモンスターや魔族が主であり、一獲千金を狙う猛者達は日々、戦いに明け暮れていた。


 その検討もつかないほどの懸賞金目当てにギラナダの城下町は冒険者で溢れかえっていた。


 そんな賑わいを見せる城下町に三人の若者が現れた。


「凄い人だな……。冒険者ってこんなにいるのか?」


「そんなことより。パーティーを探すのが先だよね? ガッシュ君」


「マリーの言う通りだ。ハインス。私たちには物理的な攻撃ができる者がいない。剣士の一人でも入れた方が良いな」


「剣士さんかー。カッコいいんだろうな……」


 王国の管理の下。冒険者たちは互いに仲間を求め合っていた。我先にと強い者同士が互いに組み合う中。三人は声をかけるも相手にもされなかった。


 子供が遊びに来るところじゃないと話すら聞いてもらえず、三人は途方に暮れていた。


「どいつもこいつもガキ扱いしやがって! 話くらい聞いてくれてもいいだろっ!」


「ハインス君。落ち着いてよ。でもどうしよう……。これじゃあ。冒険に行くこともできないね……」


「明日。もう一度探してみよう。今日はもう遅い。宿を手配しないとな」


 その日は収穫もなく三人は寝床を求めて宿屋を探し回っていた。といってもこれだけの冒険者が集まっているギラナダにはすでに宿泊できる場所はなかった。


「私とハインスは野宿でもいいが。さすがにマリーを野宿させるのは忍びないな」


「私も別にいいよ? 野宿ってなんか冒険者って感じで楽しいから」


 マリーは二人に笑顔を見せていた。


 三人はギラナダの街を出て少し離れた場所を寝床に決めて座っていた。


 ハインスが肉の塊を取り出し、ナイフで切り分ける。


「食料を買っておいたから焼いて食べよう」


「火はどうするの?」


「僕の火の精霊がいるじゃないか。彼女はとても良い形のお尻をしているんだ。その子に頼もう」


「ハインス君。カッコいいなー。精霊って何でもできちゃうんだね?」


 得意げに薪を並べるハインスにガッシュフォードは不満そうな顔を見せていた。


「火ぐらい私にも出せる」


 ガッシュフォードは詠唱を始めた。ハインスが並べ終えた薪に勢いよく火がつく。


「熱っ! あ、危ねーだろ! ガドっ!」


「凄いっ。ガッシュ君。カッコいいっ」


 辺りには肉の焼けたいい匂いが立ち込める。その匂いにつられてモンスターが集まってきていた。マリーの向かい側で肉を焼いているハインスの背後に大きめのモンスターの影が映る。焚き火に照らされたその姿は実に不気味であった。マリーはその存在に気づくもそのモンスターはすでに太い木の棒を振り上げていた。


 マリーは震えながらも口を開く。


「ハ、ハ、ハ……ハインス君。う、後ろっ!」


 呆然としているマリーを見てハインスはニヤリと笑う。


「ビビり過ぎだよ。マリー。僕に手出しは出来やしない……」


 そう言うとモンスターの持っていた木の棒が一瞬で火だるまになった。そして、モンスターはそのままその場を逃げ出した。


 そして、突然。辺りは急に黒い雲が立ち込め、周辺に無数の雷が落ちた。


「キャーっ!」


 その音と衝撃に頭を抱えて丸まって怯えるマリー。


「雑魚は駆除しておいた。さぁ。いい加減。お腹が空いて仕方がない」


「そうだな。ほらっ。ガド。……これはマリーの分だ。どうした? ……マリー?」


「ふ、二人とも怖くないの?」


「モンスターならもう退治した。何も問題はない」


「マリーは怖がりだなぁ。もう大丈夫だよ。ガドの雷でこの辺のモンスターは全滅したはずだよ。それに僕と一緒にいる火の精霊が守ってくれている。何も心配はいらないよ。ほらっ。せっかく焼けたお肉が冷めてしまうよ?」


 マリーはきょとんとした顔で肉にかじりついていた。


 それを見た二人はマリーが無理をしているかのように見えていた。


 マリーは多少の魔術を使えるだけのただの女の子。二人と同じく学校でイジメられていた時に助けて以来。三人はいつも一緒に行動をしていた。


 冷静で物事を見極められる魔術の使い手であるガッシュフォード。


 ふざけてはいても実力もあり、女の子を危険な目に合わせるはずのない精霊使いのハインス。


 この二人がマリーと一緒に冒険しているのには訳があった。


 魔族の襲撃を受けたニース地方キャムの村はマリーの故郷。ギラナダの学校に通っていたマリーは運よく無事であった。


 だが、マリーは家族を失った。


 その時。二人は日々泣き続けていたマリーにある提案をした。


 マリーの親の仇打ち。まだ若い二人がマリーを元気づける唯一の提案だった。


 だが、マリーはそれを断った。そして一言。


「これからの未来を平和にしたい……」


 二人は衝撃を受けていた。家族を失い、一番悲しいはずのマリーが民の未来を案じた。そして、その言葉は二人を感動させ、奮い立たせた。


 ならば。その世界は自分たちの手で作ろうと三人は冒険を始めたのであった。


 マリーの優しさを胸に―――。


 それ故に二人はマリーを守ることを決意していた。何があってもマリーだけはと。


「このお肉おいしい……」


「まだまだあるからいっぱい食べなよ。ほら。これも焼けたよ」


 ハインスはマリーに新しく焼けた肉を差し出した……はずが差し出した手にはその肉がなかった。


「あれ? 落としたかな? ごめん。マリー」


「ハインス。様子がおかしいぞ。確かに肉を持っていたのは私も見た」


 ガッシュフォードのその言葉に少し緊張が走る。三人は周りの様子を伺う。


「ガッシュ君。あれ!」


 マリーが遠くを指さした。


 そこには少し離れた木の下で一人の女性が夢中で肉にかじりついているのが見えた。


「おっ! 美しい女性だ。夢中で肉を食べる姿もまた美しい」


「ハインス。おそらくはあいつの仕業だ。何者だあいつ……」


「まぁまぁ。お腹が空いてたんだろ? まだこんなにあるんだ。彼女にも食べさせてあげよう」


 ハインスはその女性に近づいて話しかけた。


「こんばんは。もしよければ僕たちと一緒に食事しない? 美しい君なら大歓迎だよ?」


「…………」


 女性は肉に夢中でハインスを見ようともしなかった。


 ――この子。目も合わせてくれないな。心を見てやろうかと思ったんだけどな。


「ねぇ? 聞いてる? 一緒に……」


 その女性は食べ終えた骨に何かをしていた。その骨はみるみるうちにモンスターへと姿を変える。


 ハインスは少し後ろに下がり、火の精霊へ語りかける。


 ――僕に炎の体を授けてくれないか?


 ハインスの体は炎に包まれた。火の精霊の力を自らの体に宿したのだ。


「君は魔族か? 僕は女性を傷つけるのは趣味じゃない。そのモンスターを引っ込めてくれないか?」


 女性はハインスを見ることなくそのモンスターを観察していた。そして、言葉を発した。


「このモンスターの肉は美味い。覚えておこう……」


 そう言うと女性の目の前にいたモンスターは骨となり、足元に転がった。


 そして、ゆっくりとハインスを見ていた。虚ろな目にボサボサの長い髪。背の高い美人には違いないが。どこか汚い恰好だ。


 ――この人。なんで火だるまなんだ? ……大丈夫なのかい?


 ハインスの目の前で女性は筆を持って何かを描き始めた。


 ――これで大丈夫。やっぱり火はあまり好きじゃない……。


「き、君は何をしている? ……というか何をした?」


 戸惑うハインスを遠くから見ていたガッシュフォードが叫んだ。


「ハインスっ! そこから離れろ! 色魔導だっ!」


 ガッシュフォードの声は虚しく、ハインスに大量の水が降りかかった。


 女性はハインスを見て不思議そうな顔をしていた。


「あれ? 消えないなぁ……。大丈夫そうだし。まぁ。いいか……」


「…………。ず、随分な挨拶だな……」


 ハインスは体に包まれた炎を消した。火の精霊の炎を無にしたのだ。


「びしょ濡れだ……」


「あはは。ごめんごめん。熱そうだったからつい……」


「君は魔族じゃないのか?」


「ん? あたしは別の世界の人間だよ。それよりさ。一つ頼みがあるんだけどいいかな?」


「美しい女性の頼みは断らないよ。何? 言ってごらんよ」


「もう少しお肉もらってもいいかな?」


 そして、四人で食事をすることになった。その女性は手を止めることなく肉を食べ続ける。その姿に三人は唖然としていた。ガッシュフォードがその女性に問う。


「君は色魔導を使えるのか? どこで覚えたんだ?」


「いほいへほほへは」


「で、できれば飲み込んでから話してくれると助かるのだが……」


 女性は口の中の肉をゆっくりと飲み込んだ。


「一人で覚えたんだよ。生きるために」


「生きるためって……。色魔導は相当な修行と熟練が必要だと聞いたことはあるが……」


「ガド。彼女は別の世界から来たらしい。異世界者ってやつだ」


 女性は骨を投げた。


「あたしのことはどうでもいいよ。それより、見たところ君たちは冒険者のようだね? 魔王討伐かい?」


「まぁね。僕たちは世界を平和にするために立ち上がったんだ!」


 ハインスは立ち上がり、格好の良いポーズをするも女性は新しい肉に夢中でかじりついていた。


「本当にこの肉は美味い……」


「こ、こいつ……」


 ハインスが無言で座るとガッシュフォードが眼鏡を直した。


「君が異世界者かどうかは今は問題ではない。なぜ一人でここにいる?」


「はははをははひてる」


「だから……。飲み込んでから言ってくれ……」


「ごくっ……。ふぅー。ごめんごめん。仲間を探している」


「仲間? 魔王討伐でもする気か?」


 女性はヘラヘラと笑いながら答えた。


「あたしが魔王を倒すのがそんなにおかしいかい?」


「いや。別に他意はない。それに君は随分と自信があるのだな。色魔導など戦闘に役に立つとは思えないのだが……」


「あはは。それは人の価値観だよ。この世界の連中は皆同じようなことを言う。役に立つ立たないじゃない。やるかやらないかだ」


 女性は独特の雰囲気を持っていた。普通の冒険者なら決起する者。恐怖を覚える者。様々な想いが現れる。それは隠してはいても行動や言動の端々に見えてしまう。物事を冷静に見れるガッシュフォードでもその女性の内側まで見抜けなかった。


 そして、ハインスに耳打ちをした。


「ハインス。彼女の心を見てくれ」


 ハインスはその言葉に耳打ちを返す。


「もう見てるさ……。詳しい話は後で教えるよ」


 こそこそする二人を尻目に女性はマリーに目を向けた。


「君も冒険者かい?」


「は、はい」


「どうして魔王討伐を?」


「そ、それは……。この世界を平和にしたくて……。争いのない未来を創るためです……」


「あはは……。争いは必ず起きるよ。ましてや。この世界は意思を持った種族が多過ぎる。それは不可能だよ」


 マリーは震えた声で叫んだ。


「そ、それでもっ! もうっ……みんなに悲しい想いはさせたくないっ! ……ううっ……」


 その言葉の重みはガッシュフォードとハインスは痛いほどわかっていた。泣いてうずくまるマリーにハインスはそっとマントをかける。


「そういうことだよ。魔王討伐の目的は同じとはいえ、僕たちとは背負っているものが違うらしいからね。……君の境遇には同情するよ」


「人の想いはそれぞれだよ。あたしらはあたしらでやってみるよ。美味しいお肉をご馳走になったね。君たちに何かお礼をしたい」


「礼なんていらないよ。僕が誘ったようなものだ。気にしなくていいよ」


「そういう訳にはいかないよ……。じゃあ。ちょっと待ってて」


 女性は立ち上がり、筆を一生懸命走らせていた。


「うん。いい小屋が描けた。女の子を外で寝かせるのはかわいそうだからね。せめてものお礼だよ。じゃあ……」


 女性はそのまま振り返らずに暗闇の中へと消えていった。それと同時に何もなかったその場所に突然、小屋が現れた。木で作られた小さいログハウスだ。三人では少し狭い大きさだが、野ざらしよりは良い。焚き火をしていたその場所を中心にそれは現れた。


 ガッシュフォードは目を疑っていた。


「こ、これは一体……」


「あ、あの子の色魔導だろうな。完成度が高いな。彼女は本当に凄い……」


 これにはハインスも驚いていた。


「ハインス……。彼女の心の中を教えてくれ」


 ハインスは少し間を空けて、真剣な表情を見せる。


「彼女はこの世界に来てすぐに魔族に襲われている。それも半殺し状態だ。左手と右足は切断され、おそらくは左目も視力はない。その時に偶然居合わせた男。……いや。少年に助けられている。その少年への思念が強かった」


「し、しかし。彼女は普通に手を使い歩いていたぞ」


「……あれは全て色魔導だろ。自分で自分を描いた。それほどまでひどい体なんだろう……。それと彼女には殺意があり過ぎる。復讐なのか。もともと持っているものなのか……。正直、悲し過ぎて見ていられなかったよ」


 マリーはマントの中からボソっと呟いた。


「……あの人のためにも……頑張ろうね……」


 二人はその言葉にマリーの優しさを感じていた。そして、次の日。その次の日と。仲間を見つけられずに結局は三人で旅をすることにした。


 ギラナダ周辺は数多くの冒険者が滞在していたために現時点では魔族の攻撃はなかった。そして、魔族が次に出没する地域の予測を各自で行い、それに向けて冒険者たちは準備を始めていた。


 ガッシュフォードが予測を立てたのがルメール地方。ギラナダ南東に位置するこの地方は東に森。南に海と資源が豊富な地域だ。そして、人族の密度が最も多いのも特徴だ。


「ルメールか……。北東のニースが落ちたばかりだ。魔族だってバカではないだろ。いきなりギラナダを飛び越えてくるか? それに魔導士の集まるルメールはそう簡単に落とせないだろ」


「それはわからない。だが、北東から西に向かうとは思えない。北西には獣人族のグロールがある。あそこを落とすのは魔族とて容易くはない」


「獣人族を避けて人族を襲う……か。言われてみればそうだな」


「それに……グロールにはイナビの森がある。イナビは森を守護する神だ。五神に立ち向かえるほどの力はまだ魔族にはないはずだ」


「だったら早く行こう? ルメールは何も知らないまま襲われちゃうよ?」


「あくまでも予測だ。本当に来るかはわからない。もう少し情報を集めてみないことには……」


「困ってる人を放っておけないよっ。空振りでも何かできるかもしれないし」


「マリーの言う通りだ。ガド。その時はその時だよ。それに水の精霊と契約したい。ルメールの南の海によく現れるっていうからさ」


「わかった。では私たちはルメールに向かおう」


 三人はギラナダの城下町から南へと向かった。


 その一歩は三人にとって冒険者としての始めての一歩だった。


 ルメールに着いた三人はひとまず町の様子を探った。ルメールの町は穏やかで人々は何も変わらない日常を過ごしていた。そして、冒険者の姿はなかった。


「こんな平和な町。久しぶりだね?」


「うん。実に穏やかだ。それに美人が多い」


「ハインス……。目的を履き違えるな。やはり魔族はグロールへ向かったのか……。少し情報を集めよう」


 三人はルメールで聞き込みを開始した。町行く人々。店の店主。日向ぼっこをする老人など。魔族の目撃情報がないか隅々まで聞いて回っていた。


「そっちはどうだ?」


「全然……。美人のお姉さんとなら仲良くはなったけどね」


「私もだよ。ここ最近は魔族のまの字も聞かないって……」


「そうか……。これから起こるのか。本当に空振りなのか」


 うつむき、考えるガッシュフォードにハインスはある提案をした。


「南の海に行こう。水の精霊と契約したい。どちらにしろ。これから力は必要になる。何もないならそれでいいだろ?」


「だが……南の海は……死の―――」


「ガドっ! 余計なことは言わなくていい」


「……そうだな。では南へと向かおう」


 ルメールの町から南へ少し行ったところに漁場があった。そこの近くの海岸からハインスは海の中へとゆっくりと歩いていた。なだらかな海岸ではあったもののハインスはどんどんと沖へ進み、小さくなっていた。


「ガッシュ君。ハインス君大丈夫かな? もうほとんど見えないよ?」


「あいつなら大丈夫だ。それにハインスの精霊使いの力はこの先必要になる。それに。私も魔族はあまり見たことはない。私の魔術が通用するかどうか……」


「ガッシュ君……」


 三人は冒険者になりたてとはいえ。個々の実力がまだわかっていなかった。モンスターは当たり前のように倒せるガッシュフォードでも魔族とは交えたことはない。己の力が通用するか危惧はしていた。


 ハインスもまた同じことを考えていた精霊使いとして生きること決めた彼はこの先のために危険を冒してでも水の精霊と契約することを望んでいた。


 二人はマリーを守るために何をすべきかだけはわかっていた。


 一方で並みの魔力しか持たないマリーも悩んでいた。この先。役に立つかどうかわからない無力な自分を責め始めていた。足手まといなら一緒にいない方がとまで考えていた。


「どうした? マリー」


「……私。このまま一緒についていっていいのかな?」


「当たり前だ。マリーがいない冒険なら最初からしてはいない」


「で、でも。私は何もできない……。もしかしたら二人を危険な目に合わせるかもしれないし……」


 自らの弱さをさらけ出したマリーは泣きそうな顔でうつむく。


 ガッシュフォードはマリーの頭の上に手を置いた。


「マリー。人の想いって何だと思う?」


「お、想い?」


「私はこう考える。魔王討伐は私たちでなくても誰かが必ず成し遂げるだろう。だが、それを指を咥えて見ていても何も始まらない。無理だとわかっていても心の内側に一度持ってしまえばそれは止められない。私とハインスはマリーのためを想い、この冒険を決意した。だが、お前は違った。これからの未来を想った。それがどれだけ困難で大変かどうかは誰でもわかる。そして、その想いをくれたのはマリーだ」


「で、でも……。わ、私は……」


「マリーは私たちを動かしたのだ。その想いだけで十分だ。お前のことは必ず守る。だから心配するな。マリーは私たちに勇気と希望をくれた。だから一緒に行こう……」


 マリーはガッシュフォードのローブの袖を掴んで泣いていた。足手まといでも一緒に行こうと言ったガッシュフォードとそのために自分の身を危険にさらしているハインスのその想いを胸に声を殺して泣いていた。


 突如として、強い風が吹いた。それと同時に南の海がざわつく。

 沖からはとてつもない大きな波が押し寄せていた。徐々に膨らんで大きくなる波の上にはハインスが立っていた。岸を丸ごと飲み込みそうな大きな波は二人の前で止まり、ゆっくりと引いていく。岸に降りたハインスの後ろにはかわいらしい水の精霊の姿があった。


「ふぅー。溺れそうになったよ。……ってあれ? なんでマリーが泣いてる」


「ぐすっ……。もう大丈夫……」


「ガド! 女の子を泣かすなよっ!」


「泣かした訳ではない。勝手に泣いただけだ」


「お前は女の子に冷たいんだよ。マリーは大事な仲間だぞ。少しは気を使ってやれよっ!」


「ふぇぇえええん。ハインス君……。ううっ……。うぇぇえええん」


 マリーはまた泣き始めた。ハインスの言った仲間という言葉に感動したマリーはハインスのマントの裾を握って泣き始めた。


「お前も泣かしたな。これでお前も同罪だ。本当に……マリーは泣き虫で困る」


「えっ? えっ? ぼ、僕、何かした?」


 マリーは幸せだった。小さい時から助けてくれた二人が自分を必要としてくれたこと。自分のために魔王を倒そうと冒険者になってくれたことに胸がいっぱいになっていた。


 その日。ルメールの町の宿に三人は泊まった。マリーは泣き疲れたのか。スヤスヤと寝息を立てていた。


「それにしても、水の精霊の力は凄いな」


「だろ? まぁ。胸が小さいのは納得いかないけどな。魔力は素晴らしい」


「胸で精霊を選ぶな」


「……で? マリーは何で泣いてたんだ?」


 幸せそうなかわいい顔で寝ているマリーを二人は優しい笑顔で見つめていた。


「マリーなりに自分でどうすべきか悩んでいたみたいだ。一緒に行っていいのかなとまで言っていた。おそらくはマリー自身、この冒険をすることに葛藤をしていたのだろう」


「ふーん……。マリーがいるだけで僕らは強くなれるんだけどな」


「それと同じことを言ったら泣き始めた」


「そういうことか。マリーは寂しいだろうな……。家族を奪われてひとりぼっちになってしまった。それでもマリーは未来を想った。僕らより全然強いよ……」


「そうだな……。だからこそマリーは何があろうと必ず守らなければならない。やはり、剣士は必要だ。明日。ルメールを出たらギラナダで剣士を探そう」


「どうせまた断られるだろうけど。旅の剣士でもどこかにいればな……」


 二人は眠る準備をしていると宿の外が騒がしかった。窓から見えるのは焼かれている家の炎の灯り。それを見たハインスは宿を飛び出した。ガッシュフォードは急いでマリーを起こす。


「起きろ! マリーっ!」


「……んん。な、何……?」


 眠い目を擦るマリーはガッシュフォードの表情をすぐに察した。


「ガ、ガッシュ君……。も、もしかして……」


「おそらく魔族の攻撃だ。すでにハインスは戦闘を始めている。私と一緒に来い!」


 飛び起きたマリーはローブを羽織り、ガッシュフォードの後ろをついていく。宿の外は凄惨な状況だった。無限に溢れかえる魔族の群れ。逃げ惑う人々を容赦なく襲っていた。


 二人は近くにいた町の人々を助け、町の大通りの広場へと避難させていた。


「マリー。ここに結界を張る。この場所から動くな。わかったな?」


「ガ、ガッシュ君は?」


「私はハインスと共に戦う」


「だったら私もっ! 私を一人にしないで……ぐすっ……」


「マリー。よく聞くんだ。ここにいる町の人々をお前が守るんだ。結界の維持はお前の大事な役目だ。できるな?」


「…………。や、やるっ!」


「よし。では頼んだぞ」


 ガッシュフォードは詠唱と共にその場を後にした。マリーを中心にドーム型の結界が現れる。それを見た町人たちはその中へと逃げ込んできていた。


 結界の中にはマリーと十数名の町人。その中には泣きじゃくる子供もいた。


 ――怖い……。怖いけど……。


「み、みなさん。この結界から出ないでください。この中は安全です。――キャっ!」


 魔族は容赦なく結界への攻撃を始めていた。それを見て子供たちは泣き出す。


「うわーんっ! 怖い!」


 マリーもまた泣くのを我慢していた。魔族が結界を攻撃する度に維持するマリーにもその衝撃は伝わる。時には物凄い衝撃もある。そんな中でマリーは必死に耐えていた。


 ――私にできること……。怖いけどやらなきゃ……。


 ハインスと合流したガッシュフォードはなんとか魔族の襲撃を抑えていた。


「ガド! 大丈夫かっ!」


「心配ない。魔族はどれほどのものかと思っていたが上級モンスターの方が楽なものだよ」


「ははっ。確かにな」


「マリーと町人たちは結界で守られている。だが。この数では……」


「キリがない……か。どこからこんなに湧いてくるんだ?」


「闇の精霊が近くにいるのかもしれない。そいつを探し出せば」


 二人は魔族を撃退しながらも闇の精霊を探していた。そして、目の前に現れた一人の少年の肩に若い闇の精霊の姿。そして、その少年は体にそぐわない大きく分厚い剣をゆっくりと抜く。


「リンダ。親玉はどいつだ」


「天様。あの月明かりから二時の方向。大きい角を生やしたあいつです」


「ふーん。あいつね……」


「そ、天様……。そのお顔は素敵過ぎです……」


 ニヤリと笑う少年の顔は穏やかな顔から一変して凶暴な目つきへと変貌していた。


 その姿を見たハインスは火の精霊を少年へと向けた。


「リンダ! 危ねーっ!」


 精霊を剣で抑えつける少年は物凄い形相で二人を睨む。そして、言い放った。


「てめーら……。俺の大事な精霊になんてことしやがる……」


 それを聞いた闇の精霊は体をくねらせていた。


「あぁ。天様……大好き……ですぅー……」


 ガッシュフォードは叫んだ。


「今すぐ魔族を撤退させろ! 今ならば見逃してやる!」


 ガッシュフォードはわかっていた。無限に増殖する魔族に対して迎え撃つ魔力はない。なによりもマリーたちを守る結界が持つ訳がないと。

 ここで争うよりは引いてもらう方を選んだ。


「な、何を言っている。ガド! ここで倒さなければ町はまた襲われるっ!」


 それを聞いた少年は火の精霊をハインスに弾き返す。ハインスはその精霊を優しく受け止めた。抱きしめながらもお尻を撫で、優しく口づけをかわす。


 少年は二人の様子を見て剣を下ろした。


「お前ら。冒険者か?」


「だったらなんだ! 魔族め! 僕のかわいい精霊を優しく扱えっ!」


 叫ぶハインスの言葉に頭をボリボリとかく少年。


「……ったく。どいつもこいつも人を魔族扱いしやがって……けど、俺は魔族じゃない」


「闇の精霊を連れておいて何を言う! お前は絶対に許さない……。マリーの家族を奪いやがって!」


 ハインスは火の精霊と水の精霊を同時に出した。それを見た闇の精霊は少年に耳打ちする。


「そ、天様。あの精霊使いはお強いです。二精。いや。下手したら三精同時に繰り出すかもです。さすがに抑えられないかと」


「そ、そんなこと言われても。あいつやる気まんまんじゃねーかよ」


 再び剣を構えた少年とその肩に腰を下ろす闇の精霊にハインスは迷わず火と水の二精を放った。


 その時だった。


「ストップ! ストップ!」


 どこかで聞き覚えのある声。「ハッ」と気づいたハインスは二精を自分に引き込んだ。少年をすり抜ける精霊たちは姿を消す。


 そして、少年も剣を下ろした。


「緋翠。こいつら知り合いか?」


「知り合いといっていいのかな。この前美味しいお肉をご馳走してくれた人たちだよ」


 ハインスは口を開いた。


「この前の色魔導士か。この少年は君の仲間か?」


「仲間であり、命の恩人だよ。リーちゃんもね」


 ガッシュフォードが少年に向かって問う。


「その闇の精霊が魔族を増殖させている訳じゃないのか?」


「リンダがんなことするかよ」


「当たり前です。天様を危険にさらす行為などする訳がありません」


 闇の精霊は小さな体で少年の首に抱きついていた。


「原因はリーちゃんじゃないよ。リーちゃん。親玉は誰だい?」


「緋翠様。あの角の大きい魔族です」


「ありがとう。リーちゃん。じゃあ……。そーちゃん。始めるかい?」


「おうっ! また頼む。緋翠」


「じゃあ、あの噴水あたりに叩き落としてくれると助かるよ」


「あそこか……なら高い位置からだな。いけるか?」


「誰に言ってるんだい?」


 その会話をガッシュフォードとハインスは黙って聞いていた。


「な、何をする気だ」


「それはお楽しみだよ。君はこの前。色魔導がどうとか言ってたね? ちゃんと見ておいた方がいいよ?」


 ニコリと笑う女性は少年の足元から何かを描き始めた。まるで小川が流れるように優雅に筆を進める女性はダンスでも踊っているように軽やかな足取りだった。やがて現れた長い大きな板。端には少年。その真ん中に硬そうな石。きれいに削ったような形の石。


「そーちゃん。準備はいいかい?」


「いつでもいいぞ」


 少年と逆方向の板の端で何かを描き始めた女性はそのまま噴水へと向かった。


「お、お前ら。何をするつもりだ?」


「近くにいると危ねーぞ? 離れた。離れた」


 シッシッと手で払う少年はニヤリと笑い始めた。そして、逆の板の端の頭上に何かが現れ始めた。黒い巨大な岩。その岩は当然、形を為して落下した。それに気づいた時にはすでに少年は月の影となっていた。高い位置から魔族めがけて落下する少年。落ちる速度と剣を振るタイミングを合わせ、その魔族を分厚い剣でぶっ叩いた。


 噴水の側で何かを描いた女性は結界の中にいたマリーに気づいた。


「やあ。この前のかわいい子じゃないか」


「あ、あなたは……」


 結界に近づく女性はニコリと笑った。


「今、終わるからね。よく見ておいた方がいい。戦闘では役に立たないと言われていた色魔導とやらが魔族を倒す瞬間をね」


 噴水の近くめがけて落下してきた魔族は懸命に羽を羽ばたかせていた。だが、勢いはなくなることなくさらに加速する。そして、噴水近くの地面に叩きつけられた。不気味な声を上げ、ゆっくりと立ち上がった瞬間。


 その地面の様子がおかしかった。グニャグニャと動き、真ん中からゆっくりと穴が広がっていく。地面はその中心から八つめくれ上がった。めくれた地面には鋭い歯のような牙。粘液を伸ばしながらウネウネと魔族にその牙が突き刺さる。まるで巨大な何かに食べられていくように。


 それを瞬き一つせずに女性は見つめていた。


 魔族はズタズタにされ。やがては飲み込まれいった。


「ほら。後は雑魚だけ。すぐ終わるよ」


 その間に少年とガッシュフォードとハインスは魔族たちを殲滅していた。


 中でもその少年の剣さばきに二人は驚きを隠せなかった。あれだけの巨大な剣を悠々と振り回し、衰えることのない動きの早さ。ほとんどの魔族が少年によって倒されていく。 


 数が減り出すと他の魔族は逃げ始めた。夜明けと共に町からは魔族の姿はなくなっていた。


 昇り始める朝日はルメールの町を照らしていた。無数の魔族と町人の死体。壊された建物や焼け崩れた建物。平和な町が崩れていく姿を見てマリーは涙を流していた。


「さて……。後処理は王国の仕事だ。行くぞ。緋翠。次だ……」


「わかったよ。君たちにはまた会えそうな気がするよ。またね……」


 二人は振り向いて歩み始めた。


「ま、待って!」


 その場から立ち去ろうとした二人を止めたのはマリーだった。


「マリー? どうした?」


「う、うん……。ちょっと……」


 二人は立ち止まり、振り返った。


「呼んだかい?」


 女性はニコリと笑い、マリーの前に近づいた。


「あ、あなた方はどうして魔王討伐をしているのですか?」


「……。私は別の世界から来た人間だよ。そーちゃんもね。そして、リーちゃんに言われたんだ。異世界者は闇の精霊を近づける……だよね?」


「はい。天様と緋翠様は魔力を持ちません。ですから魔族を呼びよせます。ですが。私は天様を必ずお守りします。あぁ……天様。愛しています……」


「だからだよ。黙っていても向こうから来る。それを退けていかなければ私とそーちゃんは殺される。だから殺してやるんだ……」


 緋翠と呼ばれていた女性は虚ろな目で語った。そして、後ろから天と呼ばれていた少年も近づいてきた。


「緋翠の言う通りだ。逆に聞くけど。お前らはなんでだ?」


「こ、この世界の未来を創るためです。争いのない平和な世界です」


 少年はマリーの言葉に微笑を見せる。


「ふーん。まぁ、頑張れよ。どうせ俺らには関係のない話だ。くたばってなかったらまたいつか会うだろ。それまでそっちもくたばんじゃねーぞ?」


 天と緋翠はその場を後にした。


 ガッシュフォードがマリーの肩に手を置いた。


「あの二人は危険だ。魔族が近寄ってくる異世界者には関わらない方がいい」


「だな……。今回の襲撃だってあいつらのせいかもしれないしな。剣士としては一流以上。失敗のない攻撃的な色魔導。あの二人は強い……。強過ぎる……けど少し怖いよ」


「…………」


 ――ずっと魔族に狙われて……生きるために強くなった。強いのは憧れるけど……なんか少しかわいそう……。


 小さくなっていく二人の後ろ姿を見て、マリーは二人を救いたいと願っていた。


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