1-8―別れの日の風景―

 笙と滝口の噂は滝口の教生としての二週間の実習期間が終了すると間もなく跡形もなくかき消え、生徒たちの話題は近々、予定されている修学旅行へと関心を移した。一方、受験を意識してマイペースに勉学に取り組んでいる生徒たちもいた。そんな学校生活での日々の折り、中根美都子から夏休みに入ったら転校する旨を伝えられた。今ではすっかり仲良しグループのひとりが欠けてしまうことは珠樹にとってもショックな出来事だった。もちろん、一番寂しそうなのは当人の美都子だったが……。美都子はやや神妙な顔つきを隠せないまま、でも冷静さを保つように笑顔に務めている様子だった。


 美都子と接しながら、珠樹はふっと美咲が転校する前の別れの日の風景を思い出していた。美咲と離れ離れになり、どんなに熱い友情を誓い合っても別れの時はいつかは訪れ、それぞれの道を歩みながら進んでいくしかないことを胸の奥深くに刻みつけられるようにわかった珠樹だった。美咲から時折り届く手紙にはからも解放され、受験勉強にただひたすらに邁進している様子が記されていた。珠樹たちのクラスで繰り広げられているような色めいた話題はあまりなく、野仲のこともどこか吹っ切れた様子で書かれていた。美咲からの手紙を読む度に珠樹は自分の今の現状に対して一種の反省に近いような複雑な思いが過った。生徒会などの忙しさに紛れるように日々は過ぎ、珠樹は腰を据えて勉強する暇もなかった。それでも充実している今を自分なりに精一杯生きていると胸を張っていたかった。美咲から友情の大切さを教えてもらったからこそ不器用なりにも自分なりの日々を優しく生きたかった。


 そんな思いは妹、彩菜と会話する度にも強く感じた。目が見えなくても懸命に自分の世界を広げようとしている彩菜との会話に珠樹の心はときどきふっと気持ちがほぐれるような安らぎを感じていた。そして、父がいなくなってからはなおさら、珠樹にとっての彩菜の存在意義は大きくなった。目が見えないからこそ音や臭い、触覚に生まれつき鋭敏な感受性を示す彩菜は珠樹が気付かないようなことをあるときは楽しげにあるときは悲しげに身ぶり手ぶりまで織り交ぜて精一杯伝えようとしてくれる。彩菜は目が見えなくても光は感じることができるようだった。明るい光に向かってどこまでも無邪気に前向きな姿勢を崩さない彩菜の貪欲さが珠樹にとっては眩しく、忙しさに埋もれそうな毎日に小さな白い花を微笑んで差し伸べるような明るい愛くるしさで満ちているように珠樹の目には映るのだった。


 修学旅行はグループの仲間たちと戯れながらあっという間に終わり、クラスの空気は、確実に受験体制に向っていく生徒たちが増えはじめた様相に覆われていった。夏休みには夏期講習の申し込みなどをしている生徒の噂もどんどん珠樹の耳にも入ってきた。そういった点においてもグループのメンバーのうち珠樹を除いた三人とも抜け目がなかった。美都子も夏休み中は引っ越しがあるにも関わらず、睦と優理と同じ講習を受けることになっていた。珠樹だけが家庭の経済的事情もあって夏期講習を受けることを考える余裕すらなかった。


 珠樹の事情を察して、睦や優理は塾からの情報を提供するとはりきっていた。美咲も夏には近くの塾の夏期講習を受けることになっていると手紙に書いてあった。珠樹は内心で一抹の不安を覚えながらもそのことで母を案じさせるわけにもいかず、ひとり、それでも自分なりに志望校目指して頑張ろうと思案していた。そんなとき、笙もどこも夏期講習は受けないらしいという噂が飛び込んできた。笙はもともと勉強の方はそれほど熱心ではなく、ソフトボール部に所属していてスポーツが万能なタイプだった。夏休みも受験期にも関わらず、部活の練習にも参加するらしい。そんな噂を聞き付けて、珠樹は夏休みは学校の図書室に通うことを目論んだ。夏休み中はスケジュールを組んで図書室が解放される。家に閉じこもってばかりいるより、気分転換にもなるかもしれないなんてことを思いながら、ほんの少し楽しい気分になった。

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