第5話 レイプ魔におそわれた!




 一度寮に戻り、着替えて町へと歩を進める。

 『タッチアンドゴー』は俺たち寮生がいない時はカフェになっている。あんなおっさんが経営してるにも関わらず完全予約制で、もう予約が三か月先まで埋まってしまっているという変わったカフェだった。

 松本さんに相談したいって人の気持ちはよくわかるなぁ。フランスでパティシエの修業をしてたからただでさえ腕がいいのにさらに人生相談にも乗ってくれるとあれば、予約のために会社を休む者までいるのだとか。

「一体どこの仮面ライダーブラーボだ?」

 突然変身! とかされても驚きはしないが。

「ことがことだ。松本さんに迷惑をかけるわけにはいかない」

 もしかしたら松本さんなら簡単に解決してしまうかもしれない。でも、何故だかこれは俺自身の問題でもある気がした。

「なんでだろうな。あのアリス様とかいうやつとは面識もないはずなのに。何故か気になる」

 これこそ恋かしら。

 俺に限ってそれはない。

「とにかく、確かめないと。アイツが猟奇殺人犯なのかどうかを」

 色々と話を聞くと、事件はすでに3件も起きているという。

 そして、犠牲になった人たちは11人。同時にはらわたをむしゃぶりつくされていたとのこと。

 事件の内容も聞いただけで胃酸がこみ上げてくるものだった。

 腹をナイフのようなもので切り開かれ、そして、遺体なのかまだ遺体でもないその体の内蔵を食っているという話だった。どこの内蔵が、という特定の嗜好もなく、もしかしたら模倣犯の可能性もあるかもしれないとのことだったが、たった3件ではそれもないだろう。

 ただ、少なくとも単独犯ではない、ということだけが俺にとって救いだった。

「昨日警官に出くわさなかったのが奇跡か」

 クラスの人間の話を聞くと、午後6時に集団で歩いていただけで警官から家に変えるように怒鳴られたそうだ。相手が女子だったから、話を聞いた女子は目を血走らせた警官の顔が怖かったと供述した。

 あ、なんかサスペンスっぽい。

「って、ダークファンタジー目指すんだろうが。あ、いや、俺、血とか苦手だから」

 あの悪夢のせいで血が苦手になっている。

「そういえば、変わったことと言ったら、ジャイアンが学校に来てなかったな」

 周りの反応を見る限り笹森への失恋のショックと笹森を傷付けてしまったことによるショックの二重バフのようだ。あのジャイアンが登校拒否か。

「ホント、俺はみんなに迷惑をかけてばかりだ…」

 俺は悪気があったわけじゃない。

 ビビってたんだ。いいや、いつもビビってる。

 だからおチャラけて全部誤魔化している。それすら分かっているというのに、俺は――

「今さらヒロインを助ける王子様気取りってのはバカげてるけど、でも、いやだからこそかな」

 ここでやらねば女が廃る!

「…そして町に来たはいいものの、どこを探せばいいのか分からないのであった…」

 裏路地に入り込めば即バッドエンドだ。

 タイプ・ムーン作品は勇気を出した選択をすればするほどどん底に突き落とされる。

「俺までやられちまったら元も子もないじゃねーか」

 そうだ。俺は自分が傷付くのが怖い。

「だから、危ない橋は渡らないって言ってんだろうが」

「おじさんはまだ何も言ってないぞ。少年」

 笹森ではない、おっさんの声が聞こえた。急いで振り向くけれど、そこには誰もいない。

「ついに幻聴まで聞こえるようになったか」

 俺の手は震えていた。

 いつだって弱虫で泣き虫で怖がりで。

 守りたいものなんて簡単にこの細い手からこぼれ落ちてしまう。

 自分が傷付くのは怖い。でも、誰かが傷付くのはもっと怖い。

 俺のせいでもう誰かを守れないのは嫌なんだ。

「いいぜェ。やってやろうじゃんよ。地獄の果てまでデッドドライブだ」

 俺は松本さんからこっそりくすねてきたレッドフラッシュを口に入れる。これで松本さんの大目玉確定だ。だから、度胸がついた。

「お安い御用だぜ!」

 ついでにじいちゃんの口癖も拝借する。

 もう怖いものなんてなにもない。

「ション便ちびりそう」

 帰ってきたとき松本さんが神妙な顔をしていたのを思い出す。ああ、自分でこっそり洗うべきだったなぁ。


 裏路地はしっとりしていた。なんかしめっぽい。辺りにコケが生えているようだった。そして、強烈な廃棄物の匂い。時おりでっかい蠅が俺にぶつかってきた。

「ますます嫌な感じだ」

 一歩一歩進む。足音を立てないように。ホラゲなんて滅んじまえ。

 とっくに人々の声は消え失せている。辺りは闇夜の如く静かだった。こんなところにずっと一人でいたい気持ちになる。そして、一人で永遠に悩んでいたい。でも、多分、それだけじゃ解決はしない。

「ったく。全部終わった暁には美女からキスの一つも欲しいくらいだぜ」

 かたっ。

 軽口を叩いていると本当にいいことはない。

 道の先に何かがいた。

 一瞬で体温が奪われる。手の先からどんどんと体温が奪われていった。

「何者だ? お前は。薬中か?」

 俺の前に現れたのはフラフラの男だった。顔は死体のように生気がない。目は虚ろで、目の前の俺さえ見ていない。でも、確実に俺に向かって歩いてくる。

「犯せ! 犯せ! 犯せエェエェエェ!」

「マジヤバっ!」

 レイプ魔が現れた!

 って、え?

「いや、俺そういう趣味ないっすから! あっ!」

 俺が軽口を叩いているうちに薬中に倒される。俺の方が力があると思っていたのに、このおっさん、強い。

 いや、違う。おっさんの腕はギシギシ言っていて、無理に体を動かしている。つまりは自暴自棄。

 おっさんの唾液が俺の顔にかかる。糸を引いた、どろどろのやつを。口に入らないようにするので精いっぱいだった。

 頬に伝う粘着質の唾液からは血の匂いがした。

 特有のむさくるしい、鉄の、いや、鉄と腐敗集の混じった、世界で一番拝みたくない匂い。

 地面に背をつける俺の目にはおっさんの後ろの物が映った。

 それは黒い水たまり。

 そこには迷問の制服。女子の白い制服だ。でも、今は赤く染まっている。

 そして腹は、なくなっていた。

「あぁ…あぁあぁあぁあぁあぁあぁ!!」

 コイツがやった。

 人を殺した。

 思いっきりおっさんの腹を蹴飛ばす。おっさんは少女の死体に乗っかかって倒れた。

 笹森やクラスメイトの女子の姿と死体とが重なる。

 俺は倒れたおっさんにのしかかり、おっさんの顔を殴り続けた。

 コイツが、コイツが、コイツが――!

「ぶげあぁ」

 人間の出す声とは思えない音を出して、おっさんの腹は弾けた。制服が割れたスイカに襲われたようになる。

 その時になってようやく、俺は自分の常識とはかけ離れた世界に足を踏み入れたことを察した。

 バタバタバタ。

 冷静に状況を精査する暇もなく、路地の先と後ろから足音が幾重にも重なって聞こえる。

「うそだろ…おい」

 何人もの薬中が俺に襲いかかってきた。

 そして、俺の人生は幕を閉じたんだ。


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