第18話 ラストバトル


 太陽は何事もなく昇って、何事もなく沈んでいく。

 とある少女は日の昇る間、日光を避けるように生きている。それがどういう意味を持つのか考えたことさえなかった。そんな少女を守るように猫の耳を持った少女が寄り添っていた。アイツはなんだったかな。化け猫だったかな。

「そう、そんなことどうだっていいや」

 俺たちは吸血鬼だったから、化け猫だったから、悪魔に取り憑かれたから出会ったのだろう。でも、その先は、俺たちが志村映司孫で、有栖川アリスで、真咲メイだから。だからなんだかんだでよく分からない非日常を過ごしてきたのだろう。

「守りたいものなんて何一つなくて、誰かが代わりに守ってくれるものだと思っていた。想像力なんてなくて、何も先なんて見てなくてさ」

 赤い閃光とけたたましき残響。どこまでも俺のいる場所を狂わせて来やがる。

 自分がどこにいて、どこに向かっていくのか。

 そんなもの、分かる訳がないんだ。

 ただ一つ分かっているのは、俺は俺で、俺が望む未来にはメイもアリスも、笹森も、そして、ジャイアンもいる。

「まったく、たくましくなったよなあ。ジャイアン」

 悪魔と悪魔は引かれあう。

 そんな話は聞いたことないけれど、非日常の者同士、同じところへと到達してしまうのは自然なことだろう。

 ジャイアンは、たくましくなったというよりも、迷いがなくなっていた。

 人を殺すということにためらいなどなくて、それに満足しているかのような、そんな笑みを浮かべていた。

「ダレダオマエ……」

「嫌だなあ、ジャイアン。ともに未来を誓い合った仲じゃないか」

「コロス」

 ったく、いつにもまして頭が悪くなってやがる。

 それこそが一番幸せなんだろ?

 何も考えなくてよくて。自分の欲望に全て身を任せればよくて。

「俺も今のお前みたいな感じだったんだな。何もかも捨てちまえば、楽になれた。無理矢理目を背ければさ。すっごく楽だもんな」

 でもさ。自分が楽になるために、そのために誰かを傷付けるなんて。

「そんなのさ! 自分が一番傷付くだけだろうが!」

 きっとこの声は届かない。でも届けたい、この想い。どこのCMのキャッチコピーだよって感じだが。

「お前が望むべきなのは、復讐じゃねえだろ! なんで妹の幸せを望まねえんだよ! せめて! 妹が目を覚ますことを願わなかったんだ!」

 唸り声のような、ゴリラの雄叫びがこだまする。

「オデニハコワスコトシカデキナイ」

「それがよ……甘えだってんだよ!」

「ウホオォオォオォオォオオォオォオォ!」

 口では敵わないと悟ったのか、暴力で訴えてくる。ホント、ジャイアンはいつもそうだ。言葉にするのが下手くそで。でも、行動にするのはもっともっと下手くそなんだ。

 地を揺るがし、返り血をきらめかせ、ジャイアンは俺を殺そうと必殺殺人パンチを向けてくる。

 アイツはジャイアンじゃない、なんてもう言わない。

 アイツはジャイアンの本心。そして、悪魔もまた、宿主の心の欲望そのものだ。

 速さと重さを兼ね備えた一撃。バランスを崩すほどに体を傾けてそれを避ける。鉄の拳は体に触れてもいないのに重く痛い。衝撃で宙を舞いそうだった。

「チート過ぎるだろうが!」

 ジャイアンほど喧嘩慣れした野郎が簡単に俺を逃すわけがない。俺は喧嘩なんて全くやったことはないけど、日々、元傭兵という噂の松本さんにどやされ、プロレスラー顔負けの体育教師に関節技を決められているんだ。回避に関しては特殊スキルがあるぜ。

「ねえよんなもん!」

 ジャイアンの右腕を体を傾けて避ける。すると次に飛んでくるのは左足での蹴りだ。

「俺は! 俺は!」

 意味もない叫びだ。なんか叫んでないと雰囲気が出ないというかさ。

 唯一得意だった前転を決める。ホント、いっつもギリギリだよな。

「力を使わないのか、少年」

「タイミングってのがあるだろ!」

 前転で逃げた俺を追って拳を振るう。

 全く、強いだけで重みも何もない拳だぜ。

「そういうのはかっこよく決めてから言うものだろう?」

「うっさい」

 全く、集中力ばかり奪っていきやがる。目が飛び出しそうなくらい、ビビッて。息なんてすることをすっかり忘れてしまっていて。アドレナリンとかそういうののせいで何もかも忘れて、そのくせ色んなことがぐるぐる脳髄を駆け巡って。

 ぶぅん、とバットを振るような豪快な音とともに俺の間近をジャイアンの拳が通過する。

 鉄の拳はビルのコンクリートを破壊して、粉々になった破片が俺の頭を軽快に殴りとばした。

 ただでさえ頭が悪いんだからさ。余計に頭悪くなっちまうじゃねえかよ。

「今は頭が悪い方がいいよな」

 たらたらと寝ちゃねちゃしたあったかいのが垂れてくる。

 ジャイアンはコンクリートに拳をめり込ませて少しの間は動けなくなっていそうだ。

 急いで距離をとるために駆けだす。接近戦は不利だが、飛び道具なんて持ってないしな。

「なあ、オジサン。いや、魔人。お前の力、俺に貸せ」

「じゃあ、する?」

「変な言い方してんじゃねえよ」

 とてつもなく緊張の場面だぜ、これは。

 ごろっという音とともにジャイアンは難なく拳をコンクリートから引き抜いた。マジで強い力で殴ったら蜘蛛の巣になるんだな。

「俺の全てをくれてやる。だから、ジャイアンを救う力を俺にくれ」

「いいんだな? 少年」

 手はブルブル震えている。全てをかけるということは、俺は俺でなくなって、どうなるか分からないけど、少なくとも俺は死ぬんだと思う。だから、一々決心を鈍らせることを言うんじゃねえっての。

「ああ。そりゃあな、俺だって、みんなの笑顔のある未来に生きたいさ。でも、それが難しいってのがよく分かるから。だから。ありったけをくれてやる! 頼むぜ! オジサン!」

 オジサンは呆れたように溜息をついたが、すぐに決意が伝わってくるような何かを発する。姿を見せねえから分かんねーけど、多分、ジャイアンを睨んでんじゃないかな。

「お安い御用だぜ!」

「おい。俺のセリフじゃねえか」

 俺たちは最後に少しだけ笑い、そして――

 一つになった。


「ふっ。ふははははははは!!」

 体中を駆け巡る快楽。それは満たされぬという不満。限りない欲望。

「いいねぇ。止まらないよ。最高だァ!」

 目の前にいるのは獲物。中々の上物じゃねえか。

 異様な気配を持つ悪魔――確かマザーファッカーとか言っただろうか。本体を拝むのは初めてだ。この前は雑魚しかいなかった。折角吸血鬼とかいう上物を殺せると思ったのにな。

「乾いて渇いて仕方ねぇんだよ! お前は俺の渇きを潤してくれるのかぁ?」

 ごついパンチが俺をぶっ潰そうと向かってきやがる。

「左腕――はなかったんだな。じゃあ、右か。面倒くせぇ」

 右腕を悪魔の腕に変える。こっちもごっつくなった。

「強化していない体じゃあ流石にイチコロだな」

 どぎついパンチを手で受け止めた。

 このまま握りつぶしてやるかな。いい光景が見れるぜ。

「させ……ねえよ」

 あん? あれか? 無駄に熱いジャンプ主人公属性なんですか? 俺。

「だから! もうジャンプはいいだろうが! 最後の西遊記。面白いから読めよ!」

 ったく。俺はジャンプに呪われてるのかってーの。

「気を抜けば、狂気に飲み込まれそうだぜ。なあ、ジャイアン」

 俺の声、聞こえてるんだろ。ジャイアンよ。

「人間ってのはやっぱさ、間違えるもんなんだよ。俺なんて毎日それで恥をさらしてさ。でも、それは俺たちがまだガキだから仕方ねえんだ。人を傷付けちゃいけない、殺しちゃいけない、そんなことを言うくせに何でって聞いたら答えられないだろ? そういうのはさ、やっぱ自分で見つけるしかないんだって。どうだ、ジャイアン。気分は。死ぬほど気持ちがいいか?」

「コロス。コロス!」

「ホント、お前と俺は一緒だな! そうやって、自分を誤魔化す! それでもいいんだよ。お前に必要なのはな! ジャイアン! 愚かな罪を受け止めてくれる、仲間だ!」

 俺もそうだった。失敗してもいつも仲間が――

「うん? まともに慰めてもらってないし、支えてもらってねえよな」

 むしろ、ライオンの如く崖に突き落とされてたよな。

「男ってのは、下の毛が生えたら自分で自分を育てていくもんだ!」

 え? 前後でなんか矛盾してる? 気にしたら負けだ。

 振るわれる左腕を軽くはじき返す。なかなかの大振りだがスピードと連続性のあるラッシュが襲いかかってきた。

 いけねえなぁ。戦うと、混みあがて来ちまうぜェ。

「ははっ。ははははははは。なあ、ジャイアン。お前はどうして欲しいんだァ? 死にたいのかぁ? 殺してほしいのかぁ?」

 俺はなぁ、ジャイアン。

「俺はお前を救いてぇんだよ。なぁ、救わせてくれよなぁ? なあ?」

 悪魔の腕の硬さに負けてジャイアンの拳は徐々にボロボロになっていく。白い骨が見えてるぞぉ?

「オデハ……」

「ほらぁ。言ってごらん? 無様にこいねがってごらん?」

 いいね! こういうプレイ!

「オデハ……いやだ。もう、だれかを傷付けるのは。でも!」

「じゃあさ、自分で止めろよな」

 俺は再びジャイアンの拳を受け止める。

「いくらでも受け止めてやんよ! だから! 自分で止めるんだ!」

「う……あぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ!!」

 ジャイアンはとんでもない爆音を上げる。一体何個のスピーカーつけてるんだっての。でも、ジャイアンは必死に自分の中の悪魔と戦っている。

「さて。オジサンよ。頼むぜ」

 魔人は何も言わない。

 悪魔を殺すには宿主を殺すしかない。

 でも、俺は。

「悪魔だけを殺してみせるぜ」

 できるかできないかじゃない。やるかやらないか、だろ?

 ぷすり。

 ジャイアンの胸のあたりを腕で貫く。

 あぁ。肉が千切れる感触。耽美だねえ。

 うん。悪魔? 死んじゃったっぽいよ。だって、俺だもん。俺をなんだと思ってんの?

 でも、死んじゃうと、遊び相手がいなくて寂しいなぁ。

「って、ここに、あるじゃん。遊び道具」

 俺の腕に貫かれている、人間。まだ息はあるけど、意識はないな。無理矢理たたき起こすために、まず、腹をグチャグチャにして――

「でも、目を覚ましてほしいなぁ」

 体をぶん投げる。ゴムボールみたいに弾むかと思ったけど、湿ったタオルみたいにべちゃってなった。あれれ? ジャイアンの体から赤くて耽美な液体がぁ。

「あ、殺そ」

 そっちの方が楽じゃん。人間、死ぬ方が楽だよね。それこそが幸せね。

「ぐっちゃぐっちゃになっちゃえよ」

 ゆっくりと歩いて行って、欲望を噛みしめて、訪れる快楽に胸を躍らせて。

 そして、足元の人間を一突き。

「突き合いたいの。あなたと♪」

「最低ね」

 どうしてなのだろう。

 どうして俺の腕に、赤いドレスが絡まっているのだろう。

 まあ、いいや。壊しちゃえ。

 ぐちゃぐちゃに。

 お腹から、腸を出す。このウナギのようにぬるぬるとして俺を焦らすなんともいえない律義さよ。もう、胃まで抜いちゃおうか。ちょっと胆嚢をやぶってすっごく臭くなっちゃったな。でも、これが生ものの醍醐味だよなぁ。

 あは。

 あはは。

 あははははははは――

「やめろ」

 なんでだよ。なんでなんだよ。

「なんで、俺を止めたんだよ、俺を殺さないんだよ、なあ! アリス!」

「誰があなたの言いなりになんかなるのかしら?」

 首だけになったアリスが言った。首から上だけがまだ美しかった。体はもう、小学生が捌いた魚のようにぐちゃぐちゃで、元は何であったのかすら判別がつかない。

「俺がやったのか」

「そうよ」

「しゃべるなよ」

「あなたが答えを求めるから」

「なあ、どうして俺を助けようとするんだよ。俺を殺すんじゃなかったのかよ」

「……」

「なあ! 吸血鬼は不死身なんだろ! なあ!」

「……」

 アリスの目は、メイの目と同じく瞳孔が開き切っている。醜い、顔だった。

 人の死は醜い。そして、世界で一番悲しい。

「なあ、俺はどうすればいい。オジサン」

「面白いから今回は右腕だけもらっておくぜ。俺が頂くより先にやっておかなくちゃいけないことがあるだろう?」

 ほんとさ。

 こういう事前情報なしが一番読者が困るんだっての。

「俺の血を飲めばなんとかなるのか。アリス」

「そうね。でも、体を修復するほどとなったら、あなたの全ての血をいただかないと」

 そうか。それなら。

 俺は悪魔のような腕で首だけになったアリスを抱え込む。そして、ゆっくりとその口を俺の首筋に持って行った。

「お嬢様に全て吸い尽くされちゃあ、不味いな。お代は頂くぜ」

 腕は破裂する。

 噴き出す血はアリスの首をシャワーのように濡らす。突き刺さったアリスの歯からも俺の血が流れだしていく。その血をアリスはあくまでも優雅に、紅茶でも啜るように飲んでいた。

 そんなアリスの姿がどこか愛おしくて、俺はずっとその姿を見ていたいと思った。

 でも、時間切れだ。

 俺は死ぬ。

 どっちにせよ死ぬ運命だったのだから、アリスにこの命、くれてやったって文句はない。

 何ひとつだって満足できない人生だったけれど、全てが終わるまで、ずっとアリスの姿を見ていられるこの時だけは、多分、一生の中で一番満足していた瞬間なのだと思う

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