2017年5月25日(木曜日)

 朝起きると、僕の住んでいる地域一帯が停電していた。

 近所の人に聞いたところによると、どうやら付近で起こった交通事故で、電柱が倒れてしまったことによる停電だという。復旧の目途は今のところ立っていないらしい。

 ただ、停電しているのはあくまでこの周辺だけなので、駅のあたりは普段どおりで、電車も特に問題なく動いている、ということだった。


 駅までの間、いつも朝飯を買うコンビニは停電で真っ暗だった。

 いつもはそこでブリトーを買って、コンビニ備え付けのレンジで温めるのだが、今日はしかたなく加熱魔法で購入したブリトーを加熱せざるを得なかった。

 自分の魔法で加熱するとムラが出来るであまりやりたくないのだが、朝はこれを食べないと元気がでないため、やむを得ない。


 不意にポケットの携帯電話が振動した。

 それは坂本先輩からの写メールで『エアーズロックのてっぺん』という短い本文の下に、どうやって撮ったのは分からないが、幸せそうに微笑んでいるワンピースを着た坂本先輩と、真っ直ぐな地平線が写された写真が添付されていた。

 グリモアエンジンで無限の魔力を手に入れてからというもの、坂本先輩はこうして、転移魔法で世界中を巡っているのだ。既にマチュピチュやイースター島、南極に北極に、とせわしなく転移している。僕など、1日分の魔力を全て出し切っても数十キロ転移するのが限界なので、とても真似のできない芸当である。

 僕はそのメールへ、『次はどこへ行くんですか』と返信した。するとすぐに、『次はピラミッドかな』と、先輩から返信があった。

 

 定刻通りやってきた東海道線に乗り込んだ。車内はいつも通り混みあっている。とりあえず吊り革に掴まれそうな場所へ体を滑り込ませた。

 しばらく乗っていると、突然電車が急停車した。車内放送によると、停車の理由は、この先の踏切で立ち往生している車があるためだという。

 その程度の理由であれば、すぐに動き出すだろう、と思っていたが、どうやら事態はそう簡単なことではないらしく、立ち往生している車はレッカー車が必要な状態で、しかも踏切周辺で大渋滞が起こっている影響で、レッカー車の到着の目途が立たないらしい。

 ついていない。

 車内のそこかしこで、絶望感に満ちた大きなため息が漏れた。


 突然、僕のすぐそばに立っていた、40代ほどの男が、

「待ってられるか! おい、誰か魔法門を開けるヤツはいないのか! 川崎駅でいいぞ」

 と、叫び出した。

 どこかで誰かが、「急いでるなら転移魔法使えよ」と呟いた。

「使えるもんなら、使ってるに決まってるだろうが」

 男は即座に、呟きに対してそう怒鳴った。

 しかし結局、魔法門の展開に応じるものは誰もおらず、車内はしんと静まり返った。

 あたりまえだ。魔法門なんか開けるほどの魔力を持っているのは、1万人に1人くらいのものなのだ。そう簡単に現れるはずもない。

「ああそうかい」

 男はイライラした様子でそう言うと、今度は出口の扉に向かって自分の体をぐいぐい押し込みだした。

 そうして扉の前まで行くと、その扉に向かって両手を当てた。

 そばにいた人が、男の次なる行動を止めようと、強い語気で「やめろ!」と叫んだ。

 僕も瞬間的に、男が何をしようとしているのか分かった。男はあの扉を壊して、外に出ようとしているのだ。

 車内で次々に男を咎める声が上がった。

 しかし制止虚しく、男は眼前の電車の扉を破壊魔法で外に向かって吹き飛ばした。

 

 結局、男が壊した扉は構造が複雑すぎるため、魔法で修復は無理だという判断が下され、その場で全員が電車から降ろされた。

 その後、JRが用意したバスで付近の駅へ搬送された。

 巻き込まれた人々はみな、自分の不運を呪うような、薄暗い顔をしていた。僕もきっと、同じような顔をしていたと思う。


 数時間後、扉を破壊した男は川崎駅で逮捕された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る