第3話 ぶらっでぃ!




「あれだな。思春期の男の子特有の変な習性だと思ってくれ。決してストーカーでは…」

 否定できない…

 なんやねん、これは。

 俺は日傘に赤いゴスロリの少女の後をつけていた。こう、電柱の影を伝って――

「珍しくアイツがいない――そっか。パンダだったな」

 通りでなんか変な感じが――

 俺は辺りを見渡す。よし、いない。こう話をしてる時に限ってぴょこっと瞬間移動みたいにアイツが出てくるんだ。

 笹森パンダ。

 笹森と俺が出会ったのは学校への階段を上り終えた時だった。

「この学校は好きですかっ? 私はとってもとっても大好きですっ。でも、なにもかも変わらずにはいられないのですっ。楽しいこととか嬉しいこととか全部、全部っ。変わらずにはいられないのですっ。それでもこの場所が好きでいられますかっ?」

「クラナドかぶれかよ。ボケたれ」

 はっ、と声を出してパンダは振り返った。

 しかし、俺はすでに学校の方へと進んでいたのだ。

「ちょっとっ! 不審者ですっ!」

「関わらない、関わらない。クラナド信者にいいやつはいない」

「どういうことっ!」

 そして、笹森は俺の背中にドロップキックをかましたのだ。

「俺は学んだ。語尾に小さい『つ』を入れる奴に碌な奴はいないと…」

 それが原因なのかよく分からんが、俺は笹森に付き纏われることになったのだ。


「ふっ。思い出話に花を咲かせればあっという間に辺りが真っ暗。そして、ここがヤツの家…」

 すっごい豪邸だった。東京ドーム十五個分の敷地だ。多分帝都の半分をこの屋敷が占領しているのだろう。

「いや、語彙がなくて済まんが、こんな豪邸見たことがない。というか、この町にこんな家があったのかよ」

 不自然な所と言えば、屋敷が真っ暗なことだった。門の所に灯が付きそうな電灯なのか発光ダイオードなのか分からない代物が付いているが、それさえ灯っていない。まあ、先ほど住人が入っていったばかりなのは分かるが、こんな大きな家、家族どころか使用人がいないとどうしようもないのではないだろうか。

「男装執事か。萌えるなぁ」

「にゃがっ」

「はっ!?」

 塀の上から何か黒いものが俺に襲いかかってきた。頬が痛くて熱い。

「何だ、って猫かよ」

 暗闇の中に何かがいる気配がするが、闇に紛れてよくわからない。多分黒猫なのだろう。

「やめろよ…俺の心臓はか弱いヒヨコなんだぞ」

 本気でビビった。というか、なんで急に襲われないといけないんだ。

「番犬…いや、番猫…ってわけでもあるまいな」

 俺は乾いた笑みをこぼす。

 ぐぎぃ…

「ひっ!」

 反射的にその場から飛んで地面に伏せる。

 なんかホラー映画でヤベーヤツが扉を開ける時のような音がしたのだ。

「って、あれか。ゴスロリが扉を開けたのか」

 暗い豪邸というのはとっても怖い。機会があったら試してみるといい。

「隠れないと」

 なんだか独り言が多い人のようになっているが、もとより独り言しかしゃべっていない。会話なんて生まれて金輪際したことがない。

 多分、じいちゃんの影響だ。あの人は夜中ガサゴソやっては昼間死んだように眠る夜行性の鑑のような人だったからな。あの人と碌に会話出来たことがなかった。

 俺は急いで手近の電柱に身を隠す。ありがたいねぇ、電柱。大好きだ。レッドフラッシュの次に。

「夜まで日傘差してるよ、アイツ」

 俺の知っている日傘は何だったのか。日笠陽子?誰がうまいこと言えと言った。

 ちらり、とゴスロリがこちらを向くような素振りを見せたので急いで電柱に隠れる。このドキドキ、なにかしら。もしかして、恋?

「だから誰が上手いことを言えと言った」

 俺は精神を落ち着かせるためにタッパーからレッドフラッシュを取り出して口に含む。それだけで体の震えが止まった。気持ちがスーッとする。程よい刺激が口腔に広がり、やがて体全体を妙な高揚感に包んだ。

「お安い御用だぜ!」

 俺はゴスロリの後を悟られないようにつけていった。


 夜のネオンが無機質なコンクリートを照らす。いや、ネオンじゃなくて街灯だけれど。というか、未だネオン管使ってるところあるのかよ。

「アイツ、こんな所まで何をしに来たんだ? エンコーか?」

 となるとかなりヤバいところに遭遇してしまいそうだ。

「今のうちに逃げるかな…」

 そんな時に判断に困る行動を見せられる。ゴスロリは急に90度方向転換し、ビルとビルとの合間に入り込んでしまった。

「やべぇよ… ホントやべぇって…」

 この町でまさかマンガやアニメみたいな出来事が起こるなんて…

 そして、事は起った。


 きゃあぁあぁあぁ!


 断末魔の叫び。ははっ。こんな冷静に説明してる暇じゃねぇってば…

「おいおいおい。嘘だろおい。どうしろってんだよ俺に。なにがどうなってんだよ。なあ、なあ、なあ!」

 俺には――何もできない。何のとりえもなくて、漫画の主人公みたいになんでも解決できるスーパーパワーなんてない。女の子一人助けることなんてできない。人は自分を守ることで精いっぱいなんだ。誰かを助けることなんてできない。

 俺は、逃げることにした。

 知らないやつがどうなろうと俺には関係ない。俺はアイツのことを知らないし、アイツは俺のことを知らないんだ。

 だから、だから、恨まれることなんてない。

 俺は卑怯じゃない。

「でも、後悔するぜ? 少年。もう一度、後悔するのかい? 今度は一生悔やみきれねぇぜ?」

「はっ」

 俺は後ろを振り向く。誰もいない。辺りを見渡しても俺しかいない。

 でも、確かに声が聞こえた。どこからか、おっさんの声が。

「なんなんだよ。なんなんだよおぉおぉおぉおぉ!」

 俺は走り出した。

 この死んだ魚のような目に街灯を反射させながら。

 後悔。

 もう二度としないと何度思っただろうか。

 そのくせ何もできなくて、ただ、心にぽっかりと穴が開いてしまって。

 何もしなかったくせに、後悔だけは一人前にして。

「お安い御用だぜ!」

 妙な高揚感に支配されていた。

 俺はここから変わるんだと。

 そんな幻想を抱いていた。

 しかし、路地を目の当たりにした俺は幻想をことごとく壊されてしまうことになる。


 目に映ったのは鈍い光。それは赤くて長くて鋭そうな何かから放たれている。

 ゴスロリの顔が目に映る。服と同じ色に染められている。

 地面に人が倒れている。その近くには黒い何かが広がっていた。

 血だ。血だ。血だ。血。

 血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血!!


 顔を血で濡らしたゴスロリはゆっくりと立ち上がり、その赤い瞳で俺を睨んだ。



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