第15話 正体
アリスの屋敷にて。
「オジサンは悪魔の専門家じゃないんだがね」
「アンタの宿主を殺すわよ」
俺は縄でグルグル巻きにされてメイが手に持ったナイフを突きつけられている。ひんやりと冷たいナイフの感触が首筋を凍えさせる。
「なあ、少年。契約すれば簡単に逃げられるぜ」
「いや。話を聞きたい」
魔人は珍しく舌打ちをする。
「少年には関りのない話だろう? それに、お嬢様方も少年を近づけたくなかったのかい?」
「あら。そんなこと――一度も言ってないわ。全てが終わればこの役立たずを消すって。そう言っただけなのだけれど」
「なあ、アリス。何があった。また悪魔が――」
「お前は黙っていろ」
メイはナイフをちらつかせて俺を脅す。けれども俺は怖くともなんともない。命を失うことなどもう怖くともないし、初めから怖くなんてなかったんだ。
「消す前に、あなたの見解を聞きたいの。また、連続殺人が始まった。今度は恐らくたった一人がやっている」
「俺は同胞殺しなんて汚名を着せられたくないんだがな」
「悪魔に仲間意識なんてないでしょう? 常に殺しあっているくせに」
「ちっ。だが、詳細は分からねえ。どこで何が起きた。そして、お嬢さん方に問うぜ。お前らに、平和な日常でぬくぬくと生きてきたボンクラを闇の中に引きずり込む覚悟はあるのか。お前らに無垢な人間を殺す覚悟があるのか」
俺は魔人についてアリス以上に何も知らないことに気がつく。
ただ、自分の欲望のためだけに生きていて、俺を利用しようとしていると、そうとだけ考えて魔人について深く考えないようにしていた。悪魔という存在には感情や考えがどうもあるんじゃないかとかそんなことを考えるようになっていた。
「そうね。そんな責任感なんてないわ。だって、私たちは化け物だもの」
アリスの目はゆるぎないものだった。それは人の目のように見えたのだけれどそれが揺るぎない化け物の目なのだろう。
「ふっ。笑えもしねえが。そこの変態メイドが感じ取ったんだろう? どういう状況なんだ」
「昨日のことだ。明らかに異様な撲殺死体が発見された。被害者は地元の不良だそうだ。だが、死体は――人の原型をとどめていなかった」
「どういうことだよ、それは」
メイは俺が口を挟んできたことに不機嫌な態度を取っていた。
というか、この場のみんな不機嫌じゃね?
「まるでトラックに轢かれたようなそれだそうだ。警察官が言っていた。しかし、狭い路地にトラックなんぞ通りはしない。ということは考えられることはただ一つ。バカ力で殴り飛ばしたということだ」
「そんなこと――」
非現実的過ぎる。
「でも、あなたは身をもって体感したでしょう? 種類次第では人間の能力を超えることができる」
そして。理性を失う。
「私が聞きたいのは、同時期に別の悪魔が同じようなことをしでかすかということよ」
「おい……それって……」
まさか。そのまさかなのか。
「メイドはどう診断した。特定の悪魔であるのかまでは分からないか」
「ああ。だが、あれと同じ、下級の悪魔だ」
「それこそ、おかしな話だな。下級がそれほど力を与えられるわけがない」
「マザーファッカーが生きている?」
俺の言葉に皆が黙ってしまう。
「それなら今すぐにでも倒さないと!」
「簡単に言わないで!」
「え?」
アリスが本気で怒鳴り上げた。目に見えない衝撃波みたいなのが屋敷の家具をぶち壊す。
「悪魔を殺すということは誰かを殺すということなのよ。何の覚悟もないあなたが簡単に言っていい言葉じゃないの!」
でも、それは。
俺を殺すと言ったお前の言葉は一体どういう意味だというんだ。
「いずれにせよ、殺すんだろ? オジサンはどうだっていいんだが、少年。殺そうぜ。悪魔に取り憑かれた善良な市民をな」
「やめろよ。そういう言い方」
俺はアリスをちらりと見るが、アリスはオジサンの言葉には見向きもしていないようだった。
「さあ、悪魔狩りをしようじゃねえか。今度は強敵だぜ? 犠牲無しでは終わらねえ。だからこそ、少年を呼び寄せたんだろ? いくらクルスニクでも手こずる相手だ」
「好きにしなさい。するべき話はもうないわ」
「なあ、アリス。協力して――」
「私はあなたを殺すの。今度会ったときはあなたを本気で殺すわ」
「くそっ。なんか雰囲気が暗い!」
「それこそオジサンの知ったことじゃないな」
何もかも簡単に、とはいかないものの、パトカーの鳴り響く音と光を探せばどこで何が起きているのか簡単に分かってしまう。
「なあ、明らかにマザーファッカーのそれと違うよな」
「そうだな。悪魔ってのは特質をある程度宿主に引き継ぐものだが……まったく違う種類という可能性もあるがそれはそれで面倒な事実に突き当たる」
「あれか。悪魔を変質させている者がいるってやつか」
「なんだ、少年。何だかんだで話はわかっているんじゃないか」
話はなんとなく分かる程度で実際は何が何やらだ。俺には全く事前知識がなくて、つまりは情弱というやつなのだろうけれど、でも、裏に何かいることは薄々分かってはいるつもりだ。
「ただ、もう一つの可能性がある」
「なんだよ。勿体ぶるなよ」
犯行は暗い路地で行われているということだけは共通しているので、警戒しながら路地を行く。
「少年みたいな状態だな」
「そういえば、何故俺は悪魔に取り憑かれているのに暴走してないんだ」
一度は暴走したが。
「それは少年がまだ全てオジサンに食いつくされていないから、というのもあるが、オジサンが上級の悪魔だからだ。悪魔もまた力を得るために自分自身に契約を課す。その中で一番大きなのは力を増す度に契約に見合った代償を奪わなくちゃいけない」
「じゃあ、新しい悪魔は上級になったのか」
上級のオジサンですら人を簡単に殴ってぐちゃぐちゃにすることはできない。つまり、悪魔は上級に進化したということなのか。
「いいや。違うな。それにしては行動が異様過ぎる。不良というか、恰好がチャラい奴を手当たり次第殺しまくっているんだろ? それはまさに下級悪魔のそれだ」
「うーん。分からん」
「考えられるのは、恐らく、宿主の欲望が悪魔の本能を抑えているってことだ」
「でも、暴れてるってことは、必死で抗ってるんだな。悪魔の本能と」
「それは違う」
吐き捨てるように魔人が言ったので俺は思わず立ち止まってしまった。
「殺人を行っているのは宿主自身の欲望だ。宿主はとんでもない奴なんだろう」
「そんなこと……」
「少年は人間を信じすぎている。そして、少年の見ている人間は、それは本当の人間じゃない。人間の、嘘で固められた石膏像の姿だよ。石膏の下には世にも醜い人間の姿がある。少年はその姿を無理矢理見ないようにしている」
「人間のことなら何でも知ってるんだな」
「……」
「なあ、俺、オジサンの全てが知りたい」
「やめてくれ。オジサンにはそんな趣味はない」
「俺にもねえよ!」
ああ。
悲鳴が、聞こえた。
急いでレッドフラッシュを口に含む。少しは体の震えが納まった気がした。
「なあ、オジサン。お前、ルパンの次元リスペクトだろ」
「じゃあ、少年。オジサンからも言ってやろう。今、どんな気分だ」
「なんでもねえよ」
魔人は心底不機嫌そうに唾を吐き捨てた。
「素直になれよ、少年。悪魔は自分の欲望に忠実だ。だから、今の少年の態度は心底イラつく」
どいつもこいつも同じことを何度も言いやがって。
「じゃあ、どう言えばいいんだよ! 怖いから逃げたいって言えばいいのかよ! それじゃあ何もかわら――」
「いいや。今この瞬間変わったよ。自分で自分の気持ちを分からねえと、いつの日か悪魔になっちまうぞ」
「悪魔にだけは言われたくないセリフだな」
余計に頭がモヤモヤする。さらになにか悪くなった気分だ。
「オジサンには怖いものないのかよ」
「怖いものがない自分が怖いな」
「なんだよ、それは」
キザりやがって、ったく。
「もう二度とこんなこと関わらねえかんな!」
そうだな。なんとなく俺は無理していた気もしなくもないようなするような。
深い深い闇より黒い闇へと駆けだしていく。影は闇と溶け合って、体と自分との境も消えてしまって。俺自身が闇へと消えて行って。
闇を切り裂いたのは冗談のような光景。
トマトをつぶしたような光景。
本当にこういう光景ってのはこういう光景なんだな。
光景。光景。
闇色のコンクリートには巨大なトマトが潰れていた。
普通のトマトと違うのは、種の所は白くてうにょうにょしていて、果肉はもっとぶよぶよしていて。桃色で――
「うぅぅぅ。うげえぇえぇえぇえぇえぇ」
胃の中の何もかもが吐き出される。
レッドフラッシュしか取り込んでないから血みたいに真っ赤だ。
真っ赤だなあ。
「なあ。なんでお前がそこにいるんだよ。なあ」
涙を流しながら、苦しみながら俺はその影に語りかけた。
「ジャイアン」
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