第4話 パンダ



 みんなは一体どんな夢を見るのだろうか。

 俺の見る夢は決まって嫌な夢だった。昔からずっと同じ夢を見ている。どこまでもどこまでも終わらない夢を。

 いつからこんな夢を見るようになったのだろう。

 そこはどこかさえ分からない。

 ただ俺には痛みがある。臭いがある。感触がある。

 夢であるのが信じられない。

 そして、俺は泣いていた。何もかもを否定してしまいたいのに、逃れられない。

 それが運命なのだと…

 世界は真っ赤に染まっていた。どこまでも黒い朱。黒と赤の境界さえ分かりはしない。

 俺はそんな世界の中でただ一人立っている。独りぼっちで立っている。

 そこには俺以外のモノがあった。

 それはかつて人であったモノたち。

 そこから導き出される答えはただ一つ。


 俺がみんな殺したんだ――


「あぁあぁあぁあぁあぁあぁ!!」

 俺は目を覚ます。汗がいつもの倍はある。びっしょりで、水分補給しないとヤバいくらいだった。

「ション便漏らしてねぇよな…」

 確認して真っ青になる。

 うん。こんな日もあるさ。坂本龍馬だってさ――

「いつもの日常…だな」

 部屋はいつも通り汚い。エロゲのパッケージやらエロ漫画雑誌が散乱している。いつから少年ジャンプの上にエロ漫画が覆いかぶさるようになったのだろうか。

 そして、昨日の光景がフラッシュバックする。

「あれは夢だったのかな」

 真紅のドレスとその傍らに倒れていたモノ。

 ドレスが握っていたのは刃物。赤く染まっていた。

「アイツが殺した、とか? いやまさか」

 夢だったのだと思い込んだ。だって、こうして俺はいつの間にか不自然なほどに自分の部屋に戻ってきているのだ。自分の部屋に戻ってきた記憶はない。

「初めて見る別の夢があんな夢とは。最悪だな」

 嫌な夢ばかり見る病に罹っているのではないだろうか。最悪だ。

「そして、目覚ましを掛け損なっている。最悪だ」


 びしょ濡れの洗濯物を洗濯機に放り込んで寮を出る。選択は松本さんが洗濯してくれる。

「松本さん。今日もお綺麗ですね」

「なによ。珍しく早いじゃない」

「マジか。俺ってやればできる子なんだな」

「嘘よ」

 おーい。

「いつも以上に遅いじゃない。それに顔が青いわ。痔がひどいなら休みなさい」

「俺はお前と違って痔じゃねぇよ!」

「誰が出血多量じゃぁ!」

 松本さんは常備している箒で俺を襲いにかかる。間一髪で箒から逃れる。

「めがぁ! めがぁあぁあぁ!」

「どんくさいわね」

 ふっ。ちょっと目に箒が染みただけさ。

「ホント大丈夫?あんた、じいさんと同じ目をしてるわよ」

「おい、お前じいさんのこと知ってるのか?」

 初耳なんですけど。

「ま、ちょっとした知り合い程度ね。あれは私が傭兵として世界各国を回っていた時かしら――」

「思い出話はいい」

 冗談なのだろうけど、シュワちゃん顔負けの容姿をされていたら傭兵と言われても冗談には聞こえない。

「それより、レッドフラッシュ」

「あんた、こればっか摂ってご飯も碌に食べてないでしょ。体ぶっ潰れるわよ」

 もとよりすでにレッドフラッシュに体も心も支配されてるんだよ。摂取しないと体が震えて禁断症状が出る。

「いつもより遅いわよ。遅刻するから早く行きなさい」

「ああ、分かったよ」

 回転数もっとあげようか。


 レッドフラッシュ二倍で通学路を走り抜ける。

「そっか。笹森は休みだよな」

 怪我が治っても女の子だからあの顔では登校しづらいのかもしれない。

 責任の重さが漬物石のようにのしかかる。

 笹森がいない初めての道を進んだ。

「ったく…せいせい…する…」

 あの野郎、風邪なんてひいたことないからずっと一緒だった。雨の日も風の日も、雪の寒さに凍えそうな日も。ずっと俺のことを待ってたんだ。

「なんでアイツは俺に付き纏ってたんだか」

 もしかしたら今回のことで完全に俺から手を引いたのかもしれない。そうだ。それが一番いいんだ。

 散った桜の花びらが埋めるアスファルトを踏みしめて歩く。綺麗な花びらが茶色く穢れていった。

 そんな道に白い日傘が見えた。

 どくり、と心臓が嫌な動きをする。

 思い出したくない記憶がよみがえる。あの匂いは間違いなく、本物の血の匂いだ…

「アイツは何者なんだ」

「知りたいか? 少年」

「はっ」

 俺は急いで振り返る。

「って、笹森か。何してんだ」

 何故か太鼓のばちを手にした笹森が俺の背後に立っている。いや、近すぎだけど。

「お前、いつから立ってたんだよ」

 笹森は黒く変色した右目を隠そうともせず立っていた。化粧とかで誤魔化せばいいのに。まあ、化粧は禁止だけどもよ。

「それはな、少年。少年が世界地図を描いた時からさ」

「お前、なんで知ってんだよ!」

 あれは国家機密なみのトップシークレットだぞ。

「いやぁ、既成事実があれば志村くんも観念するかなーって」

「何を考えてたんだ!」

「いんやぁ、女の子に言わせないでよぉっ! 精子を採取して私と志村くんの子どもを――」

「言うな! 女の子が精子とか言うな!」

「男の娘だもんっ!」

「男の娘はな! そんな安っぽいもんじゃねえ!」

 まあ、いつも通りでなんか安心してしまったけれど。

「その痣、隠さないのかよ」

 見るたび心がズキズキ痛む。

「だって、これを見せるたび、志村くんの心の中は私でいっぱいになるんだもん。うへへへへへへへ」

 小さいつを忘れてるぞ。

 コイツ、ガチだ。

「今日はいつもと趣向を変えてみたんだけど、どうだった?」

「殺す。お前が俺を殺す前に殺す」

「そんなっ! 首絞めプレイだなんてっ! でも、志村くんの最近のお気に入りはそんなものばかりだもんねっ!」

「だから、なんで俺のエロゲの趣味を知ってるんだっ!」

 怖いわ。

「それよりアリス様のことが知りたいんでしょ?」

「お前に話を戻されるとなんか傷付く」

 そうだ。俺はあれが夢だったのか、もしくは偶然あの少女もあの場に居合わせただけなのか確かめなければならない。

「アイツはなんなんだ? 遅刻しても動じてないぞ」

 今日もまた日傘の少女は遅刻しても動じることなく、優雅に歩いていた。

「だって、アリス様は理事長だもんっ。ここの生徒だし。昨日Aクラスに編入してきたのっ」

「…はい?」

 情報量が多すぎてなにがなにやら。

「だからっ。理事長様で、生徒様なのっ」

「いやいやいやいや」

 え?

 じゃあ、俺、アイツに喧嘩売ったら路頭に迷うことになるの?

「そいやさ、最近ニュースでヤバい事件とか起きてないか? 殺人とか」

「起きてるよっ。この町でっ」

「本当か! どんな事件なんだ!」

 嫌な予感が的中か…

「なんだか町の路地とか暗い場所でお腹が抉られるような死に方をした死体が多いんだってっ。だから、部活も中止で早く帰らされてるのっ。ずっと前から学校でも言われてたよっ」

 教師の話なんて寝ていい時間だと思ってるから聞く機会すらない。

「アリス様のことも昨日始業式で言ってたけどっ」

 寝てました。てへっ。

「そうか。ありがとうな」

「えへへっ。志村くんにプロポーズされたぁっ」

「してねぇ! それより、俺たちはここから一歩も動けないんだがどうしようか」

 校門には青筋を立てて俺たちを睨む体育教師の姿。一歩でも動けばヤツの射程距離に入る。

「射精距離?」

「やめろ」

「私を連れて逃げてっ! 志村くんっ」

「分かった。まずはお前が先に行くんだ。笹森。そして、その後俺がお前を助け出す」

「分かったっ! 待ってるよっ!」

 笹森は意気揚々と体育教師の前まで進んでいった。

 一時の沈黙の後、体育教師は笹森に卍固めを繰り出す。

「お前の犠牲は無駄にはしない!」

「ちょっと! それは俺を置いて先に行け――うぎゃぁあぁあぁ!」

 ありがとう、笹森。お前の分まで俺はたくましく生きることにするよ。

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