第四話 悲しみのセカイ 

 夢心地のまま、寮の自分の部屋へ戻ると落ち着く暇もなく夕食を知らせるベルが鳴り響いた。小羽はベッドから立ち上がり、部屋を出る。


「ねぇ? あんた。どこ行ってたの?」


 食堂の入り口に差し掛かった小羽にサランが後ろから声をかけてきた。隣にはいつものようにネーブルがくっついている。


「あ……。え、えっと……クワナの家に遊びに……」


「スカーレット家って凄く大きいんでしょ? 大きかった? ねぇ?」


「う、うん。お、お店も大きくてお家もお城みたいで大きかったけど……」


「お城? お城ってハインス城? あんなに大きいの? ねぇ? 大きいの?」


「え、えーっと……」


 ネーブルは無邪気に小羽に食いついていた。それを見たサランはイラつきを表情に表す。


「ネっちん。何、こいつと話してんの? そんなのどうでもいいんだよ」


「サ、サっちん。ごめんってば。ねぇ? ごめん。怒った? 怒っちゃった?」


「……あんた。外出許可取ったの? 無断外出とかしてないよね?」


「が、外出許可? そ、それ知らなくて……。やっぱりそういうのあったんだ?」


「やっぱり? あんた知ってたんじゃないの? 学園に来て早々、無断外出とかさー。 本当にクワナの家に行ったの? 男にでも会ってたんじゃないの?」


 サランはわざと周りに聞こえるように大きな声を出していた。それを聞いた食堂の前に並んでいた寮の生徒たちがざわつき始める。


「ち、違う! わ、私……本当に知らなくて……」


 少し涙目になった小羽をサランは鋭い目つきで見ていた。


 そして、さらに大きな声を出した。


「イナビの森で出会った男の人とでも会ってたんでしょ? あんたかわいいもんね? 大人しそうな顔して凄くない?」


「そうなの? そうなの? 例の男の人と? キスとかしたの?」


「ち、違う……」


 小羽の声は震えていた。


 その騒ぎに気づいた先生が駆け寄ってきた。


「何を騒いでいる? 大人しく並びなさい」


「はーい。でもゴートル先生? この子……無断外出までして男に会っていたらしいですよ?」


「ち、違いますっ。む、無断で外出はしましたけど……」


「無断外出をしたのか? 君の名前と科を言いなさい」


「い、一色小羽です……。ま、魔導工学科です」


「君が例の一色君か……。来たばかりで知らないとはいえ、外出時は学園長の許可が必要だ。これからは気をつけるように。それと……君も学園の生徒として少しはルールを学んだ方がいい。根も葉もない噂を立てられるのは君自身の行動からだ。そこら辺も覚えておきなさい。夕食を食べ終えたら速やかに学園長室に行きなさい。学園長が呼んでいた。わかったね?」


「は、はい。す、すみませんでした」


 サランとネーブルは謝る小羽を横目にクスクスと笑いながら食堂に入っていく。


 小羽は生徒たちから離れて一人で食事を済ませる。食べ終えた食器を片付けているとネリスが近づいてきた。


「あ……。ネリスさん。こ、こんばんは」


「一色さん。あなた……その男の人に会っていたのですか?」


「わ、私は友達の家に遊びに行っただけで……」


「友達? 同じ魔導工学科の人ですか?」


「う、うん。外出許可とか知らなくて……」


「そうですか……。ところで。よろしいのですか?」


「えっ? な、何が?」


「学園長が呼んでいるのでは?」


「あっ! そうでした。ご、ごめんなさい。じゃあこれで……」


 小羽は足早に食堂を後にする。


 ネリスは小羽の慌てる後ろ姿を鋭い目つきで睨んだ。


 ――少し急いだ方がいいようね。あの子が何かに目覚める前に……。


 ネリスはそのまま誰もいない暗い学園内を歩き、中央広間の時計台の前に立つ。大きな赤い月がネリスの影を映し出していた。そして、その影はネリスのものではない形に姿を変える。


 影には不気味な笑みを浮かべた口だけが現れた。


「うふふ……。例の異世界者に関わりを持った者にも種を植え付けたわ。長年の計画通り封印の更新の儀の折りに……」


「そう……。ご苦労様。その異世界者はまだ目覚めてはいないわ。彼女が目覚めたところで止められるとは思えないけど。念のためにイナビにも種を植えてちょうだい。足止めぐらいにはなるでしょう……」


「イナビ? 五神がそんな簡単に姿を現すかしら?」


「玉を取られたようだから眠りにつく準備をしてるはずよ」


「へぇ……。あれを集めてるやつがいるんだ?」


「あの勇者でしょう? これだから異世界者の考えていることは理解できないのよ。何にせよ。一度きりのチャンスを邪魔されたくはないわ。よろしくね……」


「準備だけはしておくわ。彼たってのお願いだしね……」


 影に現れた口はニヤリと笑い、スッと消える。それと同時にネリスの影は元の姿に戻った。


 ネリスは時計台の下から月を見上げていた。


 ――長老様……。もうすぐです。彼の計画通りならば……自由になれるはずです。



 ―――――――――



 ―――コンコンッ


 小羽は学園長室のドアをノックした。


「入りたまえ」


 中からは学園長の落ち着いた低い声。小羽は少し緊張気味にドアを開けた。


「し、失礼します……」


 中を見ると目に入ったのはきれいな鎧をまとった騎士とみられる男が二人と食堂にいた先生が立っていた。


「一色小羽。そこに座りなさい」


 学園長は自らの席を立ちあがり、手を伸ばした。小羽は言われた通りに手の先にあった手前側のソファーに腰をおろした。そして、向かいのソファーに学園長のガッシュフォードが座った。そのまま静かに口を開く。


「君が今日。どこに行って何をしたか。言ってみたまえ」


「む、無断外出したのは謝ります。そ、そこまで大ごとになるとは思っていませんでした……。す、すみませんでした」


「そんなことを聞いてはいない。無断外出したのは問題ではない。質問に答えなさい」


 ガッシュフォードは冷たい視線で小羽を睨んでいた。


「は、はい。お、同じクラスのクワナさんの家に遊びに行きました。な、何をしたかと言われても……おしゃべりをしてお茶をご馳走になっただけです……」


 ガッシュフォードは一人の騎士と目を見合わせた。その騎士はゆっくりと学園長の隣に腰を下ろした。


「突然、申し訳ないね。僕はギラナダ騎士団で団長をやらせてもらっているルアスバーグという者だ。少しだけ僕の質問に答えてくれるかな?」


 ルアスバーグは爽やかな顔で小羽を見つめる。


「は、はい。な、何でしょうか?」


「ギラナダ騎士団は魔族討伐を主に日々鍛錬を欠かさずに民の平和を守っている。ここ最近は魔族などあまり見かけなくなってね。騎士団は魔族絡みで起きている事件の調査なども行っているんだ。君が異世界者とガッシュフォード様……。おっと……学園長から聞いてね。ここにいる訳なんだが……」


 ルアスバーグは口ごもり、ガッシュフォードを横目で見る。


「ルアス。事実を伝えねば話にならない。続けろ」


「……。今日、ルメールの街で一人の男性が亡くなってね。その男性が運ばれた病院から少し不審な点があると騎士団に通報がきてね。それでそこにいる彼がその病院に調査に入った……。調査内容を彼女に説明してくれるかな?」


 もう一人の騎士が頭を少しだけ下げ、紙に書かれている文字を読んだ。


「はい。スカーレット家。別邸にある執事やメイドが住む宿舎にて執事長のギニス氏が遺体で発見されました。病院側の話では裂傷の痕も見当たらないため、魔術での殺害と断定をしていたのですが、微量な魔力しか検出されなかったため、不審に思った医師たちが徹底的に解剖をしたそうです。そこで一人の医師が眼球に小さな穴を見つけました。その穴の中に小さな種が入っており、そこから伸びた芽。いえ、触手なようなものが心臓を突き刺していたと……」


 小羽はその話を聞いている途中で涙を流していた。先程会ったばかりのギニスが。最後まで優しかった彼の訃報に涙を抑えることができなかった。


 うつむいて声を押し殺して泣いていた。


「……ありがとう。一色君だったよね? 悲しいと思うが事実だ。君の友達のクワナ・スカーレット君にも話を聞いてきた。そして、彼女からノートを見せてもらった……。色魔導の話をしていたそうだね?」


「……ぐすっ。は、はい……」


「そして、その執事の魔導筆を今度借りると?」


「はい……。うう……。ううっ……」


 小羽はギニスと話をした一つ一つの言葉を思い出していた。そして、優しい笑顔。小羽の心に残ったその笑顔を思い出すだけで涙が溢れ出る。ずっと我慢はしていたものの。小羽は咳交じりの声でとうとう声を出して泣いてしまった。


「さすがに受け止めるには時間がかかりそうだね。少し落ち着いてからまた質問させてもらうからね?」


 小羽はうつむいたまま首を縦に振った。


「ガッシュフォード様。その種に覚えはありますか?」


「恐らくは魔族の血を含ませた特殊な種であろう。その種を調べればすぐにわかるとは思うが……」


「なるほど。その種はすでにギラナダに運んで調査を進めております。それよりも……彼女は大丈夫でしょうか?」


 うつむいて肩を震わせる小羽をルアスバーグは心配そうに見ていた。


「こちらの世界に来ていきなりはさすがに酷だろう。だが、緋翠に比べれば大したことではない。お前は戻らなくていいのか?」


「聞き込み調査が済めば戻ります。ハインス様にもこのことは報告をしなければなりません。小さい事件で済めば良いのですが……」


「おそらくはその種に秘密があるはずだ。彼女のことに関しては私が面倒を見ておこう。新たな情報が入り次第、こちらから連絡する。ハインスによろしく言っておいてくれ」


「わかりました。では僕たちは王国へ戻ります。ガッシュフォード様もお気をつけて。それでは失礼します」


 ルアスバーグと調査に訪れた騎士が学園長室を後にした。


 ガッシュフォードは一度天を仰ぎ、深いため息をついた。


「ゴートル君。私は明日からしばらく学園を留守にする。彼女にこの世界をわからせる必要があるようだ。留守の間、学園を頼む。魔導学科との二足のわらじですまないが……」


「わ、わかりました。学園長もお気をつけて……」


「そうだな……。明日、臨時の特別授業を開こう。場所は中央広間にて私が講師をする。その手配も頼む」


「が、学園長自らがですか?」


「そうだ。年度始めで新しく入ってきた者も多い。学園の軽い説明と昇級試験に向けての心構えも教えておきたい。一時限目は全生徒を中央広間の見える場所に集めてくれ」


「わ、わかりました。それでは他の先生たちにも連絡しておきましょう」


 立ち上がったガッシュフォードは泣き続ける小羽を見下ろす。


「一色小羽。君は明日から私と行動を共にしてもらう。これは学園長命令だ。明日の朝には発つ。教室に寄らずに中央広間に明日の朝、直接来なさい。ゴートル君。彼女を寮の部屋まで頼む」


「わかりました。一色君。そのままでいいから行こう。今日はゆっくり寝た方がいい。さぁ……」


 小羽は泣きながらゴートルと共に学園長室を後にした。


 学園長室のドアが閉まると、ガッシュフォードは上着を脱ぎ、ベストの内ポケットからタバコを取り出して火をつけた。


「ふぅー……」


 部屋中に煙が立ち込め始める。ガッシュフォードが何やら呟くと煙に一人の女性が写し出された。揺られた煙に写る女性にガッシュフォードが話しかける。


「緋翠。聞こえるか?」


「やぁ……。ガーちゃん。久しぶりだね。何か用かい?」


「その呼び方はやめろと言ったろ……」


「別にいいじゃないか。かわいいだろ?」


「…………。用件だけ言う。明日、私はハインスに会う。それを済ませたらお前のところに行く。例の異世界者も一緒にな……」


「ふーん。来るなら勝手に来ればいいよ。彼女は元気かい?」


「まぁ、元気といえるかどうかは私にはわからない。だが、それは問題ではない。魔族に目をつけられたことに問題がある」


「あははは……。それはどうしようもないだろ? 宿命としか言えないよ」


「宿命か……まったくだ。お前たち異世界者は随分と魔族に好かれているからな。詳しい話は会って話す。では後日会おう」


「あぁ……待ってるよ……。ガーちゃん」


 ガッシュフォードがタバコを消すと煙は瞬く間に消えた。


 ――このタバコの匂いはあまり好ましくないな……。 


 寮の自分の部屋に戻った小羽は突っ伏したままベッドで泣いていた。


 ――うっ……。ううっ……どうして……あんなに優しい人が……。


 止まらない涙と悲しみだけがその部屋の中にあった。しばらくしてベッドから起き上がり、小羽はカバンからノートとペンを取り出した。


 机に座り、黙々と何かを描き始める。


 ――……忘れないようにしなきゃ……ぐすっ……あの優しいギニスさんを忘れないように……。


 小羽はギニスの少しはにかんだ顔を描き、また涙を流していた。


 その日。小羽は悲しみを抱き、涙を流しながら眠った。



 ―――――――――



 次の日。言われた通り中央広間に立った小羽はその異様な光景に戸惑っていた。


 GMAの全生徒が中央広間を見下ろせる教室や廊下の窓に集まっていた。それはガッシュフォードがゴートルに指示していたことだ。だが、学園長室でずっと泣いていた小羽はそのいきさつを聞いてはいなかった。


 ガッシュフォード自らが全校生徒の前で特別授業を行うということは異例中の異例であった。それもそのはず、かつて魔王を倒した伝説のパーティーで大賢者の称号を王国からもらった者の特別授業とあらばGMAの生徒でなくともそれは是非とも見たいものだった。


 衆人環視の前にさらされた小羽は下を向いて立っているしかなかった。


 ――な、なんなの……。ここで何をするつもりなの? 


 小羽の心配をよそにギャラリーは突如として大きな歓声を上げた。それに驚いた小羽は後ろを振り返ると、ガッシュフォードと各科の先生たちが近づいてくる。


 ガッシュフォードは小羽の前に立ち止まり、一度校舎全体を見渡した。


「これではまるでお祭りのようだな……。さて、一色小羽。これから何をするか説明が必要か?」


「は、はい。お、お願いします」


「……。では、今回の特別授業について説明しよう。ゴートル君。皆に聞こえるようにしてくれ」


「はい」


 魔導学科の担任のゴートルは四つの科の主任をしている。故にガッシュフォードは彼を信頼していた。魔導学科は魔術について学ぶ、わかりやすくも難しい科で、知識や歴史。魔術の専門家を育てるポピュラーな分野である。そして、その知識を最大限活かしたのがゴートルであった。


 ゴートルはガッシュフォードに新しい魔術を提案した。それは日常で使える便利な魔術。魔導具と似ているようで違うのが、魔力を使う点だ。魔導具無しで日常の利便性をと、簡単かつ単純な魔術を普通の人でも使えるよう日々、魔導学科の生徒たちは学んでいる。


 そのゴートルが詠唱を始めるとガッシュフォードの声が徐々に大きくなり始めた。それは校内放送のスピーカーから聞こえるような声。そこにいる全生徒にその声は届いていた。


 ガッシュフォードは鋭い目で小羽を見つめる。


「―――今回、ここに集まってもらっている理由だが……」


 ゴートルの魔術により、ガッシュフォードの声が中央広間全体に響き渡っていた。それを学園の生徒たちは息を飲んで聞いていた。


「一色小羽。君はギラナダ王国。ハインスシュタイン国王に会ってもらう。その後、一人の女性に会い、君の望んでるものがいかに困難かわかってもらう。故に……これを冒険とし、私のパーティーの一人として参加してもらう」


 その言葉にギャラリーはざわついていた。「ほ、本当か?」、「す、すげー……学園長と冒険とかマジでありえねー」など、ほとんどが驚愕の言葉であった。

 

 それもそのはずだ。伝説の大賢者との冒険は誰でもできるものではない。大半は恐れ多いとその言葉すら簡単に口には出せないであろう。そして、仮に冒険したとしても、おそらく普通の者は実力が伴わず、すぐに命を落とすであろう。そればかりか王国を治める国王にすらそう簡単に会えないのだ。皆が驚くのも無理はない。


 小羽はその事態に驚き、戸惑うことしかできなかった。


ーーきゅ、急にそんなこと言われても……。


 なんとなくこういう世界は冒険とかはあるとは思ってはいたものの。それを本当にしなくてはいけない現実にただただ呆然と立ち尽くしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る