1-7―噂話―
笙と偶然、言葉を交わした日から一週間があっという間に過ぎた。その一週間の間、友人たちからの冷やかしもあったせいか、珠樹は笙を意識的に避けていた。自分の素直な思いを美咲宛てに手紙で連ねてしまったせいか思いは募る一方だったのだが、笙に対して憧れの気持ちを抱いている女子生徒が多いという噂などを多分に聞くにつれて、かつて偏頭痛を起こすほどに抱え込んでしまった数々のコンプレックスの渦も手伝って、悲しい思いにどんどんと囚われていく自分自身が内心、情けなかった。それとともに笙に対するプレイボーイ的な印象も強くなっていくばかりで、募る思いは風見鶏のようにひとりぽつんとくるくると空回りを繰り返すように強い心の風に振り回され、そしてふっと切なく佇むのだった。
教生の滝口奈津子が珠樹たちのクラスの担当として紹介されたのはそんな折りだった。滝口は快活で大人の雰囲気が漂う、一見してスマートな女性だった。その日から二、三日経った日のある日のこと、音楽の授業の前の休み時間に、珠樹が優理と窓際でとりとめもないことを話しながら音楽室へと向かう途中の廊下で「エリーゼのために」のメロディーが軽やかに流れてくるのが聞こえてきた。音楽室に入り、ピアノの方に目を移すと教生の滝口と笙が一緒に肩を並べてピアノに向っている姿が目に映り、珠樹の心は一瞬の嫉妬心の渦に巻かれるように小さな音をたてて砕けた。音楽室に集まってきたクラスメイトたちの多くはにわかにざわつきながら、ふたりの方に注目していた。
「なんだかお似合いでくやしいくらいね」
優理も珠樹を気遣うように呟いた。
「うん、とても素敵ね。夏木君ってピアノが上手なのね」
珠樹はさらりと躱したつもりではいたが、自分の声が上ずっているのを感じていた。
「夏木って何やっても絵になるよね。でも、珠樹だってそうよ」
「うん……でも、あいにく私はピアノは弾けないの」
そう断言しながら、珠樹はなんだか情けない気持ちでいっぱいになりながら、少しずつ落ち込んでいく自分の心の内を虚ろに見つめ込んでいた。
その一件を境に笙と滝口の噂がクラスの生徒たちの間で密かに囁かれた。その噂の狭間でどんどん虚ろになっていく自分の心をもてあまし、笙のことを意識的に避けていた自分のくだらなさを珠樹は内心で嘆いた。大人のムードたっぷりの余韻でピアノを弾いていたふたりの姿が夢にまで出てきて、微笑みを交わし合うふたりの笑顔が一重に二重に―と層を重ねるように瞼に重く染み込んでいく……。とその瞬間、美咲の声がそっと珠樹の心をノックするように聞こえてきた。
―わたしは……野仲君と会えただけで嬉しかった。彼がそこにいるだけで伝わってくる彼らしいまっすぐな姿勢が私の生き方を高めてくれたような気がするから……。
―そうだったわ。今、こうして夏木笙君の側にいることができるだけでも私は幸せなのかもしれない。もっともっと笙君のことが知りたい。たとえ、片思いだったとしても彼のことを思いながらこの一年を大切に過ごすことができたら……。
珠樹は自分の気持ちにせめて正直であろうと心に誓った。そして、たとえ傷ついても後悔しない道を精一杯歩んでいけたら……と切に願った。
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