第16話 死
「なあ、ジャイアン。何してんだよ」
ぎこちない笑顔を作って。
頬は恐ろしくてピクピク震えて。
腕なんてもう、ないような感じで。
そっか。俺、片腕なかったんだっけ。
「なんだよ。うっせえな」
いつものように不機嫌そうにジャイアンは言った。
そうだ。そうにきまってる。
ジャイアンは暴力を振るう不良だけれど、でも、誰かをむやみに殺すような、そんな悪魔のような人間じゃない。
「おい、少年。少年!」
悪魔が俺の心の中で叫んでいる。
そうだ。悪魔は俺の中にいるオジサンなんだ。
俺の目の前にいる、ピンクのぶよぶよを頬に引っ付けたクラスメイトは悪魔なんかじゃない。
「少年っ!」
「童貞っ!」
「誰が童貞じゃい!」
童貞という言葉で我に返った瞬間。目の前には壁が出現していた。
それが壁ではなく、一人のクラスメイトの大きな体と迫りくる鉄球のような拳であることを認識するまでには大分時間がかかった。
ふわり、という浮遊感。
この世から切り離されたような感覚。
びしゃりと噴き出すなにか。
まったくもって現実味がない。
背中からざらついたアスファルトを滑る。背中全体が焼けるほど痛くて、そのおかげか目の前の出来事が嫌でも理解できるようになってしまった。
「メイ……」
俺に怪我はなかった。
ケガがあったのはメイの方だ。
「メイ! メイ!」
目も当てられないけれど、でも逸らしちゃいけない。だって、俺がしてしまったことなんだから。
メイの下半身は、ものの見事に潰れていた。腰から下は、遠くのジャイアンの足元に、壊れた人形のように落ちている。べったりと絵の具でも塗ったような真っ赤な色の橋がジャイアンの足元から俺のもとまで続いていた。
「なあ、しっかりしろよ。しっかりしてくれよ! なあ!」
メイの目は白く濁り始めていた。死んだ魚のような目、なんて全然死んでないんだと知った。何もかもが終わってしまって、これから動き出すことなんてあり得はしないというような、そんな、終わりの白濁。
残ったメイの上半身からは白い槍のような骨が突き出していて、どう考えたって生きているはずがないんだ。
「なんでだよおいなんでなんでなんでなんでなんで!!!!!」
「そういうのは時間のある時ゆっくりやりなさい!」
金属のぶつかる音が響く。
映画の迫力満点のアクションシーンのような光景が繰り広げられる。
朱い刃を持った少女とゴリラのような腕力の少年。
なんてB級映画だよ。
「うぐっ」
ジャイアンの拳がアリスの刃にぶつかる。
刃は持ちこたえているものの、体重差のせいでアリスは宙へと持ち上げられる。
ゴムのようにジャイアンは飛び上がり、アリスを地面に叩き落とそうと拳を弓のように引いた。アリスはその様子を見ると、襲いかかる拳に足を向けた。
全ての音を弾き飛ばす爆風の後、アリスは線を描いて地面へと墜落していった。
俺たちのすぐそばを通って。
「アリス!」
「メイを連れて早く逃げなさい!」
舞い上がる砂埃の中、アリスの声だけが聞こえた。まだアリスが生きていると知って安心する。
「でも、お前は――」
「地面を這いずり回る蛆虫が心配することじゃないわ。というより、邪魔なの。私もメイのような目に遭わせたいのかしら」
心がすりつぶされる。目の前が真っ暗になって、ここがどこであるのかも、今何をしているのかもだんだんと分からなくなって――
「古より連なりし業の鎖よ。今、我らの血に答えよ。邪を切り裂き未来を映し出す刃となれ。エッジワースカイパーベルト」
砂埃が治まり、視界がはっきりとする。
アリスが中二病満載の素敵ワードを唱えると、アリスとジャイアンとの間に引かれた赤い線から結晶が飛び出していく。
「アリス。足が――」
アリスの右足は粉砕されていた。恐ろしいほど血が噴き出していてもおかしくはないのに、すでに血は止まっているようだった。
アリスの血の結晶は憎き敵を、俺のクラスメイトを殺さんと襲いかかる。
「やめてくれ! アリス!」
クラスメイトを殺すなんて、そんなこと、出来るわけがない!
「言ったでしょう? 悪魔は殺さない限り死にはしない。たった一人の知り合いの命と、その他多くの人の命、どちらが大切なの」
わからねえよ。そんなこと。
「お願いだ! ジャイアンを殺さ――」
バキン。
とんでもなく現実離れした音とともに、アリスの血の結晶はジャイアンの拳の前に潰れていく。
「そんな。まさか――」
アリスは目を開いて驚愕していた。こんなアリスの顔を見るのは初めてだった。
「逃げるぞ。アリス!」
俺は右手にメイの亡骸を抱えてアリスの元へと向かう。
「無理よ。すぐには足は生えてこない」
「生えてくるわけないだろ!」
「吸血鬼だから生えるのよ」
便利だな。
「残念ながらこんな時に限って俺の腕は一本しかない。その一本はもう先約がいる。だから、俺の背中に乗ってくれ」
「童貞の背中におんぶされろと。世界で一番嫌なプレイなのだけれど」
「だっこよりいいだろ」
「走っている途中で首を切ってあげるわ。首を切ってもしばらくは走っているでしょう?」
俺は鶏か!
「それよりも早くしろ。お前の雑魚攻撃じゃ時間稼ぎにしかならない。もうすぐジャイアンが動き出す」
「でも、ここで倒さなければ――」
「今のお前でジャイアンが倒せるのか! ジャイアンを倒せるのはお前しかいないだろ! だから。今は逃げよう!」
「逃げることだけは上手ね。ためらいがない」
最後の言葉は取れない魚の小骨のように俺の心に刺さり続けた。
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