6-4—意気投合—
悠紀人は子どもの頃歩いた懐かしい街並を歩きながらさてどこへ向かおうかと一瞬思案したが、すぐに昔、行ったことがある近隣の図書館へと歩を進めた。実は塾探しというのはあの場を去るための口実だった。時子と話すのが気まずいという訳でもなく、むしろ久しぶりの再会で幼かった時子が年頃の少女として見た目にも可愛らしく純真に成長していたということにここちよい新鮮さと感動があったが、なぜか不意にひとりになりたくなったのだった。
時子と話しながら、イギリスで親しくしていたガールフレンドのメイ・リーの面影も重なったせいもあったかもしれない。特に卒業試験の折りには彼女には世話になった。彼女は家が中華系レストランを経営していた関係上、ハイスクール卒業後は進学せずに家の手伝いをすることが決まっていたが、優秀な女性だった。中華系の移民だったが、今はすっかり雑多な人種溢れるロンドンの街に馴染んでいる様子だった。悠紀人が日本に戻ることを告げた時、彼女はそっと彼に思いを告白してきたのだった。悠紀人はその思いを汲んで彼女に青い花を形どった七宝細工のペンダントを友情の記念としてプレゼントした。ペンダントを首から下げるとありがとうと微笑んだ彼女の笑顔が瞼に焼きついている。今頃彼女はどうしているだろうか―。
そんなとりとめもない回想に耽りながら悠紀人の思考の鉾先は時子へと戻った。不意にその場を立ち去りたかった理由は素直に話しかけてくる彼女が少し眩しかったせいもあった。正式には従妹にあたる彼女とはイギリスへ引っ越すことになって会えなくなった。その頃はまだお互い無邪気だったし、イギリスへ引っ越すことが大きな出来事であることを当時まだ小学生だった悠紀人はよくわかっていなかったし、引っ越しのドタバタと異国での風に紛れるように従妹への淡い思いは忘れていった。けれどふとした拍子にまだあどけなかった時子のことを思い出すことはあったのだった。その思いは胸の内にしっかり仕舞い込まれたまま誰にも話さず、自分の心の中のほのかな幻影としてそっと住み着いていたのだった。なので笙から珠樹と時子と暮らすことになったことを告げられたとき悠紀人は内心とりとめもなく複雑な思いに駆られずにはいられなかった―と同時にそのうち彼女に会えるという淡い期待を抱きはじめている自分自身に気付き、こそばゆいような思いも感じていたのだった。そして日本の大学を受験するために帰国した悠紀人にとって、それまで自分の心の中だけで思い描いていた従妹との再会は思い描いていたよりもずっと新鮮味に溢れ、楽しく懐かしいものであった。
そしてこれから時子にどんな風に接していこうかとあてどない思いを巡らせていた悠紀人だった。一方、そんな一種のぼせあがったような自分の頭を冷やしたくもあった。自分の意識の中での戸惑いの思いが強いほどどこか冷静になろうと努めるようになったのはいつ頃からのことだったろう?それは父の姿から自ずと学んだ悠紀人の生活信条のひとつでもあった。
一方、おいてきぼりにされた時子は気持ちもそぞろでひとり家の中にいるのが落ち着かなかったので塾の予習復習を終わらせるとジョンを連れて気分転換に散歩に出かけた。いつもの散歩コースを歩きながら、悠紀人が今どこにいるだろうかと考えてしまう自分は明らかにスマートで
「やあ、また会ったね」
悠紀人の笑顔に安心して時子は駆け足で側まで近寄った。
「図書館にいたんですね。何か本を探していたんですか?」
「家から近いし、なんとなく、懐かしくてね。気づいたら足を運んでいたんだ」
「本が好きなんですね。きっと勉強もできるんだろうな」
「あ、なんかまた立ち話になっちゃったね。犬の散歩をしてくれていたんだ」
「はい、ジョンという名前の犬です。可愛いでしょ」
「父は犬好きだからね。こっちに来ても飼ったんだね」
「ジョンは今では私の心の友なの」
「そう。イギリスにもレオって名前の犬がいたよ。俺も一緒に散歩するよ」
ふたりはそのまま一緒に歩き始めた。
「私たちって端から見たら、兄妹みたいに見えるのかな?」
「うーん、どうだろう?友達にも見えるかもしれないよ」
「でも、犬の散歩してるんだから、きっと兄妹みたいに見えると思う」
「ふつう兄妹で犬の散歩したりするかな?」
「きっと犬の散歩をする兄妹も世の中にはいると思う」
「でも僕たちって兄妹ではなくて、従兄妹だよね」
「そうですね。従兄妹ですね。ところで、悠紀人さんってイギリスにいた時、彼女とかいました?」
「えっ、彼女というか友人はいたよ」
「イギリスのご友人とは連絡を取り合ってるんですよね」
「まあ、今はメールがあって便利だからね」
「私、中学生だから、まだメールは書いたことがないんです。母からも携帯を持つのは高校生になってからにしなさいって言われていて」
「そっか。そうだよね。じゃあ、パソコンは?」
「パソコンは学校の授業では使ったことがあるけど、細かな使い方はよくわからなくて」
「じゃあ、携帯を使うのは高校生になってからにするとして、パソコンは使えるようになった方がいいよ。僕が教えてあげるよ」
「え、嬉しい!悠紀人さんって頼もしいね。私、悠紀人さんのこと気に入っちゃった。頼もしいお兄さんができたみたいで」
「そう、僕も君と仲良くなりたいって思っていたから意気投合ってことでいい?」
「そうですね。宜しくお願いします」
悠紀人がそっと差し出した右手に時子の左手が包まれ、ふたりは意気投合の握手をした。
「もう家だ。家に帰る前に意気投合できてよかった」
家の門の近くまで来ると悠紀人は言った。悠紀人が門のチャイムを鳴らすと少し前に家に帰って来ていた珠樹がインターフォンから返事を返した。
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